運命の人

まる。

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番外編

運命な貴女(ひと)・中編

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「え? 何?」

 助手席にちょこんと座っている叶子が、運転席でハンドルを握るジャックにくるりと顔を向ける。いつも綺麗に手入れをされた艶やかな黒髪は、彼女が首を傾げると幾束かまとまってはらりと肩から落ちた。
 彼女の仕草一つ一つに、つい、心を持っていかれそうになる。

「いや、何で今日はあそこで待ち合わせだったのかなーって」
「ふふ、内緒」
「ええ? 内緒にしなきゃいけないほどの理由があるの?」
「うーん、そういうわけじゃあ……」

 理由わけを知りたそうにしている彼に申し訳ないと思っているのか、少し眉尻を下げながらもどこか楽しそうに微笑んでいる。
 これほど聞いても答えて貰えないのなら、何かよっぽどの理由があるに違いない。押して駄目なら――と、彼はそこからその事については触れないようにした。そうすれば、いつもと様子がおかしいと思い始めた彼女がジャックを怒らせてしまったのでは無いかと不安になり、きっと自分から話し出すだろう。ちゃんと本当の理由を教えてくれたら彼はそこで演技を止め、叶子の頭を撫でてあげようと思っていた。

「――」
「♪♪」

 しかし、そんな駆け引きはジャックのひとりよがりで終わる。
 彼の気持ちを知ってか知らずか、叶子は鼻歌を歌いながらニコニコとした表情で窓の外の景色を眺めている。駆け引きと言うのは相手がいないと成り立たないのだと思い知る事となった。

(おかしいな。今までだったらすぐに不安そうな顔に変わって、自分から喋りだすのにな)

 やはり、一年半という年月が彼女を変えてしまった、と言う事だろうか。
 思えば久し振りに会いに行ったあの日、赤ん坊を見たジャックはあからさまに動揺しているのに、彼女はあえてその赤ん坊の身元を明かそうとはしなかった。今までの叶子であれば、誤解を与えてしまいそうな事があった時は、彼がちゃんと納得するまでその誤解を解く為に躍起になっていたと言うのに。
 とりあえず今はこの程度の違和感で済んでいるが、この先もし、以前の彼女では考えられないと思う事が日を追う毎にだんだん増えてきたとしたら……。そう思うと、身辺整理が終わるまでは彼女と連絡を取らないでおこうと決めた、当時の自分の判断を見誤ったんじゃないかと一抹の不安を覚える。
 しかし、あの時ジャックはああするしかなかった。
 当の本人は気にはしていないようだったが三十代半ばともなると、きっと親なり近しい人なりが叶子の結婚を待ち望んでいるに違いない。かといって、自分がいつになれば両手を広げて彼女を受け入れる事が出来るのかなど全く予想も出来なかったし、もしかしたら一生迎えに行く事が出来ないかもしれない。そんな状況下に置かれている身分で、「僕の事を待っていて欲しい」なんて軽々しく言えたもんじゃない。

 ――かと言って、「僕の事は忘れて欲しい」なんてセリフも言えるわけも無かった。

 何年か前。叶子に交際を申し込んだものの、直後にカレンの仕掛けた罠にジャックはまんまと嵌まってしまった。その事で自分を卑下したジャックは気が動転し、これ以上期待を抱かせるのは彼女に対してとても失礼だと感じ、同様のセリフを言った事があった。顔を歪ませ、必死に平静を取り繕うあの時の叶子を見て、酷く胸が痛んだのを未だに忘れられない。
 もう二度と、叶子を傷つける様な事を言うのはよそう。ジャックはそう決めていた。

 交差点で信号が変わり、彼の車がゆっくりと止まる。

「ところで、レストランの予約の時間までまだ少し時間があるけど、今どこに向かってるの?」
「あれ? 言わなかったっけ? 食事の前に婚約指輪を買いに行って、それから……」
「はぁ!?」
「え?」

 てっきり、喜ぶ顔が見られると思っていたジャックは、隣に座る彼女を見て思わず体を反らした。 
 眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌悪の表情を見せている叶子に、自分が何か気に障る事を言ったのかと頭を悩ませる。

「えっと、他に行きたい所あったっけ?」

 頬を少し膨らませた叶子は、不機嫌そうにして顔をブンブンと振った。その表情がいとおしくて、こんな状況だというのに膨らんだ頬をつんつんと指でつつくと、パンッと払い除けられてしまった。

「いらない……って言ったじゃない」
「え?」
「指輪」
「――ああ、それ」

 信号が赤から青に変わる。ジャックはまた前を向くと、ゆっくりと車を走らせた。
 確かに以前、叶子がそんな事を言っていたのは覚えている。しかし、プロポーズが彼女の自宅のキッチンで行われた事にどうにも納得がいかなかったのか、『この間のは聞かなかった事にする』と言うや否や、今日この日にもう一度プロポーズをして欲しいと懇願されたのだ。 
 やり直しともなると、流石に手ぶらでは心もとないと思ったジャックはせめて指輪を用意し、彼女の納得のいくプロポーズを……と思っていたのだが、どうもそれも気に食わないらしい。

「でも……プロポーズに指輪はつきものじゃないの?」
「私はいいの! ……普段から指輪とかしないし」
「じゃあ、ネックレスにしてぶらさげておくとかは?」
「それでも結局お風呂に入る時に外すから、そのまま失くしちゃいそうでイヤなのよ」
「ふむ」

