96 / 100
【その後】幼馴染みにかえるまで
スクエア ワン
しおりを挟むヒカルから仕事中に倒れたという連絡が来たのは、やがて退勤時間だと俺が時計を気にしていた時だった。
この中途半端な時間から新しい書類に手をつけてダラダラと残業することになるよりは明日しっかり時間をとろう。そんなことを考えながら、あとはメールのチェックをして、帰る準備をするだけだった。
熱中症で救急搬送されて今は病院にいる、というメッセージを見た瞬間、頭が真っ白になった。急用のため退勤時間を待たずに帰ることを上司に伝えている時も、有休を申請している時も、気持ちばかりが焦って、一つ一つの動作に実感が持てずにいた。
『点滴が終わったら帰れるって』
病院へ向かうタクシーの中で、再度確認したメッセージはそこで終わっていた。腕に太い点滴の針が刺さっていて、真っ青になった顔で目を閉じて横になっているヒカルの様子を想像しただけで、鼓動が早くなっていく。
どれだけ気持ちが焦っていても、移動中の俺に出来ることは何もなくて、運転手からの「この先が混んでるみたいなんで、次の道で左折していいですか」という問いに、はいと返事をするだけだった。
少しでも情報を得ようと、スマートフォンで熱中症について調べてみたものの、「最悪の場合死に至る」「後遺症」という文字が目に飛び込んできて呆然とした。
違う、ヒカルはもう病院に運ばれていて、自分でスマートフォンを操作してメッセージだって送れている。家にだってこれから一緒に帰れるって言っていた……。
あれこれと考えた後、結局俺は、原因や今後の予防策については二の次で、「大丈夫」だという情報を得て安心したかったのだと気がついた。
今朝、出掛けていく時の様子は普通だった、と思う。
「今日は現場に行く前に一度会社の方に行きたいから」
そう言ってヒカルが家を出たのは、俺がぐずぐずと冷蔵庫を覗き込んでいた時だった。俺はヒカルにどんな言葉を返しただろう。いってらっしゃい、と言ったような気がするけど、ちゃんとヒカルの顔を見ていただろうか。朝食にハムエッグを食べていったのは昨日だったか今日だったか……。いくら考えても、今朝のヒカルの表情や顔色についてはハッキリと思い出せなかった。
◇◆◇
「水分はちゃんと取ってた。でも、着工前の現場を歩いていたら、急に脚からがくっと力が抜ける感じがして、それからはもう立ち上がれなくて……」
熱中症で倒れる人ってだいたい「水は飲んでた」って言うんだって、と言った後ヒカルは口許だけで小さく笑った。救急患者専用の場所なのだと思われるフロアの隅に設置された簡易ベッドに横になっているヒカルは、ここで施された治療のことや、さっきまで病院にいたという上司について俺が想像していたよりもハキハキと話した。
でも、俺には昨日までのヒカルと比べて急激に弱り、疲れはててしまっているように見えた。ダルそうに投げ出された腕や、血色の引いた顔を目にしたら、この後一緒に家へ帰っても本当に大丈夫なんだろうかと不安になる。
長年の付き合いの中でヒカルの腕に点滴の針が刺さっている所を見るのはもちろん初めてだった。毎日一緒にいた子供の頃だって、具合が悪い時は回復するまでは会えなかったし、ほとんどヒカルは風邪をひくこともなかった。
よくよく考えてみたら、今までの人生で身近な人が倒れて救急車で運ばれるという経験だって俺にはない。だから、自分が思っているよりもずっとショックを受けているのかもしれなかった。
「ごめんね。ルイだって忙しいのに、わざわざ病院まで呼んじゃって……」
「バカ、俺じゃなかったら誰を呼ぶんだよ」
病人にバカはダメだ、とすぐに後悔したけど、ヒカルはどことなく嬉しそうだった。
「会社から、誰か家族に連絡をって言われてさ。両親だけは絶対やめて欲しいって、もううちの家族は解散してるからって、これを機に上司にいろいろ話しちゃった」
「うん、そっか……」
「だから、ルイが来てくれてよかった。俺には家族ってもういないから、こういう時に来てくれるのがルイでよかった」
ヒカルの両親については、今は二人とも遠くに住んでいるというからきっと連絡をしても迎えに来てもらうことは出来なかっただろう。両親には絶対連絡をしないで欲しいという言葉には、他にもいろいろな意味が込められているのだろうけど。
「ありがとう、ルイ」
「いいよ。……そうだ、俺に何かあった時はヒカルを呼ぶからな」
「そうなったら仕事も何もかもを放り出してすぐ行く。絶対」
「うーん……やっぱ、やめとく」
「なんで……!?」
ビックリした顔で目を見開くヒカルの反応があまりにも素直だったから、俺は少しだけ笑った。きっと、漫画だったらガーン、という効果音がついていただろう。いつもからかわれて遊ばれるのはたいてい俺の方だけど、想定していなかった扱いを受けた時のヒカルは大袈裟な反応をするからいじりたくなる。
熱中症、と聞いた時はいろいろなことを考えすぎて不安になったものの、ようやく普段通りの雰囲気が返ってきた。ヒカルが寝ているベッドの側を慌ただしく女性の看護士が通り過ぎる。そうか、ここは病院だったとハッとして顔を見合わせるタイミングまで一緒で、今度は二人とも目だけで笑いあった。
「……帰りたいなあ」
あと数分で終わるであろう点滴のパックを見つめながらヒカルが呟く。そうか、そうだよなと俺もぽたぽたと細い管へと落ちていく雫を見つめた。
このまま連れて帰っても大丈夫なんだろうかと思っていたことが少しだけ恥ずかしかった。仕事のことと限界まで酷使していた自分の身体のこと。ヒカルはなるべく普段通りでいようとしているようだったが、きっと心細くて不安に決まっていた。
「うん、帰ろう」
もうすっかりお互いの側が帰る場所になっている。自分には家族がいないと言うヒカルに本当は「俺は?」と声をかけたかった。血の繋がりを持つ両親とは違うかもしれないし、結婚しているわけじゃないから、ヒカルの思っている家族とは違うかもしれないけど……。俺はヒカルのことを「家族」だと思えるようになりたいし、ヒカルにもそう思って欲しい。
お互いが望んだらそういう関係にもなれるんじゃないかっていうことを俺はずっとずっと考えている。ヒカルが倒れたことで急に弱気になったからじゃなくて……。二人で生きていこうと選んだ時と同じように、もう少し前に進んでみてもいいんじゃないかって。だから、早く元気になれとこっそりとヒカルの右手を握った。
5
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
【花言葉】
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!
【異世界短編】単発ネタ殴り書き随時掲載。
◻︎お付きくんは反社ボスから逃げ出したい!:お馬鹿主人公くんと傲慢ボス
普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。
山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。
お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。
サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる