『ざまぁ』エンドを迎えましたが、前世を思い出したので旦那様と好きに生きます!

悠十

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1巻

1-2

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 アリスと結婚したくて無茶をしたわけではないという確信は、アリスをちょっとへこませるが、傷つきはしない。彼を婿に貰えたのだから、むしろラッキーだ。これからアリスが彼を幸せにするので問題ない。終わり良ければすべて良いのだ。
 わりと自分本位なことを考えながら、それはそれとして、まずはアルフォンスが健康でなければ何も始まらないとうなる。

「このまま体を壊さないか心配だわ……」

 なんとかして、彼を元気づけられないか。
 アリスは腕を組み、うんうんと悩む。
 しばし悩んだが、いい考えは思いつかなかった。このまま悩んでも仕方がない。アリスは気持ちを切り替えるため、屋敷の外へと繰り出したのだった。


   ***


「そりゃお嬢様、そんな時は肉だよ」

 真顔でそう言うのは、村の少年だ。
 コニア男爵領の領地は、住人が四百人ほどしかいないド田舎の村一つだけだ。男爵は偉ぶらないフレンドリーな人間なので、コニア男爵一家と村人の距離は近い。
 そうなの? と首を傾げるアリスに、少年は重々しく頷いた。
 肉はそうそう食べられないご馳走ちそうである。肉がある日の食卓はいつも戦争だし、体の具合が悪くて食欲がない日も、肉だけはなんとしてでも食べるのが少年の当たり前だ。食べ盛りの少年にとっては、肉こそが正義である。

「肉があれば元気になるし、肉を食べればもっと元気になる」

 確信に満ちた少年の言葉に、そうなのかとアリスは頷く。

「けど、肉って言われてもねぇ……。獣や魔物を狩るにしても、私だけじゃ難しいわ」
「いや、そこは買いなよ」

 一応貴族のお嬢様なんだから、と少年は言うが、木っ端貴族の男爵令嬢ごときのお小遣いでは王太子の舌を満足させるような高級肉を手に入れるのは難しい。それに、そこは自分の力で手に入れたいという乙女心だ。――手に入れるものが肉であることに疑問を持たないあたり、アリスの女子力は底辺だが。
 アリスは少年と別れ、お嬢様らしからぬ野生児じみた乙女心のままに、どうにかして自分の手で肉を狩れないかと考えながら歩く。

「高級肉といえば、魔物肉。うう……、ゲームみたいに精霊と契約できていればなぁ……」

 そうすれば、アリスにだって魔物を狩れるはずだ。
 考えすぎて獣や魔物のルビが肉になったところで、アリスはふと思い出す。この世界が舞台となった乙女ゲームの、隠しイベントのことを……

「そういえば、あのイベントってこの近くであったんじゃなかったっけ?」

 それは、ヒロインが契約する精霊の里帰りイベントだった。しかし、アリスは精霊と契約していない。なぜなら、その精霊は既に他の人物と契約していたからだ。
 アリスはそれを思い出し、少し困ったような顔をした。

「今思えばベアトリス様って、絶対、前世の記憶――乙女ゲームをプレイした記憶があるよね……」

 ヒロインが契約するはずの精霊は、悪役令嬢――アルフォンスの元婚約者、ベアトリス・バクスウェル公爵令嬢と契約していた。
 この精霊は光の属性を持つ大精霊なのだが、たちの悪い魔法使いに捕まり、魔道具の材料の一つとして鏡の中に封じられてしまっていた。
 長い間、光属性の破邪の鏡として利用されてきたが、精霊の怒りにより、邪悪なものどころか無差別に人間を焼き払おうとするので、呪われた鏡として封印されてしまった。
 ゲームでは、ヒロインが怒りによって引き起こされた災い――小規模なスタンピードを乗り越えてこの封印まで辿り着き、鏡を割って光の大精霊を解放する。そして光の大精霊はヒロインに感謝し、彼女を守護するようになるのだ。この鏡の封印場所はゲームをしていれば分かるだろう。
 大精霊はスタンピードによって魔物に鏡を割らせるつもりだったのだが、ゲーム内で描写されていたこのスタンピードによる被害を思うと、これは事が起きる前にどうにかするべき案件だ。ベアトリスもそう思って大精霊を解放したに違いない。そして、その礼に契約を結んでもらったのだろう。

(別に、横取りされたとかは思わないんだけど……)

