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第五章
君と歩む秋の道
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──昔ながらの戸建やマンションが立ち並ぶ、なんの変哲もない住宅街。物心ついた頃からずっとこの町で育ってきた。けれど、初めてユナと二人きりで歩む道は、全てが目新しく映る。
僕の胸にワクワク感を与えてくれた。
この十年間、外を出歩くには必ず大人の付き添いが必要だった。なんでもないところで転倒してしまうがために、制限があった。
だけど、僕は変わったんだ。みんなと同じように外を自由に歩けるはず。もしかすると登校するのだって、母さんの付き添いはいらなくなるかもしれないな。
今日はたくさん歩いて、ユナと二人だけで出掛けられたことを母さんたちに教えてあげよう。きっと喜んでくれるに違いない。
素朴な風景は、今の僕にとっては全部が光に見えた。
どこからともなくコスモスの香りが漂ってきて、心に安らぎをくれる。癒やしを運んできた清涼な風は、僕の足取りを更に軽くした。
隣で歩幅を合わせてくれるユナの横顔が、淡い陽に照らされてとても綺麗だ。
胸いっぱいの気持ちで歩き続け、やがて住宅街を抜けると──駅前に辿り着いた。小さな駅で、休日はほとんどお客さんがいない。
急行列車がやって来て、ガタゴトと大きな音を立てる。通過したら騒がしい音もなくなって、駅周辺は再び静かな空間と化した。
「ユナ。こっちだ」
僕は駅の西側を指差した。国道沿いの歩道で、繁華街とは正反対の方角だ。
行く先を眺めるユナの顔が、一瞬だけ固くなった。
「こっち側、坂道が結構あるよ。大丈夫?」
眉を落としながら彼女はそんなことを訊いてくる。
ああ、そんなことか。
僕はふっと鼻を鳴らした。
「さっきの僕の歩きかたを見ただろう? 坂道くらい余裕」
鼻高々にそんな風に答えてみた。
たしかに坂道は平坦な場所よりも歩きづらい。とくに下り坂は歩く際の着地が難しくなったりする。
でも、僕の一番の難関は段差だ。手術したあとでも、ちょっとした段も気をつけないと転ぶリスクがある。これは、今後の定期リハビリをしていく上での大きな課題。
だから坂道くらいどうってことない──けれど。
僕は一度歩みを止め、後頭部をポリポリとかいた。
「まあ一応、念のためな? 下り坂のときだけ、手を繫いでくれないか?」
いくら自信があっても、僕は冷静さを失ってはいない。どういう道が不得意なのかくらい、頭の片隅で意識はしているつもりだ。
井原先生や岩野先生にも言われた。無理はするなって。先生たちは、こういうことも含めて注意をしてくれたんだと思う。
余計な怪我をしないためにも、頼りたいときは素直にユナに助けを求めよう。
僕の要求に、彼女はパッと顔を明るくした。
「うん。もちろんだよ! 私、いつだってコウ君のお手伝いするからね」
ユナは朗らかにそう言った。
──それから僕たちは、歩きながらこの二カ月間お互いどう過ごしたかを話した。
と言っても、ユナがずっと僕のことを訊いてくるのでほとんど入院中の話ばかりしていたんだけどね。
リョウとの出会いはもちろん、先生や看護師さんのこと、特別支援学校で受けた授業の内容、どんなリハビリをしてきたのかを語った。
僕の話にじっくり耳を傾けてくれるユナは、とても嬉しそうな顔をするんだ。
「そっか。思ったよりも充実した入院生活が送れたんだね」
「ああ。そうだな」
「手術ってきっとすっごく辛いものだよね? だから心配してたよ。でも、コウ君の笑顔見れて安心した」
手術や検査に関しては思い出すと身震いしてしまうので、あまり口にはしなかった。辛かったことよりも、ユナには楽しい思い出を聞いてほしかったんだ。
そしてもうひとつ。ユナに言わなきゃいけないことがある。
下り坂に差し掛かり、僕の足は無意識につま先に体重がかかる。踵が浮きそうになったので、どうにか足裏を地につけながら歩みを進めていった。
ほんの少しだけ、息が上がってしまう。
ユナの手をしっかりと握りしめ、僕は更に歩き続ける。
「手術はたしかに大変だった。でも、ユナが手紙をくれただろ? 励ましの言葉をもらってマジで嬉しかった。それに、クラスのみんなからの寄せ書きも。ひとつひとつの応援メッセージを読んで、いい活力になったよ。わざわざ届けに来てくれたんだよな。本当にありがとな」
何度ユナにお礼を言っているのか分からない。どれだけ感謝の気持ちを伝えたとしても足りないんだ。
ユナはえくぼを作りながら、コクりと頷く。
「わざわざ、じゃないよ?」
「え」
「私が届けたかったの。だから、コウ君が喜んでくれて私も嬉しい」
そう言って、ユナはもう一度前を向く。その横顔は優しくて、凛々しくて、清らかだ。
僕は彼女から目を離せなくなる。
いつも当たり前のように支えになってくれる幼馴染み。どうしてユナは、どこまでも優しいのだろう。僕はほとんど何もしてあげられないのに。
僕がユナの横顔に見惚れていると──突然、彼女の目つきが変わった。「あ……」と呟き、鋭さのある瞳に変わった。
どうしたのかと思い、僕は反射的にユナの視線の先を向いた。
この瞬間、心臓がドクンと低く唸る。
僕たちが歩く道の先に、会いたくもない奴がいることに気がついた。ダルそうな顔をしてスウェットを着て、こちらへ向かってくる。その隣には、小さな犬もいた。どうやら散歩中らしい。
「……コウ君、どうする? 引き返す?」
