幼馴染みが屈折している

サトー

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【番外編】幼馴染みが留学している

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「明日、友達とダイビングに行きたいから、スカイプで話せない」と言った時、ヒカルは顔色一つ変えずに「大丈夫」と答えた。……何かの間違えだと、俺はすごく驚いた。
 今までだったら絶対に「誰と行くの? 女はいるの?」と、聞いてきただろうし「話したかったな……」とものすごーく寂しそうな顔をして、俺に罪悪感を持たせるのに。

 やっぱり、最近ヒカルが変わった、と思う。
余裕が出てきたというか、大人になったというか。留学前にめちゃくちゃに荒れて、ふて腐れて俺への当てつけに女を抱いた挙げ句、子供みたいに泣いてすがって来た時と比べると考えられないくらい成長している。

 大学の方も真面目に行ってるみたいだし、周りの人との付き合い方も今までと違ってる。ヒカルが俺と付き合っていることをミナミに話したということについては本当に驚いた。「ルイは俺のだから」という、そういう馬鹿げた牽制とかじゃなく、「ルイのことを聞いてくれる人が欲しかった」という理由で。ヒカルのそういう気持ちには「わかるよ!」って心の底から共感できた。
 後輩のイオリのことも、しょっちゅう文句を言いつつも、面倒をなんだかんだ見ているようだし、ミナミの彼氏に憧れて、くっついて一緒に就就職活動を始めている。周囲の人とちゃんと関係を築いて頑張っているヒカルは、俺と二人だけ、ということに固執していたヒカルよりもずっと魅力的だった。だから。

「もう、触りたくなった? ……ほんとは、入れて欲しいの間違いじゃなくて?」

 俺は唸りながら、違う違う、と首を横に振った。ディスプレイの中のヒカルは最近切った髪の毛先を摘まんで弄びながら、うっすらと微笑んでいる。俺は大きな声を出さないよう、必死に歯を食いしばって、自分の性器を下着の上から触って、もどかしさに腰をくねらせてるのに。ヒカルは涼しい顔でただそれを眺めている。時々頬杖を付いたり、長い指の先の爪の長さを気にしたり、見えないけど……デスクの下で長い足を組み替えたりしながら。

「どうしても、直接触りたいなら、自分の指をしゃぶりながら一緒にしてみて」
「うん……」

 素直に頷くとヒカルは満足そうに目を細めた。


 ダイビングに行った日、ヘトヘトだったけど、快くヒカルが送り出してくれたのが嬉しくて、多少無理をして、その日もビデオ通話をしてしまった。その時、甘えるみたいに「一人でしてるとこを見せて」と言われて……。まんまとヒカルの口車に乗せられて言う通りにしてしまった。
 しかも、始めはものすごく抵抗があったのに、あれ以来もう何回かそういうことをしてしまっている。局部は映したことがないから、セーフ、ということにしてるけど。

 脱いだパンツを机に置けとか、パンツに射精しろとか、指をしゃぶりながらしろとか、「入れて欲しい」と言えとか、「なんで、俺がそんなこと」と言いたくなるようなことを毎回毎回させられるけど、結局ヒカルに従ってしまう。

「んっ、……ん、ふ……」
「気持ち良さそう……ねえ、俺のを咥えてる時のこと思い出す?」
「ふ、う……」
「ねえってば、気持ちいいのはわかるけど、ちゃんと反応して」

 しつこいから、仕方なく何度か頷いた。
 自分の指なのに、自然にフェラチオをする時みたいに舌を上下にスライドさせて、絡みつかせてしまう。くすぐったいけど、思いのほか、吸い上げる力が強いことに自分で戸惑う。今までヒカルのをこんなふうにしゃぶっていたのかな、と思うと顔にじわっと熱が集まる。こんな、興奮して喜んでいるみたいに、夢中でしゃぶりついていたんだろうか。

 イきたい、と思って手の動きを早めれば、意識せずとも口内の指に強く吸いついてしまって、それが性器への快感とリンクしてものすごく気持ちいい。

「んんっ、んぅ……」
「イキたいの? まだ我慢して」
「う、うっ……」
「奥まで咥え込んで、やらしいね……」

 違う、って反論したいけど指を吸っているから出来ない。
 ヒカルはうっとりとした表情でただ見ているだけだ。いつも、俺にばっかりさせて、自分は脱がないし、身体のどこにも触らない。通話を切った後、絶対に一人でしているんだろうけど…。

「可愛いね。何が欲しいのか言ってよ」
「んん……ううっ…」
「ふふ、自分の指で満足した?」

 違う、細い指じゃなくて、もっと違う別の何か。口じゃなくて、もっと別の所……。触っているのはペニスだけなのに、熱くてドロドロしたものが身体の奥で疼いているようだった。必死でそれを静めようとして内腿を擦り合わながら、お尻をモゾモゾと動かして、もがいた。

