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《第4章》 雨と風と東京駅
同居のはじまり
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切りこんでくる彼女の視線を受けとめ、飛豪は迂回して答えた。
「三日前の夜、君がわりかしスムーズに警察から出てこられたのと、今この瞬間、俺の家に八田の人間が押しかけてこないのはどうしてだと思う?」
「それは、法律的にあの人たちのやっていることが悪いからで……」
自信なげに彼女は答えた。理論としては正しいが、実情としては間違っていると、気づいていた。
「それもある。だけど連中は、不利な証拠を残さずに動くことについて、知恵がまわる。加えてあんたに関しては、既に金が動いていた。普通の人間なら、事前に支払った金は回収しようと動く。それなのに、いま君が穏やかに粥を啜ってられるのには、理由があると思わないか」
瞳子は悔しさに歯噛みした。自分の無力と、無知がどうしようもなく許せない。
「毒をもって毒を制す。うちの会社は、警察にも反社にも顔がきくところと外注契約している。今回俺は、そっちのコネクションを使って君を保護した。山根じゃ話にならないのは分かってたから、彼の上――八田とも、おととい話をつけた。『青柳瞳子から手をひけ、こっちの押さえている人間だから』、と。俺も、俺の所属している会社も、表向きは暴対法にひっかかることは一切していない。ただ、国家権力や法律以外から力を引っ張ってこられる」
頬杖をついて淡々と説明する飛豪の目つきは、ひどく醒めたものだった。
「君はまだ、自分に居住地を選ぶ権利があるみたいに思ってるようだけど、実際はそうでもない。俺と暮らすか、もう一度あっち――八田で風俗やらされるか――しかオプションが残されてない。君がココを出ていくと言うなら、俺は喜んで山根と八田に売りわたすよ。五〇〇万の他に、今日までのセキュリティ費用と仲介マージンも上乗せして値段をつける。向こうにとっては余計な出費だから、君はさぞや酷使されるだろうな」
「そんな……冗談でしょう?」
「冗談だと思う?」
問いかえした彼の視線は、まったく笑っていなかった。
「麻布の夜、お前言ったよな。『自分の体を好きにしていい』って。こっちは約束を履行してほしいだけだ。あの時、本気じゃなかったのか? 俺は条件のまない奴だったら、平気で切り捨てる」
すでに声色さえも突き放したものになっていた。それが瞳子には痛い。肌に、凍えつくような寒さを感じる。
――この人に『いらない』って言われるのは辛い。
一緒に過ごしたのは、たった四回。なのにもう、冷酷にも聞こえる彼の言葉が、本心では心配しかないと感じとっていた。
おそらく、瞳子の安全を守るつもりでこの二択になったのだ。彼女の意志で自分を選ばせるために。
彼は嘘は言っていない。ただし真実も言っていない。反社との関わりについては、問題なさそうに聞こえるように情報をかいつまんでいる。
でも何よりも、この瞬間に彼の手をとるか、振りはらうかの選択を迫られている。
本心では、もう一人になりたくなかった。
ずっと四年間、一人ぼっちなのは怖かった。不安で胸がはりさけそうな夜は何度もあったし、嗚咽がとまらずに一人泣きつづけた日もあった。
ここで飛豪の手をとっても、いつか――借金の返済を終えたら――関係は終わる。だけどそれまでは彼が傍にいる。一度知ってしまった温もりを、もう簡単には手放せそうになかった。
打算だ。自分だって、彼を利用している。
瞳子は、彼を利用するために都合の悪いことからは目を塞ごうと決めた。甘い毒をたっぷりとしたたらせた果実に、手を伸ばす。
「飛豪さんと暮らします。よろしくお願いします」
頭をさげた瞳子に、彼も安堵したように息をついて肩をおとした。
「こちらこそよろしく。俺は君が卒業するまで、ATMに徹するよ。だから君もセフレになってくれればいい」
軽い口調で重いことを言って、飛豪は手を差し出してきた。契約合意といったところなのだろう。非常にビジネスライクだった。
型どおりの握手を頃あいで終わらせようと思っても、しかし、容易に放してもらえなかった。
力任せに腕を引きぬこうとする瞳子の右手に、飛豪は唇を重ねて、最後に舌先で手の甲をちろりと舐めあげた。肌理を確かめるように、刺激するように。そして彼女をからかうように。
「……ひゃうッ!」
羞恥で思わず変な声をあげてしまう。彼は満足げな表情をうかべて、やっと解放してくれた。
