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《第5章》 ロットバルトの憂鬱

会議室で

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 遅い昼食をおえてオフィスに戻ると、休憩用のスペースに見知った茶髪の若い男が座っていた。スマートフォンを手に、くつろいだ様子である。

「あれ、黒川くん」

「お疲れさまです」彼は飛豪の姿を認めると、イヤフォンを外し画面から顔をあげた。

「この前はありがとう。最終的に引っ越しとか雑用まで手伝わせて」

「や、問題なしです。あの子、今どんな感じすか。引っ越しのときは、めちゃくちゃ痩せてて顔色悪かったけど」

「体調は戻ってきた。よく食べるし、よく寝てる」

 そこまで聞くと、黒川は安心したように表情を弛め、スマートフォンに戻った。どうやらゲームをしていたらしい。

 ゴールデンウィークの夜、飛豪が彼女を助け出すために乗ったほうの車を運転していたのが彼だった。

 藤原の情報屋としての仕事も、歌舞伎町のジャズバーの仕事もどちらも手伝っている。瞳子が前に住んでいた玉川上水のボロアパートから荷物をひきあげる時は、飛豪が仕事で抜けられなかったので、段ボールの運びだしのような肉体労働をしてくれた。

 サイドを刈りあげたライトブラウンのソフトモヒカンは、派手で粗暴な印象――チンピラだと思われる――を周囲に与える。実際、繁華街を歩くと遠巻きにされるという。

 黒川が来ているということは当然ながら、彼の上司も来ているはずだ。ちょうどその時、休憩スペースの向かいの会議室の扉がひらき、藤原と室岡が出てきた。

「飛豪くん、高瀬くんから伝言。これから虎ノ門に立ち寄りするから、今日は出社しないって。東北視察の件のフォローアップは、後でメールで送るってさ」

 彼の顔を見るなり、午前中、高瀬と一緒に動いていた室岡が早口に伝えた。

 ディベロッパー出身の室岡は不動産投資専門だ。弁護士の高瀬と組むことは、契約のからみから必然的に多くなる。

 やり取りを済ませて室岡が去ると、飛豪は待ちかまえるように突っ立っていた藤原に、最初に頭をさげた。

「藤原さんも、ありがとうございました。先日の件は助かった」

「めずらしく殊勝じゃないか」

「そりゃそうだよ。俺、もっと長引くの覚悟してたから」

「早く片づいたはいいけど、ヒヤヒヤさせられたよ。あの場でお前が車のなかの男殴り殺してたら、まとまるはずの話も炎上してたからな」

「悪かったってば。だから最終的に上手く決着つけただろ」

 言いながら、先ほどの会議室に藤原を押しやった。この話を室岡やヒガチカに聞かれるのはまずい。

「大体、日中から藤原さんがここに来るの珍しいけど、どうしたんだよ。いつもは電話で済まないことも電話で済ませようとするくせに」

「室岡くんが担当してる目黒区の土地取得で、地面師が暗躍してる気配があるってさ」

「あー……そっちか。なるほどね。お疲れさんです」

「真っ昼間に来たのは、室岡くんの都合。があるから、仕事のアポはできるだけ早い時間に終了させたいんだと」

 さも嘆かわしい、と言いたげに藤原が肩をすくめたので、そこは違うだろ、と彼は言いかえした。

「仕方ないじゃん。室岡さんち、子供が確か四歳だろ。暇なアル中が融通きかせてやるぐらいの功徳つんどけよ」

「お前さ、最初の話に戻るけど、美芳メイファンさんには、いつ彼女の話する気なの?」

 彼女とは、瞳子のことだ。職場のスタッフまで動かしたのだからケジメつけろよ、と暗に釘を刺しにかかってきた。飛豪としてはあまり触れられたくない話題だが、説明責任がある。

「さわりだけなら藤原さんに仕事発注するタイミングで説明してる。結果どうなったかも、電話で報告ずみ。叔母さん今、本家とシンガポールだろ。戻りが六月前半だから……夏ぐらいには広尾で会わせることになる」