このまま歩けば、奴と鉢合わせになる。どうしようかと一瞬迷ってしまった。
──僕たちの視線の先にいるのは、いつも嫌がらせをしてくる関だったから。
僕の胸にワクワク感を与えてくれた。
この十年間、外を出歩くには必ず大人の付き添いが必要だった。なんでもないところで転倒してしまうがために、制限があった。
だけど、僕は変わったんだ。みんなと同じように外を自由に歩けるはず。もしかすると登校するのだって、母さんの付き添いはいらなくなるかもしれないな。
今日はたくさん歩いて、ユナと二人だけで出掛けられたことを母さんたちに教えてあげよう。きっと喜んでくれるに違いない。
素朴な風景は、今の僕にとっては全部が光に見えた。
どこからともなくコスモスの香りが漂ってきて、心に安らぎをくれる。癒やしを運んできた清涼な風は、僕の足取りを更に軽くした。
隣で歩幅を合わせてくれるユナの横顔が、淡い陽に照らされてとても綺麗だ。
胸いっぱいの気持ちで歩き続け、やがて住宅街を抜けると──駅前に辿り着いた。小さな駅で、休日はほとんどお客さんがいない。
急行列車がやって来て、ガタゴトと大きな音を立てる。通過したら騒がしい音もなくなって、駅周辺は再び静かな空間と化した。
「ユナ。こっちだ」
僕は駅の西側を指差した。国道沿いの歩道で、繁華街とは正反対の方角だ。
行く先を眺めるユナの顔が、一瞬だけ固くなった。
「こっち側、坂道が結構あるよ。大丈夫?」
眉を落としながら彼女はそんなことを訊いてくる。
ああ、そんなことか。
僕はふっと鼻を鳴らした。
「さっきの僕の歩きかたを見ただろう? 坂道くらい余裕」
鼻高々にそんな風に答えてみた。
たしかに坂道は平坦な場所よりも歩きづらい。とくに下り坂は歩く際の着地が難しくなったりする。
でも、僕の一番の難関は段差だ。手術したあとでも、ちょっとした段も気をつけないと転ぶリスクがある。これは、今後の定期リハビリをしていく上での大きな課題。
だから坂道くらいどうってことない──けれど。
僕は一度歩みを止め、後頭部をポリポリとかいた。
「まあ一応、念のためな? 下り坂のときだけ、手を繫いでくれないか?」
いくら自信があっても、僕は冷静さを失ってはいない。どういう道が不得意なのかくらい、頭の片隅で意識はしているつもりだ。
井原先生や岩野先生にも言われた。無理はするなって。先生たちは、こういうことも含めて注意をしてくれたんだと思う。
余計な怪我をしないためにも、頼りたいときは素直にユナに助けを求めよう。
僕の要求に、彼女はパッと顔を明るくした。
「うん。もちろんだよ! 私、いつだってコウ君のお手伝いするからね」
ユナは朗らかにそう言った。
──それから僕たちは、歩きながらこの二カ月間お互いどう過ごしたかを話した。
と言っても、ユナがずっと僕のことを訊いてくるのでほとんど入院中の話ばかりしていたんだけどね。
リョウとの出会いはもちろん、先生や看護師さんのこと、特別支援学校で受けた授業の内容、どんなリハビリをしてきたのかを語った。
僕の話にじっくり耳を傾けてくれるユナは、とても嬉しそうな顔をするんだ。
「そっか。思ったよりも充実した入院生活が送れたんだね」
「ああ。そうだな」
「手術ってきっとすっごく辛いものだよね? だから心配してたよ。でも、コウ君の笑顔見れて安心した」
手術や検査に関しては思い出すと身震いしてしまうので、あまり口にはしなかった。辛かったことよりも、ユナには楽しい思い出を聞いてほしかったんだ。
そしてもうひとつ。ユナに言わなきゃいけないことがある。
下り坂に差し掛かり、僕の足は無意識につま先に体重がかかる。踵が浮きそうになったので、どうにか足裏を地につけながら歩みを進めていった。
ほんの少しだけ、息が上がってしまう。
ユナの手をしっかりと握りしめ、僕は更に歩き続ける。
「手術はたしかに大変だった。でも、ユナが手紙をくれただろ? 励ましの言葉をもらってマジで嬉しかった。それに、クラスのみんなからの寄せ書きも。ひとつひとつの応援メッセージを読んで、いい活力になったよ。わざわざ届けに来てくれたんだよな。本当にありがとな」
何度ユナにお礼を言っているのか分からない。どれだけ感謝の気持ちを伝えたとしても足りないんだ。
ユナはえくぼを作りながら、コクりと頷く。
「わざわざ、じゃないよ?」
「え」
「私が届けたかったの。だから、コウ君が喜んでくれて私も嬉しい」
そう言って、ユナはもう一度前を向く。その横顔は優しくて、凛々しくて、清らかだ。
僕は彼女から目を離せなくなる。
いつも当たり前のように支えになってくれる幼馴染み。どうしてユナは、どこまでも優しいのだろう。僕はほとんど何もしてあげられないのに。
僕がユナの横顔に見惚れていると──突然、彼女の目つきが変わった。「あ……」と呟き、鋭さのある瞳に変わった。
どうしたのかと思い、僕は反射的にユナの視線の先を向いた。
この瞬間、心臓がドクンと低く唸る。
僕たちが歩く道の先に、会いたくもない奴がいることに気がついた。ダルそうな顔をしてスウェットを着て、こちらへ向かってくる。その隣には、小さな犬もいた。どうやら散歩中らしい。
「……コウ君、どうする? 引き返す?」
このまま歩けば、奴と鉢合わせになる。どうしようかと一瞬迷ってしまった。
──僕たちの視線の先にいるのは、いつも嫌がらせをしてくる関だったから。
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