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番外編 香と焔のまなざし
しおりを挟むそれは、春の終わりの夜会だった。
王宮の庭園には花灯りが揺れ、
葡萄酒と白桃の甘い香りが、夜風に乗って人々の間を漂っていた。
ミゼ・アガナ侯爵夫人は、いつも通りの装いで舞踏の間に現れた。
深紅のドレスに身を包み、うなじをあらわにした絹の肩、
葡萄色の唇と、見る者を“誘う”ように曲がった腰。
――誰もが、視線を向けた。
貴婦人たちは眉をひそめ、若い男たちは喉を鳴らす。
彼女にとって、それはただの“日常”。
力と香りで、空間を支配するのは、女としてのたしなみだった。
(さて、今宵の“狩り”は、誰にしましょうか)
そう思いながら舞踏の間を見渡したとき――
――彼がいた。
若い。細身。
けれど、華奢というには鋼のような佇まい。
ルイセル王子。十九歳。
彼女はすぐには目を向けなかった。
王子がいることなど知っていたし、どこにでもいる“純潔を守る聖人君子”だと思っていた。
だが――その晩、何かが違っていた。
⸻
ふと、王子がこちらを振り向いた。
正面からではない。
少し斜め。
酒杯を持ち、従者の話を受け流しながらも、
その目だけが、まるで“遠くの敵”を射るように、こちらを捉えた。
――視線が、合った。
(……あら?)
その一瞬、ミゼは“冷気”を感じた。
見つめられたのではない。
見透かされたのだ。
彼の瞳は、誰にも染められていない深い黒。
人を欲しない、無垢な器。
そして、手に入れられぬものを前にしても、動じない“獣”のような眼差し。
(……少年? 違うわね)
女の香りに頬を紅潮させるような男ではなかった。
甘く誘えばすぐ堕ちるような、そんな軽さもなかった。
その眼差しは、むしろ――
“女の力など、何の意味もない”と、無言で語っていた。
⸻
ミゼは笑った。
口元だけを持ち上げて、扇を傾ける。
その扇の隙間から、もう一度、王子を見た。
今度は、まっすぐに。
(あなた――まだ“触れられたこと”がないのね)
女としての直感が告げていた。
王子の“中心”は、誰にも触れられていない。
だからこそ、彼は冷たく、強く、美しい。
“誰も知らない宝石”。
“まだ一度も開かれていない花”。
――この瞬間、彼女の心に、焔が灯った。
(私が、開かせてあげる)
それは恋ではない。
情でも、母性でもない。
ただ、“女”として、“男”のもっとも聖なる場所に触れたいという、
獣に似た執念だった。
欲しい。
味わいたい。
跪かせたい。
奪いたい――
今夜はまだ“始まり”でしかない。
けれど、彼女は確信していた。
**この王子は、私の焔で焼き尽くすしかない――**と。
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