 どうしても婚約指輪はいらないらしい。
 何だか腑に落ちないが、取りあえず彼女の意見を尊重する事にした。

「じゃあ、ちょっと早いけどホテルに向かおうか」

 ウィンカーを出して、片側三車線の道路を手際よく車線変更する。彼のその言葉に叶子は「え?」と呟き自分の腕時計を見た。

「まだ、十七時前だけど? レストラン、十八時に予約したのよね? 急な変更は無理なんじゃない?」
「いや、レストランに行く前に寄るところがあるから、大丈夫だよ」
「??」

 驚く彼女の顔が見たくて、彼はあえて何も教えずにホテルの地下駐車場に車を停めた。
 地下駐車場のエレベーターの中に乗り込むとジャックは三階のボタンを押す。何処に向かうのだろうかと叶子はボタンの横に表記されてある案内板を見た。

「宴会場?」
「うん」

 チン、と軽い音がし、あっと言う間にそこへ到着したのを知る。彼が扉をおさえてくれている間に彼女が箱から出ると、そこには既にスタッフが待ち構えていた。
 続いてジャックが箱から出た途端、そのスタッフが急いでこちらへと向かってくる。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。この度は誠におめでとう御座います」
「どうもありがとう」

 スタッフがにこやかな笑顔を見せ、前で手を組み深々とお辞儀をしている。隣でキョトンとしている叶子の手を彼が掴むと、そのスタッフに続いて歩き出した。
 スタッフが吸い込まれていった部屋の入り口に差し掛かったとき、ぐっと手を引っ張られるような感覚になる。振り返ると、叶子は強張った表情で入り口のショーウィンドウをじっと見つめていて、その視線の先には純白のウェディングドレスとブラックのロングタキシードを着たマネキンが飾られていた。

「え? 何? 何なのここ?」
「何なのって――、僕達の結婚式を挙げるところ?」

 誰が見たって、ここがそう言った類の場所だというのは一目瞭然だろうと言うのに、全て疑問系で質問してきた叶子に向かってジャックも疑問系で返した。
 彼の言葉を反芻しているのか、「け、結婚式? え?」とぶつぶつと彼女は呟いている。余程驚いたのだろうか、それとも場所が気に入らないのか。とにかく、叶子の表情がみるみる変わっていった。

「どうしたの?」
「――式、挙げるの?」
「挙げないの?」

 いつまでも入り口に入ろうとしない二人をひたすら待っているスタッフに、ジャックが「後で行きます」と一言いうと、そのスタッフは奥の方へと立ち去った。
 ふぅ、と溜息を一つ吐く。きっと奥で他のスタッフ達と「なんだか揉めてるみたいよ!」とか言って嘲笑うんだろうな……。と、心の中で呟いた。

「あの、ね」
「うん?」

 叶子が俯き加減になり、急にかしこまる。なんだか本当に嫌な予感がした彼は、バクバクと心臓が高鳴りだしたのに気付くと、繋いだ手もじんわりと汗ばみ始めた。

「気を悪くしないで欲しいんだけど……」
(ええっ、何!? 本当にそんなオチ??)
「だ、大丈夫だよ、何?」

 必死で平静を装うが、自然と声が上ずってしまう。まさかここに来て、「やっぱり貴方とは結婚できない」とでも言われるのでは無いかと気が気で無かった。

「式は――、挙げたくないの」
「え? 何で?」

 ほんの少しだがジャックはホッとした。でも、まだ問題は残っている。

(式がしたくない? 何でだろう? 女性にとって結婚式って凄く重要な事だと思ってたんだけど。――そもそも、その考え方がもう古いのかな)

 そんな風に考えていたジャックだったが、叶子から思いもよらない言葉が返ってきた。

「……だって、貴方三回目でしょ?」
「ええっ!?」

 いきなり面と向かってそう言われてしまうと、流石のジャックも動揺を隠せない。まるで「二回も式を挙げていると言うのに、まだ懲りずに三回目をやりたいのか?」と遠まわしに言われている様でどうにも気恥ずかしい。

「いや、で、でもね、カナ。確かに僕は三回目になるんだけれども……。君は、きっと、その、多分……初めて――だよね?」

 喋りだしながらも、「そう言えば初婚かどうかなんて聞いた事ないな」と思ったジャックは、確認しながら慎重に言葉を選んだ。そして、すぐに頷いた彼女に安堵の表情を見せた。
 自分は二回もしているくせに彼女が初婚だと聞いてホッとするなんて随分勝手だなと思いつつも、それが男の独占欲なのだから仕方が無いのだと、自分に都合よく解釈した。

「でもね、式に来る人は――、特に貴方側の。みんな比べると思うのよ。『今度の奥さんは――』ってね。そういうのを耳にしてしまった時に、動揺せずにいられるかどうか……自信が無いの。だから――」
「なんだ、そんな事……」

 ジャックがポロッと零した本音に、叶子は「“そんな事”じゃないよ!」と眉根を寄せた。
 そんな心配性で自分に自信の無い彼女を見つめていると、先程までの動揺が嘘のように消えて無くなり、ジャックの手は自然と叶子の頬に添えられた。

「じゃあさ、僕の家で身内だけ呼んでパーティー形式にするってのはどう?」
「んー、でも……」
「――お願い。君の綺麗な姿をみんなに自慢してやりたいんだ」

 彼の手に包まれ、上目遣いに見上げていた視線を床に落とすと、彼は親指で彼女の頬を何度も撫でた。
 パチパチと大きな目が瞬きを繰り返し、次にもう一度彼に視線を上げた瞬間、「ね?」と優しく問いかけると、渋々ではあったが叶子は小さく頷いた。




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