青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第2章》 西新宿のエウリュディケ

藤原という男1

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 動画サイトをとじると、彼はスマートフォンを取りだして、電話をかけた。深夜一二時をまわっているが、彼にとってはまだ活動時間だ。

「俺、飛豪フェイハオだけど。……藤原さん、こんばんは」

「電話かけてくるのは、久しぶりじゃないか」

 ザラついた掠れ声だった。

 彼の声を聞くたびに、飛豪は「いぶし銀」という表現を思いだす。

 しかしそれは、声帯がアルコールに焼かれきっているからである。日中や、調子の悪いときは手が震えるほどの症状がでていることを知っていた。

「相変わらず、酒飲みながら仕事してんの?」

「バカ。酒出す仕事してるんだよ」

「どうせ飲みながら酒つくってんだろ。いま、客は?」

 彼の声の後ろから、セロニアス・モンクの艶めいたピアノの旋律が流れていた。

 藤原は歌舞伎町と大久保の中間地点で、古びたジャズバーをやっている。令和の時代には流行らない、前世紀の遺物的な店だ。

「いるけど。……用事あってかけてきたんだろ。どうせ常連が好き勝手やってるだけだし、言えよ」

「青柳瞳子の件」

「やっぱり。から電話あるとしたら、それだと思ってたよ」

「何度も言ってるけどさ、俺、もうすぐ三三だから坊ちゃんは……まぁいいや。一昨日メールで送ったとおりのプランで頼みたいんだけど」

「メール見たけどよ、これ、どーせ、お前じゃなくて高瀬が監修した案だろ?」

「あいつの方がセキュリティ詳しいし。それに今、出張で二人で東北いるんだけど、毎日運転してるの俺なんだ。だからいいんだよ、それぐらい。で、いつから受注できる?」

「人を集められるかどうかで決まってくる。有能なヤツは、大抵いつも埋まってるんだ」

「オッサンがやればいいじゃないか、せめてオフの日くらいは。外に出て風にあたるのは気持ちがいいぜ」

「アル中なめんなよ。余計な仕事はしたくないんだ」

「余計な仕事したくないのは、アル中だけでなくて、全人類共通だろ」

 分が悪いと感じたのか、藤原は話題を戻してきた。

「それにしても珍しいことやってるじゃないか、お前。犬のかわりにとうとう女にしたのか?」

「最初は、こんなに背景のある人間だと思わなかった。しかも、すでに数百万かかってる」

 金額はボカしつつも、飛豪はそもそもの始まりをようやく彼に話した。最新の動向として、先週末の時点で八田トータルソリューションズの山根が彼女に電話を入れていることまで報告する。

 事情を理解した藤原は、さも愉快げに手元のグラスを揺らしていた。からんころんと涼やかな氷の音がこちらにまで届いてくる。

「それはそれは、早めに人を置いとかないと危ない事態だな。……時間の問題か。どうかすると、反社とも警察とも三つ巴に発展しかねない。厄介だったら、さっさと手をひいて損切りすればいい。坊ちゃん、得意だろ?」

「反社のフロントが噛んでなきゃ、とっくに切ってた」渋い声で、飛豪は無自覚に嘘をついた。

「情に流されたか。女の『助けてちょーだい』おねだりに、グラっとくるような年になったんだな」

 電話の向こうの声が、含み笑いをしている。

「逆だ逆。向こうが突っぱって、何も言ってこない。なのに状況だけが確実に悪くなってるのが、こっちにも透けて見えてる。資金回収を安泰にするなら、今がテコ入れすべきタイミングだろ」

「何なら、お前が八田と組んで、もっと彼女からむしり取ればいい」

「オッサン。あんたの店の酒瓶とレコード、全部割ってやろうか」

「……悪かった。まだ若いんだから、らしくないことをやってみるのも楽しいに違いない」

「早く死ねよ。ムカつくな」

「でも、一番安くて一番安全なプランは別にある。とっとと彼女を保護して、八田と交渉することだ。お前のモンとして囲えば、周りくどい手数をかけなくていい」

「そこまで責任とる気がないから依頼してるんだ」

「矛盾してるな」

 アルコールのからんだ藤原の声が、いやに愉快げだった。これは年単位でネタにされるだろうな、と、飛豪は覚悟をきめた。

「できるだけ正規の手続きをふんで、警察に記録が残るようにしたい。ただ、もう警察じゃ足りないだ」

「分かってるよ。だから俺に言ってきてんだろ。こっちは儲けさせてもらって結構だけどよ」

「はっきり言って、ガメつい」

「そろそろ死ぬから、身辺整理に金かけてるんだ」

「藤原さんの死ぬ死ぬ詐欺は、もう五年くらい聞いてるけど」

「物覚えのいいガキは、嫌われるぞ」

 二人は軽口をたたきあいながら、計画をつめていく。しかし二人とも、オペレーションの肝心な点は相手が先に言いだすよう、巧妙に避けていた。
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