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8巻
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しおりを挟む第三十一話 救出作戦の始まり
ネレウス王国は海賊たちが作った国である。
諸般の事情から過疎地帯だった地域に海賊たちが隠れ家を作り、多くの海賊が一か所に集まったことで建国に至ったと言われている。
建国からまだ数百年。歴史は浅いが、国土は大陸南部の湾岸部を中心に広がっていた。
その産業の中心は、海辺の国という特徴を生かした漁業。そして、交易だ。
特に交易は元海賊という来歴を強みにして発展し、ネレウスの主産業の一つとなっていた。
しかし、どんな商売でも商売敵はいるもので、ネレウスの場合は隣国のアダド帝国がそれに当たる。
アダドは軍事国家ながら交易で栄えており、商売敵になるネレウスを目の敵にしていた。
今、この世界に戦争はない。
しかしそれは表向きのことであり、国同士の小競り合いは際限なく発生している。ネレウスとアダドの間でも何度となく戦いがあり、ほぼ毎回ネレウス側が勝つ結果となっていた。
そのことがさらにアダドに鬱憤を溜め込ませることとなり、ついに一部の人間たちが暴走して事件を起こした。
アダドの艦隊のネレウス王都襲撃。
そして、それに伴う、ネレウスを来訪していた有能な錬金術師の誘拐事件。
…………つまり、ロアの誘拐事件の発生だった。
ロアは商人コラルドの商談に護衛として同行し、ネレウスに来たところで見事に事件に巻き込まれてしまったのだ。
巻き込まれたのはロアだけではない。冒険者パーティー『望郷』の一員で、ロアの護衛として行動を共にしていたクリストフも一緒だ。
二人が誘拐され連れてこられた先は、ネレウスの近海に多くある、海賊の隠れ家だった海賊島の一つだ。
人々に忘れ去られて放置された場所で、そこに目を付けたアダドの軍人たちに利用されたのだった。
ロアとクリストフは、救出を待たずに逃げ出すことを決めた。
そして窮地に陥ったが、ロアの従魔であるグリおじさんの何とも情けない活躍によって救われ、今のところは一息つける状況になっていた。
「もう、大丈夫ですよね?」
「そうだな」
ロアとクリストフがいるのは、海賊島の内部の大洞窟を利用して作られた隠し港だ。二人はそこから出て行く大型船を見送っていた。
その船には、今回の首謀者であるアダドの第三皇子と多くの軍人たちが乗っている。
「グリおじさん!」
周囲の安全を確かめてから、ロアは叫んだ。
「ぴぎゃあああああああああ!」
それに答えるように、グリおじさんの絶叫が響いた。
グリおじさんは暴走していた。暴走して、隠し港の中を爆走していた。
その原因は虫。グリおじさんの最大の弱点だ。
グリおじさんが救出に駆け付けた時の衝撃で、天井に貼り付いていた虫が洞窟内に降り注ぎ、それに驚いたグリおじさんは暴走してしまった。
その鬼気迫る暴走を見て、誘拐犯のアダド第三皇子とその配下の軍人たちは逃げ出すことになったのである。
ケガの功名。結果だけ見れば上手く収まったのだろう。
ただ、ロアはグリおじさんが心配だった。
危険を冒すわけにもいかず、第三皇子たちが島を立ち去るまでは、走り回るグリおじさんが壁に衝突しないかハラハラしながら見ていることしかできなかったのである。
「グリおじさん‼」
ロアはもう一度叫ぶ。
暴走中のグリおじさんは周りが見えておらず、何も聞こえていない。ただ、ロアの声だけは別だ。
ロアの声を耳にして、グリおじさんは向きを変えた。ロアの方へと真っ直ぐに。
ロアは突進してくるグリおじさんに向かって、両腕を大きく開く。グリおじさんはロアの直前で急に速度を緩めて、その胸に頭を潜り込ませた。