 スタンピードなんて、起こらないほうがいい。それに巻き込まれるだなんて御免被る。それを未然に防いでくれたのだから、礼を言いたいくらいだ。
 しかし、この大精霊との契約は、ヒロインの価値を高めてくれるイベントでもあった。
 元々、ただの精霊と契約できる者も少なく、大精霊の契約者ともなればかなり貴重な存在となる。そんな人間がいれば、国で大切に保護することになっていた。
 この大精霊の契約者であったからこそ、ゲーム上のヒロインは男爵令嬢にもかかわらず、地位の高い攻略対象の男達と結ばれることができたのだろう。

(大精霊との契約は、ヒロインのパワーアップイベントでもあったからなぁ……)

 地位と武力のパワーアップである。今のアリスにとっては、この武力のパワーアップというのが魅力的だ。
 精霊と契約すると、精霊の力を借りられるのだ。
 風の精霊なら強い風の魔法が使えるようになり、契約主が望めば、精霊自身が代わりに戦ってくれることもある。

(地位とかどうでもいいけど、武力アップしたい。そうしたら、ダンジョンの下層に潜れるもの)

 ダンジョン。
 それは、『神の遊び心』だの、『神が人に与えた修練の場』だのと言われている不思議な魔境である。つまりは、よくあるファンタジー世界のお約束の場所だ。
 この世界のダンジョンでは、ダンジョン外に生息する魔物が弱体化して出現する。そして不思議なことに、倒した魔物は素材となるアイテムを一部だけ残して消えてしまう。
 そう思うと損した気分になるのだが、とれるアイテムの量は少なくとも、強い魔物が弱体化しているため、冒険者などが高価なドロップ品目当てでダンジョンに潜ったりする。
 実はこのダンジョンが、この男爵領の近くにも一つ存在するのだ。

「けど、ピーキーダンジョンなんだよね……」

 ダンジョンは普通、深く潜れば潜るほど攻略難易度が上がる。人々はその難易度を上層、中層、下層、深層と大きく四つに分けて呼んでいる。
 多くのダンジョンはその特性を持つのだが、このコニア男爵領のダンジョンは違った。なんと、中層が存在しないピーキーダンジョンなのだ。
 この中層が存在しないというのは、ダンジョン攻略において困るものだった。ダンジョンは稼ぎ場だが、己を鍛えるのにうってつけの場でもある。特に中層は自分の実力を把握しやすく、次のステップに移せる階層だ。
 それなのに、コニア男爵領のダンジョンは、中層がない。
 初心者コースを抜けたら突然プロ専用の上級者コースなんて、どんな悪夢だ。だいたい、中層こそが冒険者が多く利用する場だ。そんな中層がないダンジョンは実入りが悪く、冒険者がいつかない。そのため、コニア男爵領のダンジョンは、領地経営の利に向かない困ったものだった。
 しかし、そんな上級者コースを一人で悠々と進み、アイテムを回収できる力を持つ人間も中にはいる。そんな人間の一人が、大精霊の契約者だ。
 それに、なんといってもコニア男爵領のダンジョンの下層以降では、美食家が思わず唸るほどの高級肉がドロップするのだ。

「これはもう、私も大精霊と契約するしかない……!」

 普通であれば精霊と契約するなど無謀もいいところだ。精霊と接触するなど、困難極まりないからだ。
 しかし、前世の乙女ゲームの記憶があるアリスには、精霊と接触できる場所を知っていた。
 乙女ゲーム『精霊の鏡と魔法の書』の隠しイベント。『大精霊の里帰り』で出てきた精霊達の集う場所、その名も『精霊の泉』。
 その場所に、アリスは心当たりがあった。

「よぉし! アルフォンス様に絶対お肉を食べさせるぞ!」

 色気より食い気。
 乙女として何か間違っている決意をし、アリスは意気揚々と足を踏み出したのだった。



   第二章


 大きく美しい湖が有名なバクスウェル領の領都には、バクスウェル公爵の城がある。湖のほとりに建つ美しく荘厳な城は、領民の自慢だ。
 現バクスウェル公爵には、二人の子供がいる。……否、正確には、養子に迎えた亡き兄の子供が二人だ。
 バクスウェル公爵――カーティス・バクスウェルの立場は少し特殊だ。
 実は跡取りであったカーティスの兄が亡くなったため、急遽公爵としてその座についたのだ。
 彼は結婚しておらず、婚約者もいなかった。そのため、兄の子を養子に迎えて己の後継ぎに据えた。ともすれば起きかねない家督争いを回避したのだ。
 カーティスはおいめいに対して実の子のように接し、特にベアトリスを溺愛した。そんな公爵の自慢の令嬢であるベアトリスは、領民にとっても自慢のお嬢様だった。
 その自慢のお嬢様は、城のバルコニーで午後の紅茶を楽しんでいた。

