青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

文字の大きさ
156 / 192
《第9章》 オデュッセウスの帰還

月が輝く夜だから

しおりを挟む
 瞳子の視線に気づいたのか、彼はこちらに軽く手をあげ、ふわりと笑った。

 瞬間、硬質な顔の輪郭がやわらかく、とても優しいものになった。彼女は胸がいっぱいになり、涙腺がつきりと刺激される。

 ――そっか、飛豪さんにこんな顔をさせているのは、わたしなんだ。

 今日は、鶏肉をカゴに放りこむのも忘れてしまっていた。

 寒くもなく、暑くもなく、さわやかな秋の風が街を吹きぬけていく趣ある宵だった。

 洒脱な飲食店がならぶ神楽坂のメインストリートの両脇の街灯は、通行人の顔を照らしだしている。飯田橋へかけて坂をくだっていくどの顔も、穏やかで平和そうだった。

 街灯のむこうの夜空にぽっかりと浮かんでいる上弦の月と、瞳子は目があった。

 月だけではなく、星が幾つもまたたいている素敵な空だった。ふと、口にしていた。

「飛豪さん、ケーキ買ってこうよ」

「珍しいこと言うな。いつもストイックにカロリー管理してるのに」

「今日はそういう気分なんです」

「ま、いいよ。ケーキ屋寄ってこうか」

 元来た道を引きかえし、細い辻道に折れてしばらく歩くと、どうにか閉店間際のケーキ店に辿りつくことができた。雑誌でもよく取り上げられている人気店だが、ショーケースにはまだ数個残っている。

 白一色のインテリアの店内に入る直前、瞳子は彼のブルゾンの袖をひいて立ちどまった。

「あの、」

「どうした?」

 両手に買い物袋をさげた飛豪が、怪訝そうに隣の彼女を見下ろした。

「今、突発的に思ったんですけど……わたし、飛豪さんのこと、やっぱり好きです。すごく好きです。だから、これからも一緒いたいです」

 瞳子は、まっすぐに飛豪を見つめていた。最初ぽかんとしていた彼は、ややあってから答える。

「……嬉しいけど、このタイミングで言いだす意味が分からない」

 彼は店の前では迷惑だと判断して、少し離れた奥まった暗がりへと彼女を促した。

「話、ちゃんと聞くよ」

 言ってみな、というその低い声音が、瞳子の心や肌に染みわたっていく。

「だって、二人で並んで帰ってて、星がすごく綺麗に光ってて、お月さまが笑ってて、家についたら一緒にケーキが食べたいなって思ったの。これってわたし、飛豪さんのこと大好きじゃないですか」

 溢れるようなこの気持ちを否定されたらどうしよう。彼女は不安になっていた。

 そう、自分は確かに二週間前から、不安定になっている。だけど、さっき彼に感じた気持ちは本物だと思ったから、少しでも早く伝えたかった。

「なんで君のほうが泣きそうになってるの」飛豪は心配げに、手の甲で頬にふれてきた。

「分かんない。でも、本当なんです」

「OK。じゃあ、一つだけ質問させて。ちゃんと考えた? 勢いとか直観で決めるのもいいけど、ここでYESと言ったらもう、俺は君のこと逃がすつもりないよ」

「望むところです」瞳子は口を尖らした。

「宣戦布告みたいな言い方して……」彼は、顔を苦くしてやれやれと肩をすくめた。

「だって、わたし……一番初めの日も、全部直感で飛豪さんについてったし」

「これから先、俺以外の人類に直観でついていくのは禁止で」

 飛豪は、腕をまわして彼女を抱きしめようとした。しかし、両手からぶら下がっている買い物袋に阻まれる。らしくなく、チッと忌々しげに舌打ちをした。

「どうして両腕塞がってるんだよ。米五キロのせいか……」

 言いつつも、その顔が下りてきて涙腺がゆるみかけている瞳子の目元に口づけがされた。目を伏せると、温かな感触が鼻筋から唇へと滑っていく。

 やがて、袋がどさりと道端に落ちた音がするとともに抱き寄せられた。

 彼の大きな体のなかに包みこまれる。汗と香水がまじった香りがして、理性のボタンがぷつんぷつんと外れ、官能があらわになる。木枯らしが走っていくように、快楽の震えが背筋をかけあがっていった。

 ――良かった。わたしもずっと、こうしたかった。

 飛豪の背中に腕をまわしてしがみつくと、快感をこえて、今までに感じたことのない深さの安堵にひたされていった。

 足首に縄と重しをむすばれて、深海に引きずり込まれてゆく感覚。呼吸はない。なのに気持ちいい。

 海流のうねりに、どっと流されてたゆたってゆく。この海すべてが飛豪だった。二つの鼓動がかさなって、メトロノームがきざむように均衡した世界が生まれる。今は、彼のことだけで心も体もいっぱいになりたい。

 結局ケーキは買えなかった。だが瞳子も一つ袋をもって、二人手をつないで帰り道をあるいた。
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...