「はいはい、怖かったね」
ロアは両腕でグリおじさんの頭を抱え込むと、優しく撫でた。
ピーピーピーと弱々しく鳴き、小さく震えているグリおじさん。ロアが撫でる度にその震えは収まっていき、最終的には全身の力が抜けたように座り込んでしまった。
座った周囲にも虫は散らばっているが、もう怯えることはない。ロアに抱きかかえられていることで安心したのだろう。グリおじさんは目を閉じ、ロアの胸に顔を何度も擦り付けた。
「相変わらず、こういう時だけは可愛いもんだな」
その姿を見て、クリストフは苦笑を浮かべた。
クリストフがグリおじさんのこんな姿を見るのは二度目だ。どちらも虫に恐怖しての行動で、走り回って泣き叫び、最終的にはロアの腕の中に収まっている。
「最悪の魔獣の癖して、何でこんな小さなものに怯えるんだろうな?」
クリストフは周囲に散らばっている虫を足で蹴飛ばして遠ざけていった。あまり意味はないかもしれないが、少しでも排除しておいた方が良いだろう。グリおじさんにまた暴走されては、同じことの繰り返しになってしまう。
「教えてくれないんですけど、小さい時に耳でも齧られたんですかね?」
「耳?」
グリおじさんが座り込んでしまったことで、その頭を抱きかかえているロアも一緒に座っている。ちょうどグリおじさんの頭を、正面から膝枕しているような体勢になっていた。
クリストフは近くにあったボロ板で掃くようにして虫を海に落として処理しながらも、周囲に探知魔法を広げて警戒する。船に乗れなかったアダドの兵がまだ島にいるらしく、ざっと見積もっても数十人の反応があった。
ただ、グリおじさんがいるおかげだろうか、こちらに攻撃してくる気配はない。
むしろその反応は遠ざかって行っている。逆襲を恐れて、距離を空けているのだろう。
もちろん、クリストフはそれに気付いたところで手出しする気はない。自分から離れて行ってくれるなら、面倒がなくて良かった。
「ふはははははは‼」
目の届く範囲の虫を一通り蹴り飛ばし、クリストフがやっと一息つけると考えたところに、やけに芝居がかったバカ笑いが響いた。
クリストフとロアは思わずグリおじさんを見たが、まだ復活した様子はない。グリおじさんではなく、別の者のバカ笑いのようだ。二人は探るように周囲を見回すが、声の主の姿はない。
「貴様ら許さんぞ! 魔獣をけしかけ我に失態を犯させるとは、万死に値する! 島ごと消し飛ばしてやるから覚悟しろ!」
狂気を孕んだ声は、アダドの皇子のものだ。彼が乗った船はすでに島から離れているが、風の魔法で拡声しているのだろう。
「……え?」
ロアは不安げな声を上げ、グリおじさんの頭を抱く腕の力を強めた。
「何をするつもりだ!」
クリストフが叫びを上げる。しかし、返答はない。風の魔法での拡声は、一方通行なことが多い。遠くの一つの音を拾うのは難しいが、単純に声を大きくして遠くに届けるだけなら簡単だからだ。
交渉すらできない状況に、クリストフはまだ厄介事が続くのかと舌を鳴らした。
「……言葉のまま、島ごと破壊するつもりでしょうね」
クリストフの問い掛けに答えたのは、ロアだ。その声は、やけに沈んでいた。ロアの手は、小さく震えている。それでもクリストフを心配させないために必死に耐えて平静を装っていた。
「そんなこと、できるのか?」
この海賊島は小島ではあるが、それは島という括りの中でのこと。実際はそれなりに大きい。大型船に乗っていても壊せるとは思えない。
クリストフが知っている限りでは、そんなことをできるのは伝説に名を連ねる魔術師か、高位の魔獣くらいのものだろう。並の魔術師では、束になっても不可能だ。
