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《第9章》 オデュッセウスの帰還
お見舞い1
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布団に隠されている藤原の体は、最後に会った広尾の夜よりも格段に縮んだように見えた。
「お前、せっかく……憑き物が落ちた、みたいな顔…ッが……してんのに、こっち…見て、絶句して…んじゃねーよ。俺…が死ぬ、っ……のはもう…分かっ、てた話だろ」
もう会話するのもままならないようで、しゃがれた声は何度もつかえ、音が潰れて聞こえた。
「分かってたけど、この前会ったばっかで、こんなに早く……」
「昨日……来、た、嬢ちゃんの方が、よ、ほど肝っ玉が太…ッかった…。……顔色一つ、変え…ずに、『この前自、分も…死に…っかけた……』ってケロっ……と報、告して……くれ、て」
「あいつの口ぶりだと、もうちょいマシな容態かと思ってたんだよ」
飛豪はベッド側のちっぽけな丸イスに腰をおろした。
「ッ……んな訳な、いだろ……うが。数…十年、アル…コールでッ、じっ…くり漬け、こんできた…肝…臓だ」
九月の終わり、二日前から飛豪は在宅勤務からオフィスに戻っていた。
藤原が月の中旬――瞳子と電話をした日――に発作を起こして以来、入院しているというのは知っていた。症状をいつもどおり軽く見積もっていたのと、怪我をさせてしまった彼女との時間を優先したくて、見舞いはずっと後まわしになっていた。
昨日は仕事が立て込んでいて面会時間に間に合わなかったが、かわりに彼女が行ってくれていた。
「嬢ちゃん、はまだ……年食った人間…っが、じりじり弱って、死ん…グっ…でいく姿を知らない、だけだろ。だから、どの程度かも見当……つかない。俺が、最初……のサン、プル……になれるなら、光栄じゃないか」
顔色もまた粘土のような土気色をしていた。
飛豪が子供のときは、藤原に名前を呼ばれるだけで何か悪いことをやらかしてしまったのではないかと、ビクッと姿勢が伸びた。その頃の名残りは、もう跡形もない。酸素マスクをつけて呼吸を補助するようになる日も、遠くないだろう。
「オッサンさー……」
言葉を選びかねていると、藤原は眼差しを強めてこちらに据えてきた。矍鑠とした眼光の鋭さだけは、いまだ衰えていない。
「見たよ、あの……赤い首輪。お前の、趣味だろ」
「キツい皮肉言ってくるな。……そうだよ、俺がやった。病院沙汰にもなった。でも最終的に、あいつのお陰で持ち直した」
赤い首輪とは、瞳子の首にまだうっすらと残っている、飛豪が首を絞めてできた鬱血痕である。二週間がたってようやく消えかかってきたが、間近で接するとまだ判別できる程には残っている。
彼女は外出するとき、いつも首を薄手のストールで隠していた。淡々と、当たり前のことのように処理している姿に、心が痛む。これは、ずっと覚えていなければならない痛みだ。
メールであの夜の経緯と結果だけは伝えていた。昨晩の食卓で、病院に行ってきた瞳子は「藤原さんにかなり心配されちゃった。『報復したいなら手貸すぞ』ってさ」と、苦笑して報告してきた。
「坊ちゃん……は、握…力いく、つだ?」
「七三」二か月ほど前にジムで測った数値を、彼はまだ覚えていた。
「ほと、んど……ゴリラじゃねーか」
「ゴリラは握力、五〇〇だっつの。せめて、マイク・タイソンって言ってくれ」
「御託はいい。黙、れ。お…前、そんな腕力で、嬢…ちゃんの首絞めて、恥ずかしくないのか。俺は、あの……子、に死ぬ…ような思い、をさせるために……お前の計…画に手をかして、救いだした、のか」
「…………」
「親父さん……が生きてたら、な、んて、言…うだろうな……」
「分かってる。反省してる。あいつにあんな事をしたのは、心の底から後悔してる。『もう一人』のせいだなんて言うつもりもない。結局、そいつを抑えきれなかった自分のせいだ。でも、瞳子がいたから……彼女がかわりに傷ついてくれたから、いま俺が安定した状態を得られたのも事実なんだ」
