【メフィスト賞選評作品】上海千夜一夜物語

すえひと

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第一蓮

第一連・承句 ニッポン (1)

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一気に投稿しようと思ったのですが少し長かったので2分割です。続きは夕方ぐらいに投下します。


第一連・承句 ニッポン                  

View point of 李自成

 昼下がりの教室、洋々たる大空は窓から遠く高く広がりを持っている。矮狭たる教室は太空から遠く低く閉じている。響くのは眠たげな教師の声。

「皆さんは既に中華が一つの世界を形成してきたことを学んできました。文明とは中華であり、その辺境に広がるのは無知蒙昧の野蛮さだけでした。そして私達の文明精神の使命は秩序と文明をかような愚昧(ぐまい)な者達に遍く行き渡らせることでした。いいですね?」

 何度と無く聞かされ続けた物語だ。政府広報は事あるごとに壮大なドラマ、例えば武帝の征服、張騫の冒険、永楽帝の大遠征の物語を再現するし、大人たちもよく引用する。それらの物語は誇りと夢で胸を高まらせてくれる。とはいえ、授業で聞くのはいささかに退屈すぎるのだけれども。

「しかしながら、これも既に授業で触れたとおりですが、革命暦マイナス150年ごろより、異怪の西洋諸国が突如として現れ、輝ける私達の文明の基盤に傷をつけました。皆さん知っての通り、この時代のことを『国恥之百年』と呼びます。更に続く50年は東夷の擾乱(じょうらん)によって天下安寧が脅かされ続けた『軛(くびき)之五十年』でしたね」

 メガネ型端末のフレームがプルプル震えてメッセージの着信を伝える。机上端末を操作する振りをしながら中空に浮かび上がる立体コマンドを操作して電子手紙を開封する。

 『今日もいつもどおりだよね?最終段階だ!』

 前の席に座っている張楚歌の背中をチラッと見る。かなり太めの彼は机上端末をいかにも興味津々ですよっという体で縮こまって覗きこんでいる。

『ああ、うまくいくといいな』

 音を出さずに口を動かして入力する。すこし心臓が鼓動した気がした。

「三次に渡る中台協約の結果台湾の賊逆は服属し、こうして一度分たれた民族は統一されたのです。
残る地域は憎き怨敵、小日本だけでした。しかし、革命暦百二十五年、東京和約によりこの島嶼地域は栄光ある我が国の一部となり倭自治区として再編されました。
さて、今日の本題は東京和約の中身ですが、和約に先立って小日本政府は二十一箇条の要求を提示し、併合の条件としました」

 教師が端末を操作し、個別の机上端末に表示される。相変わらず、読み上げるだけのつまらない授業だ。

「曰く、食料供給の保証、独立サーバーの維持、政治的に完全な自治、国体護持などです。これに対して私達の人民党政府は大中華的伝統に則って大度を示し、我らの寛容によって蛮人達を受け入れたのです。ここで重要なのは、小日本が要求していた国体護持、彼らは不遜にも天皇などという王を時代錯誤にも戴いていたのですが、を再び大中華の臣下として倭国王に封じたことです。これは八百年来の偉業であり、これを以って現施政権が史上最も偉大な中華の継承者であることが証明されたとされます」


 学校が四時に終わり五時過ぎ。夕闇が近づく窓を見ながら少年は待っていた。
上海の延安西路、李自成の家は十五階建てのマンションの三階だった。彼の父は上海のウェブセキュリティを司る電脳世界安定公司の社長だった。一階と二階は父の副業であるウェブカフェになっている。

 インターホンが鳴る。モニタの向こうには男女三人の友人がいる。
オートロックを解除して彼らを招き入れる。毎日のように遊びに来る連中だけあって家の間取りを完全に把握している。最初に入ってきたのは淮天衣だった。
赤いアンダーフレームのメガネ型端末が印象的で、切りそろえた髪の毛を校則通り頭の後ろでざっくり括っている。おしゃれといえば眼鏡くらいのおもしろみのない班長だった。

「いよいよだね?」

 開口一番口を開いたのは張楚歌。毎年健康診断で引っかかって今年辺り危ないんじゃないと噂されている肥満気味の少年だった。父親は上海道路委員会の委員長でなかなかやり手の党員らしい。楚歌の眼鏡型端末は肥え太った顔に埋まるような銀色のノーフレーム型だ。
そして、彼の肥満体の影に隠れて、気の弱そうな少女、林碧海が入ってくる。

