青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第10章》 天国の門

あなたとワルツを

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 一緒に踊りたいと言われて、「えッ……え⁉」と瞳子は驚いた。

 同時に彼の表情をうかがおうとしたが、結構な強さで顔が押さえつけられた。頬にあたった彼の胸から鼓動が響いている。いつもより速い。

「ッ……飛豪さん、苦しい……もちょっと、拘束ゆるめて」

 控えめに苦情を申し立てると、すぐに体は自由になった。彼は顔をそむけて、見られまいとしていた。

 ――本気だ。ホントのお願いだ。えっと……バレエのパ・ドゥ・ドゥをがっつり踊りたいって意味じゃないよね。もうわたしも無理だし。多分、あっちだよね。チークダンス。海外の映画とかで、カップルがゆっくり踊るようなの。

 瞳子は子供のときに好きだった、ディズニー映画の『美女と野獣』を思いえがいた。中盤の、ヒロインと魔法で醜い獣にかえられた王子のダンスシーンが美しく鮮やかで、今でも主題歌とともに記憶に残っている。

 あの映画のヒロインは、カナリアイエローのドレスを着ていた。王子は青のフロックコートを。シャンデリアが天井のフレスコ画を照らしだしていて。素敵な宮殿だった。

 今の自分はといえば、部屋着にしているペルー土産のアルパカニットのカーディガンに、カーゴパンツ。飛豪は、浅いオリーブグリーンのくたびれたフードパーカーとスウェット。テーブルの上には空の食器が散らばっているし、シャンデリアもフレスコ画もないし、なんならここはお城でもない。

 それでも彼と踊りたかった。

「いいですよ」と彼女が言う前に、沈黙に痺れをきらした飛豪は、「ごめん、もう一杯飲ませて。ちょっと素面シラフだと……無理」と、くるりとこちらに背をむけた。

 猫背ぎみに背中を丸めて赤ワインの瓶をあけている彼の体に、瞳子は丁寧に触れていった。優しく、思いやりのある手つきで。上半身をよせて、頬と手のひらをその背に這わせる。

「わたしも飲みたいな」

「…………」彼は黙ってグラスをもう一つ手にとった。

「飛豪さん、曲のリクエストはあるんですか?」

「”Septemberセプテンバー Songソング”、エラ・フィッツジェラルドのバージョンで」

「それ、藤原さんも好きだって言ってた。ダグラスMで聴かせてもらった」

「俺も、あの人から教えてもらった」

 スマートフォンで音楽アプリを起動すると、快活でノスタルジックなピアノの前奏が流れはじめた。二人とも片手はワイングラス、片手は相手の体にそえて、静かにステップを踏む。

 目をとじて旋律に身をゆだねると、よく晴れた秋の日の森の風景が脳裏に広がった。

 時間帯は午後で、黄金色の気だるい日ざしがやわらかく肌を温めてゆく。吹きぬけていく風は少し冷たくて、これから冬に近づいていくことを予感させる。

 名残りおしさと、一瞬一瞬で移ろいゆく美しさが凝縮したような、ビタースイートな曲。

 その一曲をエンドレスリピートして、グラスを時折傾け、相手を気づかいながらいつまでもダイニングで踊つづけた。

 彼はずっと、なにか痛みをこらえるような表情をしていた。瞳子も同じ顔つきで踊っていた気がする。

 結局、その夜にバースデーケーキの出番はなかった。翌朝の食卓でやっと出されて、「朝だから太らない」と言い訳しながら特別な朝食を満喫した。
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