幼馴染みが屈折している

サトー

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【その後】幼馴染みにかえるまで

スクエア ワン

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 ヒカルから仕事中に倒れたという連絡が来たのは、やがて退勤時間だと俺が時計を気にしていた時だった。

 この中途半端な時間から新しい書類に手をつけてダラダラと残業することになるよりは明日しっかり時間をとろう。そんなことを考えながら、あとはメールのチェックをして、帰る準備をするだけだった。

 熱中症で救急搬送されて今は病院にいる、というメッセージを見た瞬間、頭が真っ白になった。急用のため退勤時間を待たずに帰ることを上司に伝えている時も、有休を申請している時も、気持ちばかりが焦って、一つ一つの動作に実感が持てずにいた。


『点滴が終わったら帰れるって』

 病院へ向かうタクシーの中で、再度確認したメッセージはそこで終わっていた。腕に太い点滴の針が刺さっていて、真っ青になった顔で目を閉じて横になっているヒカルの様子を想像しただけで、鼓動が早くなっていく。
 どれだけ気持ちが焦っていても、移動中の俺に出来ることは何もなくて、運転手からの「この先が混んでるみたいなんで、次の道で左折していいですか」という問いに、はいと返事をするだけだった。

 少しでも情報を得ようと、スマートフォンで熱中症について調べてみたものの、「最悪の場合死に至る」「後遺症」という文字が目に飛び込んできて呆然とした。
 違う、ヒカルはもう病院に運ばれていて、自分でスマートフォンを操作してメッセージだって送れている。家にだってこれから一緒に帰れるって言っていた……。
 あれこれと考えた後、結局俺は、原因や今後の予防策については二の次で、「大丈夫」だという情報を得て安心したかったのだと気がついた。

 今朝、出掛けていく時の様子は普通だった、と思う。

「今日は現場に行く前に一度会社の方に行きたいから」

 そう言ってヒカルが家を出たのは、俺がぐずぐずと冷蔵庫を覗き込んでいた時だった。俺はヒカルにどんな言葉を返しただろう。いってらっしゃい、と言ったような気がするけど、ちゃんとヒカルの顔を見ていただろうか。朝食にハムエッグを食べていったのは昨日だったか今日だったか……。いくら考えても、今朝のヒカルの表情や顔色についてはハッキリと思い出せなかった。

◇◆◇

「水分はちゃんと取ってた。でも、着工前の現場を歩いていたら、急に脚からがくっと力が抜ける感じがして、それからはもう立ち上がれなくて……」

 熱中症で倒れる人ってだいたい「水は飲んでた」って言うんだって、と言った後ヒカルは口許だけで小さく笑った。救急患者専用の場所なのだと思われるフロアの隅に設置された簡易ベッドに横になっているヒカルは、ここで施された治療のことや、さっきまで病院にいたという上司について俺が想像していたよりもハキハキと話した。

 でも、俺には昨日までのヒカルと比べて急激に弱り、疲れはててしまっているように見えた。ダルそうに投げ出された腕や、血色の引いた顔を目にしたら、この後一緒に家へ帰っても本当に大丈夫なんだろうかと不安になる。
 長年の付き合いの中でヒカルの腕に点滴の針が刺さっている所を見るのはもちろん初めてだった。毎日一緒にいた子供の頃だって、具合が悪い時は回復するまでは会えなかったし、ほとんどヒカルは風邪をひくこともなかった。
 よくよく考えてみたら、今までの人生で身近な人が倒れて救急車で運ばれるという経験だって俺にはない。だから、自分が思っているよりもずっとショックを受けているのかもしれなかった。


「ごめんね。ルイだって忙しいのに、わざわざ病院まで呼んじゃって……」
「バカ、俺じゃなかったら誰を呼ぶんだよ」

 病人にバカはダメだ、とすぐに後悔したけど、ヒカルはどことなく嬉しそうだった。

「会社から、誰か家族に連絡をって言われてさ。両親だけは絶対やめて欲しいって、もううちの家族は解散してるからって、これを機に上司にいろいろ話しちゃった」
「うん、そっか……」
「だから、ルイが来てくれてよかった。俺には家族ってもういないから、こういう時に来てくれるのがルイでよかった」

 ヒカルの両親については、今は二人とも遠くに住んでいるというからきっと連絡をしても迎えに来てもらうことは出来なかっただろう。両親には絶対連絡をしないで欲しいという言葉には、他にもいろいろな意味が込められているのだろうけど。

「ありがとう、ルイ」
「いいよ。……そうだ、俺に何かあった時はヒカルを呼ぶからな」
「そうなったら仕事も何もかもを放り出してすぐ行く。絶対」
「うーん……やっぱ、やめとく」
「なんで……!?」

 ビックリした顔で目を見開くヒカルの反応があまりにも素直だったから、俺は少しだけ笑った。きっと、漫画だったらガーン、という効果音がついていただろう。いつもからかわれて遊ばれるのはたいてい俺の方だけど、想定していなかった扱いを受けた時のヒカルは大袈裟な反応をするからいじりたくなる。

 熱中症、と聞いた時はいろいろなことを考えすぎて不安になったものの、ようやく普段通りの雰囲気が返ってきた。ヒカルが寝ているベッドの側を慌ただしく女性の看護士が通り過ぎる。そうか、ここは病院だったとハッとして顔を見合わせるタイミングまで一緒で、今度は二人とも目だけで笑いあった。


 
「……帰りたいなあ」

 あと数分で終わるであろう点滴のパックを見つめながらヒカルが呟く。そうか、そうだよなと俺もぽたぽたと細い管へと落ちていく雫を見つめた。
 このまま連れて帰っても大丈夫なんだろうかと思っていたことが少しだけ恥ずかしかった。仕事のことと限界まで酷使していた自分の身体のこと。ヒカルはなるべく普段通りでいようとしているようだったが、きっと心細くて不安に決まっていた。


「うん、帰ろう」

 もうすっかりお互いの側が帰る場所になっている。自分には家族がいないと言うヒカルに本当は「俺は?」と声をかけたかった。血の繋がりを持つ両親とは違うかもしれないし、結婚しているわけじゃないから、ヒカルの思っている家族とは違うかもしれないけど……。俺はヒカルのことを「家族」だと思えるようになりたいし、ヒカルにもそう思って欲しい。

 お互いが望んだらそういう関係にもなれるんじゃないかっていうことを俺はずっとずっと考えている。ヒカルが倒れたことで急に弱気になったからじゃなくて……。二人で生きていこうと選んだ時と同じように、もう少し前に進んでみてもいいんじゃないかって。だから、早く元気になれとこっそりとヒカルの右手を握った。
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