「ああ、見てみろよ」

 部屋の収納部分に案内する。そこにあるのは黒々とした穴。この三週間の成果だ。
奇妙なことに上海の政界に顔が利く多くの人物たちがわざわざインターネットカフェを利用するためだけに自分の父の経営する店に来る。そもそも十分に裕福な電脳世界安定公司の社長でありながらなぜインターネットカフェを経営しているのか。
その問に気が付いた時から延安第二学校中等部三年第二班の四人はこの二週間毎日李自成の部屋に通い、各々持ち寄った小さな大工道具で床に穴を開けていたのだ。穴は下の階のインターネットカフェのメンテナンスルームに目論見通り通じ、今やそこから何本かのコードが李自成の部屋に穴を通って通じている。

「ほんとうに、やるの?」

 そういったのは林碧海。天衣とは真逆の気の小さな女の子だ。ニキビ顔を気にしていつも誰かの影に隠れている。ちょうど今も天衣の背後からだった。そしてニキビを隠すために少し大きな白色のメガネ型端末を使っている。だから、彼女の白い肌とうまく調和して白い眼鏡型端末の印象は他の奴らよりもいくらか薄かった。

「ああ、もちろんだ。ちゃんとみんなヘッドセット用意してきたか?」

「もちろんよ」

 眼鏡型端末に完全に接合するヘルメット型の電子演算器だ。革命暦百年頃から普及し始めたらしい完全没入型の電脳世界へ連れて行ってくれる端末だ。

「よし、ここに五人用のハブをパクってきたから、それぞれの端末を有線接続に切り替えてウェブケーブルを差し込んでくれ」
「ここだな」
「じゃぁ、いくわね」
「う、うん」
「ちょっとまって、うまくヘルメットに頭がはいらないよ」

 天衣が楚歌の丸々とした頭をヘルメットに無理やり押し込む。


 一番最後に自成が電源を入れる。一見するとそこは何も変わらない自成の部屋だった。ただ塵一つなく、シミ一つない。新品のような部屋だった。全員学生服のままだ。学校でログインして以来着替えていなかったのだ。慌ててコマンドを操作し、それぞれの私服に着替える。

 部屋は同じといっても、ここは既にヴァーチャル電脳世界。シミや塵はあるはずもなく、各人は各人の好みで法の枠組みの中で指定されたパーツの組み合わせから選んだアバターに変わる。
李自成は眼鏡型端末をしていないことを除けばさして変わらないビジュアル。党が現実の自分と似せたアバターを作ることを推奨しているためだ。ただ、髪が少し伸びて服装はゆったりとした深い蒼の漢服だった。

「みんないる?もう一度有線モードになっているか確認して」
「うん、問題なさそう」

 楚歌は現実とは正反対の長身痩躯で大人っぽい外見。スーツがさらにその印象を強める。
「私も大丈夫ね」
 天衣は身長が三〇センチほど伸び、アバターの状態でも赤いアンダーフレームのメガネをかけている。髪は完全なショートで紅と黄の漢服でパリっときめている。

「こっちもできていると思う…」
 そういったのは碧海だ。いかにも時間かけて組んでいますという丁寧な作りのアバターだった。天衣と比べるとずっと女の子っぽい丸いフォルムを意識して作られ、出るところも出ている。もちろんニキビなんてあるはずもなく、赤い胡服(チャイナ服)を着ている。

「さて、どうなっているやら」

 自成は自分の部屋の扉を開く。通常なら扉の向こうは上海第三サーバーの共有ポートである延安公園であるはずだった。扉に手をかけた瞬間、期待にドクドクと血がめぐる音がした。ノブを握る手が少し震える。さぁ、この二週間の努力の成果を今試そう。

 とは言え、失敗している可能性のほうが高いことも知っている。今自分たちがやろうとしていることは普通のことではない。大人たちと彼らが作った秩序はいつだって堅固で厳然として変わらないものだった。それでも平凡な日々を変えて、自分達だけの可能性を掴みたいから自成達はこの二週間努力してきたのだ。恐らくうまくいかないと知りながら。ひょっとしたら、ここに至るまでの過程、相互の協力や知恵を出し合う工程こそが心地よかったのかもしれない。それでも、この扉を開けずにはいられない。千に一つ、万に一つとはいえども可能性はあるのだから。

 失望を覚悟して少年、李自成は一息に扉を開ける。
 しかし、予想は裏切られ、期待は膨らまされる。扉を開けた先にあったのは大なる鉄扉(てっぴ)。

「暗証番号とか必要なのじゃないかしら」

天衣がいう。たしかに、文字入力のための電子キーボードが各人の目の前に現れる。

「たぶん〇七二四だ。うちの親はいつも、僕の誕生日でパスワードを決めるから。」
「ザルね。行けたわ」

 天衣が言うか言わないかという次の瞬間再び扉が現れた。
 結局、四重の扉を超えねばならなかった。パスワードはすべて家族の生年月日。

 四つ目の扉の向こう側、
重々しい鋼鉄の扉が開いた瞬間、まばゆい光が全員のまぶたに入る。そして、強い風、そこは海だった。大海岸辺を知らず、ただ茫漠と広がるのみ。白い波が際限なく泡立ち、底の見えない深い青が足元に浮かんでいる。それはにわかに心をかき乱す光景だった。自分たちの姿は世界から見ればこんなにもちっぽけなのだと脅かすような光景だった。海原は広く、その広さは平原のそれとは違う。その壮大さは峻厳なる山々ともまた違う。どうにも自成達には馴染みのないもののように思われた。どうにも居心地悪く、心細く感じたのは自成だけなのか、それともそこにいた面々全てだったのか。