「大げさに言ってるだけかもしれませんが、少なくとも洞窟を崩してオレたちを生き埋めにするくらいはできそうですよ。あの船にオレの予想通りの今まで以上の巨大な魔法筒が積まれていたら、ですが」
ロアはグリおじさんの頭を、そっと撫でる。ロアは落ち着いているように見えた。だが、その顔色は悪い。恐怖を我慢している様子に、クリストフは近づいてロアの肩に手を触れる。
それだけで、ロアの肩の力が抜けた。
「……大きな魔法筒は、鍋なんです」
「それ、さっきも言ってたな。どういう意味だ?」
興奮したロアが口走っていた言葉を、クリストフは思い出す。
グリおじさんが現れる少し前のこと。
ロアとクリストフは窮地に立たされていた。アダド第三皇子が率いる軍人たちに囲まれ、殺される寸前だった。
その時、第三皇子の発言が切っ掛けになり、ロアはアダドの交易船の中で見つけた巨大な魔法筒について語ったのだ。
あの時確かにロアは、巨大な魔法筒は鍋だと言っていた。
魔法筒は内部で魔法を発動させて魔法そのものや、その爆発の力で小石などを飛ばす魔道具だ。売っていた人間からそう説明されたので、ロアもクリストフもそれだけの道具なのだろうと思い込んでいた。
だが、第三皇子が持ち出した魔法筒に、魔力を供給するための魔晶石が付いているのを見て、ロアは自分の考えが間違っていたことに気付いた。思考が暴走して、語りまくった。
あの時のロアは自分の思考を整理するためだろう、鍋がどうしただの、大魔法がどうだの、思い付くことを早口でまくし立てていた。そのせいでクリストフはまったく理解できていない。
「色々な食材を詰め込んで、一つの料理にできる大鍋です。魔晶石の魔力で作った魔法も、魔術師の魔法も、小さな魔法をたくさん集めて、一つの大きな魔法にできるんですよ」
ロアは唇を噛んだ。
「予想してたのに。たくさんの魔術師がいるのに気付いた時に、船を壊しておけば……」
そして、そっと、息を吐く。自らを鎮めるように。
ロアは後悔しているのだろう。だが、今は後悔している状況ではない。それが分かっているから必死に抑え込んで考えていた。
「……だから、大量の魔晶石と、大人数の魔術師と、それに耐えられるほど巨大な魔法筒があるなら、この島の破壊くらいはできると思います」
「はぁ⁉」
ロアの話を聞いて驚き、クリストフは思わず声を上げた。
魔法筒。
元々は攻撃魔法を満足に使えない者たちのための、補助魔道具として考え出されたのだろう。
しかし、魔法筒自体の耐久性に問題があって大きな魔法は扱えず、筒を向けた方向に魔法が飛ぶだけで狙いも付けにくい、中途半端な物しか作れなかった。弓矢にすら劣る道具にしかならなかったのである。
それを誰かが、ロアと同じように様々な可能性を考え、改良していったのだ。諦めずに改良を続けた結果、それは着実に完成形へと向かっていった。
大型化することで耐久性を上げて、放てる魔法の威力を増した。
魔晶石を組み込むことで、誰でも扱える道具にした。
魔法が供給される道筋を増やすことで、複数の魔法を一つの魔法に纏めることを可能にした。
そして、全ての着想を組み合わせて、大きな魔法筒が作り出された。それが、ロアがアダドの交易船で見つけた魔法筒だった。
それでもいくつかの欠点は残り、新たな問題も発生した。
大型化することで耐久性も威力も増したものの、放てる魔法は腕の良い魔術師の使うものと同程度にしかならなかった。もし魔晶石を使って魔力を底上げするにしても、今度は経費がかさむ。なおかつ、発動まで時間がかかった。
それに、狙いが定まらない問題点も改善されたわけではない。さらには重量に耐えられる移動手段の確保が必要となった。またも実用に足りない中途半端な魔道具で終わりかけた。
それでもロアと同様に、さらにその先を考えた者がいた。魔法筒はさらに大型化の道を進んだのである。