「ふぅ……」

 小さく吐息をこぼし、ベアトリスは持っていたカップをソーサーに戻す。
 気の強そうなきつい顔立ちの美貌には、どこか安堵に似た感情がにじんでおり、彼女がリラックスしているのが見て取れる。

「やっと、終わった……」

 自らこぼした呟きは、彼女の胸に『終わり』の実感を強くもたらした。
 彼女、ベアトリス・バクスウェルは転生者である。
 前世はごく普通の女子高生だった。通学途中で事故に遭い、気づけばこの世界に転生していたのだ。
 そんな彼女が転生したのは、なんと、前世で好きだった乙女ゲーム『精霊の鏡と魔法の書』の世界だった。しかも、転生先は悪役令嬢ベアトリス・バクスウェルだ。
 彼女は王太子アルフォンス・ルビアスの婚約者であり、彼を愛するあまりに彼に近づく女を酷く威嚇いかくし、め、おとしめる女だった。
 悪役令嬢ベアトリスの悪行はアルフォンスだけに関わるものではなく、他の攻略対象に対してもそうだ。
 まず、魔法の天才であるコーネリアス・ルーエンは、バクスウェル公爵領にある孤児院出身であった。彼は才能を見出され、公爵家に引き取られて色々と援助を受けたが、それゆえにベアトリスに逆らえず、彼女の便利な道具として扱われていた。
 コーネリアスルートでは彼を助けることが主眼となり、最後にベアトリスは様々な悪行がバレて王太子であるアルフォンスにより断罪される。
 もう一人は、騎士団長の息子であるジオルド・デュアー伯爵令息だ。
 真っ直ぐな気質の彼は、悪事を繰り返すベアトリスと真正面からぶつかるのだが、彼の兄が病にかかったことで立場が一変することになる。
 それは、彼の兄を治すための薬が、バクスウェル公爵家の薬師しか作れない貴重なものだったからだ。
 薬を盾にとられてベアトリスの命令に逆らえなくなった彼は、彼女にいいように扱われる。
 ヒロインはそんな彼を支え、彼と共にベアトリスの悪事を暴き、やはり彼のルートでも王太子によってベアトリスは裁かれる。
 ベアトリスは、アルフォンス、コーネリアス、ジオルドルートの悪役令嬢だった。
 しかし、それはゲームでのお話。ベアトリスはもちろんそんなことはしなかった。
 現実では、コーネリアスを見つけたベアトリスは彼の才能を引き出し、義父を説得して彼を支援した。そして、ジオルドの兄の病気を知ると薬師を派遣し、結果病状は快方へ向かった。
 コーネリアスもジオルドもバクスウェル公爵家に感謝し、二人はベアトリスと交流を深めた。
 三人の間には、画面の向こうのような悪夢など欠片もない。
 ベアトリスの破滅フラグは三つ。その内の二つが無事に折れたのだ。
 しかし、残念ながらアルフォンスとの婚約は避けられず、一番厄介なフラグは立ってしまった。
 アルフォンスは優しい少年だった。
 彼はベアトリスに対して柔らかい態度で接してくれた。しかし、ベアトリスはすべてのルートで自分を断罪する彼の姿を知っていたため、つい逃げ腰になってしまい、彼と距離を詰められなかった。
 それにアルフォンスは攻略難易度が最も低いキャラクターだ。いずれヒロインに攻略される可能性が高いと思うと、彼に心を寄せることができなかったのだ。
 そうしてモダモダしているうちに、ベアトリスは出会ってしまった。前世からの推し、第二王子シリル・ルビアスに……
 シリルは優秀な兄を尊敬しながらも、コンプレックスを抱いているキャラクターだ。そんな彼の心を解きほぐし、ある出来事をきっかけに自信をつけさせるのが攻略の鍵となる。
 ベアトリスが『悪役令嬢ベアトリス』として転生していなければ、彼の攻略に乗り出していたかもしれない。しかし、今はアルフォンスの婚約者の『ベアトリス』なのだ。ベアトリスの目にシリルがどれほど素敵な男の子に映ったとしても、彼にアプローチまがいなことはできなかった。
 しかし、どんなに秘めたとしても、想いとはふとした時に溢れるものだ。
 シリルはベアトリスの想いに気づき、ベアトリスも彼に想われていることに気づいた。
 ベアトリスは前世の推しであったシリルに最初から好意を抱いていたし、現実として目の前に現れた彼は理想の体現者だった。これで恋心を持つなというほうが難しい。
 一方、シリルは美しく優秀で、優しい年上のベアトリスに憧れを抱いていた。しかし、ふとした時儚げな顔をする彼女に庇護欲を掻き立てられ、結果、見事に初恋をかっさらわれた。
