運命の人

まる。

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番外編

運命な貴女(ひと)・前編

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「ふぅ。良かった、間に合った」

 ジャックは自身が運転してきた車から降りると、そのまま車体によりかかりホッと息をついた。
 もう一度時間を確かめようと右手の袖をめくり、指で腕時計をコツコツと叩きながら顔を上げる。
 ここに来るのは一体いつ振りであろうか。過去を振り返るのが得意ではない方だが、あの時自分の身に起きた事はまるで昨日の事の様に覚えている。

 ――季節は冬。
 あの日あの時ここに立ち寄らなければ、きっと今の自分は存在しないのだろう。全ての事が偶然の様にも思われたが、きっとあれらの出来事は自身の運命を変える必然ともいえる事だったのだと、今になってその事の重大さを理解する事となった。


 ◇◆◇

 ――パンッ!

「うわっ!!」

 今日のスケジュールを全部こなし、社に戻るためにビルが運転する車の後部座席で、ジャックは書類に目を通していた。
 突然、鳴り響いた乾いた音とともに車内がガクガクといつもより揺れ、思わず声を上げてしまった。
 ジャックはかけていた眼鏡を取り、何が起こったのかとキョロキョロと辺りを見回した。

「な、なに? 今の音。それにこの揺れ」
「あー、こりゃパンクだな」
「パンクぅー!?」
「タイヤ交換してさほど日が経ってないんだがな。何か踏んづけたか」

 そう言うや否や、ビルはウィンカーを出すと車を路肩に寄せた。
 寒空の中、二人はタイヤの様子を見る為に車から降りる。案の定、派手にバーストした哀れなタイヤはホイールさえも剥き出しになっていた。

「あー、こりゃ参ったな。すぐに新しいのに取り変えないと」
「え? 僕、タイヤ交換なんてやった事ないけど、ビルは出来るの?」
「……当たり前だ」

 ビルは口に出してこそ言わなかったが、その表情からして「これだからお坊ちゃんてのは……」とでも言いた気な顔で、タイヤの前でしゃがんでいるジャックを見下ろした。

「――あ」
「え? どうかした?」

 何かを思い出したのか、慌ててビルはトランクへと回りこむ。ガサゴソと中を引っ掻き回したと思ったら、次に大きな溜息が零れた。

「……まずい、スペアタイヤが無い」
「え!?」

 その言葉に驚いたジャックは、立ち上がって車の後部へと回る。額に手の平をつけて天を仰いでいるビルが一際大きな溜息をつくと、その手を下ろして彼の方へと顔を向けた。

「……この間、年末だから車の中を掃除したんだよ。そん時、邪魔だったからおろしちまったのを戻すの忘れたんだな、きっと」

「ガハハハ!」と高らかに笑い出したビルに、ジャックはあからさまに動揺した。それもその筈、彼の仕事はまだ終わっておらず、早く社に戻らなければきっと鬼の形相で社長の帰りを待ち構えている秘書が何て言うかわからない。

「『ガハハ!』じゃないよ、ビル! 一体どうするのさ?」
「まぁ、待て。こう言う時こそ文明の利器をだな」

 ビルがスーツの内ポケットから携帯電話を取り出して、何やら何処かに電話を掛け始めた。

「――ああ、俺だ。どうも、車がパンクしちまってな。 悪いが急いでスペアタイヤを持ってきてくれんか? 場所は――」
「ビル! 今からタイヤ持ってきてもらって、それから交換して――って、それじゃあ何時に社に戻れるかわからないじゃないか! 僕は、ジュディスが恐ろしいよ……」

