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第一話
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「リリーシャ! そなたとの婚約は、たった今を以て破棄とする。我は……とうとう、運命の番を見付けてしまったのだ!!」
王宮で開催された、隣国の要人を招いた夜会の場にて。一体何の騒ぎかと他人事のように首を傾げていると、まさに渦中の男が一人……驚く人々を掻き分けるようにして、こちらへ向かって来るなり言った。
「そなた、名はなんという!?」
「……アダルベルト侯爵が第一女、エリーザベトと申します」
なんだか必死過ぎて怖い――そう戸惑いつつも非礼のないように、完璧な淑女の礼をとる。だが相手は不意に私の目の前に跪くと、自らの名も名乗らぬままで、すっと手を差し出した。
「とうとう見つけた……我が運命の『番』よ!!」
貴族ばかりが集うこの夜会の場でも、ひときわ上等な長上着に身を包んだ男の瞳は金色で、縦に切れ長の瞳孔を持っている。この瞳は、人間のものではない。そして翡翠色の長髪に、恐ろしいまでに冷たく整った容姿――彼はきっと、隣国を治める竜人の高位貴族なのだろう。
「恐れながら、お名前を伺っても?」
「この我を知らぬとは……まあ良い。我が名は、サタナエル」
その名を聞いた瞬間、私は再びスカートに両の手を添えて、深く腰を落とすことになった。だが差し出されたままの手を取ることだけはしなかった。――本能が警鐘を鳴らしていたからである。
「これは……ドラクラム王国の王太子殿下でございましたか。大変失礼いたしました」
「分かったのならば、喜べ。お前を、栄えある竜人族の王の子たる我が花嫁に迎えよう!」
「……花嫁、でございますか? あまりにも急なお話で、少々困惑しております」
「あまりにも突然の栄誉に、驚かせてしまったようだな。だが我はひと目見て、気付いたのだ。そなたこそが、我が運命の番であるのだと!」
「恐れながら、『番』とは……貴国の文化を不勉強で、大変申し訳ございません」
「そんなことも知らぬとは……まあ良い、不勉強を恥じる態度は殊勝であろう。特別に教えてやる。『番』とは、我ら竜人族にとってどうしようもなく本能で惹かれる運命の相手なのだ――」
うっとりと熱に浮かされたかのように、彼は語り続けた。どうやら彼等にとっての『番』とは、滅多に見つからないものなのだが、一度見付けてしまうとどうしても手に入れたいという欲求に抗えない存在なのだという。そしてその相手と番うことができたなら、その竜人はさらなる強大な力を得て、子々孫々まで繁栄するのだそうだ。
「――なるほど、お話は理解できました。とはいえ、公の場で晒し上げるかのように突然の婚約破棄を突き付けるとは……年頃のご令嬢に対し、ひどい話ではございませんか」
私は周囲に支えられながら失意のうちに会場を去る水色の髪のご令嬢の後ろ姿を見送って、眉をひそめた。
「なんだ、そのようなことに心を痛めるなど、我が番はなんと心優しいのだろうか! お前が心配する必要はない。リリーシャとの婚約は、あくまでも『運命の番が現れなければ』という条件付きで交わされた契約に過ぎぬ。あの者も竜人族である以上、きちんと弁えているだろう。次代の王に番が見つかったことが、王国にとってどれほど喜ばしいことか……すぐに気付いて、我らが幸せを祝福するはずだ。さあ我が愛しの番よ、今すぐ我が妃として、竜王国へ共にゆこう!」
そう芝居がかった声音で言った自称『運命』の男は、さらにずいっとこちらに手を差し伸べた。だが私はどうしても、その手を取る気にはなれなかった。
そもそも、運命だの何だのということが、問題なのではない。いくらでも手順を踏むことができたはずなのに、それも立場のある王族が、なぜこれほどまでに軽率な振る舞いを見せることができるのか……すっかり不信感を覚えてしまっていた私は、慎重に口を開いた。
「サタナエル殿下、それは光栄の至りに存じますが……わたくしには引き継がねばならない職務があるのです。いずれ嫁ぐにしましても、相応に支度のお時間をいただきたく存じます」
「職務だと? ご令嬢の暇つぶしの仕事など、どうせ大したものではあるまい。そんなことより、一刻も早く我が妃となることの方がどれほどそなたにとって幸せなことか。この次代の竜王たる我に、誰よりも愛される存在となれるのだぞ? それこそが、お前たち女にとって、最高の幸せではないか!」
言葉と共に強引に取られた右手を、私は思わず振り払うように引っ込める。
「……わたくしのような人間ごときを相手に紳士らしからぬ振る舞いをなさっては、殿下のご名誉にかかわるのでは? 本能に抗えないだなんて……竜人族の王太子殿下は、野生の獣でいらっしゃるのかしら」