 けれど、ベアトリスはアルフォンスの婚約者だ。二人は結ばれない運命だった。
 悲恋は人を酔わせ、秘密は繋がりを強くする。
 それは、たった一度だけの幸運だった。
 ただの偶然。ある日二人は誰もいない庭園で鉢合わせた。
 静かな庭園にこぼれるのは、二人の声。
 いつしか言葉を交わすことも忘れて見つめ合い、お互いの瞳に焦がれる想いを見つけて。
 ただただ想いに突き動かされて、手を取り合って、絡め。
 シリルの口が、音を出さずに「愛しています」と動いたのをベアトリスは確かに見た。
 ベアトリスは、それを忘れたことはない。
 一度だけだった。
 本当に、わずかな時間の、一度だけの逢瀬だった。
 二人は地位ある人間だ。いつだって誰かに見られており、切ない目をお互いに向けるしかできない。
 口には出せず、態度にも出せぬ秘めた想いは、二人を酔わせ、その恋心を強固なものにした。
 こうなってしまえば、もうベアトリスにアルフォンスを愛することは不可能だ。
 ヒロインに怯えながらも、彼女が自身の婚約者であるアルフォンスを攻略することを願ってしまう。
 義父もベアトリスが婚約を嫌がっていたのを知っており、何かあればすぐに婚約を解消できるよう準備しておくと言ってくれた。もし、それで嫁の貰い手がなくなったとしても、ずっと家にいればいい、とまで言ってくれた。
 そんな環境もあって、ベアトリスはアルフォンスに歩み寄る必要はなかった。
 アルフォンスもベアトリスの頑なな態度に、いつしか親密な関係になることを諦めた。その結果、ベアトリスとアルフォンスの仲は良くもないが悪くもない、はたから見ればお互いを尊重したお手本のような、けれど内実は淡々としたものとなった。
 そして時は流れ、ベアトリスは学園に入学し、ヒロインを見つけた。
 彼女は天真爛漫てんしんらんまんな、普通の少女だった。
 身分をわきまえ、出しゃばることをせず、自分の身に釣り合った付き合いをしていた。
 それを越えたのは、やはりアルフォンスとの出会いからだった。
 アルフォンスに気に入られ、こっそり会って話をしたり、ちょっとお茶をしたり。
 しかし、隠れてはいたものの、二人きりではなくて、必ず第三者も同席しての交流だった。適切な距離を持ち、名前を付けない関係を保っていた。
 だが、人目を忍んでいても、王太子殿下は目立つ存在だ。いつしかアリスの存在は誰かの目に触れ、二人の関係は密やかに艶を含んだものだとうわさをされるようになった。
 それは、アルフォンスに憧れを持つ令嬢達には、面白くないことだ。美しく賢い公爵令嬢が相手なら諦められるが、相手はしがないただの男爵令嬢だ。胸に渦巻く感情をぶつけるのに遠慮はいらないと、彼女達は判断した。
 そうして、アリスは嫌がらせを受けるようになった。
 ベアトリスはやんわりと、それとなくやめるよう動いたが、やり口が巧妙になるだけで効果はなかった。
 この時、アルフォンスは動かなかった。どうやらヒロインは彼を攻略しきれていないようだ。もしかすると、ベアトリスが悪役令嬢として動いていなかったからなのかもしれない。
 だが、油断はできない。
 卒業式が近づくにつれ、ベアトリスは落ち着きをなくしていった。
 そんなベアトリスの様子に気づいた周囲の人間が、ベアトリスのために動いた。言葉巧みにベアトリスの不安を聞き出し、身の潔白を証明する証拠を集めたのだ。
 そして、その不安は的中する。卒業式が近くなって、アルフォンスに動きがあった。
 その頃には周囲の人間の協力のおかげで、ベアトリスは自身の潔白を証明する証拠を持っており、万全の態勢で卒業式に臨んだ。
 そして起こった断罪劇。
 ベアトリスはアルフォンスの言いがかりを論破し、どうにか断罪イベントを乗り越えた。
 国王陛下には謝罪をいただき、この後に起きるだろう混乱を避けるため、静養ということにして領地の城に戻ってきた。
 これでもうゲームはおしまい。
 エンディングを迎え、あとは真っ新な未来が待っている。
 悪役令嬢モノのライトノベルなどでは、この後は誰かしらに求婚されるのがお約束だ。その求婚相手にシリルを思い浮かべてベアトリスは頬を熱くする。
 ベアトリスは自分の想像が恥ずかしくなり、誤魔化ごまかすようにカップに残った紅茶に口をつけた。


