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【番外編】幼馴染みが留学している
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しおりを挟む教科書を机に置いて、講義が始まるのを大人しく待っていると、前の席にドカッと音を立てて座る奴がいた。
げ、と思って顔をあげると向こうもこっちを見ていたのか、思い切り目があってしまう。ソイツは、一緒に教室に入ってきた女を自分の膝に乗せて、目を逸らした俺のことをじっと見つめている。こんなふうに騒がしく入ってきて堂々と女といちゃつくなんて、昼から酒でも飲んできたのか、と思ったけど気づいてないふりをした。それが気に食わなかったのか、嫌みったらしく俺に聞こえるように膝の上の女へこう言った。
「おい、コイツの話す英語は可愛いから、よく聞いておけよ」
俺が顔を上げると女は気まずそうに愛想笑いをした。
◇◆◇
オーストラリアでの生活はとにかく忙しい。まず、独特だと聞いていたオーストラリア英語に慣れるのに時間がかかった。講義は朝から夕方まであるし、宿題の量が日本の大学と比べて半端なく多い。語学のクラスはいつもリーディングの課題が百ページ出された。語学クラス以外にも歴史や環境学、国際関係学等の講義も受けているから、そこからもそれぞれ指定されたテーマについてエッセイを書くように言われる。書くにしても自分の主張に根拠が必要だから、毎回少ないときで二、三冊多いときで五冊くらい参考文献を読まないといけない。
バイトも始めたいし、どんなに遅い時間までやっても一週間で全部をこなすのは到底無理だった。とりあえず、リーディングを優先して、エッセイを書く時はそれぞれの講義で関連性があるとこは使い回すようにしている。
ものすごく忙しいけどヒカルと話す時間は、大切だった。あまり日本人の留学生とつるまないようにしているから、俺が唯一日本語でリラックスして話せるのはヒカルとのビデオ通話の時だけだ。
ヒカルは始めの頃は泣いてばかりで、「コイツ大丈夫かよ」と心配になったが、心を鬼にして一度突き放した。
ちゃんと大学に行ってるかとか、また女と浮気をするんじゃないかとか、ちょっと心配だったけど、これでは俺もヒカルも一年なんて絶対に持たないと思ったからだ。そしたらヒカルはちゃんと乗り越えられた。
相変わらず「褒めてほしい」というアピールはすごいけど、でも、ちゃんと頑張っている。今、自分とヒカルが全く違う状況にいるからなのか、ヒカルの顔を見るたびに日本にいる時より素直にヒカルのことを褒めることが出来ていると思う。
留学生活が始まって二週間がたった頃だった。語学のクラス分けで一番難しいクラスに入れなかった時は落ち込んだけど、なんとか気持ちも切り替えていた頃だった。
歴史の講義が終わって、その日はもう寮に帰るだけだったから、教科書を片付けて支度をしていると、前の席に座っていた男が、急に振り返って俺の方へ顔を向けた。
話したことはないけど、知ってる、と思った。名前はレオ。俺よりも半年先にこっちへ留学している中国の学生。
レオは身長も高いし、顔もかっこいいからどの講義にいても目立っていた。スッと通った鼻筋と、いつも人を見下したような涼しげな目元が特徴的な顔。毎晩遊んでいるからいつも顔色が悪く、つまらなさそう、ダルそう、不機嫌そうで、講義もちょくちょくサボってはいるけど語学クラスは俺よりも難しいクラスを受けているしし、英語もネイティブ並みに喋れるようだった。
「……どうしてそんなに『了解ですっ! ハイッ! そうですっ!』みたいな喋り方をする?」
いきなりそんなことを言われて、戸惑ったけど、俺が英語で話している時のことを言われていると理解するのにそう時間はかからなかった。
それは、まだまだ俺の中で英語は第二言語だから、とすぐ頭に答えが浮かんだ。
日本の大学で、「そもそも日本人の学生は英語が下手と言うよりも、声が小さくて聞き取りづらい。もっとハッキリ大きく喋れば通じるのに」と外国人の講師に言われたから、なるほど、と思ってそう話すようにしていた。
