魔王〜明けの明星〜

黒神譚

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第2章 新国家「エデン」

第32話 最高の時間

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 全ての者が殺しあう中、ヴァレリオ男爵はわたくしを馬に乗せて戦場から離脱していきます。とてつもなく危険な状態でしたが、私の心の中は先ず、死んでいったフィリッポたちの事で一杯でした。私を護るために死んでいったフィリッポたち。彼らの事を思うと本当に申し訳ない気持ちと喪失感で心が壊れそうになります。涙は止まらず、呼吸が苦しくなるほど動機が乱れました。

 (ああっ! 私は何という事を・・・。
  戦争を止めるためとはいえ、なんという大勢の人を犠牲にしてしまったのっ!)
 (あまつさえ、戦争を止めるどころか明けの明星様の思惑を阻止することも出来ずにより多くの人を死なせてしまう結果になってしまいましたわ。)

 (私・・・私、これではフィリッポたちに合わせる顔がありませんっ!!
  でも、この状況で私に何がでいるというのっ!? ただ逃げることしかできない私に・・・・・・)

 自分の無力感に心が壊されそうになった時、そんな私の心境を察したのかヴァレリオ男爵が声をかけてくれます。

「姫様。御自分をお責めになってはいけません。
 騎士は君主を守ることを使命の一つにしています。彼らは自分の仕事を全うしたのです。
 どうかお泣きある前に彼らの事を誇りに思ってあげてください。」
「そうして、彼らの為にも生き残ることをお考え下さい。
 そうでなければ、それこそ彼らも浮かばれぬというもの・・・。」
「このヴァレリオが必ず姫様を救い出して御覧にいれましょう・・・」

 ヴァレリオ男爵はそう言って私を強く抱きしめてくれました。その優しさ、その温もり。そして、私の心を満たしてくれる安心感が私の心を先ほどまでとは違う理由で破壊します。
 私もヴァレリオ男爵の女性にはないその太い腕、たくましい体幹が生み出す安心感にすがるように抱きしめ返して、声を上げて泣きだしてしまったのです。

「ああああああ~~っ!!!
 ヴァレリオっ!! ヴァレリオっ!!
 私、私、どうすればいいのっ!?」
「死なせてしまいましたっ!! 皆を死なせてしまいました。
 フィリッポたちは私に和平を成し遂げてくださいとお願いして死んでいきましたっ!!
 なのに・・・・・・なのに私は何もできないっ!!
 何もしてあげられないのですっ!!」
「お願いですっ!! 教えて、ヴァレリオっ!!
 私はどうしたらいいのですかっ!? 教えてくださいっ!! ヴァレリオっ!!」

 この叫びは甘え。
 自責の念にえられなくなった私の前に現れたヒーローに私はすがり付いたのです。そして、父親に駄々をこねるように大声を上げてどうにもならないような感情をぶつけたのです。これから、この混乱する戦争を和平に導くためにはどうすればいいのか? そんなこと、ヴァレリオ男爵にだってわかるはずがないのです。それはわかっています。
 でも・・・。それでもヴァレリオ男爵なら何とかしてくれる・・・。ヴァレリオ男爵にだけは私の甘えてたの感情を受け止めてほしい。そう思わずにいられなかったのです。
 
 でも、ヴァレリオ男爵は私の気持ちを包み込むように答えてくれるのです。
 縋り付いて泣く私の髪を撫でながら、優しい声で言ってくれたのです。

「姫様。そのお気持ち、このヴァレリオよくわかりました。
 どうぞ、このヴァレリオの胸でお泣きなさい。
 それで何が解決するわけでもありませんが、今の姫様に必要なものは心の安らぎ。」
「どうぞ、このヴァレリオに甘えてください。
 何も我慢せずに子供のように泣いて泣いて泣いて、全てをさらけ出しておしまいなさい。この混乱する戦場で姫様が何を叫んでも誰も気にもしません。
 全て私と姫様だけの秘め事。どうぞ、お泣きください。」

