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後章
先生、教えてください!
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ナディル先生からは、その日のうちに翌日の午後なら訪問できるとお返事を貰う事ができた。
一夜が明けて、ナディル先生が来る前に警備の確認をアランとライモンドと共に行う。
今日はジュリアは、ここに来ていない。移動の予定がなく安全だから、シュルテン修道院の神官の方を調べに行って貰っている。
「人払いをご希望との事なので、部屋の外には私が控えます。屋敷の周囲の警戒にはライモンド。少々手薄な対応がとれるのは、相手はナディル殿でディルーカ伯爵家のお屋敷ゆえです。よく覚えておいて下さい」
最後の「覚えておいて下さい」を強調したライモンドの言葉に素直に頷く。
昨日は、レナート王子に……ジュリアとアランとライモンドにとても怒られた。護衛が付くという事は、私が思うよりもずっと危険があるという事だ。勝手な行動は慎むと、きちんと反省している。
「今後は慎みます。ところで、一つ確認をさせて下さい。明日は、私のお父様もお戻りになりますか?」
レナート王子の話が確かなら、明日にはキュールの盗賊討伐から国王陛下が戻って来る。
ライモンドが、怒った顔から安堵した顔、そして申し訳なさそな顔に表情をかえた。聞くより先に何となく答えが分かる。
「ディルーカ伯爵は、お戻りにならないと聞いております。キュールの盗賊を退ける事は出来ましたが、国王陛下の使者としてバルダートに立ち寄るそうです」
キュールの遠征が終われば、国王陛下も正妃様の故郷のバルダートに入る予定だった。教会派の失脚で戻らざる得なくなったから、国王様が先に戻って、お父様が代理を務める事になったのだろう。帰還の先触れがなかったから、そんな予想はしてたけれど、色々あった後だから残念な気持ちが思った以上に強い。
「わかりました。お父様の事は、寂しいですが、今は国王陛下が早く戻られた事を喜ぶ事にします」
明るい笑顔を作ると、アランが慰める様な顔で力強く頷く。
「一時は天候に大きく阻まれましたが、十日前から女神が微笑んだかのように順調のようです。ディルーカ伯爵も、すぐに順調な風に背中を押されて戻られるでしょう」
「今、順調なのですか?」
「ええ。何か気になる事が?」
気になる事はあるけれど、今は首を振っておく。『奇跡』の事は、上手く質問できる自信がない。
私が処刑を回避しようとしていた間は、『奇跡』と呼べるような何かは、教会派……アベッリ公爵に有利に動いていた。それが、今は国王の行く道を有利にする流れに変わっている。
変化が起きた十日前は、私が処刑を回避したすぐ後だ。この変化には、一体何があったのだろう。
私達の入れ替わりがもう起こらないと言った時、レナート王子は『奇跡』という言葉を一瞬だけど使った。入れ替わりの心配がなくなった事、国王陛下の旅程が順調な事、全ては同じ奇跡なのだろうか。
私とアランの横で、「それにしても……」と呟いてライモンドが顔を顰める。
「グリージャ皇国は何時になったら落ち着くんですかねぇ」
「まだまだ、かかるだろうな。今回の争いはかなり深く酷いらしい」
二人の言葉に、クリスの切実な眼差しが頭を過ぎって心が痛む。
キュールに押し寄せた盗賊の正体は、グリージャ皇国の民だ。隣国に民が自らの意志で略奪を仕掛ける。グリージャ皇国はそれほどまで酷い荒れ方をしているのだろう。
眉を顰めた私に、ライモンドが訳知り顔で話しかけてくる。
「知ってますか、リーリア様? 二百年前にも、王家の争いで一度あの国は亡びかけてるんですよ」
「そうみたいですね」
舞踏会でクリスが同じ事を言っていた。知っていた事が不満だったのか、ライモンドが口の端を僅かに下げる。
「では、これは知ってますか? セラフィン王国を含む周辺国の力を借りて何とか抑えたんです」
「はい。知ってます」
それもクリスに舞踏会で教えてもらった。私に知らないと言わせたいのか、更に口の端を下げてライモンドが唸る。
「むむ……。結構、勉強されてますね。では、こちらはどうですか? 当時は王家が『魔法』を生みだしたばかりで、我が国しか魔法がなく大活躍したんです。偽の王の妃である『魔女』を打ち取ったのは、当時のセラフィン王の『魔法』でした!」
