最弱の白龍ですが、最強の銀龍様が離してくれません

めめめ

文字の大きさ
4 / 7

銀龍の苛立ち

しおりを挟む
ルシアン・ヴォルフリートには、理解できないことがあった。
 自分自身のことだ。
 入学から一週間が経った。授業は滞りなく進み、四龍としての日常に変わりはない。取り巻きが群がり、教師が機嫌を窺い、生徒たちが道を空ける。いつも通りだ。
 いつも通りのはずなのに、苛立ちが消えない。
 原因は分かっている。
 教室の一番前、端っこの席。あの白龍の娘だ。
 リーゼロッテ・フォン・ヴァイス。
 別に気にしているわけではない。ただ、目に入るのだ。教室の最後列から見下ろすと、あの質素な制服の背中が嫌でも視界に入る。
 授業中、誰よりも真剣にノートを取っている。借りた参考書を食い入るように読んでいる。昼休みになれば図書室に消え、放課後は演習場の隅で一人、龍化の鍛錬をしている。
 あの小さな、笑われるほど小さな白龍で。
 何度失敗しても、何度鱗が途中で消えても、あの娘は演習場に立ち続けていた。
 誰に見せるためでもなく。ただ自分のために。
 ――くだらない。
 そう切り捨てたはずだった。なのに、気がつくと目で追っている。
 今朝もそうだった。
 × × ×
 朝の教室。ルシアンが入ると、いつものようにリーゼは一番前の席で参考書を読んでいた。
 すれ違いざま、ちらりと見た。
 本の背表紙が目に入った。『龍化理論・応用編』。あれは上級生向けの参考書だ。一年生が読むにはかなり難しい。
 それを、あの娘は付箋だらけにして読み込んでいた。
 ルシアンは何も言わず最後列に向かった。
「おはよう、ルシアン。今日も不機嫌そうだね」
 隣に座ったカイルが、にやにやしながら言った。
「別に不機嫌じゃない」
「えー? ここ一週間ずっと眉間にシワ寄ってるけど。ね、アレク」
 カイルが前の席のアレクシスに振る。アレクシスは振り返り、困ったように微笑んだ。
「カイル、朝からからかうのはやめなよ」
「からかってないよー。心配してるの。ルシアンが不機嫌だと学園全体が凍るからさ」
「黙れカイル」
「はーい」
 カイルが肩をすくめて黙る。だが、その目は面白がっている。
 何がおかしい。ルシアンは頬杖をついて窓の外を見た。
 窓の外には中庭の薔薇園が見えた。あの一番前の席からも見える薔薇園。
 ――ち。
 舌打ちしそうになって、飲み込んだ。なぜ薔薇園を見て白龍の娘を思い出す。意味がわからない。
 × × ×
 昼休み、ルシアンは中庭を歩いていた。
 一人でいたかった。カイルの軽口にもアレクシスの気遣いにもうんざりしていた。レオンハルトは最近やけに黙り込んでいるし、周りの人間全員がどこか噛み合わない。
 薔薇園の小道を抜けた先に、東棟の図書室がある。
 足が自然とそちらに向かっていることに気づいて、ルシアンは立ち止まった。
 図書室。
 あの日、白龍の娘とアレクシスがいた場所。
 ――行く必要はない。
 そう思った足が、なぜか動いた。
 図書室の扉を少しだけ開けると、奥から竪琴の音が聞こえた。
 またか。
 書架の陰から覗くと、予想通りの光景がそこにあった。
 窓辺でアレクシスが竪琴を弾いている。その足元に、リーゼが座って本を読んでいる。
 一週間前と同じ構図だった。いや、違う。距離が近くなっている。
 リーゼが本から顔を上げて何か言った。遠くて聞こえない。アレクシスが弾く手を止めて、穏やかに笑って答えた。リーゼも少しだけ笑った。
 初めて見る笑顔だった。
 教室では見たことがない。いじめに耐えている時も、龍化で笑われた時も、あの娘は笑わなかった。怒るか、黙るか、真っ直ぐ前を見るかのどれかだった。
 それが今、アレクシスの前で笑っている。控えめで、でも確かに緩んだ表情。
 ルシアンの中で、何かが軋んだ。
 前にも感じた、あの感覚。胸の奥が絞られるような、名前のつかない苛立ち。
 嫉妬だと気づくほど、ルシアンは自分の感情に慣れていなかった。
 ヴォルフリート公爵家の嫡男として生まれ、幼少の頃から完璧であることを求められてきた。剣も魔力も龍化も学問も、全てにおいて一番でなければならなかった。
 感情は不要だと教えられた。動揺は弱さだと叩き込まれた。
 だから、胸の中でざわめくこの感覚が何なのか、ルシアンにはわからなかった。わからないから、苛立つ。苛立ちだけは唯一、許された感情だったから。
 扉を閉めた。音を立てないように。
 廊下を歩き出す。早足で。
「あれ、ルシアン?」
 角を曲がったところで、カイルと鉢合わせた。カイルは購買の紙袋を手に、菓子パンを頬張っていた。
「図書室にいたの? 珍しいね、本の虫ってタイプじゃないのに」
「いない」
「え、でも今そっちから」
「いなかった」
 ルシアンは足を止めず通り過ぎた。カイルが背後で「こわ」と呟いたのが聞こえたが、無視した。
 × × ×
 放課後。
 ルシアンは演習場の二階テラスにいた。
 ここは教官用の観覧席で、普段は使われない。一人になりたい時、ルシアンはよくここに来た。