だから、ペラペラ喋れるレオには不自然な喋り方に聞こえる……ということを言えばよかったんだろうけど、挑発するようにわざとゆっくりとした喋り方で言われたことにムッとして、つい言い返してしまった。
「そっちだって、いつもスカした喋り方だ」
レオはゆっくり目を細めた。表情が大きく変化したわけではないのに、瞳が冷たく俺を睨んでいて、イラついているのは明らかだった。
「誰がなんだって?」
レオはいつも取り巻きを連れて目立っているから、いろいろな学生から怖がられている。まず、いつでも他人に対して態度が威圧的だ。一人で座っているのに長い足を持て余しているのか、平気で二人分のスペースを使うし、パーティーではタバコを吸わない学生に、外で喫煙出来る場所を探させているのを見たことがある。
レオが主催……というか名前を貸してるパーティーは頻繁に開かれていて、本人は何もせずとも取り巻きを使って金と女を集めている、というのは有名な噂だった。同じ寮の友達から「いい思いをしたいなら、よく思われといて損はないよ」とレオを遠巻きに眺めている時に言われたことがある。
そういう人間とこんなふうに小競り合いはしたくなかった。というか目を付けられて面倒なことになるのが嫌だった。先に不快なことを言ってきたのは向こうだけど、謝るか迷っていると隣の席から別の声がした。
「私も前から思ってた。アンタの喋り方っていつもカッコつけてる」
俺もレオも声のした方を見た。
髪の長い、女子が俺の顔を見てニッコリと笑っていた。レオと同じ中国からの留学生? という雰囲気がした。彼女は「私たち気が合うね」と。言ってから愉快そうにケタケタ笑った。
女にそういうことを言われてプライドが傷ついたのかレオは舌打ちして席を立ち、その子もそれを見てから「じゃ、またね」と立ち上がった。俺は慌てて、カバンに教科書を詰めてからレオ……じゃなくて女の方を追いかけた。
教室を出てからどっちに行ったのかキョロキョロと周囲を見回すと、歩くのが思ったより早くてすでにずっと離れた所にいた。慌てて見失わないように追いかけて、追いつく頃には建物の外へ出てしまっていた。
中庭の隅で別の女の友達と待ち合わせていたようで、何か話している。名前、なんだっけ。語学のクラスは違うけど、でも歴史以外でも何か一緒だったような、いつも袖のない服を着ている人、と思いながらタイミングを見て声をかけようと俺は離れた所で待っていた。
彼女と友達は何かを話ながら、お互いの腕を絡ませたり、頬に触れたりしていた。遠目に見ると二人ともなんだかお互いに巻きついてユラユラと立っているように見える。
日本人と違って、友達どうしでも距離感が近いんだろうか。そもそも彼女はどこから来た学生なんだろう、とその時は思った。
なんとなく、二人がとても親密そうだったから、このまま見ていていいのか微妙な気分になる。また、別の機会に出直そうと思った時、「じゃあね、バイバイ」という声がして彼女が俺の方に歩いてくるところだった。
「あら」
さっきの、とでも言いたげな様子で彼女は俺を見て笑った。いつも講義中は座っているから、外で立っている時に会うと思っていたより背が高かった。向こうも「へえ、思っていたより背が低いね」と思っているかもしれない。
ジャイーの化粧は、俺の知っている日本の女がする化粧と違っていた。ピンクとかそういう色はほとんど使われていなくて、まつ毛と上瞼に引かれた黒いラインがやけに目立っている。可愛く見せようというよりも、自分を凛々しく見せるためにやっている感じがした。
「さっきはありがとう」
「ああ。アイツ本当に嫌な奴だよね。ねえ、名前なんだっけ?」
「ルイ」
「ルイ? 私はジャイーだよ」
「ジャイー?」
ノーノ―、と彼女は首を横に振った。結局、四回言い直しをさせられた。やけくそ気味でイを「イィ」って下から上に上がるように発音したらやっとOKしてもらえた。カタカナで書くと一種類の音になるけど、中国語はどうやらそうじゃないらしい。
強い風が吹いて、ジャイーの長い髪がバサバサと顔にかかっていた。髪の毛を手で押さえながら「場所を変えよう」とジャイーは俺の背中を叩いて促した。
建物の中に入ると、ジャイーは髪の毛をキレイに整えてから、「どうも、ありがと」と日本語で言った。俺は驚いて「日本語喋れるの?」と日本語で尋ねた。ジャイーはノーノーと首を横に振った。