大量の魔法を一纏めにして大魔法を放つ道具として、特化していったのだ。
大魔法を使うような状況は、大きな戦闘しかない。高位の魔獣相手か、国同士が戦うような大きな戦場だ。
高位の魔獣は移動速度も速いものが多い。そうなると、利用するのは戦争に絞るべきだろう。戦争のための武器として運用するなら、あらゆる問題は容認されるため、それが最適だった。
戦場であれば魔法を放つのに大金や多くの人手がかかっても問題ない。敵に与えられる損害を考えれば、対費用効果は十分だ。戦いを決することができれば、多くの利益が出る。
狙いが定まらないことも問題にならない。大魔法で一帯を破壊し尽くせばいいだけだから。
大魔法と言われる規模の魔法を放てる魔術師は貴重で、自己中心的な者ばかり。戦争に協力してもらえる可能性は低い。金次第で彼らと同等の魔法が扱えるようになるなら、どこの国でも飛びつくはずだ。
唯一の問題は、巨大化したことによる移動の困難さだけである。それも大型船に積み込んでの海戦限定なら問題はないだろうし、陸戦でも砦などの固定武装にすれば良い。
ロアもそこまで考え至ったものの、それはあくまで想像だった。大型の魔法筒からの推論であり、魔法筒の可能性を突き詰めて考えただけだ。
平和な現在において、思い付きはしても、そんな物を準備する国があるなどとは思ってもいなかった。
しかし、その思ってもみなかったことをする国があった。
今、ロアはアダド第三皇子の発言で、巨大な魔法筒の実在を確信している。きっと、第三皇子の船には、ロアが交易船で見つけた魔法筒とは比べ物にならないほど巨大で、比較にならないほど大きな魔法を放てる魔法筒が存在するはずだ。
そして、ロアは自分の考えの浅さに後悔し、恐怖していた。
「じゃあ……」
クリストフは、息を呑む。ロアの言った通り、魔法筒を使って海賊島の破壊が可能なら、逃げ場はない。
「あの人たちはリフレクトで魔法が反射されるのを見てますし、弾かれるのを恐れて中途半端な魔法は使ってこないと思います。使える最大の魔法で、リフレクトの効果ごとこの島を潰すでしょうね」
ロアを陰から守ってくれている魔道石像の反射魔法も万能ではない。下位海王蛇の魔法ですら、正しく反射できなかったのだ。島が破壊されるほどの魔法となれば耐えられないだろう。
それに、もし耐えられたとしても、今いる洞窟が崩れたら生き埋めだ。一時的に助かっても、生き延びられる可能性は低い。
「……グリおじさんを正気に戻せないのか?」
「今すぐには、無理ですね」
「そうか……」
グリおじさんが復活してくれれば、逃げ出せるだろう。
だが、今のぐったりとしているグリおじさんの様子を見たら絶望的だ。ロアとクリストフの二人だけで逃げるにしても、周りは海で逃げ場はない。
本当の意味で、絶体絶命の状況だった。
「オレの失敗です。そういう物がある可能性も考えてたのに」
「誰があの状況で何ができたんだよ? ロアの失敗なんかじゃないだろ! 気にし過ぎだ! オレにも……誰も、どうにかできる状況じゃなかった!」
ロアが魔法筒について語った時は、二人して必死に身を縮めていることしかできない状態だった。
もしこの島を壊せるほどの武器があると気付いていても、何もできなかったに違いない。ロアは自分が悪いと思っているようだが、避けられる状況ではなかった。
「この島を破壊するほどの大魔法を作るには、時間がかかると思います。だから、その間にオレが何とかします」
「何とかって……何とかなるのか? ロア……」
問い掛けながら、クリストフは気付く。ロアの表情が変わっている。
それは、覚悟を決めた表情。
ロアはこういう極限の状態になると、覚悟を決めるのが早い。それも自分のためではなく、誰かのためなら。