得意げなアランをじっと見つめて首を振る。これは初耳だ。
「『魔法』って、その頃からなんですか……。それに、『魔女』……。グリージャ皇国にもあるんですね……」
呟くと慌ててたように、アランが咳払いをしてライモンドを睨む。
「すみません、リーリア様。ライモンドは、過去史に自信があるんです。良い所を見せようと、考えなしの話題を口に致しました。後で絞っておきます」
ライモンドは修道女に続き、グリージャの女性にも興味があったのだろうか。
アランの気遣いは確かに正しい。つい最近『魔女』と呼ばれて処刑されかけた私に、他国の事とは言え『魔女』が打ち取られた話をするのは無神経だ。
ジュリアがいたら凄く怒っただろう。その光景を想像したら、怒りより笑いがこみ上げてきた。
「気になさらず。過去史には私も興味があるので、いつか詳しく教えてくださいね。ライモンド」
申し訳なさそうに頭を掻いたライモンドが嬉しそうな顔をしたところで、我が家の門の方から馬車の音が聞こえてきた。窓に近づいて見下ろすと、質素ながらよく見ると随所に拘りのある一台の馬車が見えた。
馬車は勿論ナディル先生だった。
私の部屋でテーブルを挟んで、ナディル先生がゆっくりとティーカップを唇に運ぶ。
「おや、これは東のお茶ですね」
「はい。流石ナディル先生は何でも知っていますね」
今日のお茶もジュリアの時と同じ、東方のまだ余り出回っていないお茶だ。一口飲んで当てるナディル先生はやっぱり流石だと思う。
ナディル先生は今年で三十五歳になる筈だけど、相変わらず肌も綺麗で美人という言葉がよく似あう。
十六歳の社交デビューと同時に地方から王都に出てきて、王家や貴族の教育に関わるようになった。地方貴族の三男らしいけど、仕事柄の所為なのか地方出身者にある土地の癖は一切ない。
「ナディル先生、囚われている私に嘆願のお手紙を有難うございました。とても、元気が出ました」
「いいえ。あの程度しか力になれなくて、初めてこの身の不自由を思いました。でも、無事に罪が晴れて、本当に良かった」
お茶とお菓子を楽しみながら互いの近況を語り合う。
ナディル先生は基本的にすごく優しい。でも、お仕事であるマナーについては本当に厳しい。
今日も、マナーには細心の注意を払っている。お茶やお菓子の扱いは勿論、お茶会の互いの立場に合わせてドレスは派手過ぎず大人しすぎないものを選んだし、アクセサリーは一つにして身分を示す高級品を合わせた。ドレスのリボンは今日も捩じれていない。
頃合いを見て、比較的に触れやすい話から口にしてみる。
「ところで、ソフィア様の教育はいかがですか?」
私がソフィアの名を出すと、ナディル先生は驚いた様に一度目を瞬いたけど、直ぐに貴族らしい上品な微笑で頷く。
「『新祈の儀式』で『神舞の巫女』を務めていただけあって、立ち居振る舞いは基本がよく出来ていますね。王妃としての振る舞いや所作を覚えるのには、それ程苦労はしないでしょう」
貴族は、王宮か領の代表神官の元で、年明けの前の日から盛大な舞踏会が行われる。舞踏会の始まりに皆で説話を聞き、年が変わる瞬間には静かに祈りを捧げ、年の明けた日の夜まで一晩中祝い続ける。
庶民には、舞踏会の代わりに主要な教会で年明けの日に振る舞いがある。それが『新祈の儀式』と呼ばれていて、一番最初に民の為に踊られる巫女の『神舞』はどの行事よりも最も華やからしい。
巫女の『神舞』が終わると、王都の場合は国王陛下が庶民たちと同じ道を一度歩いて、街の教会で祈りを捧げる。その後に教会の正面入り口が開いて、民がそれぞれの未来を願い、祝いの花と酒を貰う。
「『神舞』……とても美しく、所作に秀でて、魔力のある方が選ばれるんですよね? ソフィア様は魔力が高いのでしょうか?」
『神舞』に関わらず巫女の舞は、魔力を纏って踊るらしい。私は踊った事がないから分からないけど、巫女が舞を舞うとその軌跡が光の線みたいに僅かな時間残る。
「かなり高いのでしょう。ソフィア様は式典が最も多いシャンデラ大修道院の巫女でしたから、魔力がなければ務まりません」
魔力の過多には、親の影響が大きい。魔力が低い者は高い者と子を生す事を望んだ時代もあるから、当然貴族の方が魔力の高い者が多く、庶民は魔力が少ない傾向がある。
それとなく、ソフィアの核心に触れそうな話題に会話を近づけてみる。
「ソフィア様は、まるで貴族みたいですね」