 ヴァレリオ男爵は知っていたのでした。私の心が、今求めているのは解決策ではなく、心の安定を図るために絶対的にすがれる存在なのだと。それは私すら無自覚に感じていた気持ちでした。ヴァレリオ男爵はわかってくれていたのでした。

「ああっ!! ヴァレリオっ!!
 お願いですっ!! ヴァレリオっ!! ずっと私を支えてくださいっ!!」
「ずっと私を抱きしめていてっ!! 絶対に離れないでっ!!
 もう誰かに死なれるのは嫌っ!!
 不安なのですっ! 恐ろしいのですっ!! どうしていいのかわからないのですっ!!」
「あなたがいてくれませんと、私もう、何もできないのですっ!!
 あなたがいてくれないと、私の心は壊れてしまいそうなのですっ!!
 お願いっ!! ヴァレリオっ!! 弱くて無力で愚かな私を許してくださいっ!!」

 そうやってヴァレリオ男爵の腕の中で泣いて泣いて、泣きはらしたころ、ヴァレリオ男爵は見事に戦場から離脱することに成功していました。

「ご覧ください。姫様。
 あなたの騎士は、見事に戦場から離脱せしめて見せましたよ。」

 ヴァレリオ男爵にそう言われて私はハッと気が付きました。
 私とヴァレリオ男爵はいつの間にか戦場から離れた小高い丘の上に立っていました。そうして馬上からヴァレリオの指さす方向を見ると、数千もの松明の明かりがうごめきあっているのが見えました。それはつまり、未だにあそこ・・・では、人々が殺しあっている証拠なのでした。

「ああっ・・・、なんてことなのっ!?」

 そういって私が戦場とヴァレリオの顔を見比べて時、私はハッとなりました。
 私は泣いてばかりで気が付きませんでしたが、ヴァレリオ男爵はその間も敵の攻撃をかわしにかわして、それでも体にいくつもの手傷を負っておりました。体には2本の矢が刺さり、右足には深い切り傷がありました。投石を受けたのでしょうか? 顔からは血が流れていました。
 反対に私には傷一つなかった。きっとヴァレリオがあの混乱する戦場を駆け抜ける最中でも私を守り切ってくれたのでしょう。守りきるために、私に傷一つ負わせないために、自分の身をていして私を守り、これほどの傷を負ったのでしょう。
 その事に気が付いた私は顔面蒼白となって慌てふためきました。

「ヴァレリオっ!!!!」
「ああああああっ!! なんてことなのっ!!!
 すぐに手当てをしませんとっ!!」
「お願い、ヴァレリオっ!! 死なないでっ!!」

 ヴァレリオが死んでしまうかも知れないっ!! そう思うといてもたってもいられなくなり騒ぎ立てました。
 そんな私を気遣ってヴァレリオは笑顔で言ってくれました。

「姫様、縁起でもないことを仰らないでください。
 これぐらいのケガで私は死んだりしませんよ。」

「まぁっ!! そんな強がり仰らないでっ!!
 どうして殿方って、女の前で格好つけたがるのですか? これほどの傷が大丈夫なわけないでしょうっ!!?」

 私は強引に下馬して、ヴァレリオ男爵に傷の手当てをするように仕向けるのでした。
 そんな私を見てヴァレリオは嬉しそうに笑って

「随分と甘いお姫様ですね。でも家臣にとって、それは何よりもの救い。
 お言葉に甘えさせていただいて、ひと先ずは休息を取らせていただきますね。」

 と言って下馬してくれました。
 私は先ず、ヴァレリオ男爵の足の傷の治療から始めました。切り傷はそれなりに深かったからです。
 私は自分の鎧を脱ぎ捨て、内部に来ていた服の裾をナイフで切って包帯代わりにしました。その際にヴァレリオ男爵から「どうぞ消毒に使って下さい」と果実酒の入った瓶を渡されました。私はすぐに瓶を受け取ると瓶のふたを抜き、お酒で傷口を洗いました。血と汚れがとれてあらわになった傷口はぱっくりと裂けて縫合ほうごうが必要のようでした。

