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対峙
しおりを挟むヘルブリン・ダーク・グローアス・ノート。
彼は幾千幾億の悪魔を従えた悪魔の王と残忍かつ凶暴性の高い巨人族の母との間に生を受け、高貴なる大悪魔として育った。
そんな彼が人間界に赴いた切っ掛けは兄弟達に起因する。
兄弟の一人ローフェウスが魔界を去って幾何かの刻が過ぎた頃、彼を追わんとした別の兄弟が失敗した。普段ならどうでも良かったが、その日は何故か妙に気になった。頭は足りないも馬鹿ではない兄弟が珍しく失敗したからか。それとも涼しい顔で成功して嘲笑ってやろうと思ってか。そんな気持ちが働いたのかもしれない。
善ならぬ悪は急げとビューイストの陣を改良運用し、何万の配下の命を捧げた。結果は一発成功。その時の優越感はよく覚えている。
同時に体の内を焦がす苛立ちも。
出た場所は洞穴の中だった。
高貴な自分には凡そ相応しさの欠片もない薄汚れた地下の空洞。
奴が地上神の目を盗みやすい場を指定していたとはいえ、あまりに酷いものだった。
加えて力の制限だ。地上神の領域なのだから多少は予想していたものの、その予想は裏切られた。このままでは満足に動くこともままならない。
業腹ではあったが、ヘルブリンは仕方が無いと割り切った。この怒りはいつか地上神の愛する人間達に思う存分ぶつけてやろうと。
枯れぬ範囲で地脈の力を奪い、少しずつ生態系を狂わせた。そうする事で弱い魔物は淘汰され強い魔物が生まれるからだ。そして頃合いを見計らい、ヘルブリンが搾取する。言うなれば魔物の養殖である。
時間は掛かるが最も効率的な方法だった。なにより弱点を突かれない限り滅ぶ事のない彼には焦燥はあれど寿命による焦りはなかったからだ。
毎日毎日気の遠くなるようなルーティンを繰り返し、退屈に欠伸をして後は寝る。そんな怠惰な一日を過ごす中、二つの幸運が降って湧いた。
冒険者の来訪と后の獲得だ。
一度失いかけ、漸くまた手中に収めるための力を蓄えたというのに、なぜ、后の心は、体は手に入らないのだろう。
「おのれおのれおのれっ!」
ヘルブリンは玉座を殴りつける。
衝撃を受け止めた先――煌びやかな肘掛けがヒビ割れ、木片が重力に従ってパラパラと床に落ちる。
その視線の先は中央やや上。固定表示されたモニターのような物だ。
そこには中継しているかのように、此処ではない室内が映し出され、三人の男達の様子が乗せられていた。
レオ、ユニ、ルディの三人だ。
彼等は自分達が放映されていると気付いた様子はなく、三人仲良く休息をとっていた。眠っているのかルディは目を閉じ、レオとユニは会話をしているようだった。残念ながらモニターらしき物は音声は通さないらしく、彼等が今何を話しているかは分からない。
「巫山戯るな巫山戯るな! その場所は我の物だ! 貴様如き下賤な者が我の后に触るなぁあああ!」
ヘルブリンの怒りの咆哮に、温度のない声が返る。
「お気を静めてくださいませ、ご主人様。お后様は」
「黙れ!!」
魔物淑女の言葉を遮り、魔気を含んだ衝撃波が撃ち出された。
豪速球よりも遥かに速く勢いのある攻撃をその身に受け、魔物淑女の華奢な体軀が壁に打ち付けられる。間近の落雷のように大きな音を立てて、建物が僅かに揺れた。
誰が見ても致命的な一打。
にもかかわらず真面に攻撃を喰らった筈の淑女は無事だった。いや正確には怪我は負ってはいたのだが、苦痛に顔を歪めていないのだ。僅かな微笑をたたえたまま、折れた骨を自ら引き裂き、それを口にした。
すると当たり前のように引き千切られた先から腕が生えた。
そんな異様な光景をヘルブリンは一瞥し、また食い入るようにモニターを注視しては、がなりつける。
「何故だ! 何故その男にはそのように微笑むのだ!」
「……」
「ああ、口惜しい妬ましい疎ましい」
食い入るようにモニターのユニ達を眺めながら、彼はブツブツと怨嗟にも似た不平不満を溢す。
同じタイミングでヘルブリンの周りからおどろおどろしい瘴気が溢れ出し、周囲の物を砕いていく。
「やはり今からでも事故に見せかけて、いやこの状況では不自然極まりない」
ヘルブリンの脳内は如何にして邪魔者を排除するか、その一点のみに絞られていた。本来予定していた特別ステージ報酬という名の即死アイテムはもう使えない。ならばどうするか。やがて彼は一つの答えに到達する。
「そうか。記憶だ。后の記憶を改竄してしまえば良いのだ」
そうすれば手に入る。あの笑みを向けてもらえる。ヘルブリンは高らかに笑い、画面に映るユニへと手を伸ばす。
「必ず手に入れる」
室内に機嫌の良い笑い声が響く最中、目の前の映像がヴンという音を立てて切り替わる。
「ヘルブリン様」
「……貴様」
映ったのはデューダイデンだった。
ヘルブリンの顔が飛ぶ鳥を落とすよりも速く喜色から嫌悪に急変化する。
「何の用だ」
「城の制圧を完了致しましたので、そのご報告を」
「そのような些事などどうでも良い。好きにしろと我は申した筈だ。貴様の顔同様その足らぬ脳味噌はその程度も理解出来ぬのか?」
「っ、申し訳ありません」
画面の中のデューダイデンが失礼いたしましたと通信を切る。