「……リーリア。何を知ろうとしているのですか? 招待状を頂いた時から気になっていたんです。私の勤勉な教え子の貴方が、マナー違反を犯した理由を教えてください」
にっこりと綺麗な笑顔で言われて黙り込む。
私が犯したマナー違反は、今回はたった一つ。相手の事情を考慮しない至急の招待だ。出した時点で、何かがあると気づかれるのは、ちゃんと織り込んである。
「巫女としての心構えを知りたくて、同じ立場のソフィア様について学んでいたら、色々な違和感を感じたんです」
流石にカミッラ王妃の指示である事は避けて、昨日使った理由の一つを口にする。
そのまま、シュルテン修道院に尋ねた事、そこで聞いた話をナディル先生に伝える。少し踏み込んだ内容もナディル先生に伝える事に抵抗はない。
レナート王子とデュリオ王子と友達になったあの日、先生は「私が十分注意して守ります」と言ってくれた。
王位を競い合う二人と私。守る事は容易でないと今の私なら分かる。社交界は人の目が多く、悪意のある人が多すぎる。あの頃、周囲の雑音を気にする事なく茶会を心待ちに出来たのは、ナディル先生が私を守っていてくれたからだと思う。
十四歳の終わりには流石に教育係が必要なくなって、ナディル先生とはの子弟関係は解消された。でも、変わらずに一番弟子と私を先生は可愛がってくれた。
レナート王子との婚約が決まった時も、批判の多い私の王妃教育を引き受けて、また悪意から守ってくれた。
兄弟はいないから本当のあり方は知らないけれど、兄と呼ぶ人を一人あげるならナディル先生を私は最初に思い浮かべる。
私の告げた昨日の内容に、ナディル先生がじっと静かに考え込む。
「ソフィア様の経歴は、私も少し気になっていました。ただ、珍しいかというとそうでもないんです」
「珍しくない? どうしてですか?」
言いづらそうにナディル先生が目を伏せる。そう言えば、パン屋のお爺さんから話を聞いた時も、ライモンド以外は複雑な空気を漂わせていた。
「婚姻前のご令嬢には、ご不快な話ですが……。聞きますか?」
「はい。聞かせてください」
気が重そうなため息を一つ吐いて、ナディル先生が口を開く。
「地方の中程度の修道院には、貴族の愛人の子は珍しくないんです。衣食住と教育は保証されますし、伝手があれば神官見習い、巫女見習いにできますからね。ソフィア様がもしも有力貴族の愛人の子なら、教育の行き届いたシュルテン修道院から大修道院への推薦もあり得ない事ではないと思います」
アランが援助者を調べる事を進めたのは、この辺りの事情も知っていたからかもしれない。そう言えば、ライモンドも、貴族の男を脅しに来る女性が案外多いと言っていた。
「リーリア、頬が膨らんでいますよ」
言われて、慌てて頬を抑える。確かに私の頬はぷっくりと膨れていた。
確かに愛人と子供の事は、婚姻前の私にはあまり割り切れない。
貴族だから恋よりも条件が優先されて、愛のある関係が難しい事は私だってわかっている。でも、わたしにはお母様の「一番好きな人と、恋をして結ばれなさい」という言葉が頭にあるから、別の人とという下りにはどうしても不満を感じてしまう。
両手で頬を押して空気を抜くと、先生の言葉を確認する為にゆっくりと口を開く。
「ソフィア様は庶民ではなくて、相当身分の高い貴族が父親である可能性が高い。そういう事ですよね?」
「ええ、私はそう思います。ただ、気になるのは母親が既に他界している点ですね。シャンデラ大修道院へ預けたという事は、ソフィア様に相当の思い入れがあったからでしょう。当然、母親にも思入れがあってしかるべきだと思うのですが、物取りにあって亡くなるなんて、どのような暮らしをしていたのでしょうか……。」
大きな街では物取りで亡くなる話は、貴族や裕福な者ではあまり聞かない。ある程度、自衛の警護だってきちんとしているし、身の回りに付き従う家人が多いからだ。
こういった事件に発展するのは、警護などや身の回りの者はいないけど、少しだけ整った暮らしができる立場の者に多い。
普通の庶民よりは決して悪い暮らしではないけど、ソフィアの破格の待遇と比べると随分と差を感じてしまう。
「他にナディル先生がソフィアについて気付いたことはありますか?」
困ったように首を傾げると、ナディル先生の後ろでまとめた金の髪が揺れるのが見えた。
「いいえ。気付いたことはありません。ただ、心配な事があります。ソフィアは、自分の境遇を幸運と言っています。話しているような境遇を、彼女自身は何一つ知らない気がします」
