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3 ヒロインへの道

147 公爵令嬢 ルシアナ・アドランテ 5

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王都の町外れにある小さな一軒家に質素な馬車が停まり、灰色のドレスを着た女性が降りた。
どこにでもある日常風景にすぎない。
ただし、女性が身なりの割には美しすぎたこと、を除けば。

女性がフードをかき寄せると、手入れの行き届いた黒い巻き毛が一瞬揺れた。そのまま、まっすぐに前を見つめ、静かに家のドアの奥に消えていった。
御者は馬車を家の陰に寄せると、そのまま馬車を家の周りをしっかりと見張り始めた。
分かるものが見れば、男の右肩が左肩よりも上がっていることにすぐに気がつくだろう。
剣を振る者の肩だと。

家の中では、数人の男達が、床に膝をついていた。
着ている服は所々ほつれ、破れてボロボロになっている。
全体的に薄汚れ、脂じみた襟元からもしばらく洗っていないことは明らかだが、その全身から醸し出される雰囲気は、命からがら逃げてきた、との表現がぴったりあう。
顔色は悪く、髪はもつれ、目は落ち窪み、肩が震えている。

「お許しください。もらった着手金はお返しします。これ以上は、もう、できません」

男達のリーダーが額を床に擦りつけるようにして声を絞り出す。
後ろに控える手下達も、リーダーと同じく頭を下げた。

「あの方は間違いなく聖女様です。俺たち、見たんです」

ルシアナが従僕に視線を流すと、従僕は頷き、口を開いた。

「報告しろ」
「は、はいっ。ご指示のとおり、俺たちは聖女様・・・あの女を追いました。周りの者達が隙を見せなかったので、馬に薬を盛り、警備が手薄になるグリーズリング川の渡しで女を拐おうとしたのですが、あの女やっぱり聖女です。薬を浄化しちまったんですよ!」
「浄化だと?」
「小僧を騙して確かに薬を飲ませたんです。朝には手をつけられないくらい馬が興奮してたから間違い無いんです。でも、聖女が馬を撫でて、光の柱が立って・・・」
「お前は正気なのか。そんなバカなことがあるわけないだろう」
ルシアナの従僕が冷たく言う。従僕の口調からは、男達が失敗を隠すために言い繕っているのだと思っていることがありありと分かる。酷薄な瞳が細められると、男達は震え上がった。
「本当ですから!何人も見たもんがいるんですから!!聖女は光を操って、他の馬まで浄化しちまったんです。聖女が去った後には、光が落ちた土地は浄化されて花が咲き乱れているって帰りには噂になってたんです」
「まあいい、取り逃がした理由を聞こう」これ以上の戯言を聞く耳は持たないとでも言うように、従僕は右手を下に向けて降った。
「馬に薬を盛って、うまくいけば足止めできるし、そうじゃなくても別の馬に変えるだろうと思ったんです。聖女の乗ってる馬は利口だし、足も強いし、あの馬に乗ってるだけで騎士が2人ぐらい護衛についてるのとおなじかそれ以上に攻撃しにくいんです。それなのに、馬を浄化しちまって、仕方がないから川で聖女を拐おうとしたんです。あそこは馬が渡れないんでどうしても手薄になりますから。そしたら、聖女が川を割ったんです!」
「はあ?川を割っただと?安酒の飲み過ぎで頭がおかしくなったんじゃないのか?」
従僕の呆れ声が部屋の中に虚しく響いた。

ルシアナが男達を見た。その瞳には男たちの貧しさに対する軽蔑しか浮かんでいない。
(この、役立たずが)
ステラを今度こそ追い落としてやろうと思っていたのに。
ルシアナの心の中は嵐のように荒れ狂っていた。
父や親族のうち、力ある者達は既にステラの追放には及び腰だ。
あれだけルシアナに期待をかけ、王妃になるように言い聞かせてきたというのに。
ステラは聖女であると言う根拠不明な理由でルシアナの座を奪った。
奪ったものは必ず返してもらわなければならない。

いらただしげに男達をみると、美しい眉を寄せた。
目の前にいる男達はアドランテ家の遠縁の手先に雇われたならず者で、ステラを捉えたらその場で穢し、娼館に売りとばすように指示してあった。
程度が低ければ低いほどいい、間違っても高級娼館などには送り込まないようによく念を押してあった。暴れるなら手でも足でも好きに切りおとせと。
いくらハルヴァートがステラを寵愛しようと、複数の男達に汚され、しかも娼館に堕とされた女では妃はおろか、妾にすることすら不可能だ。
あわよくば、悪い病気をもらって二目と見られない容姿になることも期待できる。
そう思っていたのに。

「川に手をつけていたと思ったら、川が真っ二つに割れて、あいつらを通しちまったんですよ。あとを追おうとした手下が2人、川に飲まれちまって・・・」
「酔っ払いが」
「酔ってません!本当です!聖女様が川に手を入れたらそこから川が割れたんです」
「そんなことあるわけないだろう」
「あったんですよ!俺たち全員の目がおかしくなったんじゃなきゃ本当ですって。あの方は聖女様に間違い無いです。俺たちはならず者だけど、これ以上はおっかなくてできません。地獄に落ちちまう。どうか、お許しください」
男達は床に擦りつけるようにして頭を下げた。

ルシアナが男達に背を向けると、その意図を正確に汲み取った従僕が、男達を地下室に押し込めるように指示した。
男達は、がっくりと肩を落とし、うなだれている。
今すぐ殺されれないだけでも幸運だとわかってはいるのだろう。

男達が部屋を出された後、この家の主人と思しき中年男がルシアナに頭を下げた。
中年男は、長年アドランテ家の影を担当している男だった。
アドランテ家に都合が悪い人間を消したり、情報操作など暗黒部を多岐にわたって請け負っている。
いままで、この男が失敗したことはなかった。
ステラが一筋縄ではいかない相手だということなのだろう。
ルシアナは唇をかんだ。

「誠に申し訳ありません、お嬢様」
「この後はどうするつもりなの」
ルシアナの口から硬い声が漏れた。
「しばらくは手が打てません。グリーズリング川は辺境への入り口です。ここからはガウデン候の支配下にあり、我々も手出しできません。取り急ぎ、あの女が王都に戻るときに殺せるように人を配置いたしましょう」
男が淡々と言う。
「簡単には殺さないで」
ルシアナは前を見たまま言った。静かなその口調からは特に感情の動きは感じられなかった。
「仰せの通りに」
「それから、あの女が聖女だというたわごとが王都に広がらないように」
「かしこまりました」
ルシアナは初めて中年男を見ると、小さく頷き、そのまま家を出た。

王都のはずれ、地味な服装の女性が、簡素な馬車に乗り込み静かに去っていった。
それは、どこにでもある、日常の一コマだった。


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