オー・マイ・メサイア  ~セイレーン~

ほだか

文字の大きさ
3 / 14
Side 木田

3

しおりを挟む
 生活が落ち着いたんだか落ち着いてないんだかわからない日の午後、とりあえず木田は転入届を出しに区役所へ行った。

「ここが役場?どう見てもそういう繁華街なのに?」
 怪しげなバーの看板が並ぶ通りに戸惑いながらも、案内されたとおりの窓口で転入手続きの書類を書く。

「お待たせいたしました」
 窓口に書類を持っていくと…そこには美しい人間の男性が立っていた。

 あの人だ…木田は書類を渡しながら、男性をガン見してしまった。間違いない。この美しさはあの海の魔物だ…

 でも俺みたいな平凡な男、覚えてないだろうな。と、木田はうつむいた。ネームプレートには“佐伯”と書かれている。美しい魔物は佐伯という名前らしかった。

「目的地には無事つけましたか?」
 佐伯にそう言われ、木田はハッと顔をあげる。

 俺のこと覚えていてくれたんだ…自然とテンションが上がる。

「え、あ、はい。その節は大変お世話になりました」
 丁寧に頭を下げる木田に、佐伯が微笑む。

「いえ。時間に間に合いましたか?」

 美しい佐伯の笑顔に魂を持っていかれそうになった木田は、慌てて魂を掴んだ。

「はい。おかげさまで」
「よかった。転入手続きはこれで終わりです。年金と保険の手続きはあちらの窓口でお願いします」
「待ってください」
 書類を持って奥に入ろうとする佐伯を、木田はとっさに引きとめた。

「あ、あの、佐伯さんのおかげで迷子にならずに、遅刻せずに事務所に着きました。そのお礼をさせて下さい」

 どうして自分の名前を?と思ったのかは定かではないが、佐伯が自分のネームプレートを見た。

「どこかで食事でも…」

 それじゃ難破じゃなくてナンパだろうと、考え直す余裕は木田にはなかった。真面目な木田は生まれてこの方、一度もそんなマネをしたことがない。だけど、このままでは大海原でバラバラになって二度と会えなくなってしまう。だからとっさにナンパした。

「もうすぐお昼だから。昼食でいいですか?」
 時計をチラッとみた佐伯にそう言われ、木田は“はい”と大きくうなずいた。


 ***
 お礼なのにここでいいのかと問う木田に、佐伯は“ここのカレー美味しいんですよ”と微笑んだ。その微笑みに魂を持っていかれそうになり、いや、すでに持っていかれた木田は“そうですか…”と、フラフラと佐伯の後についてインドカレー専門店に入った。

 佐伯がナンをカレーにつけて口に入れる。美しい口元。美しい上品な手つき。あのナンになりたいな…と思ってしまい、木田は急いで水を一気飲みした。

「木田さん?」
「あ、いえ、ちょっと辛かったから…」
 そう言って目を泳がせた木田は、まだカレーを口にしていなかった。


「では、また連絡をください」

 親しい友人もなく上京して間もないと言う木田に、佐伯はラインを交換してくれた。そして安くて美味しい店を教えますからと微笑み、春風のように爽やかに去って行った。

 その日を境に木田の頭は佐伯に侵略された。

 佐伯は確かに美しかったけど、どうみても男だった。声も高くないし、しぐさも決して女性的ではない。よく見ると、指が長くて美しいとは言え、少し骨ばった手もまさに男性のものだった。だけど魂を吸い取られた木田の脳みそには、魔物の性別を冷静に考える余力は残されていなかった。


 ***
 佐伯の動作は美しい。佇まいが綺麗で優雅だ。それでも何度か会ううちに、木田は佐伯が魔物でも救世主でもモンスターでもないことがわかった。

 人間である佐伯は普通に食事をし、仕事の愚痴もいい、トイレにも行き、二日酔いにもなった。最初は近寄りがたさを感じていた木田も人間佐伯に親近感を持ち、一緒にいると癒される気がしていた。

 “帰って洗濯しなくちゃ”と言う木田に、佐伯が微笑みながら言った。
「男の一人暮らしって侘しいですよね」
「佐伯さんは、家の中とかきちんとしてそうです」
「そうでもないですよ」
「俺なんか今、すごいことになっています」

 予測以上にバンド活動が忙しくなってきた木田は外国語が飛びかうアパートで、洗濯前の服と洗濯後の服に囲まれて暮らしていた。

「あ、そうだ。これ」

 帰って来そうもない息子に、母が野菜セットを宅急便で送ってくれた。だけど洗濯物を片付ける時間がない木田に、料理する時間はなかった。

「ありがとうございます。こんなにもらっていいんですか?」

 だから自炊しているという佐伯に、信州の野菜を食べてもらうことにした。

「料理する時間がないので、あっても腐らせてしまいますから」
「ありがとうございます。木田さんに時間があれば手料理をごちそうしたいんですけど」
「とりあえず、レコーディングが終わればひと段落するので、またご連絡差し上げます」

 二人はいつもの通り、微笑を交わして各自の家に戻った。

 木田は友達ができてよかったと純粋に喜んでいた。区民歴が長い佐伯は色々なお得情報を教えてくれた。

 そして佐伯といると、あのアリの巣のトラウマが消えていく気がした。佐伯は木田のオアシスだった。いや、太平洋の真ん中の孤島と言うべきか?漂流の末たどり着いた陸地だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

時雨のあとに、君を知る

寅次郎
BL
親友に「気持ち悪い」と突き放された夜。 俺の世界は終わった――はずだった。 雨が降る寸前の空の下、 場違いなくらい明るく響いたクラッカーの音。 それが、たこやき屋〈時雨〉の店主との出会いだった。 笑っているあの人には、 愛する妻がいる。 近づいてはいけないと分かっていても、 俺はあの店に通い続けた。 やがて訪れる別れ。 止まらない時間。 そして数年後――成人した俺は、 もう一度、あの人の前に立つ。 これは、最悪の夜から始まった、 年の差再生BL。 傷ついた少年が大人になるまでの、 少し遠回りな恋の物語。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

処理中です...