青柳さんは階段で ―契約セフレはクールな債権者に溺愛される―

クリオネ

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《第10章》 天国の門

微熱

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 毎年のことだが、誕生日が終わるとクリスマスと年末年始が瞬く間におとずれる。

 昨年の瞳子の冬期休暇は毎日パン工場の夜勤シフトでしめられていた。今年はずっと微熱がさがらず、体調がはっきりしないまま過ぎていった。

 一二月にはいってからというもの、就職活動の面接や試験、大学の中間レポート、あとはダンスレッスンで追われつづけていた。息つく間もない日々を送りつづけて、一二月の四週目、大学の講義終了と同時に発熱した。

 ストレスの主要因はダンスだった。

 来年の三月にヨーロッパの著名な振付家が来日して一週間のマスタークラスを開く、という情報をキャッチして、参加者選抜のための作品づくりに取り組んでいたのだが、それが上手くはかどらず重荷になっていた。

 踊り手としての実績があるとはいえ、五年のブランクと、ケガのハンデ、振り付けや創作に関してはアマチュアレベル――と、マイナス条件が揃っている。でも努力次第でチャンスがめぐってくるのなら掴み取りたい。その一心だった。

 毎週のボディメーキングのためのレッスンのほか、サーシャや教室の先生から参考となる動画や作品を教えられたら、英語でもフランス語でもメモを取りながら観る。関連する書籍も読む。

 一番大切なことはアウトプットだ。

 学んだことを体をつかって実践し、自分の作品の輪郭をさがしていく。今まで趣味としてきた、感じたままに体を動かすことと、一つのテーマのもとに統一感のある作品をつくることは全く異なる、と、まず知らしめられた。思うようにいかないことばかりだ。

 ――あれ、わたし、才能あるつもりだったけど、全然足りてないんじゃない……?

 際限なく時間をかけたくて、でも出来ばえに満足などほど遠くて、自分に苛立つばかりだ。仮に選抜をとおったとしても、就職活動のピークシーズンに重なっているので、行けない可能性が高い。

 道のりの長さと無力感を打ち消したくて、やみくもに張りつめた日々を送った結果、とうとう微熱がひかなくなった。熱は軽いのでやろうと思えば家事や買い物もできるのだが、体が思うように動かず、ひたすら眠い。九月中旬に怪我をしたときと同じような状態だった。

 クリスマスの朝、飛豪はベッドで横たわる彼女から体温計を受けとると、諦めたように首をふった。三七・七度。瞳子の額に、冷たい手のひらをのせて生え際をかきわけた。

「とりあえず飽きるまで寝てな。君も自覚してるだろうけど、熱出たのは無理がたたっただけだから。休んでればいずれ治る」

「だって……せっかく授業終わってお休みはいったのに。飛豪さんだって今日から一月まで仕事ないんでしょ」

「メールチェックぐらいはするけど。あとは来年の準備したり、ジム行ったり。することに困ってないよ」

「デート、したかったなぁ」

 気だるげに息をついて、瞳子はぽつりと呟く。

 本当はこの日、久しぶりにドライブに出かける予定だった。

 人のいない冬の海で潮風に髪をはためかせて、波打ちぎわを歩きたかった。地元の漁港で海鮮丼を食べて、帰りはブッシュドノエルを一緒に選びたかった。

「海なんて、これから幾らでも行けるじゃん」

「違うの! 今年のクリスマスデートは今日しかできないんだって」

「なら、ちゃんと体調管理すべきだったね」

「そうだけど……」

 果てしなくクダを巻きつづける彼女の鼻を、飛豪は親指でぐっと押した。

「君はまだ二三になったばっか。十代で成功した君からすると二十代、三十代なんて老人かもしれないけど、一生長く踊っていくつもりなら焦るな。一つひとつから確実に学べ。あと、俺との時間もちゃんと取って。でないと家から二度と出さないよ」

 横たわる彼女の口元まで毛布とベッドカバーをかけ直すと、彼は「ちょっと出かけてくる」と言い残して去っていった。

 彼は病院に行くのだ。今月に入ってから藤原の容体がかなり悪化していて、もう最近では見舞いに行っても意識のない日ばかりだった。

 来年までもてばいい方とさえ言われていて、飛豪は出勤前、退勤後を上手く組み合わせて毎日のように中央区築地の病院に通っていた。なくなってしまった今日のデートだって、飛豪は「病院まで片道一時間で戻ってこられる場所」と制限をつけていた。

 瞳子も週に二回は必ず見舞いの時間をとっていた。

 酸素マスクと点滴で辛うじて生かされている藤原の姿に、いつも抉られるように胸が痛む。だが、最後まで彼と話しつづけたかった。まぶたが閉ざされたままの彼に向かって、最近の出来事や家庭内でのささやかなケンカ事案の報告をしたり、気にいっている曲をボリュームを落として聞いてもらい、反応が少しでもないかとじっと様子をうかがう。

 レッスン前に立ち寄ったときは、壁際でストレッチをしてみせたりもした。就活帰りで疲れている日は、彼の足元の毛布で突っ伏すようにして眠っていて、黒川に回収されたこともある。

 死の気配がたちこめた病院にいくのが、最近はすっかり日常になっていた。
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