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第二話
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「我が番に選ばれて喜ばぬどころか、なんだその不遜な態度は!」
「エリーザベト、ひかえなさい! 殿下、どうぞ娘のご無礼をお許しください!」
だがそこで声を上げたのは、ここまで一連のやりとりを近くで呆然と見ていた父である。口では叱りつけながら、だが私を庇うように間に割って入った父の背を見上げ、私はハッと我に返った。
そうだ、これは私だけの問題ではない。王宮で開かれた公的な夜会で、私はこの国カレンベルクの侯爵家に生まれた娘、そして相手は隣国ドラクラムの王族だ。この場でこの二人の間に起こったいざこざは、国と国同士の問題に発展しうるのだ。
「……女子には、必要な準備というものがございます。どうぞ、お時間をくださいますよう」
「身支度など、いくらしたところでどうせそれほど変わるものでもあるまいに。まあ、我のために少しでも美しく見せたいと思う気持ちはいじらしく思うぞ。よかろう、舅殿の顔を立て、今日は仕切り直してやるとしよう。後日改めて、古式に則った手順にて、我が国へ招待させてもらおうではないか!」
*****
「――ということがあったのよ! 本当に、何様のつもりかしら!?」
「何様って、王太子サマだろ?」
「皮肉で言ってるの!」
高等魔術を究める者たちの集う『塔』――その一室に与えられた自分の執務机の前に座るなり、私は昨夜の顛末を隣席の男に語った。誰かに聞いてもらわなければ、どうにも腹の虫がおさまらなかったのだ。
「じゃあ次にそのクソトカゲ野郎に会ったら、横っ面を引っ叩いてやれよ」
「貴方ねぇ……それが淑女に向けるべき助言かしら?」
「悪いな、下賎の出なもので」
まだ若い身ながら、このカレンベルク王国随一の魔術師と呼ばれる彼――ディートヘルムは、そう言って透き通った紫の瞳を意地悪げに細めると、軽く鼻で笑ってみせた。
自らを下賎と呼んだ彼の身分は、実はこの国の第四王子殿下その人である。だが城の洗濯女中を母に持つ彼は、貴族ばかりが集う学院に入学すると……他に六人もいる王子の取り巻き達から、その出自を嘲笑されることになった。
そんな彼の行動を貴族らしからぬと周囲があげつらうたび、彼は逆に反発するかのように、いかにも平民のように粗雑に振る舞うようになったのだが……やがて、周囲の雑音を実力で黙らせることになる。国力に影響を与えるほどの、類稀なる魔術の才能を示したからだ。
――もっとも彼は、才能なんてバカ共が考えた努力しないための言い訳だなんて言ってはばからないけれど。
そして魔術が好きという以外、幼い頃から貴族令嬢という型にはまってしか生きられなかった私は――そんな誰にも屈しない彼を『かっこいい』と思ってしまった初等部のあの日から、ずっと好ましく思っているのだ。
彼と少しでも長く一緒にいたくて一心に魔術を学び、なんとか同期で『塔』に入職することができたのに……そんなものさっさと投げ出して、今すぐ嫁に来て竜人族のしきたりを学べだなんて。あの竜王国の王太子様は、私の積み重ねてきたこれまでを一笑に付したのである。
だがその日の夜。一日の業務を終えて邸へ帰ると、さっそく竜王国からの招待状が届けられていた。それも『番殿にはぜひ我が国にひと月ほど滞在し、まずはその良さを知ってもらいたい』という、少なくとも文面だけはごく物腰の柔らかな内容である。それも勅使を通しての、正式な招待なのだ。
「お父様、どうにか、お断りすることは……」
「難しい……いや、未だ婚約者もいない身では、絶対に無理なことだろう。先方は、両国間で長年の係争地だったヴェルデ地方の領有権を、正式に放棄してよいとまで言っておるのだ。かの種族にとっての番とは、何よりも大切な存在なのだということは、本当のことなのだろう。だからきっと、悪いようにはされまい。……行ってくれるか?」
「……はい」
