新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました

ささい

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第九話 嘘つくのやめてもらっていいですか?

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朝食の席に座るルーファスの視界は、ひどく白濁していた。
こめかみを金槌で叩かれているような鈍痛が続き、吐き気と戦うだけで精一杯だ。
昨夜の記憶は、まるで虫食いのように重要な箇所が欠落している。

「おはようございます、ルーファス様」

向かいに座るカレンの声が、容赦なく鼓膜を震わせた。
彼女は、昨夜の狂乱など露ほども知らないといった風情で、完璧な淑女の佇まいを保っている。

「……おはよう」

「お加減いかがですか?」

「……最悪だ」

「そうですか。それは大変ですね」

投げやりな返答に返ってきたのは、氷のように冷ややかな言葉だった。心配の欠片もないその響きに、ルーファスは身を縮める。

「あの……昨夜は……」

「昨夜?」

「俺、何か……変なこと言わなかったか?」

恐る恐る尋ねると、カレンは優雅な所作でカップを置いた。その沈黙が、ルーファスの不安を煽る。

「変なこと、ですか。『話がある』とおっしゃっていましたね」

「あ、ああ……」

「それから、私の目が綺麗だと」

心臓が跳ねた。嫌な予感が背筋を駆け抜ける。

「私の手を握って、『好きだと思う』とも」

昨夜の熱っぽい空気、柔らかい手の感触が、断片的な映像として脳裏をよぎった。ルーファスの顔は、瞬く間に沸騰したかのように赤く染まる。

「そ、それは……酔っていて……覚えてなくて……」

「便利ですね、お酒って。都合の悪いことは『酔っていたから』で済ませられる」

「え?」

「酔った勢いだから本心じゃない、と言いたいんですか?」

「いや、そういうわけでは……」

言い訳を探そうとするが、カレンの瞳に宿る冷徹な光に射すくめられ、言葉が喉に張り付く。彼女は逃げ道を塞ぐように言葉を重ねた。

「では伺いますが、紳士クラブで『心に決めた人がいる』と話したのも、酔った勢いだったそうですね?」

食卓の空気が一気に凍りついた。ルーファスは息を呑み、固まる。

「それとも、愛人の話も酔った勢いだったんですか?」

「……何の話だ」

「噂の出所、調べました。紳士クラブで、あなた自身が話していたそうですね。『政略結婚することになった。心に決めた人がいるのに』と」

カレンの声には怒りさえ混じっていない。
ただ、事実を淡々と突きつけられる残酷さがルーファスの胸を抉った。

「それは……」

「酔った席で漏らしたと聞いています」

ルーファスは黙り込むしかなかった。カレンは白い指を一本ずつ立て、事務的な口調で追い詰めていく。

「質問を整理しましょう。一、愛人の名前。言えますか?」

「……言えない」

「二、どこで出会ったか。具体的に」

「……覚えていない」

「三、最後に会ったのはいつ?」

「……答えられない」

「四、手紙のやり取りは?」

「……ない」

「五、愛人の存在を証明できるものは?」

「……何も」

五本の指がすべて折られた。それは、ルーファスが積み上げてきた杜撰な嘘が瓦解した合図だった。

「つまり、存在を証明できるものが何一つないんですね」

視線を床に落としたまま、ルーファスは返答に窮した。長い沈黙が続き、自らの鼓動だけがうるさく耳に届く。

「では、結論を言います。愛人なんて、最初からいなかったんじゃないですか?」

その一言が、急所に突き刺さった。もはやこれ以上、虚勢を張り続ける力は残っていない。

「……ああ」

「ああ?」

「いない……最初から、いなかったんだ」

「やっぱり」

カレンの声には、どうしようもなく愚かなものを見るような響きがあった。

「嘘つくのやめてもらっていいですか?」

「……すまない」

「なぜそんな嘘を?」

ルーファスは両手で顔を覆った。情けなくて、消えてしまいたかった。

「……怖かったんだ」

「何がですか?」

「初夜が……その……自信がなくて……。男として……ちゃんとできるか不安で……。それで、白い結婚にすれば逃げられると思って……」

告白した瞬間、カレンの気配が止まった。聡明な彼女であっても、これほどまでに情けない理由だとは想像もしていなかったのだろう。

「……つまり。愛人がいるという嘘は、夜の営みから逃げるための言い訳だったと」

「……はい」

「そして紳士クラブで酔った勢いでその嘘を広めて、引っ込みがつかなくなった」

「……はい」

「それで初夜も結局、私に論破されて普通に契約履行した」

「……はい」

「逃げる意味、なかったですよね?」

「……はい」

自嘲気味に肯定を繰り返すしかない。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。

「……それを最初から言えばよかったのでは?」

「言えるわけないだろう。『初夜が怖い』なんて……情けなさすぎる……」

「情けないですね」

「だろう……」

「でも、嘘をつき続けるよりはマシでしたよ」

ルーファスが恐る恐る顔を上げると、カレンは相変わらず無表情だった。だが、そこには呆れを含みはしているが、少しだけ温度があった。

「まあ、正直に言えたのは評価します」

「……軽蔑しないのか?」

「軽蔑? 最初から軽蔑するほど期待していませんでしたから」

「……それはそれで傷つくんだが」

「事実ですので」

そのあまりにカレンらしい切り捨て方に、ルーファスは思わず力なく笑ってしまった。彼女の前では、飾った自分など何の意味も持たないのだと、ようやく理解した。

「本当に、君には敵わないな」

「今頃気づいたんですか?」

「ああ。今頃だ」

冷めきった朝食を前に、ルーファスは不思議な解放感を感じていた。

---

「嘘は必ず暴かれます。覚えておいてくださいね」

カレン・ベルンワード侯爵夫人



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