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第三連
第三連・結句 憎悪習慣(下)
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View point of林碧海
壇上には性別も年齢もバラバラの十六人が立たされている。みんな青ざめて震えている。すぐに先生方が、一人一人に札をかけていく、そこには『私は試験で不正をはたらきました』とか『私は学び舎の風紀を大いに乱しました』とか書かれている。そして今にも泣き出しそうな楚歌君にも『私は反動豚になりました』と書かれた札がかけられる。
私も同じように生徒たちの列の中で震えていた。初めてだ、私の知っている人がこうして弾劾されるのは。もう十年以上一緒に学んできた親しい友人だっていうのに、昨日まで同じように学んでいた級友だというのに、今はもう『敵』と『味方』。私は咄嗟に自分があの壇の上に立たされている姿が思い浮かんでしまった。
私より自信家で、御両親も偉大で、新しいことも辛いことも恐れない楚歌君がこうして、背反者として糾弾されている。それならきっと私にもその可能性はあるのだろうと思う。いつも成績表には十分に積極的に祖国への感情を適切に表現できていないって書かれてしまうし…。
「ではまず皆さんには自己批判を行ってもらいましょう。各々五分ずつです。その間に、自分の犯した罪を認めて、党と国家と人民に謝罪してください。そうすれば、寛大なる党は更生の機会を与えてくれるでしょう」
憎悪習慣が始まった。最初に名前を呼ばれた人が震える声で叫ぶ。
「せ、先週の、かっ書き取り試験で、筆入れの中に解答を密かにもちこみました。こ、こんな俺は、俺は、中華人民の面汚しです、恥さらしです、屑です…」
延々と繰り返される自己否定の文言が私の気持ちを更に暗くしていく。拒否すれば処刑、声が小さければやり直し、自己批判が不十分ならやっぱりやり直し。しかも、しかも今日の罪状の理由はみんなあまりにも軽すぎる。たしかに、試験の不正行為は禁止されてるけど書き取りの小試験なんかで不正を働いて弾劾されるなんて聞いたことがない。これが、これが新しい校長先生のやり方なの?私は天衣の指をぎゅっと強く握る。
そして楚歌君の番が来た、沈黙の講堂。今にも崩れ落ちそうな楚歌君。
「ぼ、僕は、僕はデブでしたぁ!欲望を支配できませんでした!人民にふさわしくない体型のまま十数年生きてきましたぁ!…」
上ずりながら絶叫する楚歌君の絶望的な叫び。聞き慣れた声がいつもと違うところからする。それだけで、こんなに陰鬱で暗いのだと初めて私は知った。もう取り戻せないこの距離。救われない楚歌君に対する灰色の哀れみ、次は自分の番かもしれないという哀れっぽい褐色の恐怖。私は、もう崩れ落ちる寸前。私は懸命に自分の熱をもっていく涙腺を抑えようと努力した。ここで泣き出したら、私は賊逆に共感していると思われちゃうよ。
トン、と何かがうつむき加減だった私のおでこに当たる。天衣の背中だった。班長が半歩だけ後ろに下がったのだ、私の腕を引き寄せながら。ああ、たぶんこれは。私は班長に寄りかかってその制服に顔を押し付けて声を押し殺して泣き始めた。嗚咽は壇上のみんなの自己糾弾の声に消されて聞こえない、少なくともそうであって欲しい。私はどんなに涙腺を抑えても止まらない涙を班長のよく糊の効いた制服の背中に押し付けた。何度も何度もそうやって静かに慟哭した。班長以外の誰にも気付かれないように静かに泣き叫んだ。
もしかしたら、この会場に同じように泣いている誰かがいるかもしれない。でも私達は絶対にお互いを見つけられない、見つかった時には、きっと私達はあの壇の上に立たされているから。
ふっと天衣が腕に力を入れて、半歩前に出る。既に壇上では自己批判は終了していた。みんな絶望的な表情で立ち尽くしている。ほとんど壇上のみんな未だになにが起きたのかわからないように可哀想な表情を浮かべて中空を視線がとめどもなくさまよい続けているようにみえる。
「ではみなさん五分間憎悪の時間に入ります。ここにいる憎むべき不埒な奸賊達も皆さんの怒りを知って反省するでしょう。そして将来素晴らしい人民として更生するでしょう。そのために、みなさんおもいっきり声を出して糾弾しましょう。その怒りの声が彼ら、裏切りの旧友たちを紅く染め直し、真人間に更生させるのですから。さぁ、彼らの名前を君達はなんと呼ぶ!」
校長が拡声器に向かって怒鳴る。そして私達は一斉に声を上げた
「「「売国奴!売国奴!反動主義者!白色テロ!殺せ!削げ!引きずり出せ!」」」
あとは各々あらん限りに声をふるいあげて叫び始める。轟々たる怒声、飛び上がり、地団駄を振り、腕を振り上げてあらん限りの憎しみをみんな表そうとする。耳をつんざく女子の金切り声、岩をも砕く男子の怒鳴り声!誰一人憎むことに躊躇はなく、講堂はまるで戦場のような狂気に包まれる!
