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《第10章》 天国の門
きよしこの夜
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神妙な顔をして、瞳子は頭をさげた。
「よろしくお願いします」
「…………」
――この体に傷をつけるのは、怖い。自分が怪我することよりも、怖い。
飛豪は芯から凍える気がした。凶暴で醜い本能と、再び向きあわなくてはならない。
彼女を傷つけて喜んでいたもう一人が再訪して、両肩に手を置いているような気配がする。手が震えた。が、一つ呼吸をして彼女の頭部にふれると、心臓が落ち着きをとりもどしてゆく。
――大丈夫。この子が傍にいれば、俺は俺のままでいられる。
次の瞬間、ガシャンと軽い裁断音がたって、彼女の耳殻を貫いていった。
「ん……あんまし痛くなかった? ちゃんと刺さってますか?」
「バッチリ。痛くないなら、さっさと次するよ」
瞳子が訝しげに耳たぶを触っているのを無理やり方向転換させて、もう一方の耳を剝き出しにする。
二回目は、どちらも余裕があった。「行くよ」と予告すると、彼女も「よろしくー」ととぼけた返答をする。あっという間に貫通していった。
就職活動の面接でネガティブな印象を与えないよう、目立たないピアスを彼女は選んだ。無色透明のジルコニアがひかえめに光っている。瞳子が鏡をのぞきこんで満足げに仕上がりを確かめている一方で、飛豪は肩の力ががっくりと抜けていた。
「やっぱ飛豪さん、手先器用ですよね。位置にブレがない」
「気に入ってもらえたようで何より」虚脱感に、なかばゲンナリしながら返答する。
「嫌なことさせてすみませんでした。でも、ありがとうございました」
「……もういいよ。ちょっと俺、慰めとか癒しがほしいタイミングだから、カラダ貸して」
彼女を抱きよせて、飛豪は椅子に腰かけたままぐったりしたように頭からその胸にもたれかかった。何をするわけでなく、ただ彼女を抱きしめている。
――やっぱ辛い。こっちの心臓が抉られる気分だった。誕生日のお願いでもなかったら、こんなこと絶対にやりたくない。
彼の頭部をカーディガンの胸元にかかえながら、瞳子は遠慮がちに後頭部を撫ぜていた。相変わらず硬くて、チクチクする髪の毛を。
「ねー飛豪さん……」
「んー?」彼は目をつぶったまま答えた。
「そんなに嫌だったんだ。本当にごめんね」
「もう二度としないから。マジで勘弁」
気力を奪われた彼は、徹夜仕事の日よりも疲弊している声をしていた。
「でもわたし、どんなピアスつけるか、今からすごく楽しみ。ありがとう」
「なら良かった。どういたしまして」
いつまで二人はそうしていただろう。
お互いに、なんとなく次の動きに移れないまま瞳子は彼の頭を撫ぜつづけ、飛豪は彼女の体に身をゆだねていた。そうしているのが、とても自然で心地よかった。
いつまでもこうしていたい。この安らかな温もりにもう少し包まれていたい。しかし明日も平日だ。そうもいかない――。
やがて飛豪が身じろぎをして彼女を抱きしめる腕をゆるめようとした時、頭上から細いメロディが響いた。クリスマスの讃美歌「きよしこの夜」の旋律を、瞳子がハミングでゆったりと歌っていた。
聖なる母子を祝福する歌だ。クリスマスからも祝福からも遠ざかった一〇年間を過ごしていた彼は、つい味わうように耳をそばだてていた。
「……その曲、久しぶりにちゃんと聴いた」
「わたしも。今日、面接前にデパートで化粧直ししてたら、ちょうど流れてたんです」
「今日から一二月だから」
「だと思う。わたしの誕生日、映画の日でクリスマスソングの解禁日なんです」
「今度、映画も一緒いこう」
「うん」
「……じゃあ妖精さんにはそろそろ、俺のリクエスト聞いてもらおうかな。九月まで遡って祝ってくれるみたいだし」
ようやく顔をあげると、彼女と目があった。静かに微笑みをかわす。彼は身をおこすと、瞳子の口元にそっと唇をかさねた。
「飛豪さんのお願い、なんだろう……? 怖いなぁ」
「言っとくけど、君のエキセントリックなお願いに比べて、二〇〇倍マトモだから」
彼は立ち上がって、つられて寄りそった瞳子の腰に手をおいた。つい先刻自分であけたピアスホールのある耳元に、顔を近づける。
「君と……り…たい」
掠れた小声だったので、聞き取れなかったのだろう。彼女は訊きかえした。
「今、なんて言いました?」
「……俺も、瞳子と、踊りたいです」