「……違う、ヒカルの、いれて」
「どこに?」
「あ、あっ、俺の中に入れて、奥まで……ほしい」

 ハッ、ハッ、という自分の浅くて早い呼吸がいやに耳に残った。今日は、パンツを汚さないで済む、ティッシュが欲しい……と思いながら、ヒカルの方を見ると、俯いてなんだか険しい顔をしている。眉を寄せて余裕のないような表情。胸から上しか見えないけど、自分のを触っているとしか思えなかった。
 二人とも無言だった。時々俺の足や椅子の肘掛けがデスクに当たって、ガンガン音を立てるくらいで、なぜかお互い声を出さずにゴソゴソしている。

「ルイ……」

 ヒカルが切なそうに名前を呼ぶ声を聞きながら、射精した。黒くした前髪の隙間から覗くヒカルの瞳には熱がこもっていた。

 終わってみると、またやってしまった、という気持ちになって恥ずかしいからいつもはそそくさと切り上げているけど、今日はお互い手を洗ったりして戻ってきてからもダラダラと通話を続けていた。

「通話中にヒカルが自分でしてるの初めて見た」
「……我慢出来なかった」
「なんで、いつも我慢をしてんだ?」
「内緒」
「通話が終わった後に、一人でしてんの?」
「まあ……」

 べつに見せるのが恥ずかしいというわけでもなさそうなのに。むしろ、俺が「一人でしてるところを見せて」と頼めば「いいよ、どこが見たいの?」ってどこでも晒してきそうな気がする。だから、絶対言わない。たぶん、俺が「わーっ! 映したらマズいって」と慌てるのを見て喜ぶんだろう。

「……早くルイを抱きたいよ」
「うん……」

 まだ、帰国まであと八ヶ月近くある。俺だって、早くヒカルに会いたいし、直接触れたりしたい。でも、そういうことを考えたら寂しい気持ちにキリがなくなるから、あんまり考えないようにしている。ヒカルもそれをわかっているからか、それ以上は何も言わなかった。

「おやすみ、ルイ。大好きだよ」
「うん」

「うん」の後に、俺も、とか大好きだよ、とかって言えば良かったんだろうか、と通話を終了してから思った。
 日本にいた時も英語で話す時は、帰国する留学生の友達に「Love you 」と簡単に言えたけど、ヒカルに対してはなかなかそういうことが言えない。さっき「大好きだよ」と言われた時、俺は確かに嬉しかったのに。ヒカルにも同じ思いをさせてあげれば良かった。

 ◇◆◇

 次の日、教室で宿題の見直しをしながらヒカルとのビデオ通話のことを思い出していた。いくら寂しいとは言え、「中に入れて欲しい」なんて自分で言ってしまった。欲求不満、という文字が頭に浮かぶ。
 ヒカルと付き合うまで二十年間セックス無しで生きていたのに、付き合って一度覚えた途端こうなるってどういうことだ。ヒカルの勝ち誇った顔が想像出来て、ちょっとイラっとした。

 ヒカルとの関係は離れてても上手くいってるし、アルバイトも始めたし、友達だって出来た。みんなと放課後に勉強したり、アジアンスーパーに一緒に買い物へ行ったり、とにかく、オーストラリアでの生活は順調に進んでいる。
 ある一点を除いては。

 突然前の席の椅子が乱暴に引かれて、俺の席にバン! と思いきりぶつかった。
 目の前に立っている奴を睨みつけると、向こうの方もスゴイ顔で睨み返してきた。「テメーがこんなところに座ってるのが悪い」とでも言うかのように。

 レオのことは本当に嫌いだ。

 ちょっとした言い合いをして以来、俺のことが気にくわないらしく、しつこく絡まれていた。
 関わりたくないのに、同じ授業の時は必ず俺の前後か隣の席に座って嫌なことを言ってくる。それが本当に不愉快だったから、一度授業が始まるギリギリに教室に行き、周囲が人で埋まっている一番前の真ん中の席に座ったら、後ろからにゅっとやってきて、俺の横に座っていた人に「代われよ」と言って無理やり席を交換したことがあった。その日は「え、キモイ……」とただただレオのことが気持ち悪くて、全然集中出来なかった。

