透けるほどうすい/溶けるほどあつい

鴻上縞

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番外編

憧れの人


 宮川が哲の存在を初めて認識したのは、中学校に入学してから一ヶ月後。三限目が始まったばかりの教室からふと窓の外に目をやった時だった。
 ポケットに手を突っ込んだまま校庭を突っ切る一人の男子生徒。短い黒髪に学ランのボタンはひとつも止まっていない。白いシャツに所々赤い斑点が見えるのは、どう考えても血だろう。怪我をしている様子がない所を見ると返り血か。どう見てもガラが悪い。ただ、顔はその歳で完成されている。
「うわあ」
 思わず誰にも届かない声でそう呟いて、宮川はその生徒が見えなくなるまで視線で追った。

 この中学は圧倒的に治安が悪い。壁にはぼこぼこ穴が空いているし、窓ガラスも教室以外はもはや直す気がないようだ。母親に泣いて止められたものの、母が希望した私立中学には小学校の頃宮川をいじめていた男の子が通う事を知って受験は全力で拒んだ。
 ただ、それで平穏が訪れたと思ったのはたった三週間。一週間前から再び地獄のような日々が始まっていた。
 中学生のいじめは小学生とは比べものにならないひどい物だった。まだ私物を壊されたり蹴られる程度で済んでいるが、これから更にエスカレートしていくのかと思うと既に逃げ出したい。けれど母親に反発して選んだのだからと、登校拒否も出来ずにいる。
 結果最近では教室にいられなくて、休み時間は耐え切れず非常階段に逃げ込むようになっていた。

 その日も四限目を終え給食が終わるとすぐに宮川は非常階段に向かった。宮川の教室の廊下の突き当たり、錆びた扉を開いた瞬間、思わず息を呑む。先程授業時間の真っ只中に登校した男子生徒が階段に座り煙草を咥えていたのだ。振り返った顔は、やはり驚く程完成されている。
「あ、すみません」
 慌てて頭を下げ去ろうとする宮川を、男子生徒が引き止める。
「なに、いたらいいじゃん」
 そう言われると逃げるに逃げられなくなり、恐る恐る少し上の階段に向かおうとするも、再び呼び止められる。
「あ、下いて。煙が上に行くから」
「は、はい」
 それが哲だった。

 哲は切れ長の吊り目や整い過ぎた顔立ち、何より初めて目撃した時の返り血や周囲の噂話を聞くにやはり宮川とは縁遠い部類の人間だった。けれど非常階段で会うようになり、少しづつ話しかけてくるようになった。
 名前は何か、今日の給食の感想、今日は暑いだとかそんな取り止めのない事を。見た目と反して哲は案外普通の男の子だ。笑うと年相応で、警戒心がふと軽くなる優しい笑顔をしている。そう感じるようになってからは、宮川からも恐る恐る話し掛けるようになった。

 学校は休む事もあったが、哲は基本的に煙草を吸いたい時に非常階段にやってくる。いつしか哲に会えることが楽しみで、いない日は落ち込んだ。いじめも、嫌がらせも、哲に会える日々があれば耐えられた。

 そんなある日のこと。今日哲は休みだからと、宮川は非常階段で趣味の人形作りに没頭していた。それが中学でいじめを受ける理由となったから、教室では出来ない。母もこの趣味を快く思っていないから、哲もいないこの場所でのみ許されている。
 最近哲は休まず通学していて久しぶりだったからか、あまりにも集中していたらしい。いつからか宮川の手元を哲が覗き込んでいた事に気付かなかった。
「なあ、それ何してんの」
 その声に飛び上がった拍子に、作りかけの人形が転がり落ちる。慌てて拾おうとするより早く、哲が足元に転がった頭を拾い上げてしまった。
「人形?」
 そう問い掛けられても、言葉が喉につかえて出てこない。また馬鹿にされる。哲にも嫌われる。その恐怖に震えていると、不意に哲はポケットから何かを取り出して宮川に突き出した。
「これ、作れるか」
 それは、子供番組に出演している大きなリボンをつけたもぐらのキャラクターシールだった。
「妹がこれ好きで。でも結構高くて、買ってやれなくてさ」
 俯きながら少し悲しそうにそう言って、哲が慌てて顔を上げる。
「材料費とか、手間賃とかちゃんと払う」
 混乱する宮川をおいて、哲は気恥ずかしそうに微笑んだ。
「出世払いでいいか?」
「いや、うち裕福なんで」
「てめえこら」
 そう言いつつ楽しそうに笑って、哲が人形の埃を払い差し出す。頭が追いつかないまま受け取って、宮川は哲を見上げた。
「引かないんですか?」
「なに?」
「あ、こんな、人形作ってて」
「引かないけど」
 す、と差し出された折れ目のついたシール。
「もぐぴ、作ってくれる?」
 ゆっくりと頷くと、少し冷たさのある顔がふわっと華やぐ。
「ありがとう、ミヤ」
 綺麗な人だな、と、初めて宮川は他人に対して感じた。