「あ・・」

最初に口を開いたのは楚歌だった。

「メニュー画面を開いてみて、時計が、時計が違っている」

 空をピンチして自分のホーム画面を開く。海原を背景に複数の透明のウィンドウが開き、接続状態や成績状態、電子手紙の履歴、お気に入りのニュースなどを表示する。端の方に通常現れる時計を見れば、一目瞭然、自分たちは既に既知の世界を越えたのだと。
そこに表示されているのは西暦二一五〇年六月四日太平洋標準時十八時となっている。通常、この時計に表示されるのは『革命暦』であって『西暦』ではない。だから、自分たちは国家を囲む電脳空間の縁、金長城の外にいるのだと、そう理解した。

「本当に、来ちゃったんだ…‥」
碧海が哀れっぽい声を出す。

「あら、こんな経験めったにできることじゃないわよ。愉しみましょうよ」
 そういった天衣の声も又、震えてかすれていた。人一倍責任感の強い彼女のことだ。どれだけの葛藤をその胸に抱えているのか知れないと自成は推測する。それでも彼女は自分たちとともに来た。大人たちの世界に挑戦し、既知の外、平凡の外側に抜け出したいと彼女も又思っていたのだ。彼女の胸も自分のこの胸ほどに高鳴っているのだろうか?

「天衣の言うとおりだよ。全国の中学生の夢を僕たちは叶えているんだよ!」

 楚歌の言うとおり。確かに、全土を囲む政府のアクセス管理システム金長城(Golden Great Wall)を超えるのは全国の中学生たちの言葉にならない希望だった。その外にはまだ見ぬ面白いゲームがあり、そして試験も学校もない楽園が広がっていると信じられていた。しかし、金長城は難攻不落、それを超えるということは国家の敵、社会の害悪、党の憎悪の標的となることでもあった。だから、大半の中学生たちは何度か夢に見て、そして与えられた娯楽を楽しみ、気がつけば忘れているのだった。夢を見たことすら。

 でも、自分たちは超えた。世界は与えられるものではない、自分たちで探索し、作り上げるものだ。そしてまさに自分たちは成し遂げたのだ。かつて玄奘三蔵が国家の禁を犯して化外の地を旅したことと同様の偉業を四人で今まさに始めているのだ。
 
「接続サーバー名のところ開けるわ」
 天衣が叫ぶ。確かに左上の接続サーバー名は普段の上海第二接続ではなく、パシフィックセントラルサーバー・ツバルと表示されている。クリックしてみると通常表示される接続環境に関するデータではなく接続可能サーバーが表示された。

「東京、ロサンジェルス、ワシントンDC、ニューヨーク、シドニー、パレンバン、カルカッタ、マレ、北京、上海、バンコク、どこにする?」
楚歌が読み上げる。

「希望ある?」
 自成が聞き、答える声はない。それは彼にとってもよく理解できることだった。それらのサーバーに接続するということがどういうことなのか全く想像がつかないのだ。躊躇し、戸惑う気持ちは四人皆同じ。いわんや、今まで外国についての情報などほとんど知らないのだ。知っていることといえば、アメリカが衰退した帝国でその都がワシントンであるということぐらいだ。かと言って北京やバンコクといった国内に接続するのはリスクを伴う。その向こうに政府の官吏が控えていない保証などどこにもないのだから。

「東京なんか、どう?ほら、今日授業でやったし、サーバーの独立がどうとか、」
 自成は今回の首謀者として無理に明るく言い、
「自治区なら、国外と接続するってわけじゃ…ないし」

碧海が天衣の影からそっという。

「そうかしら?それに、ツバルってここたぶん既に国外よ」
天衣がツッコみ、
「行こうよ、東京。日本製ゲームは一時期世界を席巻していたらしいじゃん」
楚歌がいった。異議はない。

「じゃぁ、東京にしようか。一斉にログインしよう」
 そして最終的に再び自成が確認し、それぞれが頷いた。
 いちにのさんで息を合わせてログインする。上海を南東に数千キロを飛んだ彼らの情報は南太平洋で方向を変え再び北西に向かう。U字を描いた彼らの情報は大洋を超えて、大気圏すら超えて縦に横に数千キロを征く、不安と興奮を載せて。
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