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第三章 出会いと契約

第13話―1 探り合い

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 執務室を後にした一木は、ミラー大佐達が宿営地内の監視をしている部屋へと移動した。
 そして、入ってそうそうにミラー大佐から小言を言われるのだった。

「オドオドするな! 言い淀むな! だから私は練習をもっとしろって言ったわよね? マナ大尉とジークといちゃつく暇があったら仕事しろバカ!」

 ミラー大佐の説教は短いが、いつも激しい。
 一木は身がすくみ、小さくなった様な感覚を覚えた。

「まあまあミラー、最初はこんなもんだろ。本来ならお前がやる仕事を自分から引き受けたところは評価してやろう。な?」

 落ち込んでいる心に殺大佐の気遣いが染みる一木。
 一方ミラー大佐も、一旦説教を終えてしまえば怒りを引きずったりはしない。
 声をかければ普通に応対してくれた。

「しかしミラー大佐。グーシュ皇女に、暗殺の件と実行犯の捕縛を伝えなくて本当に良かったのか? 下手に隠していたら伝えるタイミングを無くして、苦労して作戦を実行した意味が……」

 一木としては早々に言ってしまいたかったが、先ほどグーシュ皇女に突然質問された際、ミラー大佐に通信でそれらの事は言わないように告げられたのだ。

「ちょっと待ってて。もう少しだけあの皇女の行動を見てから判断させて」

 画面を食いつくように見ながら、ミラー大佐は深刻な口調で言った。
 その様子に、殺大佐も画面を凝視する。

「なんか気になるのか?」

「さっきの聞き方が気になる……なんで一木司令をひっかけるように聞いた? 思い過ごしならいいけど、もしかしたら橋を落としたのが私たちだって気が付いてるのかも……」

 そのミラー大佐の言葉に、一木をはじめとして部屋にいる一同はギョッとする。
 監視カメラは、廊下を歩くグーシュ皇女たちを映していた。



 ニャル中佐を先頭に兵士たちの病室に移動中の一同。
 すると、唐突にグーシュが立ち止まり、小声でミルシャに何やら告げた。
 告げられたミルシャは頷くと、ニャル中佐に話しかけた。

「ニャル中佐殿。申し訳ないが殿下はお酒を飲みすぎたようなのだ」

「? 失礼ですがこの宿営地に来てからグーシュ皇女が飲酒された事はありませんが……」

「いえ……ですから飲みすぎてしまったのです。わかりませんか? 早く場所を教えていただきたい」

「兵士の方々の所には今案内中ですが……」

「ですから……」

「いつまで問答してるんだ! 用を足したいから便所の場所を教えてくれ!」

「殿下! そのような言葉使いを……」

「……この廊下をまっすぐ行った所です……使用方法は担当の者がいますので、聞いてください」

 少々トラブルはあったが、グーシュは無事トイレにたどり着き、グーシュたちのためにあらかじめ主要生活インフラに配属された兵士に使い方を聞き、事なきを得た。

 ミルシャはお付きの義務を果たすべく、トイレの個室ドアの前で番をしていた。

「うーむ。この多機能さは癖になるな……海綿や葉ではなく紙で拭くというのもすごいな」

「いちいち解説しなくても大丈夫ですよ」

 ミルシャはそういった後、意を決して聞きたかった事を聞いた。

「殿下、先ほど言ったことは本当なのですか?」

「ん? どのことだ?」

「ですから……ニャル中佐にその、あの。指をですね……」

 ミルシャのその質問を聞いて、グーシュは深いため息をついた。

「あのな、お前までそんな事を言うのか? あんなことで人間の識別なんぞ出来るわけなかろうが」 

「ええ! じゃあなんであんなことを!? やはり美人だから……」

 ミルシャの口調に怒りが混じるのを聞くと、グーシュは焦ったように答えた。

「そんなわけあるか。大体美人相手にあんな強引なことするわけない。あれは映像に呑まれて、向こうに主導権を取られそうだったからそうしただけだ。あれで何とか場の空気を五分に戻せたな」

「はあ……そんなものですか?」

 グーシュの解説を聞いても、ミルシャは懐疑的だ。
 普段の行動もあって自業自得なので仕方がない。

「そんなものだ。ああして少しづつ優位性を作られると、気が付いた時には人間同士の立ち位置が覆せなくなるのだ。ただでさえこちらが助けられている状況なのに。この上向こうの情報に驚いてばかりいると、心が呑まれる。そうなると交渉の時に粘りのある話し合いが出来ん……」

 あの時、今まであった宿営地の者がすべてアンドロイドのだと聞いた時、危うく驚愕で心が真っ白になりそうになった。
 このままでは地球連邦という相手を、絶対的な強者として見てしまう。立ち位置が固まる。
 そんな危惧を覚えた。
 その瞬間には立ち上がっていた。すぐに場の空気を自分の歩調にするような行動として考えついたのがあの行動だったのだが、さすがにあまりと言えばあまりな行動だった。

(乳を揉むくらいにすればよかった……)

「なるほど。珍しい場所に来て楽しんでおられるのかと思っていましたが、真面目に交渉の事も考えておられたんですね」

「いくらなんでもわらわの事バカにしすぎじゃないか? まあいいか……ところでミルシャ、表にいる係の者を呼んでくれ」

「どうかされましたか?」

「さっきから股にあたる水が止まらんのだ……早く……」

 そうしてミルシャがトイレの外に行くと、グーシュは考えをまとめ始めた。
 ミルシャを遠ざけたのは一人で考えをまとめたかったからだ。
 正確に言うと、沈黙しても時間が欲しかったのだ。

 ミルシャは不安になると口数が増える癖があるので、中々黙っていられなかった。
 かといって黙っていてくれとは言えなかった。
 考え込んでいることすら、秘匿したかったからだ。

(どうせこの建物の中の会話は全部筒抜けだ)

 グーシュはそう考えていた。
 一木の執務室の入り口に、扉の外と中で会話可能な設備が付いているのを見てから予想していたことだった。
 扉の外の声が聞こえるのだ。あの仕組みを少し工夫すれば、建物の中の会話をどこかの部屋に集めて聞くことなど容易だろう。

(橋の崩落が、腹立たしいことにイツシズ……そして兄上の仕業なのは間違いない……が、どうにも助けられた状況が不明瞭すぎる……その上、兄上の一派では橋を崩せないはずなのだ……)

 ガイス大橋が崩れたとき、最初に疑ったのは皇太子派だった。
 しかし、皇太子派の切り札のをグーシュは知っていた。
 だからこそ、一木に唐突な質問をぶつけた。

 そして、その反応はグーシュが思っていた通りのものだった。
 今回のグーシュたちの救出には、裏がある。

(さて、どのような”利”が欲しくてこのような事をしたのか……見極めさせてもらうぞ)

 グーシュが覚悟を決めたその時、ミルシャが係の歩兵型を連れて来た。
 思考の時間は終わりを告げた。


「あの皇女様五分くらい洗浄しっぱなしだったわね」

「尻がふやけそう」

「というか自分はここでこの音声聞いていていいんでしょうか……」

「弘和君ああいうの好きなの?」
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