 テラスから演習場を見下ろすと、そこにいた。
 白龍の娘が、一人で龍化の鍛錬をしていた。
 リーゼが目を閉じ、集中する。白い光が体を包み、小さな白龍が現れる。体長一メートルに満たない龍。翼を広げ、飛ぼうとする。だが二メートルほど浮いたところで力尽き、地面に落ちる。
 起き上がる。人の姿に戻る。息を整えて、もう一度。
 龍化。浮上。落下。
 龍化。浮上。落下。
 何度も。何度も。
 日が傾き始めても、その繰り返しは止まらなかった。
 膝に砂がついている。手のひらが擦りむけている。息が上がって、肩が揺れている。それでも立ち上がって、また龍化する。
 ルシアンはテラスの手すりに肘をついて、それを見ていた。
 見るつもりはなかった。一人になりに来ただけだ。なのに、目が離せなかった。
 なぜ、あそこまでやるのか。
 白龍だ。どんなに鍛えたところで、銀龍や紅龍にはなれない。鱗の色は血で決まる。努力で変わるものではない。
 この世界で、龍の色は絶対だ。血の濃さという、生まれた時点で決定される、覆しようのない格差。
 ルシアン自身、その恩恵を受けて生きてきた。銀龍公爵家に生まれたから最強と呼ばれ、四龍の筆頭に立ち、全てが用意されてきた。
 だが同時に、その恩恵の裏側も知っている。
 銀龍だから完璧でなければならない。銀龍だから弱さを見せてはいけない。銀龍だから、誰にも頼れない。
 龍の色に縛られているのは、上位も下位も同じだ。
 それを、あの白龍の娘はどう思っているのだろう。
 白龍に生まれたことを。笑われることを。小さな龍しか出せないことを。
 ――恨んでいるだろうか。
 ルシアンがそう考えた時、演習場で変化が起きた。
 リーゼが龍化した。何度目かの挑戦。いつもと同じ小さな白龍。
 だが今度は、翼の動きが違った。がむしゃらに羽ばたくのではなく、風を読むように、小さな翼を丁寧に使っている。
 白龍が浮いた。二メートル、三メートル――五メートル。
 今までで一番高い。
 風が吹いた。小さな体が煽られ、バランスを崩す。
 落ちる、と思った。
 ルシアンが無意識に手すりを掴んだ。
 だが白龍は落ちなかった。体勢を立て直し、小さな翼を必死に動かして、もう一度風を掴んだ。
 六メートル。七メートル。
 夕陽の中を、小さな白龍が飛んでいた。
 不格好だった。翼は震え、高度は安定せず、銀龍のルシアンから見れば鼻で笑うほどの低空飛行だ。
 なのに。
 なのに、なぜだろう。
 目が、離せない。
 リーゼが人の姿に戻った。着地に失敗して尻もちをつき、砂埃が舞う。
 それでもリーゼは、座り込んだまま空を見上げて――笑った。
 嬉しそうに。誰に見せるでもなく、ただ自分のために。
 飛べた、と唇が動いたのが、テラスからでもわかった。
 ルシアンは手すりを握る自分の手を見下ろした。
 白くなるほど、強く握っていた。
「……何をやっている、俺は」
 呟いて、手を離した。
 背を向けて、テラスを去ろうとした。
 だが三歩歩いたところで足が止まった。
 振り返った。
 演習場では、リーゼが立ち上がって砂を払っていた。膝の擦り傷を気にする様子もなく、鞄を拾い上げて、寮の方に歩き出す。
 夕陽がその背中を照らしていた。古びた鞄。安い生地の制服。砂だらけの手。
 それなのに、あの背中は、どの上位貴族の令嬢よりも真っ直ぐだった。
 ルシアンは長い間、その背中を目で追っていた。
 胸の奥のざわめきが、またひとつ大きくなった。
 × × ×
 翌朝。
 リーゼが教室に入ると、自分の机の上に何かが置いてあった。
 紙袋だった。白い、何の飾りもない紙袋。
 中を覗くと、教科書が入っていた。
 龍騎学。龍化理論。魔力学概論。紋章術。全て新品の、正規の教科書だった。
「え……?」
 リーゼは周囲を見回した。まだ教室には数人しかいない。誰も気にしていないようだった。
 紙袋の底に、小さなメモが一枚入っていた。
 無地の紙に、一言だけ。
『教科書もなしに授業を受けるな。目障りだ。』
 署名はなかった。
 だが、その筆跡は不思議と力強く、一文字一文字がまるで刃物で刻んだように鋭かった。
 リーゼには心当たりがなかった。けれど、「目障りだ」という突き放した言葉の裏に、かすかな温度を感じたのは気のせいだろうか。
 教室の扉が開き、四龍が入ってきた。ルシアンが先頭を歩き、最後列に向かう。
 すれ違う時、蒼い瞳がちらりとリーゼの机を見た。新しい教科書が並んでいるのを確認するように。
 そして何事もなかったかのように、視線を前に戻した。
 リーゼは紙袋の中のメモをもう一度見た。
 ……まさか、ね。
 ありえない。あの冷たい銀龍が、なぜ。
 でも胸の中で、小さな疑問が芽を出した。
 一番前の席から振り返ると、最後列の窓際で、ルシアンがいつものように頬杖をついて窓の外を見ていた。
 表情は、相変わらず冷たかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