不貞腐れたように飛豪が口をきいた。
「お前、せっかく……憑き物が落ちた、みたいな顔…ッが……してんのに、こっち…見て、絶句して…んじゃねーよ。俺…が死ぬ、っ……のはもう…分かっ、てた話だろ」
もう会話するのもままならないようで、しゃがれた声は何度もつかえ、音が潰れて聞こえた。
「分かってたけど、この前会ったばっかで、こんなに早く……」
「昨日……来、た、嬢ちゃんの方が、よ、ほど肝っ玉が太…ッかった…。……顔色一つ、変え…ずに、『この前自、分も…死に…っかけた……』ってケロっ……と報、告して……くれ、て」
「あいつの口ぶりだと、もうちょいマシな容態かと思ってたんだよ」
飛豪はベッド側のちっぽけな丸イスに腰をおろした。
「ッ……んな訳な、いだろ……うが。数…十年、アル…コールでッ、じっ…くり漬け、こんできた…肝…臓だ」
九月の終わり、二日前から飛豪は在宅勤務からオフィスに戻っていた。
藤原が月の中旬――瞳子と電話をした日――に発作を起こして以来、入院しているというのは知っていた。症状をいつもどおり軽く見積もっていたのと、怪我をさせてしまった彼女との時間を優先したくて、見舞いはずっと後まわしになっていた。
昨日は仕事が立て込んでいて面会時間に間に合わなかったが、かわりに彼女が行ってくれていた。
「嬢ちゃん、はまだ……年食った人間…っが、じりじり弱って、死ん…グっ…でいく姿を知らない、だけだろ。だから、どの程度かも見当……つかない。俺が、最初……のサン、プル……になれるなら、光栄じゃないか」
顔色もまた粘土のような土気色をしていた。
飛豪が子供のときは、藤原に名前を呼ばれるだけで何か悪いことをやらかしてしまったのではないかと、ビクッと姿勢が伸びた。その頃の名残りは、もう跡形もない。酸素マスクをつけて呼吸を補助するようになる日も、遠くないだろう。
「オッサンさー……」
言葉を選びかねていると、藤原は眼差しを強めてこちらに据えてきた。矍鑠とした眼光の鋭さだけは、いまだ衰えていない。
「見たよ、あの……赤い首輪。お前の、趣味だろ」
「キツい皮肉言ってくるな。……そうだよ、俺がやった。病院沙汰にもなった。でも最終的に、あいつのお陰で持ち直した」
赤い首輪とは、瞳子の首にまだうっすらと残っている、飛豪が首を絞めてできた鬱血痕である。二週間がたってようやく消えかかってきたが、間近で接するとまだ判別できる程には残っている。
彼女は外出するとき、いつも首を薄手のストールで隠していた。淡々と、当たり前のことのように処理している姿に、心が痛む。これは、ずっと覚えていなければならない痛みだ。
メールであの夜の経緯と結果だけは伝えていた。昨晩の食卓で、病院に行ってきた瞳子は「藤原さんにかなり心配されちゃった。『報復したいなら手貸すぞ』ってさ」と、苦笑して報告してきた。
「坊ちゃん……は、握…力いく、つだ?」
「七三」二か月ほど前にジムで測った数値を、彼はまだ覚えていた。
「ほと、んど……ゴリラじゃねーか」
「ゴリラは握力、五〇〇だっつの。せめて、マイク・タイソンって言ってくれ」
「御託はいい。黙、れ。お…前、そんな腕力で、嬢…ちゃんの首絞めて、恥ずかしくないのか。俺は、あの……子、に死ぬ…ような思い、をさせるために……お前の計…画に手をかして、救いだした、のか」
「…………」
「親父さん……が生きてたら、な、んて、言…うだろうな……」
「分かってる。反省してる。あいつにあんな事をしたのは、心の底から後悔してる。『もう一人』のせいだなんて言うつもりもない。結局、そいつを抑えきれなかった自分のせいだ。でも、瞳子がいたから……彼女がかわりに傷ついてくれたから、いま俺が安定した状態を得られたのも事実なんだ」
不貞腐れたように飛豪が口をきいた。
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