頷いてから、次の質問の為に軽く息を整えてドレスの上で拳を握りしめる。
「では、別の事も聞いていいですか? 先生は十八年前まえから王都にいらっしゃって、王子二人の教育係りをされた方のお手伝いされていますよね?」
「ええ。初仕事としては、大変光栄な仕事を賜りました。私も幸運ですね」
そう言ってナディル先生が青空色の瞳を細める。
乳母や従者といった立場ではないから毎日ではないけれど、教育係の手伝いなら定期的に二人の王子の側にいた事になる。
あの処刑の日にアベッリ公爵がレナート王子だった私に言った『卑しい贋物』、この言葉が忘れられなくて意味を何度も考えた。
『贋物』という言葉の反対は、『本物』。アベッリ公爵はレナート王子の中身が私である事は、当然知らない。『卑しい贋物』という言葉は、確かにレナート王子を見て使ったものだ。
「レナート王子が生まれてから今日まで……いいえ、私と会う前だけでいいです。何かが、内面や外見が変わったと感じた事はありませんか?」
自分の口にした言葉で、震え始めた指先を同じ様に震える指先でそっと抑える
あり得ない事だと分かっているけれど、レナート王子が『レナート王子』ではないという事ぐらいしか『贋物』が示す言葉の意味が思いつかなかった。
訝しむような眼差しで私を見つめて、ナディル先生が肩を竦める。
「さて? 意図の見えない質問ですね。外見の変化については感じた事はありません。子供は成長が早いですから、驚くほど大きくなったと思う事はありました。でも、成長は変化ではないでしょう?」
「……別人みたいに大きくなったとか。目を疑うぐらい違和感があった事ってありませんか?」
我ながら馬鹿な質問だと思う。案の定、ナディル先生も困ったよう首を傾げてしまう。
「お手伝いしていた貴族について、週に一度はお顔を拝見しておりましたが、リーリアが言うような別人になったかのような大きな変化は感じた事はありませんよ」
「別人というか、似ている人ぐらいの変化とかありませんか?」
困惑をより深めた顔でナディル先生が首を横に振る。
「成り代わりを確認しているような物言い聞こえますね、リーリア」
紺青の長い髪を一度指先に巻き付けて、くるりと捩じる。
ナディル先生には、何でも話したいけれど、話さない方がいい事もある。先生には、決して表立つ事のない噂が一つあるからだ。
心を落ち着けて、誤魔化す為に上品に微笑む。
「はい。精彩を欠くレナート王子に、お飾りとか贋物という声があると聞き及びました。レナート王子は努力を重ねて王に相応しい姿を見せておりましたが、魔力を始めとして多くの事でデュリオ王子に比べて才が高いとは言えませんでした。ですから、もしやと気になったのです」
ナディル先生んが何だか面白いものを見るような顔で目を細める。私は何か失敗をしただろうか。
「確かに、レナート王子の魔力は高くはありませんね。でも、少ない訳ではありませんよ。この数代は高い魔力の王が続いて、少し見劣りしてしまっているだけです」
「でも、アベッリ公爵に頭が上がりませんでした。この国の第一王子なのに」
レナート王子として私が行動していた時の、アベッリ公爵、ストラーダ枢機卿の態度。どちらも、慇懃無礼なものだった。
『卑しい贋物』その言葉の意味が、私の知るレナート王子が『本物』ではなく『誰かの成り代わり』なら納得がいく。
「アベッリ公爵は元々、尊大な人物です。レナート王子を物足りなく思っていた事もあって、随分と厳しい態度ではあった様ですね」
「祖父なのに、まるで他人のようにレナート王子はアベッリ公爵と呼んでいたんです。それに、ストラーダ枢機卿の態度もです。表面的には丁寧でしたが、有無を言わせない圧を感じました」
「ストラーダ枢機卿の場合は、シルヴィア二妃の息子という事で思い入れが――」
先生が言葉を途中で飲み込んで、困ったように眉を下げる。言葉を促すように見つめると、諦めたようにナディル先生が肩を竦める。
「リーリアの勢いに飲まれて、私とした事が失言いたしました」
ストラーダ枢機卿の言葉の端々にあった、シルヴィア二妃を気遣う気配。二人の間にあった親し気な空気。そして、取り乱したシルヴィア二妃の言葉。
二人の間には、第二妃とその派閥の要人以上の何かがあったのは目の当たりにしている。