 この時、ベアトリスは、気づいていなかった。
 ベアトリスが王太子を狂愛する悪役令嬢にならなかったことで、逆に損害を被った人間がいたことに。
 ベアトリスを溺愛する義父が、裏でひっそりと動いていたことに。
『乙女ゲーム』の物語にエンドマークがついたとしても、事は未だに動いており、よりおぞましい人間の思いが吹き出そうとしていたことに。
 大事に育てられた箱入り令嬢は、何も気づいていなかった。


   ***


 ふんふ~ん、とアリスの下手な鼻歌が村はずれの森の中に溶ける。
 アリスはアルフォンスに食べさせる肉を狩るため、精霊との契約を目指して歩いていた。
 精霊との契約など、考えついたからといって実行に移せるようなものではない。なにせ、その精霊を見つけることが困難だからだ。
 しかし、アリスにはそれを可能にするかもしれない心当たりがある。
 乙女ゲーム『精霊の鏡と魔法の書』には、隠しイベントがあった。
 それは、ヒロインと契約した大精霊の里帰りイベントである。
 ある日、大精霊は自身が生まれた場所で近々精霊の祭りが行われると話し、それにヒロインを誘う。
 その生まれた場所は精霊界と呼ばれており、この世界とは違う、一つ幕で区切ったように隣り合う世界なのだとか。そんな精霊界の入り口が、なんとこのコニア男爵領にあるのだ。

「確か、この辺の木に……」

 アリスが探すのは、根元にほらのある大樹だ。
 大樹のほらの中には、青い花が咲いており、その花は不思議なことに一年中枯れることはない。
 村では、精霊の加護を受けた花だから摘んではいけないと教えられており、誰もがその花を目で愛でるだけで、触れるようなことはなかった。
 しかし、実はその花こそが精霊界への入り口だったのだ。
 アリスはその花を見つけ、ドキドキしながら手を触れる。そして――

「わぁ……」

 次の瞬間、目の前に広がっていたのは、大きな湖と、そのほとりに咲く美しい花々だった。
 花々の周りや、湖の上にはふわふわと小精霊が舞い、風と共に舞う花弁と踊るその様は、とても幻想的なものだった。
 まさにこの世のものとは思えぬ美しい光景に見蕩れていると、アリスに気づいた精霊が寄ってきた。

「あら、珍しい。人の子だわ」
「人の子ね」
「珍しいね」

 きゃらきゃらと笑いを含んだ声に、アリスは我に返る。

「あっ、えっと、こんにちは!」
「うふふ、こんにちは」

 掌大の小精霊達は、アリスの周りをくるくると飛び回る。

「人の子がここに来るなんて珍しいわ」
「迷子かしら?」
「それとも何か用があるの?」

 興味津々といった様子でこちらに集まってきた小精霊に、アリスは告げる。

「ええと、実はお願いがあってきました」

 背筋を伸ばし、続ける。

「どなたか、どうか私と契約してもらえないでしょうか!」

 アリスの言葉に、ざわめいていた精霊達がピタリと話すのをやめ、じっとこちらを見つめる。
 彼らの顔には笑顔はなく、ただ見定める目でこちらを見つめる。
 人外の、力ある存在のそれには、圧力があった。
 それは、ピリピリとしたものではなく、ぞっと背筋が冷えるような妙な寒気を覚えるものだ。

(んん~⁉ これはちょっと、まずったかな?)

 よくよく考えてみれば、精霊の力をマイナス方面の私利私欲のために使おうとする人間がいそうだ。彼らは、アリスがそういう人間かどうか見定めようとしているのだろう。

(うん、これ、まずいよね。私も私利私欲の塊だし……)

 この精霊との契約を思いついたのは、今日のことだ。ちょっと手伝ってもらえないかな~? と足取り軽くやってきた。足どころか、頭が軽い行動だ。反省しなければならない。
 しかし、アリスはここで引くわけにはいかなかった。
 今後の、イケメン旦那とのラブラブ新婚生活のために‼

「どうか、うちのダーリンに食べさせるお肉をダンジョンに獲りに行くお手伝いをしてください!」

 素晴らしい胸筋をお持ちのダーリンのため。そして、それをいつか堪能するのだと私利私欲を通り越した破廉恥極まりない野望のために、アリスは潔く土下座をかましたのだった。


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