拝啓 愛しの部長様

鏡野ゆう

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第四章 海藤ベイビーがやってきたの巻

第三十話 心配性なdarlin'

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「そんなに気になるならお前の下に愛海ちゃんを異動させろよ、まったく……」

 昼飯の時間、俺が愛海の様子について質問攻めにしたので長野が溜め息混じりに呟いた。

「そんなことしたら愛海の交替要員として瀬能をそっちに異動させた意味がないだろ」
「だけどお前の尋問は度を越し過ぎだよ。いっそのこと、お前の横に座らせておいたら心配もなかろうよ」
「そんなこと出来る訳がないだろ」

 そうするのが一番安心なのは自分でも分かっているがそんな自分勝手なことが社内で罷り通る筈もなく、万が一そんなことが出来たとしても愛海がどんなに怒るか。出産間際になって離婚の危機だなんて真っ平ご免だ。

「毎日毎日お前に報告させられる俺の身にもなれっつーの」
「部下の管理がお前の仕事だろうが」
「だからお前のは度を越しすぎだっつーの、このバカップルめっ」

 ビシッと指で指されてしまった。なんで俺がバカップルなんだ。こっちが心配するのは仕方がないだろう、ちょっと目を離せば昨日みたいにコピー用紙を台車も使わず持ち運びしたりしているんだから。つわりがおさまった途端にあれだ。体調が良いのは結構なことだがとにかく愛海は元気になりすぎだ。

「んで?」
「ん?」
「出産、立ち会うつもりでいるのか、お前」
「最初はそのつもりではいたんだが、どうかな、愛海は無理して立ち会う必要はないって言っている」
「中には立ち会って欲しくないって嫁さんもいるからな。まあこればかりは嫁の意見を尊重してやれ。それにだ、立ちあったらお前のほうが先に倒れたりしてな」

 長野が人の悪い笑みを浮かべた。こいつは嫁の出産に二度立ち会っている。そう言えば上の子供の時には長時間の陣痛に苦しんでいた嫁に罵られたと愚痴っていた。

「愛海ちゃんは小柄だし帝王切開って手もあるんだろ?」
「それは言ったんだが、あいつは自然分娩をしたいって言ってる。本人がそう望むのを無理に変えさせるわけにもいかんだろ?」
「そうだな、こればかりは本人次第か。お、噂をすれば、だ」

 瀬能や他の女子社員達と一緒に愛海が社食に入ってきた。なにやら楽しそうにお喋りをしている。こっちに気が付いて無邪気に手を振ってきたので手を上げて応じておく。

「人妻で妊婦なのに可愛いだなんて反則だな、ありゃ」
「そうジロジロ見るな」
「構わんだろうが減るもんじゃあるまいし」
「減る」

 やれやれと首を振る長野。俺が減ると言ったら減るんだ、そんなにジロジロと見るな。

「俺ばっかり報告させられるのは不公平だ。何か俺に知らせるようなことはないのかお前達のことで」
「は? なんで俺と愛海のことをお前に報告しなきゃならんのだ」
「だーかーらー、たまには俺に感謝して報告ぐらいしろ。情報の等価交換だ」

 何が等価交換なんだか長野の言う理屈がサッパリ分からん。だが……。

「そうだな……チビ助が最近ではちゃんと夜になると大人しく寝るようなった、ぐらいか」
「親孝行なチビちゃんだ」

 最初のうちは昼間だろうが夜中だろうが時間に関係なく元気に動いていたが、最近では愛海が寝る時間になると大人しくなる。どうやら夜はちゃんと母親の睡眠時間に合わせて寝ることにしたらしい。お陰で愛海も最近ではちゃんと睡眠がとれると喜んでいたな。


+++++


「あれは絶対に長野部長を尋問中よね、海藤部長」

 部長と長野部長がB定食を突きながら話しているのをこちらで見ていた千夏ちゃんが可笑しそうに囁いた。時々、部長に何か言われて顔をしかめながら話している長野部長の様子からして間違いなくそうだと思う。

「もうさ、長野部長の為だと思って愛海は海藤部長の横に座っていてあげたら?」
「えー……」
「それぐらいしないと安心出来ないんでしょ、あの様子からして」
「嫌だよぉ、あれするなこれするなってずっと言われ続けたら私の方がストレスで倒れちゃうよ。コピー用紙二包みですら持たせてくれないんだよ? そのうちマグカップもボールペンも駄目だとか言い出しそう」

 超過保護だねえと皆が呆れ気味で呟いた。

「自宅でもあんな感じなの?」
「家ではそんなに言わない方なんじゃないかな。ここはほら、自分の目が届かないから余計に煩く言うみたい」
「長野部長はとんだトバッチリね」
「まさかこんなに煩くなるとは思わなかったよ……」

 そりゃ初めての子供だからある程度は過保護になるかなって想像はしていたけどね、まさかここまでとは。もしかしたら職場では奈緒先生の旦那様以上かもしれない。

「ま、分からないでもないわよねー」

 千夏ちゃんの言葉に皆が頷く。え? なんで?

