5月の雨の、その先に

藍音

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第一話 リオ

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リオが生まれたのは、北の小さな村だった。
母親はどうやって生計を立てているのかは知らない。小さな家にリオとふたりだけで住んで、毎日酒ばかり飲んでいる生活だった。

ろくにかまってもらったこともない。死なずに成長したのだから、幼い頃は世話をしたんだろう。
だが、いつしか食事すらなくなり、気に入らなければ「お前さえ生まれてこなければ」とリオのことを殴ったり蹴ったりした。

リオは近くに住んでいた女たちの同情心に育てられたようなものだった。
女たちはたまに食料を恵んでくれたり、わずかでも生活に足しにとパン屋の下働きの仕事を見つけてきてくれた。


雪の降る、寒い日のことだった。母親は、あっけなく死んだ。

リオが下働きから帰ってくると、家の中はしんと静まり返っていた。
いつもだったら、母親は騒がしい音を立てていた。怒鳴ったりうめいたり、狂気じみた笑いを浮かべたり、いびきをかいたり。
だが、今日はそこには命の気配がなかった。
ただの、果てしないほどの静寂。

戸惑いながら家の中を見回すと、そこにあったのは、すでに人ではなくなった「母親」という人だった。
かつては美しかったと聞いたこともある。
だが、そこにあったのは、ただの恐ろしいばかりの死体だった。
胸をかきむしり、爪先は朱に染まり、振り乱した髪の毛、生気のない瞳。

おそろしかった。
死というものはここまで醜悪なのかと。
その断末魔の表情は、その後長くリオの記憶に残った。

不思議なほど、かけらも悲しくなかった。
ただ、この死体をどうしたらいいのか、と困りはてたが。
まさか、このままずっと置いておくわけにはいかないだろう。
落ち着くために水を飲もうとしたが、水がめは空っぽだった。

(朝は水がめの底に少しは残ってたんだけどな・・・)

喉が渇いた。
あの水はかあちゃんの最後の食事になったのかな。
一瞬でその思いを振り切る。幼いリオには感傷などただの贅沢だ。
とにかく水が飲みたい。

村の井戸には女たちが集まっていた。和気あいあいと、時には笑い声をまじえながら話している。
軽く会釈をしてから順番を待ち、水がめに水を移す。
その時、ふとひらめいた。
この女たちなら、俺がどうしたらいいのか、かあちゃんの死体をどうしたらいいのか知っているんじゃないか?

女たちの輪の外でじっと自分に気がついてくれるのを待っていると、1人の女がたたずむリオに目を留めた。
この女は優しい性分で、リオの手に果物や甘いパンのかけらを突っ込んでくれることもあった。
とはいえ、自分のような者が話の邪魔をしたら、殴られるかもしれないと知っていた。

「リオ、どうしたんだい?なにか話したいの?」
「メイさん、すみません、お話中・・・その、かあちゃんが死んだもんでどうしたらいいのか、教えていただけないかと」

話していた女たちの視線が一斉にリオに集まった。

「死んだ?かあちゃんが?アリサが?」
「はい。奉公から帰ったら死んでたんで」
「~~~~~!!!!!」
「息もしてなくて冷たくなっていたら、死んでるってことでしょう?」

女たちが声にならない悲鳴を上げ、メイがリオを抱きしめた。

「なんでそんな大切なことを早く言わないんだい。遠慮しなくていいのに」
「・・・大切なことなんですか?」

ぽかんとメイを見つめるリオに、女たちは素早く目くばせした。

「俺、よくわからなくて。でも、酒飲んでいびきかいてないから、触ったら冷たくなってたんです。しかも、おっかない顔して・・・夜はどうしたらいいんだろう。かあちゃん、生き返ったりしますか?」
「おやおや。おさなすぎて、自分が何を言っているのか、何が起こっているのかもわからないんだね。あたしたちに任せときな。あんたはしばらくうちに泊まるといい。ちょうど息子が出稼ぎに出たところだからベッドも空いてるから安心しな」

(ベッド・・・?)