「聞きたいです。薄々は私も感じてます。ストラーダ枢機卿とシルヴィア二妃はどういった関係なのですか? 教えてください、ナディル先生」
一夜が明けて、ナディル先生が来る前に警備の確認をアランとライモンドと共に行う。
今日はジュリアは、ここに来ていない。移動の予定がなく安全だから、シュルテン修道院の神官の方を調べに行って貰っている。
「人払いをご希望との事なので、部屋の外には私が控えます。屋敷の周囲の警戒にはライモンド。少々手薄な対応がとれるのは、相手はナディル殿でディルーカ伯爵家のお屋敷ゆえです。よく覚えておいて下さい」
最後の「覚えておいて下さい」を強調したライモンドの言葉に素直に頷く。
昨日は、レナート王子に……ジュリアとアランとライモンドにとても怒られた。護衛が付くという事は、私が思うよりもずっと危険があるという事だ。勝手な行動は慎むと、きちんと反省している。
「今後は慎みます。ところで、一つ確認をさせて下さい。明日は、私のお父様もお戻りになりますか?」
レナート王子の話が確かなら、明日にはキュールの盗賊討伐から国王陛下が戻って来る。
ライモンドが、怒った顔から安堵した顔、そして申し訳なさそな顔に表情をかえた。聞くより先に何となく答えが分かる。
「ディルーカ伯爵は、お戻りにならないと聞いております。キュールの盗賊を退ける事は出来ましたが、国王陛下の使者としてバルダートに立ち寄るそうです」
キュールの遠征が終われば、国王陛下も正妃様の故郷のバルダートに入る予定だった。教会派の失脚で戻らざる得なくなったから、国王様が先に戻って、お父様が代理を務める事になったのだろう。帰還の先触れがなかったから、そんな予想はしてたけれど、色々あった後だから残念な気持ちが思った以上に強い。
「わかりました。お父様の事は、寂しいですが、今は国王陛下が早く戻られた事を喜ぶ事にします」
明るい笑顔を作ると、アランが慰める様な顔で力強く頷く。
「一時は天候に大きく阻まれましたが、十日前から女神が微笑んだかのように順調のようです。ディルーカ伯爵も、すぐに順調な風に背中を押されて戻られるでしょう」
「今、順調なのですか?」
「ええ。何か気になる事が?」
気になる事はあるけれど、今は首を振っておく。『奇跡』の事は、上手く質問できる自信がない。
私が処刑を回避しようとしていた間は、『奇跡』と呼べるような何かは、教会派……アベッリ公爵に有利に動いていた。それが、今は国王の行く道を有利にする流れに変わっている。
変化が起きた十日前は、私が処刑を回避したすぐ後だ。この変化には、一体何があったのだろう。
私達の入れ替わりがもう起こらないと言った時、レナート王子は『奇跡』という言葉を一瞬だけど使った。入れ替わりの心配がなくなった事、国王陛下の旅程が順調な事、全ては同じ奇跡なのだろうか。
私とアランの横で、「それにしても……」と呟いてライモンドが顔を顰める。
「グリージャ皇国は何時になったら落ち着くんですかねぇ」
「まだまだ、かかるだろうな。今回の争いはかなり深く酷いらしい」
二人の言葉に、クリスの切実な眼差しが頭を過ぎって心が痛む。
キュールに押し寄せた盗賊の正体は、グリージャ皇国の民だ。隣国に民が自らの意志で略奪を仕掛ける。グリージャ皇国はそれほどまで酷い荒れ方をしているのだろう。
眉を顰めた私に、ライモンドが訳知り顔で話しかけてくる。
「知ってますか、リーリア様? 二百年前にも、王家の争いで一度あの国は亡びかけてるんですよ」
「そうみたいですね」
舞踏会でクリスが同じ事を言っていた。知っていた事が不満だったのか、ライモンドが口の端を僅かに下げる。
「では、これは知ってますか? セラフィン王国を含む周辺国の力を借りて何とか抑えたんです」
「はい。知ってます」
それもクリスに舞踏会で教えてもらった。私に知らないと言わせたいのか、更に口の端を下げてライモンドが唸る。
「むむ……。結構、勉強されてますね。では、こちらはどうですか? 当時は王家が『魔法』を生みだしたばかりで、我が国しか魔法がなく大活躍したんです。偽の王の妃である『魔女』を打ち取ったのは、当時のセラフィン王の『魔法』でした!」
得意げなアランをじっと見つめて首を振る。これは初耳だ。
「『魔法』って、その頃からなんですか……。それに、『魔女』……。グリージャ皇国にもあるんですね……」
呟くと慌ててたように、アランが咳払いをしてライモンドを睨む。