思わず挑発的な目を向けた私に、サタナエル殿下は激高したように声を上げた。
王宮で開催された、隣国の要人を招いた夜会の場にて。一体何の騒ぎかと他人事のように首を傾げていると、まさに渦中の男が一人……驚く人々を掻き分けるようにして、こちらへ向かって来るなり言った。
「そなた、名はなんという!?」
「……アダルベルト侯爵が第一女、エリーザベトと申します」
なんだか必死過ぎて怖い――そう戸惑いつつも非礼のないように、完璧な淑女の礼をとる。だが相手は不意に私の目の前に跪くと、自らの名も名乗らぬままで、すっと手を差し出した。
「とうとう見つけた……我が運命の『番』よ!!」
貴族ばかりが集うこの夜会の場でも、ひときわ上等な長上着に身を包んだ男の瞳は金色で、縦に切れ長の瞳孔を持っている。この瞳は、人間のものではない。そして翡翠色の長髪に、恐ろしいまでに冷たく整った容姿――彼はきっと、隣国を治める竜人の高位貴族なのだろう。
「恐れながら、お名前を伺っても?」
「この我を知らぬとは……まあ良い。我が名は、サタナエル」
その名を聞いた瞬間、私は再びスカートに両の手を添えて、深く腰を落とすことになった。だが差し出されたままの手を取ることだけはしなかった。――本能が警鐘を鳴らしていたからである。
「これは……ドラクラム王国の王太子殿下でございましたか。大変失礼いたしました」
「分かったのならば、喜べ。お前を、栄えある竜人族の王の子たる我が花嫁に迎えよう!」
「……花嫁、でございますか? あまりにも急なお話で、少々困惑しております」
「あまりにも突然の栄誉に、驚かせてしまったようだな。だが我はひと目見て、気付いたのだ。そなたこそが、我が運命の番であるのだと!」
「恐れながら、『番』とは……貴国の文化を不勉強で、大変申し訳ございません」
「そんなことも知らぬとは……まあ良い、不勉強を恥じる態度は殊勝であろう。特別に教えてやる。『番』とは、我ら竜人族にとってどうしようもなく本能で惹かれる運命の相手なのだ――」
うっとりと熱に浮かされたかのように、彼は語り続けた。どうやら彼等にとっての『番』とは、滅多に見つからないものなのだが、一度見付けてしまうとどうしても手に入れたいという欲求に抗えない存在なのだという。そしてその相手と番うことができたなら、その竜人はさらなる強大な力を得て、子々孫々まで繁栄するのだそうだ。
「――なるほど、お話は理解できました。とはいえ、公の場で晒し上げるかのように突然の婚約破棄を突き付けるとは……年頃のご令嬢に対し、ひどい話ではございませんか」
私は周囲に支えられながら失意のうちに会場を去る水色の髪のご令嬢の後ろ姿を見送って、眉をひそめた。
「なんだ、そのようなことに心を痛めるなど、我が番はなんと心優しいのだろうか! お前が心配する必要はない。リリーシャとの婚約は、あくまでも『運命の番が現れなければ』という条件付きで交わされた契約に過ぎぬ。あの者も竜人族である以上、きちんと弁えているだろう。次代の王に番が見つかったことが、王国にとってどれほど喜ばしいことか……すぐに気付いて、我らが幸せを祝福するはずだ。さあ我が愛しの番よ、今すぐ我が妃として、竜王国へ共にゆこう!」
そう芝居がかった声音で言った自称『運命』の男は、さらにずいっとこちらに手を差し伸べた。だが私はどうしても、その手を取る気にはなれなかった。
そもそも、運命だの何だのということが、問題なのではない。いくらでも手順を踏むことができたはずなのに、それも立場のある王族が、なぜこれほどまでに軽率な振る舞いを見せることができるのか……すっかり不信感を覚えてしまっていた私は、慎重に口を開いた。
「サタナエル殿下、それは光栄の至りに存じますが……わたくしには引き継がねばならない職務があるのです。いずれ嫁ぐにしましても、相応に支度のお時間をいただきたく存じます」
「職務だと? ご令嬢の暇つぶしの仕事など、どうせ大したものではあるまい。そんなことより、一刻も早く我が妃となることの方がどれほどそなたにとって幸せなことか。この次代の竜王たる我に、誰よりも愛される存在となれるのだぞ? それこそが、お前たち女にとって、最高の幸せではないか!」
言葉と共に強引に取られた右手を、私は思わず振り払うように引っ込める。
「……わたくしのような人間ごときを相手に紳士らしからぬ振る舞いをなさっては、殿下のご名誉にかかわるのでは? 本能に抗えないだなんて……竜人族の王太子殿下は、野生の獣でいらっしゃるのかしら」
思わず挑発的な目を向けた私に、サタナエル殿下は激高したように声を上げた。
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