青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

文字の大きさ
21 / 192
《第2章》 西新宿のエウリュディケ

見てしまった泣き顔

しおりを挟む
 二杯目のコーヒーを終わらせて、何件か連絡をとってから飛豪も席をたった。

 自宅マンションまで、徒歩数分の距離だ。これからひと眠りして、野球かサッカーの中継を見ながら出張準備をすることになる。

 歩きながら彼女のことを思いだした。昨晩のホテルからは、一〇時前にチェックアウトしたと連絡が来ていた。加えて、送りの車を使わなかったことも。

 ――本当は、構いつける気なんて無かったんだけど。でも、あんな顔されるとな。

 飛豪は小さくため息をついた。近道のため、表通りをさけて閑静な住宅街を横切っていく。

 春の土曜日の昼、家の前でボールを蹴って遊ぶ親子や玄関先で洗車している者は皆、ゆとりがあって満ちたりた顔をしている。

 今朝がたの、瞳子の切迫した顔つきとは対照的だった。

 ――「行かないで」って叫ばれた。泣きながら、腕をつかんできた。あれは……言われたほうもキツい。

 高瀬には、爆睡している彼女を置いてきたように伝えたが、実際は違う。泣きつかれて動揺しているところを置いて出てきた。とりあえず、一人にした方がいいかと判断して。

 昨晩、三時前にようやく行為を終える気になって、互いに気絶するように眠りに落ちた。

 飛豪が六時に目をさましたのは、単なる習慣だ。ショートスリーパーなので、三時間睡眠でもあまり響かない。高瀬との約束があったので、シャワーを浴びようとベッドに腕をついて身を起こした。

 ダブルベッドが軋み音をあげたとき、瞳子が目を大きく見開き、彼の腕にかじりついてきた。

「行かないで‼ 行っちゃ嫌!」

 金切り声で叫んだ彼女の顔は、亡霊のようだった。まるで死に顔を見てしまったかのような気まずさ。

 こちらを見ているのに、目の焦点が定まっていない。飛豪より遠くにある虚空を見据えているようだった。

「行かないで。でもヤダ。やめて……」と震える声で言いながら、彼を掴む手に力をますます込める。

 彼女の瞳からは、ほたほたと大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 一体なにをやめてほしいというのか。錯乱しているとしか言いようのない突然の事態に、飛豪も驚き、戸惑った。

「青柳さん、誰かと間違えてる? 大丈夫? 水飲む?」

 彼女の薄い背中をゆっくりとさすりながら、サイドテーブルに置いていたミネラルウォーターのボトルを手渡す。しかし彼女はいやいやと首を振って、ボトルを手から落とした。泣きじゃくる嗚咽が痛々しい。

 動揺はしていたものの、とにかく落ち着かせることが先決だと飛豪は考えた。体温を分け与えるように、薄い毛布ごしに彼女を抱きしめ、ゆっくりと背中や腕にふれ、撫ぜつづけた。

 暴れないだけマシだろう。そんなことを考えていると、一つの事実に思いあたった。

 ――彼女の母親の、死。自殺だった。首を吊ったと書かれていた。第一発見者、通報者は、彼女だ。

 飛豪の背筋に冷たいものが走った。心臓が強く拍動をはじめていく。昨晩も自分は彼女の首に両手をまわし、力をこめて締めあげた。

 ――自分は一体何をやってしまったのか。もしかすると、死んだ母親と同じことを強いたのではないか。

 次第に彼女の泣き声がおさまり、呼吸がゆるやかになっていく一方、飛豪は自分の心音がうるさくて仕方がなかった。

「ごめんなさい。ちょっと……悪い夢を見て」

 十分後、眠たげながらも覚醒した瞳子は、たどたどしく弁解をはじめた。顔を両手で隠して、泣きぬれた表情を見られまいとしている。

「気分は? 辛いなら医者呼んでもらうけど?」

「あ、いや、そういうんじゃ……」

 彼女は恥じいっているように背を向け、毛布を頭からかぶって「ごめんなさい」と「大丈夫です」をしきりに繰りかえした。

 声が通常時のものに近い。

 過呼吸の様子もないし、もう少し寝て体力を回復したら、マトモな体調に戻るはずだ。次に彼女が目をさますとき自分が傍にいないほうが良い。飛豪はそう思いなして、「俺、すぐ出なきゃいけなくて。もし何かいるなら、買ってくるけど」と声をかけた。

「なにも必要ないです。変なところさらして、すみません。ちょっと夢にうなされて……」

 彼女は心底から申し訳なさそうにしている。

 ベッドの中で縮こまっている姿が見ていられず、彼は「今日はいつでも繋がるようにしとくから。何かあったら電話して」とだけ言いおいて部屋を出てきた。

 それが今朝の真相だった。

 ――あれはトラウマだ。母親の死と、「桐島瞳子」をやめた原因に関わっている。

 飛豪はすでに、彼女が隠したかった過去に気づいていた。同時に、現在彼女を取りまいているトラブルの深刻さも正確に測っていた。

 守るなんて大層なことは考えない。行きがかり上、遅滞のない資金回収のため、最低限の身の安全を確保する必要がある。それだけだ。

 ゴールデンウィークの始まりの爽やかな晴天の下、飛豪は内側にわいてくる自己嫌悪からできるだけ目をそらそうとしていた。

しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-

プリオネ
恋愛
 せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。  ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。  恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

処理中です...