5月の雨の、その先に

藍音

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第二十二話 放っておけない召使い

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それから三月たった。

リオは音を立てずに寝床を抜け出した。
季節はすっかり変わり、のきからはつららがぶら下がり、足元には霜柱が立っている。
切れるほどの寒さに、身震いしながら両手で腕をさする。
寒さで折られた左腕が痛んだ。

あのあと、しばらく寝たきりの日々が続いた。
すぐに城を追い出されるかと思ったのに、何も言われず。
従僕たちの控室で療養するようにと命じられた。
しばらくして、アウレリオがリオを襲った警備隊長を殺し、黒幕のマリアを男爵家に追いやったと聞いた。
ジョゼフィーヌが懇願しても伯爵は耳を貸さず、ただ肩をすくめただけだったとか。

「お前の腕は、元には戻らないかもしれないそうだ」

侍従長に言われた日の絶望は忘れられない。
身体しか持っていないのに、これからどうしたら?
これまでいただいた給金は、城にきてからは使い道が無いので貯めてあるが、追い出されたらあっという間に失くなってしまうだろう。
左腕には、まだ痛みと震えが残り、時々腕や指先がうまく動かなくなった。

あのとき、死にもの狂いで抵抗しなければ、こんなことにはならなかった?
だが、悪魔に飲み込まれてしまう恐怖で、大暴れしてしまった。あの悪魔は、そんなリオの腕を笑いながら折った。

胸の奥からぶるぶると震えがきて止まらなくなる。
(ああ・・・)
目を閉じ、恐怖が通り過ぎるのを待つ。

「そう言ったじゃないのよ」
「だからさ・・・」
「あんたは・・・いいわよね・・・」

朝番の女たちの話し声が聞こえてきた。
リオははっと目を見開いた。

(水を・・・)

ようやく腕が動くようになり、アウレリオの扉のそばで眠ることを許されるようになったのは夕べからだ。久しぶりに朝の水をお持ちすることができるようになったんだから、遅れてはならない。
気を取り直し、井戸に向かう。またずきんと腕に痛みが走った。

左手に力が入りにくいままだがなんとか水を汲み、急いで部屋に戻るとアウレリオはすでにベッドの上に起き上がっていた。

「も、申し訳ありませんでした・・・」

リオが恐縮しながら水をコップに移し、まずは自分が一杯飲む。アウレリオはじっとその姿を見つめていた。

「あ、あの、大丈夫です。どうぞ」

新しいカップに注いだ水を差し出すと、アウレリオは黙ってその水を飲み干し、カップをリオに手渡した。

「あの・・・」
「その・・・」

ふたりが同時に口を開き、リオは慌て口をつぐんだ。主人であるアウレリオの言葉をさえぎるなど、ありえない。

「いや・・・」

アウレリオが言いづらそうに目を泳がせ、またリオに視線を留める。

「その・・・腕はもう、いいのか?」
「は、はい!もうなんともありません!」リオは両手を回して見せようとして、うっかり左手に持ったカップが宙を舞い、壁に当たってガシャンと音を立てて床に落ちた。
「あ、あの・・・」リオは真っ青になってうつむいた。
復帰初日だというのに、ヘマばかりだ。

アウレリオは片眉を少し上げ、面白そうに口の端をゆがめた。

「まあいい」くつくつと笑いがこみ上げてきた。
なぜこいつはこんなふうに笑わせるんだ。
誰も同じことはできない。

「今すぐ片付けます!」

リオが飛び散ったカップのかけらを拾おうとしたが、手が震えて上手くつかめない。しかも、こういうときに限って左手がいつも以上に上手く動かない。でも、拾わないと・・・手のひらでかけらを急いでかき集めても、もたついてしまい気が焦ってしまう。

アウレリオはといえば、召使いのことなど放っておけばいいのに、何故か気になってしまい仕方がない。たどたどしい仕草も気にかかる。まだ本調子ではないのでは?あのとき、あらぬ方向に腕が曲がっていたリオの姿が目に浮かぶ。うしろからそっとのぞきこむと、かけらを拾い集めるリオの手のひらは血まみれになっていた。

「もういい。後にしろ」
「でも・・・」
「・・・絨毯に血が落ちるではないか」
「あ!すみませんでした!!」

リオは慌てて立ち上がり、自分のシャツのすそでカップのかけらをくるんだ。
白い腹と小さなへそのくぼみが見える。

「何をしているんだ!」
「あの、かけらを落としてはいけないので」

この馬鹿者は、男に襲われたばかりだというのに、その意味もわからないのか。外にいる護衛騎士たちに白い腹を見られてしまう。なんなんだ、こいつは。

「かけらなど、どうでもいい。誰かに片付けさせろ」

リオはぽかんとしてアウレリオを見返した。その「誰か」こそ自分なのではないか?
一番下っ端の自分に誰を使えというのか。

「あの、申し訳ありません。お目汚しを。すぐに片付けますので、お許しください」

リオは頭を下げると、ますますシャツをたくし上げ、部屋から出ようとした。

「馬鹿者が!」

思わず声を荒げ、襟足をつかむと、リオの肩がビクリと跳ねた。

「あ、あ、あの・・・」
「か、かけらはあれに入れろ」

アウレリオが飾り棚に置かれた高価な皿を指さした。

「え?あれに?」
「そうだ、早くしろ」

繊細な幾何学模様が描かれた美しい青色の絵皿には、金で装飾された持ち手がついている。当然実用品ではなく、鑑賞のための芸術品だ。見ただけで高価なことが分かる皿にマグカップのかけらを入れる?
だが、無言で皿を指差すアウレリオの圧に負け、万一にも傷をつけないようにそっとかけらを並べた。

「いいか。今後人前で腹を出してはいかん」
「はい」
「服を脱いでもだめだ」
「はい」

ご主人様は一体何を言い出したんだろう。用もないのに腹を出したり、服を脱いだりするわけないのに。だが逆らうこともできず、リオはうなずいた。

「失礼いたします。朝のお湯をお持ちいたしました」

ノックの音とともに、侍従長が湯の入った水差しを手に部屋に入ってきた。
後ろに付き従う従僕がボウルを設置し、侍従長が洗顔用の湯を整えると、アウレリオはリオに声をかけた。

「ちょうどよかった。おい、お前。傷口を洗え」
「は?」
「え?」

侍従長は目を丸くし、リオは壁際で立ちすくんだ。
まさか。

「若様」年の功で冷静さを最初に取り戻した侍従長がやんわりと口をはさんだ。「この者が若様の洗顔ボウルで手を洗えるわけがございません。残った湯を使わせますので、どうぞ、お気づかいなく・・・」
侍従長の意図するところがアウレリオに伝わったらしい。

「そうか」

アウレリオは一言だけいうと、いつものように朝の身支度をはじめた。
部屋の中にいる侍従長と従僕とリオは、お互いに目だけで言葉を交わした。

(なにがあったんだ?)
(ぼくにも、わかりません!)

************************

(お礼)

お読みいただきありがとうございました。
今日もハートを投げていただいた方、ありがとございます。

明日は休みの方も多いでしょう?
いい週末になるように願っています。








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