「選択科目で少し習っただけ。全然喋れないよ」
こっちに着いてすぐに招待された留学生の歓迎パーティーで現地の学生に「日本から来たの? 俺、日本語喋れるよ!」と言われて、へえ、すごいと思ったら「スシ! ゲイシャ!」で得意な顔をされたのを思い出した。そうか、「喋れる」の基準が違うのか、と思った。俺は英語で「まだ英語はあまり上手く喋れません。聞き取りにくくないですか?」と丁寧に聞いて「英語、話せているじゃない」と変な顔をされることが多いから。
それをジャイーに話すと「わかるよ」と笑った後、「ランチ食べた? シドニーにしかない、珍しいやよい軒っていうお店があるけど行く?」とニヤリと笑って言った。
「……あんな高級店行けないよ」
「知ってる。ニッポンの有名な高級料理店だってね」
あははは! とジャイーは明るく笑い飛ばした。シドニーに出展してる日本のチェーン店は、たいてい日本の数倍の値段を払わないと食事が出来ない。日本で千円もしない定食がなんと二千五百円もする。
結局、高級定食屋に行くのは諦めて、学内のレストランでランチをした。タイ米で作られたチャーハンを食べながら、普段何を食べているかの話題になった。
「……朝はシリアル。夜はスシかチョコバー。高くて物が買えないし、日本と違って手軽に食べられるものがないから困ってる」
「果物を食べるといいよ。小さいリンゴとか、バナナが売ってるでしょ? 私も食べたくもないけどリンゴはよく食べる。皮のまま。マクドナルドとケンタッキーもよく行くから、五キロも太った。帰る頃には十キロは太るでしょうね」
ジャイーはそう言って自分の二の腕を触った。控えめに言って、そそられる腕をしている。柔らかそうで、つるつるしていて、呼び止めるとか、何かそういう理由をつけて触りたくなるような、腕。俺ともヒカルとも全然違う……と、思ったところで、なぜかヒカルのムスッとした顔が浮かんだので、視線をジャイーの遥か後ろに移した。
ピザ二切れ五ドル、ブルーベリーマフィンとコーヒーのセット七ドル、ジャパニーズドンブリ十ドル…。
毎日ここで食事をして、帰りにスーパーやセブンイレブンに寄って巻き寿司やサンドイッチを買っていたら破産してしまう。実家に電話をしたところで仕送りは絶対増やして貰えないだろうし、早くバイトを探さないといけない。
手っ取り早くカロリー取りたいから夜はべつに好きでもないチョコバーを食べている。本当になんとかしないと。
レストラン内はいろいろな国の学生で溢れていた。現地の学生を除くと留学生で多いのは圧倒的に中国系。ジャイーは台湾から来たと言っていた。マレーシア、インド、ブラジル……、ガヤガヤ騒がしいのに、心地よかった。
同じ英語なのに、よく聞くとそれぞれの国の訛りがある。 微妙なアクセントの違いを擦り合わせて、コミュニケーションを取れた時は嬉しい。相手と自分の育った場所の違いを、少しだけでも受け入れることが出来た気がするから。
ジャイーとは連絡先を交換して、その後も二人で何度も食事に行った。十回目ちょうどに中庭で待ち合わせた時、ジャイーはここで二人で会っていた女の子と手を繋いでやって来た。黒いツヤツヤとした髪の眼鏡をかけた女の子だった。
「ルイ、彼女は、ユーハンと言って、私のパートナーだよ」
ジャイーは迷いのない瞳でそう言った。俺は、なぜかこんな時でもヒカルと自分のことを考えていて、「そうか、今まで彼女いる? と聞かれてもしっくり来なかったけど、パートナーと言えばいいのか」と思っていた。
ジャイーと初めて話した日みたいに強い風が吹いて、木の上からクレープマートルの花びらが散った。あの日と同じようにジャイーの髪はバサバサになって、やっぱり「早く場所を変えよう」と言った。
「それは、すごくいいね」
「そうだよ、だから早く」
「あっ、違う……君達が、とってもいいね」
彼女達に言っているはずなのに、自分に言い聞かせるみたいにゆっくり発音した。俺も誰かに言って欲しかった。出来ればヒカル以外の誰かに俺とヒカルのことを「いいね」と。
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