オー・マイ・メサイア  ~セイレーン~

ほだか

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Side 木田

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「佐伯さん。開けてください」
 佐伯の部屋の前で遠慮がちに声をあげる。夜中ではないものの、大声を出すには遅い時間だし、そもそもマンションは声が響く。近所迷惑で佐伯が苦情を受けたら大変だ。

「佐伯さん」
 ドンドンとドアを叩いても反応がない。木田はスマホで電話をかけた。案の定、電話にも出ない。見てくれないだろうなと思いながらもメッセージを送る。

 “一人にして申し訳ありません。最後まで償わせてください。佐伯さんが好きです”

 メッセージを打ち込みながら、木田は海の向こうに新大陸が見えた気がした。
 
 俺…佐伯さんが好きなんだ。
 人間の佐伯さんが。
 魔物に取り憑かれたからじゃない。佐伯さんが好きだから抱きしめたいし悲しませたくない。

 木田は自分の部屋に戻った。急いでまだ開けていなかったダンボールから防災グッズを取り出す。そして袋の中のロープを手にした。

 ロープをベランダの柵にしっかり結びつける。そして軍手をしてそのロープを伝って下へ降りた。1階、2階と下へ降り、佐伯の部屋のベランダに入る。

 こんなところを誰かに見つかったら通報される。これじゃ泥棒だ。落ちたらどうする。と考える余裕は木田にはなかった。

 佐伯の部屋のベランダに降り、中をのぞくと真っ暗な部屋で白い何かが丸まっているのがわかる。

 佐伯さんだ…佐伯はベッドの上で膝を抱えて泣いているようだった。

 胸が痛むより先に、木田は窓を叩いていた。

 佐伯がその音に気づいて顔を上げる。その美しい口が“きださん”と動いた。

 目を丸くしたまま、佐伯が窓を開ける。木田は靴を脱いで佐伯の部屋に入った。

「木田さん…どうやって…」
「佐伯さんを一人にしたくなかったから」
 佐伯の瞳から涙が零れるのを見た木田は、何も考えずその体を抱きしめてしまった。

「一人で泣かないでください」
 木田が耳元でそうささやくと、佐伯は声を上げて泣き出した。


「すみません。もう大丈夫ですから」
 しばらく泣いた後、照れたようにうつむいたまま佐伯が体を離す。

「服、着てきます」
 佐伯は裸のままだった。木田はそそくさとバスルームに向かう佐伯を追った。

「木田さん、あっちで待っていてください」
「嫌です」
 佐伯を一人にしたくなかった。それに…ずっと見ていたかったから。

「服を着るまで、あっちにいてください」
「嫌です」
「木田さん」

 恥ずかしそうにうつむきながらも、上目遣いに責めるように自分を見つめる佐伯。その色気に脳をやられた木田は思わずまた抱きしめてしまった。

「ちょ…木田さん?」
「好きです。佐伯さんが好きです」

 木田の頭はウィルスに感染したかのように“佐伯さん、好き”の羅列しか浮かんでこなかった。だから木田はひたすらそれを繰り返した。

 “佐伯さん、好きです”と、ささやかれながら、しばらく抱きしめられていた佐伯がそっと体を離す。
「わかったから、服を先に…」

 佐伯が服を着たいなら、着せてあげるしかない。いや、着せてあげたい。だから木田はバスルームのカゴにあったパーカーを佐伯に着せた。そして下着とスウェットを穿かせる。
「木田さん…」
「好きです」

 木田の頭は完全にショートしていた。だから出てくるのは本能に従った本音だけ。

 大人しく服を着せられた佐伯は、キッチンで温かいミルクティーを入れてくれた。その間も木田は佐伯のそばにいて、じっと見つめていた。だって美しい愛しい人をずっと視界に入れておきたかったから。

「木田さんの気持ちはわかりました」
「好きです」
「わかってます。でも…僕はもう傷つきたくない」
「傷つけません」

 なぜか木田には根拠のない確信があった。俺はこの人以外、本気で好きになれない。だから気が変わって捨てることはない。

「これまでもそうでした。みんな僕に夢中になって、抱いて、優しくしてくれて…でも急変するんです。そして決まって“やっぱり俺、女がいい”って言うんです」
「俺もそうなるって、どうしてわかるんですか?」
「今までずっとそうだったから」
「またそうだとは限らない」
「木田さんはいい人です。他の男たちより素朴で優しくて。だから変な道に引きずり込みたくない」
「最終的に佐伯さんに辿り着けるなら、難破してもいい。いえ、むしろ難破したいです」

 変な道が最終的に変な場所にたどり着くとは限らない。それに変な場所にたどり着いたからって、不幸になるとは限らない。自分を見ればわかる。大西洋で難破して、太平洋で沈没しそうになった。でもその結果、佐伯と言うオアシスを発見した。そういえばコロンブスだって、インドに行こうとしてアメリカにたどり着いたじゃないか。

 一方、佐伯は意味がわからないという様子で木田を見つめていた。

「わかりました。佐伯さんが傷つかないように、俺、片想いすることにします」
「え?」
「佐伯さんは俺が信じるに値する男か試してみてください。その間、他の…信じられそうな男を探しても構いません。いや、構わなくはないけど…俺の片想いだから」
「僕が振り向いたら木田さんは僕を捨てるんだ」
「俺がそういう人間かどうか、判断は佐伯さんに任せます」

 佐伯さんが今の俺を信じられないというなら…目の前で気持ちを証明するしかない。これまで傷つけられてボロボロになった佐伯さんが俺を信じてくれる気になるまで…もし信じてもらえなくても、傷つけられることになっても、佐伯さんが幸せになってくれるなら、自分を傷つけることで佐伯さんが楽になるなら、願ったりだ。

 佐伯は驚いたように目を見開いたまま木田を見つめていた。

「好きです。佐伯さん、あなたのことが。返事は保留にしてください。だから今は友達ということで」

 友達でも同僚でも下僕でも何でもいい。少しでも佐伯さんの傷を癒す手伝いが出来るなら。

「俺、明日休みなので泊めてもらえますか?もちろん下で寝ますから」

 友達の家にお泊りはありだろう。動揺しているであろう、古傷がジクジク痛み出したであろう佐伯を一人にしたくなかった。

「とりあえず、ミルクティーいただきます」

 木田は決めた。魔物が自分を引きずり込みたくないと言うなら、こっちから飛び込んでやる。魔物を人間に戻すために。木田はすっかり冷めてしまったミルクティーを大切に飲んだ。

 佐伯はそんな木田をつらそうに見つめていた。
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