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第二章 冬のグリンウッド
オスカーの戸惑い(2)
しおりを挟む「はあ? あの女の薬だと?」
執務室に座ってセバスの話を聞いたオスカーは、怒りはしなかったが盛大に眉をひそめた。
――別邸のリリア様に美容薬と育毛薬を作っていただきました。
思ってもみなかったことを聞かされたからだ。
庭の隅にある小屋に押し込んでおけ、と指示してから二か月。
遠征に出ていたこともあり、あの女のことなどすっかり忘れていた。
「話も世話もするなと言ったはずだが?」
つい声が刺々しくなる。
「もちろん、話もお世話もしておりません」
セバスが微笑みながら答えた。
「ご指示どおり、食事を用意する者がいるだけです。リリア様も屋敷には来ておりません」
「では、なぜあの女の薬が出回っている? 仕事をさせるなと言ったはずだ。誰が薬草を売った?」
薬草師として仕事をさせれば、居座る口実を与えてしまう。――それだけは避けたい。
「誰も薬草を売っておりません。使用人たちが個人的に頼んでいるだけです」
「個人的に?」
「自分で採ってきた薬草を預け、無償で薬を作ってもらっています。金銭の支払いがありませんので、これは仕事ではありません」
「うーむ……、こじつけのような気もするが……」
煙に巻かれたような気がして首を捻ったオスカーに、セバスが語気を強めた。
「とんでもない! 薬草師の薬はとても高価なものです。それをタダで作っているのですから、リリア様がなさっているのは、仕事ではなく奉仕です」
「……奉仕か。まあ、そうだな」
「使用人たちは喜んでいます。これくらいは大目に見てはいかがでしょうか?」
最後は許可を求めるような口調になった。
(使用人たちは喜んでいる、か……)
頭の中でとっさに考える。
父が魔物との戦いで亡くなり、十九歳で領主の座を引き継いで三年。使用人たちの上に立つにはどうすればいいか、ひとりで悩みを抱えてきた。
もちろん、雇用主だから、立場はオスカーが上だ。
それでも心から仕えられるのと、仕事だからと渋々働かれるのとでは、まるで違う。
かつての父がそうだったように、皆から敬愛される領主になりたい。
「わかった。セバスの意見を尊重しよう。奉仕であれば、別に構わない」
――ここは領主としての寛容さを見せておこう。
そう思って答えると、セバスはあからさまにほっとした顔になった。
「ありがとうございます。皆にもそう伝えます」
セバスがうやうやしく一礼した。
彼も喜んでいる一人なのだろう。
――あたしの腕がわかったかしら?
あの女の声が聞こえたような気がしたが、首を振ってそれを打ち消した。
薬の腕を認めたわけじゃない。使用人に不平不満を生まないために、目をつぶるだけだ――。
これは、執事長や使用人たちの、個人的な依頼。
いくら雇い主でも、個人の買い物まで禁止すれば、横暴な主人になってしまう。
だから口を出さない。それだけのこと。
「――ところで、セバス。あの女をリリア嬢の名前で呼ぶのはやめてくれないか?」
気を取り直し、先ほどから気になっていたことを指摘すると、セバスがニヤリと笑った。
「わかりました。では、奥様と?」
「なぜそうなるッ! あの女は、あの女だ!」
またしてもセバスがオスカーをからかう。
調子に乗ると、すぐこれだ。
「しかし、オスカー様。あの女、では品性が疑われます。お名前で呼ぶか、もう少しマシな呼び名にすべきかと」
「うーむ……」
遠回しに「品性がない」と言われたことに気がついて、つい考え込む。
あの女のことなど考えたくもないが、こう言われると沽券に関わる。
名前で呼ぶなどありえない。
呼び名をつけるなら、ニセモノ女とか、厚化粧女とか、もしくは髪が緑色だからミドリムシか。
――まるでガキの悪口だな。
あまりのセンスの無さに、舌打ちしたくなる。
すると、セバスが何かを思いついたように手を打った。
「ここは敬意を表して、『あの人』ではいかがでしょうか。あの女、よりはマシです」
「あの人……」
復唱してつぶやいたオスカーだったが、すぐに首を横に振った。
「ダメだ。その呼び方はやめてくれ」
「いけませんか? 普通だと思いますが?」
「とにかくダメだ…………。それ以外なら構わない。好きに呼べばいい」
「よろしいのですか?」
「……ああ、構わない。すまないが、今は一人にしてくれないか」
使用人たちがあの女をどう呼ぼうと関係ない。
どうせ半年後には、いなくなるのだから。
いや、既に二か月が経ったから、あと四か月か。
「承知しました。皆にもそう伝えます」
どこか弾んだ足取りで、セバスは部屋を出ていった。
◇
「あの人、か……」
セバスの背中を見送りながら、オスカーはぽつりとつぶやいた。
脳裏に浮かぶのは、十年前。十二歳の春に出会った、美しい女性の顔。
父親が王都から招いた客人で、この屋敷で――いや、正確には庭の別邸で――半年だけ暮らした人だ。
美しい白銀の髪と綺麗な肌を持ち、青い大きな瞳の女性だった。
オスカーの剣術や魔物の話に熱心に耳を傾け、彼女も薬づくりのことを楽しそうに話してくれた。
幼い頃に母親を亡くしたオスカーにとって、初めて親しく接した女性だった。小さな女の子を連れていた。
(あの人も薬草師だったんだよな……)
密かに招かれた客人らしく、名前も滞在の目的も教えてもらえなかった。
それでも、洗練された所作と話の内容から、貴族で薬草師ということはわかった。
もしや、父の後妻だろうか――。
期待と悔しさの入り混じった複雑な想いを抱いたが、結局、半年後にいなくなった。
セバスなら何か知っているかもしれないが、訊ねたことはない。
胸の中にある気持ちが母親への慕情か、はたまた年上の女性への憧憬か、自分でも判然としなかったが、いずれにせよ心の内を詮索されるのは嫌だった。
――薬草師はね、自分の薬で綺麗になれちゃうのよ。
――うふふっ。オスカーったら、大げさだわ。
そう言って、くすくすと嬉しそうに笑っていた。
かなり年上だったはずだが、少女のように笑う人だった。
「――やっと、あの人に似た薬草師を見つけたんだ」
リリア嬢の美しい姿を思い浮かべる。
ハーブ男爵家で見つけた、女神のように美しいご令嬢。
「彼女は今ごろ何をしているのか……」
あれから二か月。
イアンとの約束通り、ハーブ家への対応は彼に一任している。
しかし、不在にしていた二か月間に届いていたのは、無事に王都に着いたという事務的な連絡だけだった。
「……イアンに手紙を書いておくか」
年が明ければまた遠征に出る。
手紙を出しておけば、その間に返事があるだろう。
引き出しから便箋を取り出すと、リリア嬢への想いを込めてペンを走らせていった。
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