メイが何を言っているのかわからない。途方に暮れて見返すと、都合よく解釈してくれたらしい。

「葬式はあんたの父親に話せば金を出してくれるだろう。堕落した女だって、まあ、墓地には入れないけど、柵の外には埋めさせていただけるさ」
「ちょっと・・・」誰かがメイを小突いた。
「あー、あたしったら」メイは手を額に当てた。「まあ、とにかく心配すんなってことを言いたかったのよ」

メイはそのふくよかな胸にリオを包み込んだ。


************


メイの夫のジャンニはしばらくパン屋を休むように手配してくれ、食べ物がなくなると気をもむリオの頭を大きな手で撫でた。
リオは栄養不足のせいか、やせっぽっちで同い年の子どもよりも小さく見えた。
頬骨が張り出し、目ばかりぎょろぎょろして、腕には皮が張り付き、枝のように細い。
こんな小さな子供が、必死になってパン屋のゴミを拾い、使い走りをし、気に入らなければ殴られながら生計を立てているのだ。

「まったく・・・あの女ときたら。心配するな、おまえが数日腹いっぱい食ったって、俺達が困ることはない」
「でも・・・」
「いいから、家にいるときはゆっくりしていきなさい。葬式にはお前の父親も参列するだろう。葬式ぐらいにはな」
「・・・」

昼もメイが「父親」という言葉を言っていたが、意味がよくわからなかった。
自分にはいないが、「父親」という人がいる子どももいるらしい、とは聞いたことがある。
だが、自分にはそんな人はいない。

「父親はいないって、かあちゃんが言ってました。俺は産みたくなくて産んだ子だし。父親はかあちゃんが俺を妊娠したから、かあちゃんを捨てたって」

ジャンニが苦虫を噛み潰したような顔で、何かを口の中でつぶやいた。
それは言ってはいけない言葉で、パン屋の親方がつぶやくと、女将さんがほうきの先で「罰当たり」と親方の尻をぶちのめすような言葉だった。

「もう、お前の母親が死んだことも、家で預かってることもお前の父親には伝えてある。お前を引き取る算段が付いたら引き取りに来るだろうさ」

だが、見たこともない父親という存在には実感がわかなかった。

(おっかない母ちゃんの死体が家からいなくなったら、さっさと帰らないと。そして親方に仕事を休んだことを謝って、また使ってもらわないと)

夕飯に出された温かな食事に、リオはどうしたらいいのかわからなかった。
目の前には湯気の立つスープ。野菜だけではなく薄い肉の切れ端のようなものまで浮かんでいる。
そんな贅沢品は、村祭りのふるまいでしか見たことがなかった。
しかも、パンもかまどで温められていて・・・チーズまで、二切れも・・・

「お前の分なんだから、全部おたべ。遠慮しなくていいのよ」

優しく微笑むメイをじっと見つめ、嘘じゃないらしいと木のスプーンを口に運ぶ。
出された食事は、いままで食べたことがないほど、どれも美味しかった。

夕食後、息子の部屋だという豪華な部屋に通され、リオは震え上がった。
何かがおかしい。かあちゃんが死んで、美味しい食事を食べさせてもらって、こんな立派な部屋の床で眠ることを許されるなんて・・・
棚に飾ってあるきれいなものにも、何一つ触れてはならない。
なにか壊したり・・・盗みの疑いをかけられたら・・・

しかもベッドにはふかふかのわら布団と真っ白なリネンが使われていた。万が一触れたら汚してしまいそうだ。
見回したが自分が使えそうな毛布はない。

リオは小さくため息をついて、ドアの前で寒さをこらえるように両手で両足を抱きしめ、いつしか眠りについた。


******************

しばらくぶりでしたが、いろいろ変わってまして、浦島太郎状態です。
ハート♡機能はなんですか?
なんだか知らないけど、押してくれた方がいて、めちゃくちゃうれしかったです。
ほんと、神様です!ありがとうございました!励まされました。
書き続けられそうです♡♡♡
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