いつもなら、私も私なりに声を振り絞って、飛び上がって叫んでいる。でも、でも今日は、今日はそんなふうにできない。だって、あの壇の上に立っているのは私の友人なんだから。ふと、後ろから衝撃が来る、自成君が振り上げた拳が私の肩にあたったから。
えっと思う、どうして自成君が?よくよく聞いてみれば、後ろから聞き慣れた声で、「吊るせ!射殺しろ!火刑だ!死ね!」っと憎しみの怨嗟が聞こえてくる。私は混乱した。そして前を向いて驚愕した。班長があたかもいつものように地団駄を踏みながら、「祖国の敵に死を!死を!死を!死を!」っと喉を震わせて鋭く怨嗟の言葉を口にしていたから。
私はぞっとした。冷たい冬の風が吹き込んできたように、その場で凍りついてしまった。その様はあのトウキョウのラストミッションを思い出させた。友はいなくて、誰も助けてはくれなかった。手の届く先にはいつもの日常、けれども絶対にそれは届かない。容易く失われた関係は二度と戻らない。あの時、私は最終的に天衣の事を思い出した。彼女がきっと私を救い上げてくれる、たとえ幾千万の孤独だったとしても。そう信じればこそ私はあのミッションをクリアできたのに、目の前で班長が積年の友人を罵倒している。そんな悲しい光景、私に見せないでよ。もし、もし万が一、私が同じ目にあったとして、やっぱり班長はいつもの様に憎悪を私に向けられるの?
私は悲しくて、やりきれなくて、班長に無我夢中でしがみついてしまった!だって、だって、私達まで楚歌君を貶めちゃったら、もう彼は救われないのだから!そんな非道な行いがあっていいはずがない。中華は義と仁の文化だって私学んだんだよ。それなのに、どうしてこんな事になっちゃうの。
「仁愛は地に落ちて、四面皆楚歌す。『いずくんぞよく身の察察たるをもって、物の汶汶たる者を受けんや』」
無我夢中で私は班長に叫んでいた。私らしくもない重い言葉の引用。ただ過去だけが私のそして私達の武器なのだから。だから、楚歌君はこんなことに値する罪を犯していないのに、どうして私達が彼を侮辱するのか、人道の理も仁義の道もすべて堕ちてしまったのかっと訴える。それは私達自身が罵ってしまったら私達の長年作り上げてきたものが汚れてしまうという恐怖。私達が学んできた中華の精神はいったいなんなのかと。どうして友人一人救うことすらできないばかりか、彼を侮辱しなければいけないのかと。
班長が私の手をゆっくりと振りほどきながらいう。こんな時なのに、彼女の手は温かくてさらさらしている。
「『聖人は物に凝滞せずして、よく世と推移す』私達が江魚の腹中に葬られるのはまだ早いわ。見られているわ。碧海も早く始めなさい。今は臥薪嘗胆の時よ」
そう言って再び彼女は私の指を握ってくれた。そうだ、見られているんだ。憎悪習慣中は壇上の機械が私達の体温を計測して、一人一人の興奮度を計測しているんだ。ただでさえいつも基準値すれすれで注意されているのに、このままだと私もそっち側に行っちゃうよ。ごめんね、楚歌君。だから、だから不甲斐のない私を許して!
「楚歌君のバカ、バカ、バカ、アンポンタン、デブ、ロクデナシ、もう私、知らないんだからね、バカ、バカ、バカ、アホ、アホ、マヌケ、マヌケ…」
できるだけ大きな声で周囲に聞こえるように声を張り上げて罵る。普段良く使う罵声を少しでも楚歌君に届くようにと絶叫する。この普段使われない重苦しい罵声の中でせめて、私の愛のこもった罵声が楚歌君に届けばいいと、そんな偽善的なことを思いながら私は叫んだ。班長が私の指をぎゅっと強く握った。
やがて喉が枯れ果てて、足が震え、激しく胸を打つ動悸が私を締め付ける頃に大音響で国歌が流れ始めた。画面上には私達の上海の町並みが映し出される。平和で静かな都会の日常、日々私達の過ごしている生活圏が目の前で流れている。私はぺたんと尻餅をついて肩で息をしていた。やがて国歌の一番が終わり、静かな女の人の音声が私達のよく知る映像に被せられる。
「皆さんが今まさに体験されたように、私達の生活は売国奴との戦争です。私達の平和は戦争によって守られているのです。つまり、戦争こそが平和なのです。平和のために私達は戦争を求めましょう。街で、山で、河で、戦争を望みましょう。そして自由を確保する戦争のために党は私達に服従を要求しています。すなわち、自由こそが服従なのです。さぁ、服従を求めましょう」
そして再び国家の二番がかけられる。みんな安堵と憎悪からの開放感にその場に座りこんでくつろいだ気分で腕をあげて「「「万歳!万歳!人民党万歳!祖国万歳!戦争万歳!服従万歳!」」」っとゆっくり声を上げていた。そしてその声を背景に楚歌君達が壇上から引き下ろされて、どこかに連れて行かれた。私はもうへとへとのへろへろでどんな感情も湧き上がってこなかった。
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