「すみません、リーリア様。ライモンドは、過去史に自信があるんです。良い所を見せようと、考えなしの話題を口に致しました。後で絞っておきます」
ライモンドは修道女に続き、グリージャの女性にも興味があったのだろうか。
アランの気遣いは確かに正しい。つい最近『魔女』と呼ばれて処刑されかけた私に、他国の事とは言え『魔女』が打ち取られた話をするのは無神経だ。
ジュリアがいたら凄く怒っただろう。その光景を想像したら、怒りより笑いがこみ上げてきた。
「気になさらず。過去史には私も興味があるので、いつか詳しく教えてくださいね。ライモンド」
申し訳なさそうに頭を掻いたライモンドが嬉しそうな顔をしたところで、我が家の門の方から馬車の音が聞こえてきた。窓に近づいて見下ろすと、質素ながらよく見ると随所に拘りのある一台の馬車が見えた。
馬車は勿論ナディル先生だった。
私の部屋でテーブルを挟んで、ナディル先生がゆっくりとティーカップを唇に運ぶ。
「おや、これは東のお茶ですね」
「はい。流石ナディル先生は何でも知っていますね」
今日のお茶もジュリアの時と同じ、東方のまだ余り出回っていないお茶だ。一口飲んで当てるナディル先生はやっぱり流石だと思う。
ナディル先生は今年で三十五歳になる筈だけど、相変わらず肌も綺麗で美人という言葉がよく似あう。
十六歳の社交デビューと同時に地方から王都に出てきて、王家や貴族の教育に関わるようになった。地方貴族の三男らしいけど、仕事柄の所為なのか地方出身者にある土地の癖は一切ない。
「ナディル先生、囚われている私に嘆願のお手紙を有難うございました。とても、元気が出ました」
「いいえ。あの程度しか力になれなくて、初めてこの身の不自由を思いました。でも、無事に罪が晴れて、本当に良かった」
お茶とお菓子を楽しみながら互いの近況を語り合う。
ナディル先生は基本的にすごく優しい。でも、お仕事であるマナーについては本当に厳しい。
今日も、マナーには細心の注意を払っている。お茶やお菓子の扱いは勿論、お茶会の互いの立場に合わせてドレスは派手過ぎず大人しすぎないものを選んだし、アクセサリーは一つにして身分を示す高級品を合わせた。ドレスのリボンは今日も捩じれていない。
頃合いを見て、比較的に触れやすい話から口にしてみる。
「ところで、ソフィア様の教育はいかがですか?」
私がソフィアの名を出すと、ナディル先生は驚いた様に一度目を瞬いたけど、直ぐに貴族らしい上品な微笑で頷く。
「『新祈の儀式』で『神舞の巫女』を務めていただけあって、立ち居振る舞いは基本がよく出来ていますね。王妃としての振る舞いや所作を覚えるのには、それ程苦労はしないでしょう」
貴族は、王宮か領の代表神官の元で、年明けの前の日から盛大な舞踏会が行われる。舞踏会の始まりに皆で説話を聞き、年が変わる瞬間には静かに祈りを捧げ、年の明けた日の夜まで一晩中祝い続ける。
庶民には、舞踏会の代わりに主要な教会で年明けの日に振る舞いがある。それが『新祈の儀式』と呼ばれていて、一番最初に民の為に踊られる巫女の『神舞』はどの行事よりも最も華やからしい。
巫女の『神舞』が終わると、王都の場合は国王陛下が庶民たちと同じ道を一度歩いて、街の教会で祈りを捧げる。その後に教会の正面入り口が開いて、民がそれぞれの未来を願い、祝いの花と酒を貰う。
「『神舞』……とても美しく、所作に秀でて、魔力のある方が選ばれるんですよね? ソフィア様は魔力が高いのでしょうか?」
『神舞』に関わらず巫女の舞は、魔力を纏って踊るらしい。私は踊った事がないから分からないけど、巫女が舞を舞うとその軌跡が光の線みたいに僅かな時間残る。
「かなり高いのでしょう。ソフィア様は式典が最も多いシャンデラ大修道院の巫女でしたから、魔力がなければ務まりません」
魔力の過多には、親の影響が大きい。魔力が低い者は高い者と子を生す事を望んだ時代もあるから、当然貴族の方が魔力の高い者が多く、庶民は魔力が少ない傾向がある。
それとなく、ソフィアの核心に触れそうな話題に会話を近づけてみる。
「ソフィア様は、まるで貴族みたいですね」
「……リーリア。何を知ろうとしているのですか? 招待状を頂いた時から気になっていたんです。私の勤勉な教え子の貴方が、マナー違反を犯した理由を教えてください」
にっこりと綺麗な笑顔で言われて黙り込む。