この国の貴族に生まれた私には、もはや拒否権など無いも同然だった――。
「エリーザベト、ひかえなさい! 殿下、どうぞ娘のご無礼をお許しください!」
だがそこで声を上げたのは、ここまで一連のやりとりを近くで呆然と見ていた父である。口では叱りつけながら、だが私を庇うように間に割って入った父の背を見上げ、私はハッと我に返った。
そうだ、これは私だけの問題ではない。王宮で開かれた公的な夜会で、私はこの国カレンベルクの侯爵家に生まれた娘、そして相手は隣国ドラクラムの王族だ。この場でこの二人の間に起こったいざこざは、国と国同士の問題に発展しうるのだ。
「……女子には、必要な準備というものがございます。どうぞ、お時間をくださいますよう」
「身支度など、いくらしたところでどうせそれほど変わるものでもあるまいに。まあ、我のために少しでも美しく見せたいと思う気持ちはいじらしく思うぞ。よかろう、舅殿の顔を立て、今日は仕切り直してやるとしよう。後日改めて、古式に則った手順にて、我が国へ招待させてもらおうではないか!」
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「――ということがあったのよ! 本当に、何様のつもりかしら!?」
「何様って、王太子サマだろ?」
「皮肉で言ってるの!」
高等魔術を究める者たちの集う『塔』――その一室に与えられた自分の執務机の前に座るなり、私は昨夜の顛末を隣席の男に語った。誰かに聞いてもらわなければ、どうにも腹の虫がおさまらなかったのだ。
「じゃあ次にそのクソトカゲ野郎に会ったら、横っ面を引っ叩いてやれよ」
「貴方ねぇ……それが淑女に向けるべき助言かしら?」
「悪いな、下賎の出なもので」
まだ若い身ながら、このカレンベルク王国随一の魔術師と呼ばれる彼――ディートヘルムは、そう言って透き通った紫の瞳を意地悪げに細めると、軽く鼻で笑ってみせた。
自らを下賎と呼んだ彼の身分は、実はこの国の第四王子殿下その人である。だが城の洗濯女中を母に持つ彼は、貴族ばかりが集う学院に入学すると……他に六人もいる王子の取り巻き達から、その出自を嘲笑されることになった。
そんな彼の行動を貴族らしからぬと周囲があげつらうたび、彼は逆に反発するかのように、いかにも平民のように粗雑に振る舞うようになったのだが……やがて、周囲の雑音を実力で黙らせることになる。国力に影響を与えるほどの、類稀なる魔術の才能を示したからだ。
――もっとも彼は、才能なんてバカ共が考えた努力しないための言い訳だなんて言ってはばからないけれど。
そして魔術が好きという以外、幼い頃から貴族令嬢という型にはまってしか生きられなかった私は――そんな誰にも屈しない彼を『かっこいい』と思ってしまった初等部のあの日から、ずっと好ましく思っているのだ。
彼と少しでも長く一緒にいたくて一心に魔術を学び、なんとか同期で『塔』に入職することができたのに……そんなものさっさと投げ出して、今すぐ嫁に来て竜人族のしきたりを学べだなんて。あの竜王国の王太子様は、私の積み重ねてきたこれまでを一笑に付したのである。
だがその日の夜。一日の業務を終えて邸へ帰ると、さっそく竜王国からの招待状が届けられていた。それも『番殿にはぜひ我が国にひと月ほど滞在し、まずはその良さを知ってもらいたい』という、少なくとも文面だけはごく物腰の柔らかな内容である。それも勅使を通しての、正式な招待なのだ。
「お父様、どうにか、お断りすることは……」
「難しい……いや、未だ婚約者もいない身では、絶対に無理なことだろう。先方は、両国間で長年の係争地だったヴェルデ地方の領有権を、正式に放棄してよいとまで言っておるのだ。かの種族にとっての番とは、何よりも大切な存在なのだということは、本当のことなのだろう。だからきっと、悪いようにはされまい。……行ってくれるか?」
「……はい」
この国の貴族に生まれた私には、もはや拒否権など無いも同然だった――。
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