あまりにもささやかで、しかし口にするには勇気のいるお願いをする顔を見られたくなくて、飛豪は彼女の頭部を力まかせに自分の胸に押しつけた。
「よろしくお願いします」
「…………」
――この体に傷をつけるのは、怖い。自分が怪我することよりも、怖い。
飛豪は芯から凍える気がした。凶暴で醜い本能と、再び向きあわなくてはならない。
彼女を傷つけて喜んでいたもう一人が再訪して、両肩に手を置いているような気配がする。手が震えた。が、一つ呼吸をして彼女の頭部にふれると、心臓が落ち着きをとりもどしてゆく。
――大丈夫。この子が傍にいれば、俺は俺のままでいられる。
次の瞬間、ガシャンと軽い裁断音がたって、彼女の耳殻を貫いていった。
「ん……あんまし痛くなかった? ちゃんと刺さってますか?」
「バッチリ。痛くないなら、さっさと次するよ」
瞳子が訝しげに耳たぶを触っているのを無理やり方向転換させて、もう一方の耳を剝き出しにする。
二回目は、どちらも余裕があった。「行くよ」と予告すると、彼女も「よろしくー」ととぼけた返答をする。あっという間に貫通していった。
就職活動の面接でネガティブな印象を与えないよう、目立たないピアスを彼女は選んだ。無色透明のジルコニアがひかえめに光っている。瞳子が鏡をのぞきこんで満足げに仕上がりを確かめている一方で、飛豪は肩の力ががっくりと抜けていた。
「やっぱ飛豪さん、手先器用ですよね。位置にブレがない」
「気に入ってもらえたようで何より」虚脱感に、なかばゲンナリしながら返答する。
「嫌なことさせてすみませんでした。でも、ありがとうございました」
「……もういいよ。ちょっと俺、慰めとか癒しがほしいタイミングだから、カラダ貸して」
彼女を抱きよせて、飛豪は椅子に腰かけたままぐったりしたように頭からその胸にもたれかかった。何をするわけでなく、ただ彼女を抱きしめている。
――やっぱ辛い。こっちの心臓が抉られる気分だった。誕生日のお願いでもなかったら、こんなこと絶対にやりたくない。
彼の頭部をカーディガンの胸元にかかえながら、瞳子は遠慮がちに後頭部を撫ぜていた。相変わらず硬くて、チクチクする髪の毛を。
「ねー飛豪さん……」
「んー?」彼は目をつぶったまま答えた。
「そんなに嫌だったんだ。本当にごめんね」
「もう二度としないから。マジで勘弁」
気力を奪われた彼は、徹夜仕事の日よりも疲弊している声をしていた。
「でもわたし、どんなピアスつけるか、今からすごく楽しみ。ありがとう」
「なら良かった。どういたしまして」
いつまで二人はそうしていただろう。
お互いに、なんとなく次の動きに移れないまま瞳子は彼の頭を撫ぜつづけ、飛豪は彼女の体に身をゆだねていた。そうしているのが、とても自然で心地よかった。
いつまでもこうしていたい。この安らかな温もりにもう少し包まれていたい。しかし明日も平日だ。そうもいかない――。
やがて飛豪が身じろぎをして彼女を抱きしめる腕をゆるめようとした時、頭上から細いメロディが響いた。クリスマスの讃美歌「きよしこの夜」の旋律を、瞳子がハミングでゆったりと歌っていた。
聖なる母子を祝福する歌だ。クリスマスからも祝福からも遠ざかった一〇年間を過ごしていた彼は、つい味わうように耳をそばだてていた。
「……その曲、久しぶりにちゃんと聴いた」
「わたしも。今日、面接前にデパートで化粧直ししてたら、ちょうど流れてたんです」
「今日から一二月だから」
「だと思う。わたしの誕生日、映画の日でクリスマスソングの解禁日なんです」
「今度、映画も一緒いこう」
「うん」
「……じゃあ妖精さんにはそろそろ、俺のリクエスト聞いてもらおうかな。九月まで遡って祝ってくれるみたいだし」
ようやく顔をあげると、彼女と目があった。静かに微笑みをかわす。彼は身をおこすと、瞳子の口元にそっと唇をかさねた。
「飛豪さんのお願い、なんだろう……? 怖いなぁ」
「言っとくけど、君のエキセントリックなお願いに比べて、二〇〇倍マトモだから」
彼は立ち上がって、つられて寄りそった瞳子の腰に手をおいた。つい先刻自分であけたピアスホールのある耳元に、顔を近づける。
「君と……り…たい」
掠れた小声だったので、聞き取れなかったのだろう。彼女は訊きかえした。
「今、なんて言いました?」
「……俺も、瞳子と、踊りたいです」
あまりにもささやかで、しかし口にするには勇気のいるお願いをする顔を見られたくなくて、飛豪は彼女の頭部を力まかせに自分の胸に押しつけた。
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