全身全霊を使って、それこそ自身の命を顧みず何とかしようとする。必死に考え、打開策を見つけ、行動するのだ。
助けられたことのあるクリストフは、そのことをよく知っていた。
今のロアは、クリストフと、そしてグリおじさんを守るために命懸けで何かを成そうとしていた。
「オレ一人じゃ無理です。だから……」
ロアは静かに頭上を仰ぐ。
何かを探すように、何もない空間を見つめる。その様子は、天からの啓示を待っているかのように見えた。
「見てるんだよね?」
ロアは頭上に向かって問い掛けた。誰もいないはずの場所に向かって。
「ピョンちゃん、協力して」
ロアは、ここにいるはずのない存在の名前を呼んだ。わずかな沈黙が流れる。
そして……。
〈何だ、気付いておったのか?〉
老人のような口調の、やけに可愛い声が響いたのだった。
その声が響いた瞬間から、ロアたちの脱出劇は、新しい局面を迎えていく……。
こうしてロアとクリストフが自力で脱出しようとしていたわけだが。
ネレウス王国の者たちが何もしていなかったわけではない。彼らは彼らなりに、誘拐されたロアたちの救出に動いていた。
ただ、ロアの誘拐が発覚するとほぼ同時に、王都近海にアダドの艦隊が現れたことにより、ネレウス王国は混乱していた。迎撃の準備、そして王都住民の避難が優先された。ロアたちのために動ける人間は限られ、満足に捜索すらできない状況だったのである。
そんな中、彼の従魔の双子の魔狼だけは違っていた。真っ先にロアが誘拐されたことに気付いた二匹は、周囲の事情など気にせずに率先して動いていたのだった。
ロアが誘拐されたと気付いた直後、双子の魔狼はまず、下僕紋を付けて下僕にしたディートリヒとカールハインツに手助けを求めた。
二人は双子の要求に応えて、王城内にいた『望郷』の魔術師ベルンハルトを呼び出して共に王都へと向かった。双子の要求は、ほんの少しだけ強引だったが……。
そして、誘拐を知った一時間後には、ディートリヒから連絡を受けた『望郷』の盾役コルネリアと王都で合流していた。
待ち合わせ場所は、王城の島と王都との連絡艇が着く船着き場だ。
「お待たせいたしました」
コルネリアはすでに到着していた一団を発見すると、乗って来た馬から飛び降りて膝を突き、臣下の礼を取る。
もちろん、自分たちのリーダーであるディートリヒに対してではない。その場に女王の密偵であり王子でもあるカールハインツがいたからだ。
「待ってたよ」
コルネリアの礼にカールハインツはニッコリと微笑みかけた。
「……ああ」
それに反して、ディートリヒはどこか歯切れの悪そうな返事をするだけだ。
彼は一瞬だけコルネリアと目を合わせると、すぐに目を逸らしてしまう。居心地の悪そうな態度で、落ち着きがない。
「ロアは無事なのでしょうか? それと、クリストフは?」
コルネリアは自分を待っていた一団に視線を這わせ、クリストフの姿がないことが気になった。
この場にいるのはディートリヒとカールハインツ、ベルンハルト、そして双子の魔狼。
この時点でコルネリアは、クリストフがロアと共に誘拐されたことは知らない。ディートリヒからの連絡にも、クリストフについては何も記載されていなかった。
コルネリアもクリストフがロアの護衛に付いていることは知っていたので、姿がないことに気付くと同時に行方が気になるのは当然だろう。最悪の事態を考えて、顔色が変わる。ロアが誘拐されたのなら、護衛は殺されていてもおかしくない。
「ロアは危害を加えられてないようだ。クリストフは……」
ディートリヒは返答に詰まる。
「まさか殺されたの⁉」
臣下としての態度を取っている場合ではない。その微妙な物言いに、コルネリアは慌てて立ち上がりディートリヒに詰め寄った。
