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第17話 アパタイトの恋心3

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 ガタン、ゴトン、と揺れる馬車の中。
 無言でいるシェリルに対して、ジェフリーは饒舌だ。

「いやあ、出来上がりが楽しみだね。オーレリアという聖石細工師の弟子だという話だったし、いい感じに仕上げてくれそうだ。出来上がるのは半月後という話だったな。その日はまた君の家へ迎えに行くよ」
「……ありがとうございます」

 てっきり、今日はこれで終わりだろうと思っていた。このまま、シェリルの家まで送ってくれるのだろう、と。
 けれど、ジェフリーは思わぬことを言った。

「シェリル、この後、僕の家へ来ないかい?」
「え……それは、ジェフリー様のご両親に挨拶をしに行く、ということでしょうか」
「いや、両親は不在だからそう構えなくていいよ。ただ、僕の家がどんなものか見せたいと思って。薔薇園もあるし、楽しんでもらえるんじゃないかな。どうだい?」

 どうだい、と言われても。シェリルの身分で貴族令息の誘いを断れるはずもない。

「……では、お邪魔します」
「よかった。じゃあ、行こう」

 というわけで、今度はジェフリーの家に赴くことになった。しばらく馬車に揺られていると、やがて平民が住まう地区から富裕層の住む地区へと景色が移り変わる。そこは高層住宅がひしめく平民の居住区とは違い、優美で大きな屋敷がいくつも立ち並んでいた。
 そのうちの一つの屋敷の前に、馬車は停止した。

「さあ、着いたよ。降りよう」
「……はい」

 シェリルは先に馬車から降りたジェフリーの手を借り――本心では嫌だったが――、馬車から降り立つ。その後ろにカイルも続く。

(立派な屋敷……)

 身分の違いというものを改めて思い知らされる。傍迷惑な求婚という認識は変わっていないが、それでもすごい人に見初められたのだなとは思う。
 門から玄関までの道のりには噴水もあり、庭だけで平民の住まう地区にある公園くらいの広さがある。玄関まで遠いとシェリルは思いつつ、ジェフリーの後についていった。

「どうだい、僕の家は」
「……とても立派な屋敷だと思います」
「はは、ありがとう。結婚したら君もこの家に住むんだ、今のうちに慣れておくといい」

 そんなやりとりを交わしながら玄関まで行くと、使用人達がシェリル達を出迎えた。

「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
「ただいま。彼女は僕の婚約者のシェリルだ。失礼のないようにね」

 ジェフリーはそう言い含めてから、シェリルを振り返る。

「まずは僕の部屋に行こうか。ずっと馬車に乗っていて疲れただろう」
「……お気遣いありがとうございます」
「はは、堅いな、シェリルは。もっと砕けた口調で話してくれていいんだよ?」
「……滅相もありません」
「まあ……出会ったばかりだしね。これから仲を深めていくのを楽しみにしよう」

 ジェフリーはそう笑って、「こっちだよ」と道を案内した。幅の広い階段を上って奥にあるジェフリーの自室へと通される、と思ったら。

「あ、君」

 そこで初めてジェフリーは、カイルに話しかけた。

「シェリルと二人でいたい。君は廊下に立っていたまえ。このくらいの距離なら離れても大丈夫だろう?」
「はい。分かりました」

 カイルには待機指示を出して、ジェフリーは「さあ、シェリル。中に入ってくれ」とシェリルを自室に招き入れる。シェリルはカイルと離れることに不安を覚えたが、やはり物申すことはできず、ジェフリーの自室へ足を踏み入れた。
 ジェフリーの自室もまた、広かった。天蓋付きの寝台、高級そうな調度品、おそらく色々な貴族服が並んでいるだろうクローゼット、などがある。
 どうしたらいいのか分からず、戸口で立ち尽くすシェリルを、ジェフリーは手招きした。

「シェリル、こっちへおいで」
「……はい」

 言われるがまま、天蓋付きの寝台へ近付く。すると、ジェフリーから隣に座るように促されたので、シェリルは黙って腰を下ろした。
 異性と個室で二人っきり。それも寝台に並んで座っている。
 本来ならば警戒すべき状態なのかもしれない。けれど、まだ結婚前なのだから手を出してくることはないだろうという思いと、ずっと傍にいる異性のカイルから手を出されたこともないのもあって、シェリルは無警戒だった。
 ……その油断が間違いだった。

「きゃっ……!?」

 突然、ジェフリーがシェリルの体を押し倒した。そしてのしかかるような体勢になって、シェリルの戸惑う視線の先で笑う。

「僕達は結婚するんだ。いいだろう?」

 シェリルは何も言えなかった。貴族令息に嫌だなんて言えない。それに異性と体の関係を持つことはおろか、押し倒されることさえ初めての経験だ。ゆえに恐怖心から何もできなかった。
 ――このまま、抱かれるのか、好きでもない男に。

(そんなの嫌……)

 けれど、とも思う。どうせ、ジェフリーに嫁がねばならないのだ。そうしたら、否が応でも体の関係を持たなくてはならない。ここで抗ったところで行きつく先は同じ。

「シェリル……」

 ジェフリーの顔がゆっくりと近付いてくる。キスされる、そう思った時にカイルの顔が思い浮かんで、心が強く拒絶した。

(やっぱり、嫌! カイル……!)

