花好きカムイがもたらす『しあわせ』~サフォークの丘 スミレ・ガーデンの片隅で~

市來茉莉(茉莉恵)

文字の大きさ
7 / 66
【1】 サフォークの丘 スミレ・ガーデンカフェ 開店です

⑥ リージャン・ロード・クライマー 野生化したオールドローズ

しおりを挟む

 士別市の春は遅い。冬は氷点下二十度台を記録することもある道内でも極寒の地だった。そのため、大手自動車会社が寒冷地試験場として利用しているほどである。

 初夏ではあるが本州の感覚でいうと、まだ春に近い気候。雨が降れば肌寒い日もまだあるため、舞は父と共にスプリングコートを羽織って、その土地に到着する。

 羊の丘へと登っていく道の入り口を通り過ぎ、緑の木々が道路沿いに続く。もう少し行くと、満天の星を見ることが出来る星の丘があるがそこまでは辿り着かず、父が運転するクルーザー型の車は、舗装が古くなっている小道へと曲がった。

 長年の劣化で雨水で風化しているでこぼこしたアスファルト、両脇は鬱蒼とした緑の木々、だがそう長くはない。ほんの数十メートルだ。助手席にいる舞の目に、あのペンション風の家が飛び込んでくる。

「あれ、だよね」
「そう、あれだ。レトロな煙突が目印だ」

 娘を連れてこられたからなのか、どこか父は嬉しそうだった。
 林の道を抜ける。父の車が開けた庭へと飛び込んだとき、舞はあっと驚くものに目を奪われる。

「お父さん、あれ……、あんなのもあったの!?」

 目的地に到着したため、父が車を止めた。濛々と茂る緑の草が覆う荒れた庭の向こう、森林の木々が大きな緑の壁面のようになっているそこに、まるでヴェールでもまとっているかのようなバラの群生が覆っていたのだ。

「凄い! あれも野生化しているの。そんな強いバラなの。凄い!!」

 遠目から見ているだけなのに興奮やまず、舞は急くようにあたふたとシートベルトを外して、父より先に車を降りた。

 以前のまま残っている石畳の道を行き、舞は草に覆われている庭の向こうへ、森林へと近づける道を探す。

「舞、納屋へ向かう道が森林と繋がっているんだ。家の手前から入れる」

 後から歩いてくる父を置いて、舞は急いだ。

 森林の緑の壁に、たくさんのローズが飾られているような壮観さだった。

 ベージュ色のスプリングコートの裾を翻しながら、舞は早足で向かう。
 石畳の割れ目に苔が生え、細く長く続き道の両脇を野草が頭をもたげ邪魔をする。それを押しのけ、舞は森林へと向かう。

 庭の片隅に納屋、そこまで辿り着くと、もう森への入り口。石畳はここまでで、その向こうは自然の土の小径が薄暗い森の中へと続いている。

 緑の広葉樹や針葉樹が無造作に並ぶ手前に、薄紅色の小さなバラが無数に咲いていた。しかも株が大きいのか数メートル向こうまで続いている。まさに森のフェンスを覆うヴェールだった。しかも、優しいほのかなローズの香りが漂っている。

 手が届くピンク色のバラを手に取り、舞は花の形状を確認する。

「浅いオープンカップ咲き、半八重咲き、オールドローズ。香りが強く、ティー系?」

 優しい紅からうっすらと白っぽい紅へとグラデーションがある花びら、こんな野趣溢れるおおらかな咲き方をしているのに、花にも香りにも気品がある。

「舞……、やっと追いついた」

 息を切らした父も、舞の側にたちつくし、自分の背丈より高く生い茂っている蔓バラを見上げる。

「これは素晴らしい。春咲きの球根草にも驚いたが、こんなバラも植えていたのか」
「ここまで放っておいてもずっと勝手に咲いていたってことだよね。これは『リージャン・ロード クライマー』かもしれない」

 帰ったら高橋チーフに見てもらおうと、舞はカップ咲きの花をアップで撮影し、全体像もと森と庭の境目で無数に咲き誇る姿もスマートフォンのカメラで撮影をしておく。

「良い香りだ……」
「このバラは1993年にイギリスのプランツマンが中国雲南省の麗江路(リージャン・ロード)沿いに植栽されていたのを発見して、リージャン・ロードという名がついたバラなの」
「平成の初めだな。ペンションのオーナーご夫妻が興味を持って新しい種のバラを植えたかもしれないってことか」
「初心者向けで、強いの。放っておくと大株になりやすくて、すぐに伸びていくから、ここのような広い場所が必要なバラなんだけど……」
「なるほど。この庭なら充分な広さ、そして野生の環境も抜群だったということか」

 舞は息を呑む。『花のコタン』でもバラが咲く時期に合わせて栽培をしていく。綺麗に見えるように手も入れる。整えるための手入れだって……。なのに、手入れもされていない庭で、誰も訪ねてこない庭で、ただそこにあるだけで咲き続けている。香りも姿も景観もこんなに素晴らしいのに、彼らにとってそれは目的ではない。ただ咲いている『生きているから』。

 高橋チーフの言葉を思い出す。『どんなに俺たちが綺麗に庭を整えて咲かせても。野生の姿に惹かれるのはどうしてなのだろう』と。きっとこれだと、舞はいま心打たれている。

 そして舞は庭をずっと向こうまで眺める。よくある学校のグラウンド半分ぐらいの大きさがある敷地。春によく見るハルジオンがたくさん咲いていて風に揺れている。庭から後ろへと振り返ると、平成の頃によくみたヨーロッパの造りを意識した洋館ペンション。そしてこの庭と建物の敷地の向こうには、小高い緑の丘がひとつ、ふたつ重なっている。羊が放牧され、のどかに遊んでいる。そして青空と白い雲。ゆるやかなカーブの丘陵地。その谷間、麓に小さな森林と一緒にこの土地がある。

 ここが、父がほしいと思っている場所。最後の……、終の……。
 そして舞も気がついた。側には古い納屋、その軒下にも薄紫のスミレがちょこちょこと咲いていた。

「お母さん……」

 舞の呟きを訝しんだ父も、娘の視線の先に気がつく。
 父はその小さな花へと近づいて跪いた。

すみれ、舞もここが気に入ったようだよ」

 父の指先が、小さな花に触れる。可憐に見えて強い花、どこにでも咲ける花。父はそこに亡き母を見ているようだった。そして舞も、なにも言えなくなっている。

 この庭の力を、知ってしまったからだ。




しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

完結 シシルナ島物語 少年薬師ノルド/ 荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣

織部
ファンタジー
 ノルドは、古き風の島、正式名称シシルナ・アエリア・エルダで育った。母セラと二人きりで暮らし。  背は低く猫背で、隻眼で、両手は動くものの、左腕は上がらず、左足もほとんど動かない、生まれつき障害を抱えていた。  母セラもまた、頭に毒薬を浴びたような痣がある。彼女はスカーフで頭を覆い、人目を避けてひっそりと暮らしていた。  セラ親子がシシルナ島に渡ってきたのは、ノルドがわずか2歳の時だった。  彼の中で最も古い記憶。船のデッキで、母セラに抱かれながら、この新たな島がゆっくりと近づいてくるのを見つめた瞬間だ。  セラの腕の中で、ぽつりと一言、彼がつぶやく。 「セラ、ウミ」 「ええ、そうよ。海」 ノルドの成長譚と冒険譚の物語が開幕します! カクヨム様 小説家になろう様でも掲載しております。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

処理中です...