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第22話:結ばれた夜
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夜。書斎の火は小さく、紙は静かに明るい。
扉が二度、軽く叩かれた。
「どうぞ」
入ってきた彼は、仕事の手で扉を閉め、仕事でない温度で立った。輪番は固い。けれど、父上の封蝋が、一枚の細い橋を渡らせてくれた。
「殿下」
「……ナハト」
名前を、声で呼ぶ。五歳の甘さでも、十一の祈りでもない。十八を越えて、いまの俺の音で。
彼は礼をし、近づき――礼儀の距離のぎりぎりで止まる。胸甲の留め金が、ひそかに鳴る。金具の音が、部屋の空気を少しだけ震わせた。
「灯りを、落としても?」
「うん」
火が少し落ちる。影が少し増える。影は、正しく使うためにある。走らないために。温めるために。
彼は鎧の紐を自分でほどき、机の端に静かに置いた。金と革の匂いが薄くほどけ、代わりに、体温の匂いが近づく。
「殿下」
「なに」
「私は、剣です。だから、殿下の許しがなければ、触れません」
胸の前で、とん――ではなく、言葉で相槌を打つ。
「許す。……俺は、もう子供じゃない」
彼の手が、髪に触れた。撫でるのではなく、確かめるみたいに。位置を知るための、短い触れ方。
額に落ちた前髪を指ですくい、耳の後ろへ。指二本ぶんの空気を置いてから、また戻す。
呼吸が合う。三、二、一――数える必要はない。もう、同じ拍で落ちてくる。
「ここに」
あの雨の夜と同じ言葉。
『ここに』。
俺の位置。心の位置。礼儀の鞘の中で、刃を外に出さず、温度だけを渡す位置。
唇が触れる。最初は、紙の端に筆先を一度置くみたいに短く。
次は、名前の最初の音だけを書くみたいに長く。
砂糖は要らない。毛布の温度があれば足りる。
鎧の無い胸に、掌を置く。布越しの心臓が、俺の拍に追いつき、やがて追い越し、また揃う。
「三」
彼が小さく言う。
「二」
合わせる。
「一」
重なった拍で、距離がほどける。ほどけすぎないよう、指が『礼儀』の縁をなぞる。境界を尊ぶ手は、覚えがいい。
「痛くない?」
「うん。……あったかい」
「寒くしません」
言葉が毛布になる。
外の風は夏の前でやさしい。部屋の中は、火より静かな熱で満たされる。
長く、深く、確かめるみたいに抱き合う。
ひそかな金具の音がときどき鳴り、沈黙の中に句読点を置く。
合図は使わない。合図が要らない夜もある。
ここまで積んだ石が、橋を支えているのを、体で知るための夜。
結び目はほどけないまま、新しい結び目が、同じ場所に重なる。
灯がさらに小さくなり、影が濃くなる。
彼は俺の肩に額を預け、息をゆっくり落とす。
「殿下」
「なに」
「好きです」
砂糖を控えた、短い言葉。
返事も、短く。
「俺も。――好きだ」
そのあとは、言葉よりも温度で話した。
紙は閉じ、しおりは頁の端にいる。
頁は、静かに次へとめくられる。
夜は長く、けれど、足りた。十分だった。
扉が二度、軽く叩かれた。
「どうぞ」
入ってきた彼は、仕事の手で扉を閉め、仕事でない温度で立った。輪番は固い。けれど、父上の封蝋が、一枚の細い橋を渡らせてくれた。
「殿下」
「……ナハト」
名前を、声で呼ぶ。五歳の甘さでも、十一の祈りでもない。十八を越えて、いまの俺の音で。
彼は礼をし、近づき――礼儀の距離のぎりぎりで止まる。胸甲の留め金が、ひそかに鳴る。金具の音が、部屋の空気を少しだけ震わせた。
「灯りを、落としても?」
「うん」
火が少し落ちる。影が少し増える。影は、正しく使うためにある。走らないために。温めるために。
彼は鎧の紐を自分でほどき、机の端に静かに置いた。金と革の匂いが薄くほどけ、代わりに、体温の匂いが近づく。
「殿下」
「なに」
「私は、剣です。だから、殿下の許しがなければ、触れません」
胸の前で、とん――ではなく、言葉で相槌を打つ。
「許す。……俺は、もう子供じゃない」
彼の手が、髪に触れた。撫でるのではなく、確かめるみたいに。位置を知るための、短い触れ方。
額に落ちた前髪を指ですくい、耳の後ろへ。指二本ぶんの空気を置いてから、また戻す。
呼吸が合う。三、二、一――数える必要はない。もう、同じ拍で落ちてくる。
「ここに」
あの雨の夜と同じ言葉。
『ここに』。
俺の位置。心の位置。礼儀の鞘の中で、刃を外に出さず、温度だけを渡す位置。
唇が触れる。最初は、紙の端に筆先を一度置くみたいに短く。
次は、名前の最初の音だけを書くみたいに長く。
砂糖は要らない。毛布の温度があれば足りる。
鎧の無い胸に、掌を置く。布越しの心臓が、俺の拍に追いつき、やがて追い越し、また揃う。
「三」
彼が小さく言う。
「二」
合わせる。
「一」
重なった拍で、距離がほどける。ほどけすぎないよう、指が『礼儀』の縁をなぞる。境界を尊ぶ手は、覚えがいい。
「痛くない?」
「うん。……あったかい」
「寒くしません」
言葉が毛布になる。
外の風は夏の前でやさしい。部屋の中は、火より静かな熱で満たされる。
長く、深く、確かめるみたいに抱き合う。
ひそかな金具の音がときどき鳴り、沈黙の中に句読点を置く。
合図は使わない。合図が要らない夜もある。
ここまで積んだ石が、橋を支えているのを、体で知るための夜。
結び目はほどけないまま、新しい結び目が、同じ場所に重なる。
灯がさらに小さくなり、影が濃くなる。
彼は俺の肩に額を預け、息をゆっくり落とす。
「殿下」
「なに」
「好きです」
砂糖を控えた、短い言葉。
返事も、短く。
「俺も。――好きだ」
そのあとは、言葉よりも温度で話した。
紙は閉じ、しおりは頁の端にいる。
頁は、静かに次へとめくられる。
夜は長く、けれど、足りた。十分だった。
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