 そう強く思った時だった。
 扉が勢いよく開き、

「シェリル!」

 と、カイルの声が室内に響き渡った。
 駆け込んで来たカイルの姿にジェフリーも驚いて動きを止めて。

「な、なんだ、君。勝手に――」

 入ってくるなと言おうとしたのだろうが、それが言葉になることはなかった。というのも、カイルがジェフリーの頬を殴打して吹っ飛ばしたのだ。

「行くぞ、シェリル!」
「う、うん」

 シェリルはカイルに抱き起され、彼に手を引かれてジェフリーの自室を飛び出した。追ってくるかもしれないと危惧し、急いで廊下を駆け抜けて階段を下り、不思議そうな顔をする使用人達に構わず屋敷を出る。
 門を通り過ぎて街路に出たところで、二人は一旦足を止めた。

「シェリル、大丈夫か?」
「……うん。助けてくれてありがとう。でも、どうして分かったの?」
「え? あ、えっと、俺、耳がいいからさ。シェリルの嫌がる声が聞こえて」

 シェリルは内心首を傾げた。……確かに嫌がっていたが、声にも出ていたのだろうか。
 カイルは繋いでいた手を離し、そっと目を伏せた。

「けど、ごめんな。せっかくの玉の輿だったのに、これじゃ破談になるかもしれない」
「それはいいの。私、本当は断りたかったから」
「え? そう……だったのか?」

 気付かなかった、というような顔でカイルは目を瞬かせる。

「じゃあなんで、最初から断らなかったんだ」
「だって、相手は貴族よ? 断ったら、嫌がらせに何をされるか分からないでしょう」
「だからって、自分を犠牲にするようなことはやめろよ。それに俺や旦那様に一言くらい相談してくれたってよかったじゃないか」
「それは……みんなを困らせるだけだと思って」
「はあ……お前は昔から一人で抱え込む癖があるよなあ。まあ、今はそれより早くここを離れよう。追いかけてくるかもしれないし」

 そうして、二人は再び急ぎ足で歩き出した。隣を歩くカイルを、シェリルはちらりと見上げる。

(やっぱり、カイルが傍にいてくれるとほっとする……)

 ぽかぽかと心が温かくなるのを感じる。好きだなあ、と改めて思う。
 そんなシェリルの視線に気付いたのだろうか。カイルもまた、シェリルを見下ろした。

「どうした?」
「ううん。カイルは昔から私を守ってくれるなあって」
「はは、兄貴分だからな」
「……そう、ね」

 兄貴分。その言葉通り、シェリルのことなんて妹分としてしか見ていないのだろう。
 ……それでも。

(私は……傍にいられるのならそれでいい)

 カイルの傍にいることが、シェリルの幸せだ。




 その日の昼過ぎのことだった。
 家の自室で休んでいたシェリルとカイルの下へ、父が肩を怒らせてやって来た。

「カイル! お前、ジェフリー様に手を出したそうだな!?」

 つかつかと歩み寄ってきた父は、一枚の紙を二人に突き付ける。その紙にはなんと。

「シェリルとの婚約は破棄するそうだ! 非はこっちにあるのだから、慰謝料を払えと手紙が届いた! ジェフリー様は、お前に殴られて寝込んでいるそうだ!」

 怒髪天を衝くとはこのことだろうか。ここまで声を荒げるのは、普段温和な父にしては珍しい。
 カイルは言い訳一つせず、謝罪した。

「……すみません」
「ち、違うのよ、お父さん。カイルは……」

 シェリルは慌てて事情を説明しようとしたが、父は「お前は黙っていろ」と聞く耳を持ってくれず、厳しい目をカイルに向けた。

「どんな理由があろうと、暴力を振るうのは許されることじゃない。カイル、しばらく空き部屋に一人になって反省しろ」

 そう言うと、父は懐から聖石ペンダントを取り出してシェリルの首にかけた。そして代わりに、カイルを生み出したシェリルの聖石ペンダントを奪うように取る。

「シェリル。お前はジェフリー様と一緒に出かけた聖石店に行って、注文をキャンセルしてきなさい。今ならまだ間に合うだろう」
「……分かった」

 シェリルは後ろ髪を引かれる思いで自室を出た。ジェフリーから婚約破棄されたのは喜ばしいことだし、ジェフリーが寝込んでいるのも自業自得としか思わないが……カイルを庇えなかったことが申し訳ない。それに慰謝料とはいくら払えばいいのだろう。
 あれこれ考えつつ、とりあえずシェリルは『クロスリー』へと再び向かったのだった。

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