 哲と過ごすようになってから、いじめが怖くなくなった。無視されることも、仲間外れにされることも、机を蹴られることも、物を壊されることも。
 哲の為に一刻も早く完成させたくて教室でも人形を作るようになると、やはり気持ち悪がられて色々と言われたが、どれも雑音でしかない。

 そんなある日、いつも通り宮川の机を取り囲む同級生から心ない言葉を浴びながら必死で手先に集中していた時だ。女子の悲鳴と共に教室がどよめいた。何かと思い顔を上げると、宮川の教室を哲が覗き込んでいた。
 哲は本人が全く知らない所で有名な人物だった。少し素行は悪いがとにかく顔面が良い先輩がいると女子の間で話題に上がるほど。その哲が突然教室に現れたのだから女子をはじめ、粋がっている男子達までも騒ついている。
 ふと目が合い、哲が嬉しそうに片手をあげて宮川に近付いてくる。周囲を取り囲んでいた生徒達が道を開けるように一歩退く中を悠々と歩く姿は、まるでモーゼだ。
「ミヤ、どうよ」
 眩い笑みと共に哲が呼んだ名が宮川のもので、周囲がまたどよめく。こんな陰キャと知り合いだとしたら、カモにされているくらいなものだ。けれど哲の柔らかな笑みはとてもそうは見えない。異質な状況に周囲が固唾を飲んで見守る居心地の悪さから、宮川は俯いた。
「あ、もうすぐ、できます」
 その手元を覗き込み、哲はまた嬉しそうに笑った。
「すげえな、売りもんみてえ」
 一生懸命作った甲斐があった。その喜びに泣いてしまいそうだ。
「才能だろこれ」
 そう言うと、ふと哲は顔を上げた。そのままこのクラスのボスの前に大きく一歩踏み出すと、その長身を存分に生かして見下ろした。
「才能だよなあ?」
 鼻先が触れる程の距離で詰められたボスは、掠れた声ではいと呟いたっきり。哲が去った後も放心したまま青褪めた顔で立ち尽くしていた。

 不思議な事に、それきり宮川のいじめはなくなった。とは言え周りが怯えるようになっただけで、友達はできなかったが。
 最初は何だったのか分からなかったが、家に帰ってゆっくり思い返してみた時、やり方は荒っぽかったが、哲が救ってくれたのだと言う事に気付く。
 一見怖いし、喧嘩もすれば煙草も吸う。けれど優しい人なのだと知ってから、宮川は益々哲に懐いていった。

 それから少ししていつも通り非常階段に向かうと、いつもは気怠気ながらも元気な哲が少し落ち込んだように肩を落として座り込んでいた。
「どうしたんですか」
 隣に腰を下ろし、驚いて声を掛ける宮川の肩に不意に哲は頭を預けた。胸が跳ねるような心地がしたが、宮川は必死で平静を装った。
「団地でさ、俺が喧嘩するたびにやっぱりあの親父の子供だって言われてた」
 へえ、と返し、続きを待つ。しばらく沈黙した後、哲はぽつりと呟いた。
「なあ、勉強教えてくれないか。ちゃんと教師代は払うから」
「それも出世払いですか?」
「うん」
 鋭い瞳を細めて悪戯っぽく笑った顔があまりにも眩しすぎて、目が眩みそうだった。

 楽しい中学時代だった。哲と真央とよく三人で健全に遊んでいた。邪魔じゃないかと心配になったが、哲も真央も宮川の事を弟のように可愛がってくれて、どこにでも一緒に連れて行ってくれた。哲といると、日々が輝いてゆく。
 この人についていきたい。その思いから、自分には似合わない現場仕事なんて始めて。でもやはりその道は間違いではなかった。

 頑固で、一本気で、その癖抜けている憧れの人。一生一緒にいるのだろうと誰もが信じていた真央と別れてからは誰と付き合う事もなく、どこまでも一途で。そんな所にも憧れた。
 人生で心から信じられる人に出会える人間はどれだけいるのだろう。哲の存在は、宮川にとって幸福の象徴だ。
 そんな哲がいつかまた人を愛せる日が来る事を、宮川は願ってやまない。



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