「だって初めての子供だよ? しかも溺愛している愛海との赤ちゃんだもの、そりゃあ煩くなるのも当然でしょ? しかも愛海って可愛いもん。部長としては男性社員の視線とかも気になってるんじゃないかなあ」
「えー……」

 他の人の視線なんて気にすることないと思うんだけどなあ。だって私、人妻ですよ? しかも妊娠中の人妻ですよ? なんでそんな私のことを見る目が気になるんだろう? 大体それと今の過保護とどう関係が?

「うちの部署で男が手助けするのも気に入らないって感じだし? 愛海に対する独占欲が妊娠によって更に倍増したって感じ?」
「私、人妻だけど」
「そんなの関係ねぇっていう奴もいるってことよ」
「やだぁ……」

 それって不倫したいってことでしょ? やだなあ、そんな風に見られるのって気持ち悪いよ……そんなことを呟いたら、千夏ちゃんの後ろに座っていた吉村さんが何故がガックリと項垂れていた。どうしたんだろ吉村さん。


+++++


 お風呂から出た後、お腹にベビーオイルを塗ってマッサージしてもらうのがその日の締めくくりになって早一ヶ月。背中を部長の胸に預けて力を抜くと後ろから手が回されてきた。最初はくすぐったいだけだったのが今ではとってもリラックスできる時間だし、その間に色んなことを話す時間にもなっている。

「大きくなってきたなあ、産休まであと一ヶ月、出産予定日まであと二ヶ月かあ」

 早いもんだなと部長は言いながらお腹をゆっくりと撫でた。

「賑やかになりますよー?」
「だなあ。愛海と二人っきりなのもあと二ヶ月なんだなあ」

 その言葉に抗議するようにお腹の赤ちゃんが部長の手を蹴る。わお凄い、今迄で一番強いキックかも。

「あ、もう三人なのにって怒ってますよ?」
「そうだった。もうここにいるんだもんな、今でも三人家族だな、すまないチビ助」

 ポコンとなったところを優しく撫でながら謝っているのがとってもおかしい。しばらくマッサージをしていた部長の手がふと止まった。

「なあ愛海、本当に自然分娩で産むつもりなのか?」
「あ、まだ言ってるんですか?」

 出産まで何時間もかかるというのは頭では分かっていたみたいだけど、病院で陣痛で苦しむ妊婦さんを一度見かけてからはちょっと考えが揺らいじゃっているらしい。

「赤ちゃんとの最初の共同作業ですからね、今のところは自然にって思ってますよ? 今からそんな心配してどうするんですかあ?」
「そう言われても出産は男にとっては未知の領域だからなあ」
「今から心配したって仕方ないですよ、まだ二ヶ月先だしどうなるか分からないでしょ? もしかしたら帝王切開にしましょうって話になるかもしれないし」
「そんな話が出てるのか?」
「だから例えばの話ですって」

 パパは本当に心配性ですねえとお腹て手を当てて赤ちゃんに話しかけた。私の声に答えるようにポコリとキックする赤ちゃん。

「俺はチビ助が無事に産まれてきてくれて愛海が無事ならどんな方法でも拘りはしないんだが、やはり長時間苦しむというのはだなあ……」

 男には理解できない領域だから心配なんだって。こればっかりは仕方がないよね。

「いっそのこと仕事に行ってた方が気が紛れるかもしれませんよ?」
「そんな薄情なこと出来るもんか」
「側で変にうろたえられるより、会社で仕事をしていてくれた方が私は安心だけどなあ。欧米では旦那さんの立ち会いを禁じる病院もあるって聞きましたよ?」

 何処だったかな、確かフランスとかあの辺りだと思ったんだけど。

「それって旦那が出産の邪魔になるってことか?」
「んー……そこまでは聞いてないけど、旦那さんが心配でお産に集中できなかったりするんじゃないかな。そうすると時間がかかってかえって赤ちゃんや母体によくないとか」
「なるほどな」
「とにかくですね、今からそんなこと心配していても仕方ないですよ。こればっかりはなるようにしかならないんだから」
「それはお袋にも言われた」
「お義母さんは正しいです」

 いっそのこと出産間近になったら神戸のお義母さんに来てもらって部長のお守りを頼もうかな、なんて真剣に考えちゃう。自分のことより部長のことの方が心配になってきちゃったよ。私は実家に戻らずにこっちで出産することを決めたけど、なるほど、里帰りってこの為にあるのかもしれないって思っちゃった。
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