 良く思っていないなら放っておいてほしいのに、いちいち側にやってきては不快になるようなことを言う。俺も、こんな奴になんでこんなこと言われないといけないんだろう? って本当に腹が立つから毎回言い返している。
「女を抱かせてやるからパーティーに来い」と言われた時に、「バイトがあって行けない」と断ったら「こんなとこまで来て働いてんのか? 貧乏くせえな」とバカにされた。
 レオは元々お金持ちの家の子供らしくて、寮には入らないで普通に部屋を借りてゴージャスな留学生活を送っている。毎日遊んでばかりのくせに、と思って「バケーションで来てるお前とは違う」と言ったら、舌打ちされた。

「お前の英語は訛りが酷い。"Japan"ですら、まともに発音できてないし、ライスは米じゃなくて、シラミに聞こえる」とかそういう、本当に嫌なことも他の人に聞こえるように言ってくる。俺はLとRの音の発音の違いが苦手だ。お米のriceとシラミって意味のliceがちゃんと言い分けられていないのは自分でもわかっている。でも、本当にムカつく。
 この時はかなり腹が立ったから「じゃあ、もう話しかけないでくれ。お前のことが大嫌いだから」と言い返した。その後、一人で歩いている時に、また近づいてきて「さっき言ったこと、気にしてるのか? ……マジメかお前」とだけ言ってきたのも訳が分からなくて、気味が悪かった。

 レオは中国系の留学生からは圧倒的な支持を集めていた。「なぜ?」と思うけど、同じ寮の友達は「レオは、ルイが厳しい態度をとるからあんなふうなことを言うんだよ。レオは優しいところもあるよ」と言う。「優しいって何が?」と聞くと「女も紹介してくれるし、パーティーの準備を手伝えばちゃんとお金を分けてくれるし」と言う。それって優しいというより自分の思うように人を動かしたいから、たまに良い思いをさせてやってるだけなんじゃ? と思い、ますます嫌いになった。

 今日は机に椅子をぶつけられたくらいで、隣の席の取り巻きと何か話しているようだったからまだいい。このまま、俺に話しかけないでほしい、と思いながら宿題をやっていると、レオが何か話しているのが聞こえた。

「この授業は受けるに値しないクソみたいな内容だ。……教授のサイモンとか言ったな。アイツは絶対ゲイだぜ。気色悪い、吐き気がするな」

 レオがそう言うと、取り巻きは大げさに笑った。

「……お前もそう思うだろ? 笑えよ」

 聞こえていないフリをしたかったが、机を神経質そうに鋭く尖った指でコツコツと叩かれて仕方なく顔を上げた。「笑え」とレオの口がもう一度動いたが、目が全く笑っていなくて恐ろしい表情をしている。
 もしかしたら、俺がほんの少し口の端を上げるだけで納得してくれたかもしれない。けれど、俺はこの授業が好きだったし、サイモン先生のことも好きだったから、レオの言う通りにはしたくなかった。

 サイモン先生は、オーストラリアの近現代史の先生で、先住民族やアフリカ系難民への差別の問題について丁寧に教えてくれた。先住民族の高い自殺率や、貧困、平均寿命が短いこと等を初めて知り、とても興味深かった。「奪われたり、虐げられたりしている人について、知ろうとしないことはとても無神経で恥ずかしいことだった」という気持ちになった。
 俺も……もしかしたら無神経なことで今まで誰かを傷つけたり排除してきたかもしれないと思うと、歴史について深く知るのはとても怖いことだ。
 でも、俺は……いろいろな人についてもっと考えたかったし、例えば、俺とヒカルがどうやって生きていけばいいのか、と考える手立てにもなるのでは、と思っている。
 勇気を出して授業の後に「先生の授業で勉強したことについてもっと学びたいのですが」とサイモン先生に尋ねたら、いっぱい本を貸してくれた。到底理解出来ないような難しい本もあったけど、語学の次に熱心に勉強しているところだ。

 そもそも、レオは何を思ってサイモン先生をゲイだと言っているんだろう。物腰は静かで柔らかい人だけど、べつに見た目はどこにでもいる男性だ。仮にゲイだったとして、なぜレオにそんなことを言われないといけないんだろう。

「……全然、笑えない」

レオの表情は見る見る曇っていった。

「テメーは一から百まで全部マジメに答えないと気が済まないのか?」
「そっちだって、俺にいちいち突っかからないと気が済まないのかよ? 迷惑だからやめてくれ」

 俺が声を荒げた時に、後ろからジャイーが「クソ野郎の声が聞こえると思ったら、ルイとまたケンカしてるの?」と入ってきて、そこで中断した。

 今日の授業はオーストラリアの同性婚の合法化についてだった。
 性的マイノリティに対する政策の変遷が主だった。……同性愛行為の非犯罪化が1976年から1990年にかけて段階的に行われた、という部分には少しドキッとした。今よりもずっと昔に産まれていたら俺とヒカルは、と一瞬思ったからだ。