「その、そうじゃない」
また、ディートリヒはあやふやな言葉を返した。歯がゆさを感じて、コルネリアはディートリヒを睨みつけた。
「何なのよ? ハッキリ言ってよ!」
煮え切らないディートリヒの態度にコルネリアが憤慨すると、その場に微妙な空気が流れた。それでもなお言い難そうにしているディートリヒの代わりに答えたのは、カールハインツだった。
彼は一歩前に出ると、やけに楽しげにコルネリアに対して口を開いた。
「コルネリア嬢、ディートリヒのやつ酷いんだよぉ? クリストフのことを忘れてたんだよ。護衛させてたのに、存在そのものをすっかり忘れて、心配すらしてなかったんだよ。酷いよねぇ」
ちょっと猿っぽい顔をくしゃりと歪めて、意地悪な笑みを見せた。
「……」
カールハインツの言葉にディートリヒは唇を噛み締めると、コルネリアから目を逸らした。
最悪なことに、ディートリヒはクリストフのことをすっかり忘れていた。
もちろん、クリストフが護衛としてロアと一緒にいたことは知っていた。彼自身が指示したのだから間違いない。
だが、ロアのことが気がかり過ぎて、クリストフのことは頭からすっかり抜け落ちていたのだ。仲間を大切にするディートリヒとしては、これ以上ない失態だった。その居たたまれなさから、コルネリアへ素直に返答できなかったのだった。
「船着き場に集まって王城の島から出る時にね、ベルンハルト師に言われて初めてクリストフがいないことに気付いたんだよ。我が義兄弟ながら最低だよね。自分なんか、時間のない中でも部下の安否確認を済ませて来たのにさ」
カールハインツが追い打ちをかける。
嫌味を言っても軽口程度にしか聞こえないのは、彼の持っている柔らかな印象のおかげだろう。ただ、彼が有能な密偵だと知っているコルネリアは、そのせいで逆に胡散臭さを感じてしまうのだが。
カールハインツの部下たちもまた、クリストフと同様に陰からロアの護衛と監視をしていた。彼はディートリヒが望郷のメンバーに指示を出している間に、部下たちの安否確認を済ませていた。
誘拐犯はロアを誘拐するために、一帯に強力な睡眠薬を無差別に撒き散らしたらしい。彼の部下たちもそれに巻き込まれ眠らされていたのだった。
その薬の影響は衛兵や王城に勤める一般人にも及んでいたが、幸いなことに、誰一人としてケガも後遺症もない。
もっともこれは誘拐犯が優しかったというわけではなく、騒ぎにならないように行動した結果だ。
その思惑は見事に当たり、一帯の人間が眠ってしまっていたことで、双子が騒ぎ出すまで城の人間は誰一人として誘拐の事実に気付いていなかった。
「……いないということは、一緒に誘拐されたということでしょうか?」
「たぶん、そうだろうね。自分の任務を放り出すような、無責任なやつじゃないからね」
それを聞いて、コルネリアは考えた。
ロア一人なら、その能力が目当てなのだから、抵抗したとしても危害を加えられる心配はないだろう。しかし、クリストフが一緒となると、彼を人質にして無理やり言うことを聞かすことができる。
クリストフの命を盾にされたら、ロアのことだ、断ることはできない。むしろ、ロアへの人質にすることが目的でクリストフも一緒に連れ去ったと考える方がしっくりとくる。
〈そんなのどうでもいいの!〉
〈やくたたずのむのうなんだから、どうでもいい‼〉
ウーー‼ と低い唸りが響く。双子の魔狼だ。
双子はコルネリアが説明を受けている間は大人しくしていたのだが、痺れを切らしたらしい。タシタシと地面を叩く前足が、その苛立ちを示していた。
応援ありがとうございます!
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