私が犯したマナー違反は、今回はたった一つ。相手の事情を考慮しない至急の招待だ。出した時点で、何かがあると気づかれるのは、ちゃんと織り込んである。
「巫女としての心構えを知りたくて、同じ立場のソフィア様について学んでいたら、色々な違和感を感じたんです」
流石にカミッラ王妃の指示である事は避けて、昨日使った理由の一つを口にする。
そのまま、シュルテン修道院に尋ねた事、そこで聞いた話をナディル先生に伝える。少し踏み込んだ内容もナディル先生に伝える事に抵抗はない。
レナート王子とデュリオ王子と友達になったあの日、先生は「私が十分注意して守ります」と言ってくれた。
王位を競い合う二人と私。守る事は容易でないと今の私なら分かる。社交界は人の目が多く、悪意のある人が多すぎる。あの頃、周囲の雑音を気にする事なく茶会を心待ちに出来たのは、ナディル先生が私を守っていてくれたからだと思う。
十四歳の終わりには流石に教育係が必要なくなって、ナディル先生とはの子弟関係は解消された。でも、変わらずに一番弟子と私を先生は可愛がってくれた。
レナート王子との婚約が決まった時も、批判の多い私の王妃教育を引き受けて、また悪意から守ってくれた。
兄弟はいないから本当のあり方は知らないけれど、兄と呼ぶ人を一人あげるならナディル先生を私は最初に思い浮かべる。
私の告げた昨日の内容に、ナディル先生がじっと静かに考え込む。
「ソフィア様の経歴は、私も少し気になっていました。ただ、珍しいかというとそうでもないんです」
「珍しくない? どうしてですか?」
言いづらそうにナディル先生が目を伏せる。そう言えば、パン屋のお爺さんから話を聞いた時も、ライモンド以外は複雑な空気を漂わせていた。
「婚姻前のご令嬢には、ご不快な話ですが……。聞きますか?」
「はい。聞かせてください」
気が重そうなため息を一つ吐いて、ナディル先生が口を開く。
「地方の中程度の修道院には、貴族の愛人の子は珍しくないんです。衣食住と教育は保証されますし、伝手があれば神官見習い、巫女見習いにできますからね。ソフィア様がもしも有力貴族の愛人の子なら、教育の行き届いたシュルテン修道院から大修道院への推薦もあり得ない事ではないと思います」
アランが援助者を調べる事を進めたのは、この辺りの事情も知っていたからかもしれない。そう言えば、ライモンドも、貴族の男を脅しに来る女性が案外多いと言っていた。
「リーリア、頬が膨らんでいますよ」
言われて、慌てて頬を抑える。確かに私の頬はぷっくりと膨れていた。
確かに愛人と子供の事は、婚姻前の私にはあまり割り切れない。
貴族だから恋よりも条件が優先されて、愛のある関係が難しい事は私だってわかっている。でも、わたしにはお母様の「一番好きな人と、恋をして結ばれなさい」という言葉が頭にあるから、別の人とという下りにはどうしても不満を感じてしまう。
両手で頬を押して空気を抜くと、先生の言葉を確認する為にゆっくりと口を開く。
「ソフィア様は庶民ではなくて、相当身分の高い貴族が父親である可能性が高い。そういう事ですよね?」
「ええ、私はそう思います。ただ、気になるのは母親が既に他界している点ですね。シャンデラ大修道院へ預けたという事は、ソフィア様に相当の思い入れがあったからでしょう。当然、母親にも思入れがあってしかるべきだと思うのですが、物取りにあって亡くなるなんて、どのような暮らしをしていたのでしょうか……。」
大きな街では物取りで亡くなる話は、貴族や裕福な者ではあまり聞かない。ある程度、自衛の警護だってきちんとしているし、身の回りに付き従う家人が多いからだ。
こういった事件に発展するのは、警護などや身の回りの者はいないけど、少しだけ整った暮らしができる立場の者に多い。
普通の庶民よりは決して悪い暮らしではないけど、ソフィアの破格の待遇と比べると随分と差を感じてしまう。
「他にナディル先生がソフィアについて気付いたことはありますか?」
困ったように首を傾げると、ナディル先生の後ろでまとめた金の髪が揺れるのが見えた。
「いいえ。気付いたことはありません。ただ、心配な事があります。ソフィアは、自分の境遇を幸運と言っています。話しているような境遇を、彼女自身は何一つ知らない気がします」
頷いてから、次の質問の為に軽く息を整えてドレスの上で拳を握りしめる。