 通話を終えたビルが、不安気に親指を噛みながらウロウロと辺りを徘徊しているジャックに向かって、フンと鼻で笑った。

「まぁ、案ずる無かれ。幸い、ここは都会のど真ん中だ。お前はタクシーでも拾って先に帰ればいいさ」
「あ、そうか!」

 その事に気付くや否や、早速二人は車道を流れる車をじっと凝視した。

んな」
「……来ても、もう人が乗ってるね」

 通り過ぎるタクシーはことごとく乗車中のランプがともり、探せば探すほど、この世には空車のランプがついたタクシーなど存在しないのかとも思えてくる。

「――、……あ! ビル! 電話! タクシー会社に電話だよ!」
「おお、そういう手があったか」

 ビルが再び携帯電話を手にし、それを耳にあてがった。
 普段、車移動しかしない二人はこの寒空の下コートも持っておらず、白い息を吐きながら肩をすくめている。

「……あ! あのタクシー、空車だ」
「――ああ、もしもし?」

 空車のタクシーがやっとやって来たが、丁度ビルの電話も繋がりジャックはそのタクシーを見送った。

「ああ、なるほど。わかった」

 携帯電話を閉じ、どこと無く暗い表情をしたビルをジャックはじっと見つめた。

「どうだった? すぐ来るって?」
「ジャック、ひとつ残念なお知らせがある」
「は!?」
「今日は一体何日か知ってるか?」
「え? 今日は――、十二月二十四日?」

 一体、それがどうしたというのかまるでわからないといった表情で、ジャックは眉間に皺を寄せた。余りの寒さに体が縮み上がり、自分で自分を抱き締めるようにして腕を擦りながら、少しでも寒さをしのごうとその場でウロウロとしている。

「つまりだな。今日はクリスマスイブでタクシーは全て出払っている。と、言うことだ」

「はぁっ!? なっ、それ……」

 又もや「ガハハハ!」と高笑うビルに相反して、ジャックの顔はどんどん青ざめていく。目の前にジュディスの顔が浮かび上がり、体をぶるっと震わせた。

(……さっきのタクシー、やっぱり手を上げれば良かった)

 何とも不運続きで、がっくりと肩を落とした。

「ん?」
「お?」

 ポツリ、ポツリと顔を濡らしたかと思うと、すぐにその雨足は強まりだした。幸いトランクの中に傘が一本あったが、大の男が二人して一本の傘を仲良く使うわけにもいかず、すぐ側にあるCDショップに二人は駆け込んだ。

「ふぅ。取りあえずここにいれば寒さも雨もしのげるし。ジュディスは怖いけど、流石にこればっかりはしょうがないよね」
「さあな」

「ビル!? 元はと言えば、ビルがスペアタイヤを――」
「お? ジャック。中々面白そうなのがあるぞ?」
「って、話をそらすなよ! ……、――」

 上手く話をそらされながらもジャックも視線を向けてみれば、確かに物珍しいCDばかりが目に入る。

「へぇー、なかなか……」

 顎に手を置き、少しづつ移動してはCDを眺めるその表情は知らず知らずに仕事モードになっていた。

「――? 見て、ビル。このジャケット……いいね」
「は? 何処が?」

 興味無さ気な返事を返すビルに、少し頬を膨らませながらジャックが睨みをきかせているのも知らず、ビルはさっさと反対側へと場所を移した。

「ったく!」

 再び視線を戻し、手にとってじっくり見てみようとCDへ手を伸ばす。と同時に、自分のものではない小さくて白い手がスッと視界に入って来た。お互い同じものに手を伸ばそうとしているのがわかり思わず手を引っ込めると、その小さな手も慌てた様子で引っ込められた。

「あ、すみません」

 こっちへ振り向きもせずに立ち去ろうとするその人に、何故だかはわからないがとても興味が湧いたのであった。


 ◇◆◇

「――だけど、何で今日はここで待ち合わせなんだろうな」

 手持ち無沙汰に耐え切れず、両手をズボンのポケットに突っ込んだ。通りの向こうに目をやれば、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いてくる叶子が見える。
 あの時と同じスタンドカラーの細身のブラックコートを羽織り、肩に掛けたバッグの持ち手を両手でしっかりと掴んでいる。きっと、自分を探しているのだろうという事はとっくに気付いていたが、自分の事で頭が一杯になっている彼女を見ていたくて、ジャックは声を掛けずにただじっと彼女を遠巻きから眺めていた。
 やっとの事でジャックを探し当てると先程までの不安気な表情から一変し、急に陽が差したかのようにぱぁっと明るくなったと思ったら、小さく手を振りながらこちらの方へと駆け寄ってくる。
 彼もまた、そんな彼女に軽く手を上げ笑みを浮かべた。

「――まさか、あの時の彼女が、これほどまでに僕の大切な人になるとはね」
「え? 何? 何か言った?」

 白い息を吐きながら鼻のてっぺんを赤くさせた彼女は、小さく首を傾げた。

「ううん、何も。――さあ、行こうか」

 そう言って彼女の肩を抱き寄せると車の扉を開け、そのまま助手席へと導いた。




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