「笑わないでくださいね。私、お裁縫さいほうは苦手ですの・・・・・・。」

 そう冗談を言うとヴァレリオ男爵は、引きつった笑顔で「お手柔らかに・・・」と言うのでした。戦場の心得として兵法の教育実習としてある程度の治療法を習っていてよかったと思います。小国の女衆おんなしゅうの定であり慣習ではありますが、こういった戦場の知識もお父様が私に教育させていてくれたことは本当に有難い事でした。
 どうしてお父様はただの供物にしか思っていなかった私にこのように細部にわたるまでの教育を施してくれたのかと言えば、それが供物としての私の格を上げるための事に他なりません。わかっています。明けの明星様にお父様が殺された日、私はお父様に愛されていなかったことを深く自覚しておりますもの。でも。そのおかげでこうしてヴァレリオ男爵の手当てができるのだと思えば、有難いことだと感謝せずにはおれませんでした。

 太ももの傷を縫い。二本の矢を抜き取り、その傷口もふさいだ時、ヴァレリオ男爵はようやく「ふーっ」と、深いため息をついたのでした。「これぐらいのケガ」だなんて言っておいて、本当は痛くて苦しくてたまらなかったのでしょうね。本当に殿方ったら、仕方のない生き物なんですから。
 
「他に苦しいところはありませんか?
 何かしてほしい事はありますか?」

 ヴァレリオ男爵が額に負った傷をお酒で濡らした布で拭きとりながら、尋ねる私をヴァレリオ男爵はじっと見つめていました。

「・・・? ど、どうしました?
 わ、私の顔になにかついていますの?」

 そんなに見つめられたら照れてしまいます。私は気恥ずかしさに思わず顔を背けたときでした・・・。
 ヴァレリオ男爵はおもむろに私に抱き着いてきたのでした。

「・・・姫様。ご無礼を・・・。
 ですが、ですが、どうかこのヴァレリオに姫様をもう一度だけ抱きしめる栄誉をお与えください。」

 ヴァレリオに耳元でそう囁かれた私には対抗や拒否という選択肢はありませんでした。ただ、心がとろかされて私も彼を抱きしめたいと思わずにはいられなかったのです。

「・・・はい。ヴァレリオ。
 どうか私を強く抱きしめてください。
 あなたがそれで満たされるのなら、どうぞ、いつでもいつまでもこの私を抱きしめてください。」
「お願い。ヴァレリオ・・・・・・。私を一人にしないでください・・・。」


 私はそう言いながらヴァレリオ男爵を抱きしめ返しました。
 ポロポロとこぼれる涙を止める気にはなりませんでした。それは哀しみの涙ではなく、心が満たされて流れ落ちる涙だったからです。
 ヴァレリオ男爵に抱きしめられたら、心が弾み、体の力が抜け落ちて、全てから解放された気がするのに・・・私は満たされていくという不思議な時間が流れました。

 それは偽りの愛情を受けて育ったと知った私にとって生涯で最高の時間だったと言えるでしょう・・・。



 そうしてどれほどの間、そうしていたのかはわかりません。永遠のように長い時間だったかもしれませんが、ほんの短い間だったかもしれません。全てをヴァレリオ男爵にゆだねていた私には、そんなことどうでもよかったのかもしれないのですから、わかるわけがありません。

 ただ、理性的なヴァレリオ男爵が我に返るまでの時間であったことは間違いありません。
 ヴァレリオ男爵はその逞しい腕で包み込んでくれていた私の体を優しく解くと、ゆっくりと立ち上がりました。
 彼は遠い目で戦場を見つめていました。騎士である彼が戦場に何を思うのかわかっていました。
 きっと、戦っている家臣たちを思っているのでしょう。
 そうして、その気持ちは私も同じことでした。


 ですから、こんなことは言いたくない。
 言いたくないけれど、私は言わずにはおれませんでした。


「ヴァレリオ。私はあそこに戻らねばなりません。」

「・・・。はい、姫様。」
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