「では、別の事も聞いていいですか? 先生は十八年前まえから王都にいらっしゃって、王子二人の教育係りをされた方のお手伝いされていますよね?」
「ええ。初仕事としては、大変光栄な仕事を賜りました。私も幸運ですね」
そう言ってナディル先生が青空色の瞳を細める。
乳母や従者といった立場ではないから毎日ではないけれど、教育係の手伝いなら定期的に二人の王子の側にいた事になる。
あの処刑の日にアベッリ公爵がレナート王子だった私に言った『卑しい贋物』、この言葉が忘れられなくて意味を何度も考えた。
『贋物』という言葉の反対は、『本物』。アベッリ公爵はレナート王子の中身が私である事は、当然知らない。『卑しい贋物』という言葉は、確かにレナート王子を見て使ったものだ。
「レナート王子が生まれてから今日まで……いいえ、私と会う前だけでいいです。何かが、内面や外見が変わったと感じた事はありませんか?」
自分の口にした言葉で、震え始めた指先を同じ様に震える指先でそっと抑える
あり得ない事だと分かっているけれど、レナート王子が『レナート王子』ではないという事ぐらいしか『贋物』が示す言葉の意味が思いつかなかった。
訝しむような眼差しで私を見つめて、ナディル先生が肩を竦める。
「さて? 意図の見えない質問ですね。外見の変化については感じた事はありません。子供は成長が早いですから、驚くほど大きくなったと思う事はありました。でも、成長は変化ではないでしょう?」
「……別人みたいに大きくなったとか。目を疑うぐらい違和感があった事ってありませんか?」
我ながら馬鹿な質問だと思う。案の定、ナディル先生も困ったよう首を傾げてしまう。
「お手伝いしていた貴族について、週に一度はお顔を拝見しておりましたが、リーリアが言うような別人になったかのような大きな変化は感じた事はありませんよ」
「別人というか、似ている人ぐらいの変化とかありませんか?」
困惑をより深めた顔でナディル先生が首を横に振る。
「成り代わりを確認しているような物言い聞こえますね、リーリア」
紺青の長い髪を一度指先に巻き付けて、くるりと捩じる。
ナディル先生には、何でも話したいけれど、話さない方がいい事もある。先生には、決して表立つ事のない噂が一つあるからだ。
心を落ち着けて、誤魔化す為に上品に微笑む。
「はい。精彩を欠くレナート王子に、お飾りとか贋物という声があると聞き及びました。レナート王子は努力を重ねて王に相応しい姿を見せておりましたが、魔力を始めとして多くの事でデュリオ王子に比べて才が高いとは言えませんでした。ですから、もしやと気になったのです」
ナディル先生んが何だか面白いものを見るような顔で目を細める。私は何か失敗をしただろうか。
「確かに、レナート王子の魔力は高くはありませんね。でも、少ない訳ではありませんよ。この数代は高い魔力の王が続いて、少し見劣りしてしまっているだけです」
「でも、アベッリ公爵に頭が上がりませんでした。この国の第一王子なのに」
レナート王子として私が行動していた時の、アベッリ公爵、ストラーダ枢機卿の態度。どちらも、慇懃無礼なものだった。
『卑しい贋物』その言葉の意味が、私の知るレナート王子が『本物』ではなく『誰かの成り代わり』なら納得がいく。
「アベッリ公爵は元々、尊大な人物です。レナート王子を物足りなく思っていた事もあって、随分と厳しい態度ではあった様ですね」
「祖父なのに、まるで他人のようにレナート王子はアベッリ公爵と呼んでいたんです。それに、ストラーダ枢機卿の態度もです。表面的には丁寧でしたが、有無を言わせない圧を感じました」
「ストラーダ枢機卿の場合は、シルヴィア二妃の息子という事で思い入れが――」
先生が言葉を途中で飲み込んで、困ったように眉を下げる。言葉を促すように見つめると、諦めたようにナディル先生が肩を竦める。
「リーリアの勢いに飲まれて、私とした事が失言いたしました」
ストラーダ枢機卿の言葉の端々にあった、シルヴィア二妃を気遣う気配。二人の間にあった親し気な空気。そして、取り乱したシルヴィア二妃の言葉。
二人の間には、第二妃とその派閥の要人以上の何かがあったのは目の当たりにしている。
「聞きたいです。薄々は私も感じてます。ストラーダ枢機卿とシルヴィア二妃はどういった関係なのですか? 教えてください、ナディル先生」
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