十六歳の妹の誕生日、私はこの世を去る。

あいみ
恋愛
碌に手入れもされていない赤毛の侯爵令嬢、スカーレット。 宝石のように澄んだ青い髪をした侯爵令嬢、ルビア。 対極のような二人は姉妹。母親の違う。 お世辞にも美しいと言えない前妻の子供であるスカーレットは誰からも愛されない。 そばかすだらけで、笑顔が苦手な醜い姉。 天使のように愛らしく、誰からも好かれる可愛い妹。 生まれつき体の弱いルビアは長くは生きられないと宣告されていた。 両親は必死に看病や、“婚約者の献身的なサポート”のおかげで、日常生活が送れるようになるまで回復した。 だが……。運命とは残酷である。 ルビアの元に死神から知らせが届く。 十六歳の誕生日、ルビアの魂は天に還る、と。 美しい愛しているルビア。 失いたくない。殺されてなるものか。 それぞれのルビアを大切に思う想いが、一つの選択をさせた。 生まれてくる価値のない、醜いスカーレットを代わりに殺そう、と。 これは彼女が死ぬ前と死んだ後の、少しの物語。

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

家出を決行した結果

恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。 デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。 自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。 ※なろうさんにも公開しています。

【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました

あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。 この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。

処理中です...