 各国大使館がひしめきあう高級住宅街・広尾には、叔母・美芳の私邸がある。四月下旬に藤原の力をかりると伝えた時には、右から左へと聞きながしていた叔母は、なぜか先週になって、瞳子に近いうちに会わせろ、と言いだしていた。

「その恐ろしい会見、さぞや見物だろうな」

「やっぱそう思う? 俺もあの二人、かなりヒリついた険悪さになるんじゃないかと思ってるんだよ」

 さも憂鬱だ、と言いたげに彼はこめかみに手をやる。その肩に藤原は手をおいた。

 かつては今の飛豪と同じほど大きな手のひらだった。しかしそれは五〇代後半にしては不自然に黄ばんで朽ちかかり、しぼんでいる。彼の内側に巣喰っているアルコールと病のせいだった。死の気配がたちはじめていることを飛豪は感じとったが、気づかないふりをした。

「藤原さんも、引っ越しのとき瞳子と話したはずだよね。印象とか、なにか感じたことあった?」

「大人しいけど、びくついてはなかった。そこがヒガチカと違うとこ。後は……分からないな。ほぼ喋らなかったし。黒川とのほうが話してたぜ。だって俺、助手席でふんぞり返ってウイスキー飲んでるだけだったから」

「あいかわらず最低だ」

「でも、一回だけ話しかけられたな。店に置いてあるコレクション見たいってさ。ジャズしかねーよって言ったら、それでいいってさ」

 丸の内のフレンチで藤原の店について話したとき、彼女の食いつきが良かった。前のめりになって、目を輝かせていた。

「ふぅん。じゃ、近いうちに一緒に店にお邪魔するよ」

 飛豪が言うと、さも意外だと言いたげに藤原は目を瞬かせた。

「お前、そういう面倒見のいい奴だったんだ」

「え?」

「いや、俺が知ってる坊ちゃんは、女はトイレットペーパーなみの消耗品扱いだったから。そもそも、お前にマトモな恋人がいた時期を見てないから、単発の女以外だとどうなるのか知らない」

「あの子に関しては、きっかり二年後に手放そうと思ってる。もちろん単発の関係ではないし、今はルームメイトみたいなものだから、できる範囲で上手くやるつもりだ。でも、李家ウチにはあまり関わらせたくない。意味、分かるだろ?」

「分かるけどさ……今回いやに手厚いじゃないか。どうした?」

「責任」飛豪はきっぱりと答えた。「未成年じゃないけど、学生の身柄あずかるってことは将来にも影響する。あとは個人的に、あの子の心にでっかく空いた穴――虚無感みたいなの――は俺も身に覚えがある。バレエ以外の良いものも見せてやりたいし、可能性も広げてやりたい。生きるってあいつが決めたんなら、人生まだ先は長いんだ」

「お前マジメだな。……って、あの親父さんの息子だもんな」

「俺も最近そう思うよ。ただ一つゲスいことをつけ加えるなら、彼女にマトモなところで働いてもらわないと、貸した金を回収できない。効率化を考えるなら、多少の労力をかけても手懐けておいて、就職先とか他のことでも言うこと聞かせられるようにしておきたい」

 藤原はタバコ臭い息をまきちらして、ひゃひゃひゃと笑った。

「シラけた建前を言ってるな。坊ちゃんは悪人のふりが下手すぎる。そもそも、セキュリティであれだけの金額使ってる時点で、計画は破綻してる。どうせ自宅に連れこんでも、採算度外視で大事にしてるんだろ。お前、ホント親父さんそっくり。あの女みたいに、つけあがらせるなよ」

「オッサンの言う『あの女』って、俺の母親だろ。タイプが全然違う」

 憮然とした顔つきで飛豪が応答した。幼少期からの自分と家族関係を知りぬいている分だけ、藤原は遠慮というものが無さすぎる。

「タイプが全然違うけど、どっちも女だ。――知ってるか? 美芳も、昔はあの嬢ちゃんみたいな、汚れを知らないしとやかなご令嬢だったからな。あれが今の毒サソリにまでなったんだ。油断するなよ」

「はぁ?」

 年寄りが訳知り顔にウンウンと頷いている。相槌をうつのも馬鹿らしくなってきた飛豪は、午後の仕事にはいろうと決めて扉のノブに手をかけた。
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