青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第3章》 ロミオ at 玉川上水

彼女のバルコニー

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 飛豪は思う。

 ――やっぱり。関係のない人間に、過去は知られたくないよな。ましてや、黙って調べ上げられてたんだから。

 自分も同じだ。だから、どれほど深く傷つけたか、よく分かる。だが、言わないでは済ませられないところまで来ていた。

 外科手術は、中途半端なところで止めてはいけない。最後まで終わらせてこそだ。

「俺は、君がいまトラブっている八田とは、全く違うことを考えている。ただ、安全な環境にいてほしいだけだ。お金のことも、できるだけ負担のない返済になるよう話しあうつもりだ。今だって、桐島瞳子じゃなくて、青柳瞳子と話してるつもりだ。どうか少しでも前向きに検討してほしい」

「出てって! ここからいなくなって。陰でこそこそ人のこと調べてるような人に、家にいてほしくない!」

 最後は、立ち上がった彼女にTシャツの胸倉を掴みあげられていた。

 目を大きく見開いて睨みつけながら、文字どおり烈火のごとく怒りまくっている。

 コーヒーカップを投げつけられはしなかったが、体格差でかなわないのも承知で、それでも瞳子はありったけの力で飛豪を玄関へと押しだそうとする。よほどショックだったのだろう。

 彼は両手をあげて降参の意をしめし、彼女が要求するとおり、さっさと退散することにした。激怒して追い出されるところまで含めて、予想どおりだった。

「くれぐれもよく考えて。あと、戸締りだけはしっかりして。バイト行くとき、必ず…」

「うるさい、早くいなくなって!」

 叩きつけるように怒鳴られて、ドアが勢いよく閉じられて締めだされた。おそらく、下の階にも左右の部屋にも筒抜けになっていただろう。

 飛豪はため息を一つつき、首を振りながら階段を下りはじめた。

 墓地をこえて玉川上水の葉桜の並木道に出ようかというところで、ポケットに入れていたスマートフォンが着信して鳴りはじめた。

 このタイミングは藤原しかない。不機嫌を隠さずに「うぉい」と出た。

「派手に痴話ゲンカしてんじゃねーよ。こっちまで聞こえてんぞ」

 さも愉快げだった。なぜか、飛豪もつられて笑ってしまった。

「ははッ! ったくよ、こうなるのは分かってたんだ。オッサンも展開見えてて、言わせただろ」

「当たり前」とぼけた口調がいっそ清々しい。

「彼女と明日の夜、会う約束してたんだよ。今日こんなんなって、明日どうすりゃいい?」

「最高に荒れた夜が楽しめるな」

 藤原は、あくまでも他人事だった。彼のちょっかいはあったが、半分仕事、半分プライベートのこの板挟みで、飛豪自身が判断して真実を伝えたからだ。これは自己責任だ。

「腹立つな。……俺もう帰るしかないから、後はちゃんと仕事してくれ。彼女に傷ひとつつけてみろよ。アル中の寿命、さらに縮めてやるからな」

 最後はドスの効いた低音で脅しつけた。藤原が本気で誰かに怯えるなど起こりえないことだが、そう言わなければ気が済まなかった。――やっとあそこまで距離が縮まったというのに。

「おぉこわ。お前そんなんで、彼女が襲われてる現場とり押さえたらどーなんの?」

「別に。普通にお話して、丁重にお引き取り願うだけだ。二度と近づかないようにはするけど」

「『普通にお話』の定義が、見物だな」

 茶化しながら、藤原は電話を切った。

 墓地の端に立ちつくした飛豪は、数十メートルほど向こうにある、彼女の部屋の小さな灯りをじっと眺める。

 二階の、右から二つ目の部屋。いま彼女は何を考えているだろう。自分に対して怒っているだろうか。

 むしゃくしゃした気分のまま、例の友達にグチ電話をするぐらいの元気が残っていればいい、と彼は思った。

 ――粗雑に扱うつもりで契約を結んだんだけど……参ったな。

 窓をあけて、今日の下弦の月でも眺めてくれる気になれば、彼女が泣いているかどうかが分かるのに、そんな気配もない。

 ――いや、あれは意地でも人前で泣かないタイプだ。特に、自分の敵の前では。あ、俺も敵認定されたか。

 彼女の灯りに背をむけて、飛豪は歩きだした。とりあえず、後をつけてきているだろう八田の人間を上手くかわして、さっさと帰ろう。今の自分にできることは他にない。

 一つ、思いだしたことがある。

 ――護衛セキュリティをもう付けてること、言い忘れた。

 曲がり角を折れる前、もう一度立ちどまって彼女の部屋を振りかえった。煌々と、白い灯りがついていた。

 ふと、こんなシーンが映画でもあったなと思う。男が、バルコニーの下から女の部屋を見上げる映画。あぁ、『ロミオとジュリエット』だ。令和バージョンは、金とセックスの交換からはじまり、墓場ごしに彼女の窓辺に恋焦がれる、というのがシニカルである。

 ――あんなにギャンギャン噛みついてくるジュリエットもいるまい。

 自分をロミオになぞらえてみたところで、バカバカしさがこみあげてきた。だいたい、悲恋でもなんでもない。彼女は所詮、単なる債務者だった。
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