忌々しい。力を取り戻す為にと仕方なく契約してやったが、アレの言動、醜男さ、仕草。そのどれもが癪に障る。
「后を取り戻し次第、殺すか――いや」
ヘルブリンの唇が裂けそうな程、吊り上がる。その瞬間、直視してしまった淑女の鉄壁だった表情筋が僅かに恐れを浮かべた。
「おい」
「はい、ご主人様」
「貴様に仕事を申し付ける」
*・*・*
「じゃあそろそろ行きましょうか」
両手で伸びを終えたルディが告げる。
時刻は夜明け前。
まだ少し薄暗いながらも朝焼けの光を通した窓を背に、俺達一行は一階に降りることにした。不思議な事に、休息時、危惧していたアンデッドの強襲等は一切なく、それどころかこうして最下層に下るまでモンスターのもの字も目にする機会はなかった。
相変わらず煌びやかな空間を、目で一周したルディが言う。
「何にも出ませんでしたね。諦めたんでしょうか」
「それは絶対にない」
「ですよねぇ」
昨日と同じ隊列のまま、一階内を見て回る。内装、雰囲気共に変化はなく、レオ達四人を強制連行した四つの扉は死んだ貝のように堅く閉ざされ、話に伝え聞いていた触手のような物が飛び出してくる気配は今のところ無い。玄関扉の方も言わずもがなだ。
「どうします? 壊します?」
「それは流石に止めよう」
「ユニの言う通りだね。二階に行って下に降りられる場所を探そ、!」
全員でUターンした直後、突如、俺達のいた床に大きな穴が開く。
回避する暇はない。一瞬の浮遊感の後、まるでウォータースライダーのように下に落ちていく。
「ユニっ!」
「大丈夫っ。ルディ君!」
「僕も」
俺がレオを、ルディが俺を。裾や取っ掛かりを掴み、なんとか自由落下中にくっつく。その間にレオが抜き取った短剣を壁に突き刺して勢いを殺そうと試みていたようだが、壁に剣が突き刺さる音も速度が落ちる様子もない。刺すような痛い風だけが俺達の間を通り過ぎていくだけだ。
そうして三十秒程経った頃、安全装置のない強制滑り台は終わりを告げた。
「ぐ、」
「きゃっ」
「いだっ」
三者三様ではなく、だいたい同じ衝撃が三人全員の全身を打ち付ける。だがそれでも痛みに悶える時間は俺達にはない。全員目尻に涙を浮かべつつも、痛む体に鞭を打ち、陣形を整える。
「っ、ユニ! ルディ! 無事!?」
「大丈夫!」
「僕もなんとか!」
落下地点は地下のようだ。
霞む視界で認識したそこは、夜の帳を下ろしたような闇と壁に打ち付けた松明に覆われたそれなりに広い空間だ。
前方には何やら高く積み上げられた何かが聳え立っており、周囲には二階三階の比ではない悪臭が異様なほど立ち篭めている。
まるで死がそこに立っているかのような――。
冒険者としての勘か、はたまた生物としての危機察知能力か。背中に嫌な汗が伝い、心臓が早鐘を打つ。
その時だ。
ヴンっという羽音にも似た起動音と共に床が光を放ち、紋様を浮かび上がらせる。
「なに、これ」
呟いた声は喘ぎにも似ていた。
床一面に夥しい魔法陣のようなものと、それこそ創作や夢の世界でしか見ない何本もの謎の管、無数の溝に流れる赤黒い液体があった。
それだけではない。
床の光によって見えなかった、積み上げられた“何か”の正体が露わになる。
「ひ、人の骨……」
大量の人骨だった。
形からして子供から大人。その全身の関節が、まるで城壁のように積み上げられている。
「よく来たな」
城壁の天辺から聞き覚えのある声が届く。そして靴音を奏でながら登場した悪魔が俺達を見下ろす。
「ヘルブリンっ!」
「気安く呼ぶな雑種が。……まぁ、いい。今の我は気分が良い。見逃してやろう」
そう言うとヘルブリンは指を鳴らす。
何かやってくる。身構えた途端、俺の視界が一瞬にして闇に囚われる。
けれどそれも本当に一瞬。
今度は蜘蛛の子を散らすように暗闇が晴れ、代わりに視界にヘルブリンが映し出される。
「ひっ!」
「嗚呼、待ち侘びたぞ。我が后」
ヘルブリンの手が俺の頬に触れる。
ひやりと冷たい手。自然と歯の根がカチカチと恐怖を訴える。
「ユニっ!」
「ユニさん!!」
レオとルディの声が下から響く。
俺だけ上に引っ張り上げられたのだ。
「どうした? 寒いのか」
「さっ、触るなぁ!」
奴の手を振り払い、俺は端まで逃げる。が、何かが俺の右足を掴む。
振り払おうと見れば、大人のものらしい手が巻き付いていた。
「クソッ。離せ!」
「此度の鬼ごっこは我の勝ちだな」
勝ち誇ったヘルブリンがゆっくりと距離を詰め、俺の唇を舐める。
「っ、やめろ!」
「なんだ。恥ずかしがっているのか」
「ふざけんなっ!」
必死に抵抗する俺を、ヘルブリンはまるで子供をあやすように抱きしめてくる。
「は、離せ! 触んな!」
「……后はあの者らが大事か?」
その問いに俺は動きを止める。
するとヘルブリンは拘束を解き、俺の前に液体の入った一本の瓶を差し出した。
「これは、いや、皆に何かしたら許さないからな!」
「そうか。ならばこれを飲めば、其方の大切な者達はここから逃がしてやってもいいと言ったらどうする」
「なっ!?」
「その代わり……分かっているな」
ヘルブリンの双眸が怪しく光る。
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