君と国境を越えて

朱村びすりん

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第三章

彼女が、嫌われ者?

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 ──昨日のことを思い出しているうちに頭の中が彼女でいっぱいになった。
 隣でアカネがなにか話している気はするのだが、俺の耳にはほぼほぼ届いていない。
 
「ねえ、イヴァンくん?」

 アカネが大きめの声を出し、俺の前で立ち止まった。
 ハッとする。ジト目で俺を見上げるアカネに意識が戻された。

「あたしの話、聞いてた?」
「……あっ。えっと? なんだっけ。サエさんことか?」
「もうーやっぱり聞いてないじゃん! その話は終わったよ。今朝のホームルームの件を話してたの!」
「……ごめん、全然聞いてなかった」

 誤魔化しようがなく、俺が正直に謝罪すると、アカネは頬を膨らませた。

 アカネが言うには、今朝のホームルームで不審者情報の話がされたらしい。近頃、この近辺で刃物を持った女が出没し、学生を追いかけ回しているんだとか。
 ヤバイ奴もいるもんだな、と他人事に思う。

「だから朝、先生は夜出歩くなって言ってたんだな」
「そうだよ。まさか、ホームルームでもボーッとしてたの?」

 眉を下げ、アカネの声は低くなる。
 俺が返事をする前に、アカネはいきなり俺の腕を掴んできた。進行方向の真逆を歩きだし、理科室が遠のいていく。

「おい、どこ行くんだよ」
「いいから、ついて来て」

 強い口調のアカネに逆らえず、俺は言われるがままどこかへ連行される。一番奥の方へ進むと、アカネは階段をくだり、踊り場で足を止めた。ひとけが全くない場所だ。

 アカネは壁に寄りかかると、俺の腕をさっと放した。

「ごめんね、無理やり連れてきて」
「いや、いいんだけどさ。どうしたんだよ?」
「他の人には聞かれたくなくて。でも、ひとつだけ訊きたいことと言いたいことがあるの」

 うつむき加減になるアカネは、声を低くしてこんな質問を投げ掛けてくるんだ。

「イヴァンくんは、サエさんっていう人のこと、好きなんでしょ……?」
「え」

 俺は一瞬固まってしまう。
 
 答えはもちろんイエスだが、バカ正直に答えられるわけがない。顔が火照っていく。
 焦りを悟られないように、髪をかき上げ、俺は平静を装った。

「サエさんのことは、好きだよ。友だちとして」

 これはある意味、事実だ。俺と彼女は付き合っているわけではなく、あくまでも友だちという関係。勝手に俺が片想いをしているだけだ。この秘め事を表に出す理由はないんだ。

 だが、アカネは疑心の目を向けてくる。

「あんまり信じられないなー」
「……は?」
「だって今日のイヴァンくん、ずっと変だよ」
「そんなことない、気のせいだ」

 意図せず早口になってしまう。背中から冷や汗が滲み出るが、どうにか表情を無にしてみせる。
 アカネは複雑な表情を浮かべながら、静かに口を開いた。

「こんなこと、言いたくないんだけどね……。あんまりあの人と仲良くしない方がいいよ」

 気まずそうに、アカネは目を伏せた。
 仲良くしすぎない方がいいだって? なんでそんなこと言われなきゃならないんだ。
 俺は固唾を呑み込む。

「どうしてだよ。アカネには関係ないだろ」
「そうだね、その通りだよ。でもさ……あんまりいい噂を聞かなくて。あくまでもチア部の先輩たちから教えてもらった話なんだけど」

 口ごもるアカネは、全然目を合わせてくれない。
 不安に駆られ、俺の心臓はドクドクと唸り声を上げている。

「あのサエさんって人、みんなに嫌われてるらしいよ」
「は?」
「というか、サエさんの方からみんなを避けてるみたい。誰かに話しかけられても、大抵は無視して他人と関わろうとしないんだって」
「……なんだよ、それ」

 耳が痛くなる。胸が苦しい。全身に悪寒が走った。
 これまで俺が抱いていた懸念が、真実に近づいている──そんな気がして、いたたまれなくなった。

 不安に思う俺に追い打ちをかけるように、アカネはさらに続けた。 

「だからあの人ね、二年生の先輩たちには気味悪がられてるらしいよ。無愛想だし、全然喋らないし、暗いし……」
「やめてくれ!」

 アカネの話を遮り、俺は大声を出した。どうしても我慢ならない。

「そんなの信じられるかよ。俺が知ってる彼女は、すごく優しい人なんだぞ。たしかになんとなく冷めた印象はある。でもな、笑顔が本当に素敵なんだ。サエさんは、他人を無視するようなこともしない!」
「……イヴァンくん」

 アカネはまるで憐れむような眼差しを俺に向けてくるんだ。

「……そんなにあの人が好きなんだ。イヴァンくんがここまでムキになるなんて珍しい。ごめんね、あたし、余計なこと言っちゃったよね」

 俺は首を大きく横に振り、アカネから背を向けた。

 正直俺は、かなり動揺している。
 彼女は素敵な人だ。頭はいいし、綺麗だし、さりげない優しさを持っている。彼女の内側から醸される冷たい雰囲気すらも、美しい。
 だから、今聞いた話は到底信じられない──いや、信じたくなかった。たとえ中学から付き合いがあるアカネからの話だとしても。
 彼女を見かけたときいつも独りでいる姿を思い出しては、すぐに頭の中からそれを打ち消した。

「もうこの話は終わりだ」
「えっ。ちょっと……?」
「授業始まるぞ」

 アカネに呼び止められる前に、俺は逃げるようにその場をあとにした。目から溢れそうになるものを、歯を食いしばって抑え込んだ。

 全部、嘘だ。デタラメだ。気にする必要はない。関係ない。なにもかも。

 そうやって俺は必死に否定し、真実から逃げようとしている。心の中のわだかまりが解けることはないというのに。
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