「冷凍庫にアイスも入ってるから」
テーブルの上の本をとって、彼は席を立つ。取り残された瞳子は、いきなりペースを上げた鼓動をおさめるのに一苦労だった。
「三日前の夜、君がわりかしスムーズに警察から出てこられたのと、今この瞬間、俺の家に八田の人間が押しかけてこないのはどうしてだと思う?」
「それは、法律的にあの人たちのやっていることが悪いからで……」
自信なげに彼女は答えた。理論としては正しいが、実情としては間違っていると、気づいていた。
「それもある。だけど連中は、不利な証拠を残さずに動くことについて、知恵がまわる。加えてあんたに関しては、既に金が動いていた。普通の人間なら、事前に支払った金は回収しようと動く。それなのに、いま君が穏やかに粥を啜ってられるのには、理由があると思わないか」
瞳子は悔しさに歯噛みした。自分の無力と、無知がどうしようもなく許せない。
「毒をもって毒を制す。うちの会社は、警察にも反社にも顔がきくところと外注契約している。今回俺は、そっちのコネクションを使って君を保護した。山根じゃ話にならないのは分かってたから、彼の上――八田とも、おととい話をつけた。『青柳瞳子から手をひけ、こっちの押さえている人間だから』、と。俺も、俺の所属している会社も、表向きは暴対法にひっかかることは一切していない。ただ、国家権力や法律以外から力を引っ張ってこられる」
頬杖をついて淡々と説明する飛豪の目つきは、ひどく醒めたものだった。
「君はまだ、自分に居住地を選ぶ権利があるみたいに思ってるようだけど、実際はそうでもない。俺と暮らすか、もう一度あっち――八田で風俗やらされるか――しかオプションが残されてない。君がココを出ていくと言うなら、俺は喜んで山根と八田に売りわたすよ。五〇〇万の他に、今日までのセキュリティ費用と仲介マージンも上乗せして値段をつける。向こうにとっては余計な出費だから、君はさぞや酷使されるだろうな」
「そんな……冗談でしょう?」
「冗談だと思う?」
問いかえした彼の視線は、まったく笑っていなかった。
「麻布の夜、お前言ったよな。『自分の体を好きにしていい』って。こっちは約束を履行してほしいだけだ。あの時、本気じゃなかったのか? 俺は条件のまない奴だったら、平気で切り捨てる」
すでに声色さえも突き放したものになっていた。それが瞳子には痛い。肌に、凍えつくような寒さを感じる。
――この人に『いらない』って言われるのは辛い。
一緒に過ごしたのは、たった四回。なのにもう、冷酷にも聞こえる彼の言葉が、本心では心配しかないと感じとっていた。
おそらく、瞳子の安全を守るつもりでこの二択になったのだ。彼女の意志で自分を選ばせるために。
彼は嘘は言っていない。ただし真実も言っていない。反社との関わりについては、問題なさそうに聞こえるように情報をかいつまんでいる。
でも何よりも、この瞬間に彼の手をとるか、振りはらうかの選択を迫られている。
本心では、もう一人になりたくなかった。
ずっと四年間、一人ぼっちなのは怖かった。不安で胸がはりさけそうな夜は何度もあったし、嗚咽がとまらずに一人泣きつづけた日もあった。
ここで飛豪の手をとっても、いつか――借金の返済を終えたら――関係は終わる。だけどそれまでは彼が傍にいる。一度知ってしまった温もりを、もう簡単には手放せそうになかった。
打算だ。自分だって、彼を利用している。
瞳子は、彼を利用するために都合の悪いことからは目を塞ごうと決めた。甘い毒をたっぷりとしたたらせた果実に、手を伸ばす。
「飛豪さんと暮らします。よろしくお願いします」
頭をさげた瞳子に、彼も安堵したように息をついて肩をおとした。
「こちらこそよろしく。俺は君が卒業するまで、ATMに徹するよ。だから君もセフレになってくれればいい」
軽い口調で重いことを言って、飛豪は手を差し出してきた。契約合意といったところなのだろう。非常にビジネスライクだった。
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力任せに腕を引きぬこうとする瞳子の右手に、飛豪は唇を重ねて、最後に舌先で手の甲をちろりと舐めあげた。肌理を確かめるように、刺激するように。そして彼女をからかうように。
「……ひゃうッ!」
羞恥で思わず変な声をあげてしまう。彼は満足げな表情をうかべて、やっと解放してくれた。
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