 空港に着いた時や、街を歩いている時に普通に同性どうしで寄り添って歩いたり、ハグをしているカップルをオーストラリアではたくさん見かけたけど、それでも同性婚が合法化されたのは2017年。世界では24番目。

 日本はあと何十年かかったら、そういう国になるんだろう。絶対に、異性愛の人の安全を脅かしたりなんてしないのに、よくわからないことをみんなが心配し続けているから、あと十年経っても「同性間の結婚は想定していない」という理由で裁判で粘っていそうな気がする。

「先生はゲイですか?」

 授業の終了間際にレオが突然先生へそう質問した。みんな、引いていた。レオの取り巻きですら笑っていなかった。

 そんな空気を感じ取っているはずなのにレオは堂々としたまま、俺の方を振り返った。コイツ、俺の反応を見るためにわざとこんな質問をしたんだ、ってすぐわかった。
 無言で睨み付けると、口の端を上げて笑いかけてくる。後ろからジャイーの「ルイ」という鋭い声が聞こえた。たぶん、呼ばれてなかったら殴っていたかもしれない。

「はい、そうですが」

 サイモン先生は全く動じずにレオを見てそう答えた。

「言っていませんでしたが、私はゲイです。独身の。……で、どこまで、進めましたかね」

 先生は「今、テキストの何ページですか」と生徒から聞かれた時くらい、あっさりしていた。
 もう、そんなことは人生で何回も聞かれていて、それにまつわるいろいろな事をとっくに乗り越えてきたから、そんなことで取り乱したりしない、とでも言うように。

 レオがキレるんじゃないかと思ったけど、ああいうふうに自分のアクションを受け流されることに慣れていないのか、スカした態度は維持したまま、ふて腐れていた。

 自分が恥ずかしくなった。俺は、先生がゲイであることがみんなに知られてはいけない秘密だと勝手に思いこんでいたから、レオに対して激しい怒りを覚えた。

 けれど、先生にとってはそれは当たり前のことだった。そもそも、ゲイであるということを、隠さないといけないのがおかしいことなのに、自分の中にまだ人間は異性愛であることが正しくて当たり前で、男を好きなのは間違っているという思い込みがあるようで嫌だった。自分自身がヒカルとの関係を否定してしまっているようだから。


 残りの時間、俺は先生がなんでわざわざ「独身」だって言ったのか、考えていた。……たぶん、同性婚が認められるまでは、結婚したくても出来ないのが当たり前だったけど、今は自分の意思でそうしているってことなんじゃないだろうか。

「結婚という制度に縛られなくても、一緒にいられれば幸せ」というのは、結婚してもいい、しなくてもいい、っていう選択出来る自由があって、初めて成立すると思った。



 授業が終わった後、ジャイーからはなぜかキツく注意された。「ルイ、レオに負けたくないという気持ちはなんとなくわかるけど、ああいうのは全部相手にしなくていいの。どうしても悔しかったら十回に一回言い返すくらいでいいんだよ。ああいう奴は、ルイがいちいち真面目に相手をしてくれて構ってくれるのを喜んでいるだけなんだから」と。

 納得できなかったけど、頷いた。
 正直、女で一歳年下のジャイーにケンカの度にかばってもらうのはみっともなくて俺は少し嫌だったし、ヒカルにも「いじめられてるの?」って心配されているから、とにかくあんな最低な奴はもう絶対相手にしないでおこう、って決めた。


「あんまり構うとあなたの恋人がやきもち焼くよ」

 最近、ジャイーには「日本に男の恋人がいる」と打ち明けたばかりだった。早速そのことをいじってきたわけで、俺は苦笑いしながら「…それですんだらいいけどね」と答えた。


「ルイの彼、嫉妬深いの?」
「君の想像してる二百倍くらいは」
「わあ、本当に?」

 ジャイーは、それは大変、と言いながら、あはは! と笑った。冗談だと思われているんだろうけど、俺は本気だった。

「そうじゃなかったとしても、あんな奴と何かあるなんて絶対に嫌だ。大嫌いだから」
「それもそうだね。私達は自分の大好きな人の前だけで奔放だからね」

 ジャイーはよく言っていた。「なんで、私が女が好きと言うと、誰彼構わず女にベタベタしている人間だと思うのかな。私はレズビアンであることを隠したくないけど、無神経な決めつけは大嫌い」と。俺は、彼女が普段、人と接する時とても気を遣っているのに気付いていた。俺と写真を撮る時でも、一定の距離を保ってニコニコしていることも。


「……今日は腹が立ったから、夜ヒカルと話そうと思う」
「そうだよ、それで、あなたが大好きだよってたくさん言ったらいいよ」

 今度はさっきと違って、心から納得して頷けた。



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