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《終章》 ふたりは非常階段で

帰国

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 翌年の三月中旬、瞳子は大学の卒業式を迎えた。

 学生生活の最後の一年は、思いのほか静かに過ぎていった。卒業必要単位が三年次でほぼ取り終わって、大学はゼミでの卒論報告だけになったからだ。

 就職活動も終わった夏休みからは、ダンス・レッスンも増やしていた。昔、コンクールでコンテンポラリー作品をつくってもらった振付家に連絡をとって、今は月に二回、彼と個人レッスンをしている。学生である間に、できるだけ実力の底上げをしたかった。

 でも、飛豪が日本にいるときは彼とだけ向きあっていたかった。

 トータルで年に三か月くらいは日本に居られるようにする、と言ってくれたとおり、彼はスケジュールをやりくりして二、三か月に一度帰国してくれる。一二月一日の誕生日は一人(というか、奈津子と)だったが、クリスマスから年末年始にかけては二人で長く過ごすことができた。

 卒業式に保護者枠で出席してくれることになっている飛豪は、前日に到着するフライトで帰国することになっていた。

 迎えにこなくていいと言われているので、空港には行かない。

 かわりに買い物に行って、冷蔵庫いっぱいに食材を詰めておく。簡単につまめる物や、レンジで温めるだけの物も欠かさない。彼が帰ってきたら、もう外に出なくていいように。抱きあっているだけの日々をしばらく送れるように。

 最悪、デリバリーピザがあれば何とでもなるのだけれど。

 その日は午前中にレッスンがあって昼すぎに自宅に戻ると、飛豪はすでに帰宅してソファでタブレットを操作しながら寛いでいた。服が自宅用のパーカーだし、髪の毛が湿っている。シャワーを浴びたようだ。

「お帰りなさい!」

 満面の笑みで駆けよると、彼も「お、久しぶり」と手を伸ばしてきた。声も、手のひらの感触も、すべてが懐かしくて、愛しくて、瞳子のリミッターを外していく。

 ――うわぁ、本物だ。飛豪さんだ。

 抱き寄せられるのと、コートのまま倒れこむのはほぼ同時だった。

 二か月ぶりなので、キスをするのが恥ずかしい。鼻がふれあう至近距離で視線が交錯するのが、嬉しいのに照れてしまう。

 彼が唇を重ねようとしてくるのに角度をずらして逃げつづけていると、とうとう両頬を押さえられた。こわごわと目をつぶって、おもてを伏せる。

「あれ、今日レッスンだったんだろ? なんか顔がいつも通り」

「顔?」

 キス回避の会話の流れに、瞳子は目蓋をひらく。飛豪が、まじまじとこちらを見つめていた。

「言ってなかったっけ。君、ダンス帰りはいつも、顔、目つき……がちょっと怖い。怖いっていうか……神聖sacredで、月の裏側に取りこまれた感じ……神職みたいな近寄りがたさがあるんだけど。今日は、普通。いつもどおりの俺の瞳子」

「黒川さんにも似たようなこと、言われたことがある。今日はレッスン中、ずっとソワソワしてたからなぁ。飛豪さん帰ってくるし、明日は卒業式だし。先生に『集中できないなら止めるわよ』って怒られちゃった……」

「怒られるくらいダメだったの?」彼が鼻を鳴らしてククッと笑う。

「って、なんで笑ってるんですか? 飛豪さんのせいです」

「俺のせいじゃないって」

 さもおかしげで、笑いを噛み殺しきれていない彼を前に、一つ思い出したことがあった。

「ひょっとして前に一緒に暮らしてた時、レッスンのあと結構な頻度でセックスしてたの、それが原因ですか? 疲れてるって言っても、わたしが半分寝落ちしてても、『俺が動くから大丈夫』ってワケ分かんないこと言って襲ってきてたじゃないですか」

「君さ……その情緒も配慮もない言い方、ホント変わんないね……二週間後の君の最初の上司が、不憫ふびんでしかたない」

 彼はあわれみの眼ざしのまま、瞳子の頬を軽くつねる。しばらく間をおくと、憮然としたように言い添えた。

「まぁいいや。認めるよ。指摘どおり。踊ってきたあとの君は、すごく綺麗だけど人をはねつける表情してるから、不安になるんだよ。……それに、君がそういう顔してると、俺は泣かしてやりたくなる」

「うっわぁ……」

「なんか文句ある?」セリフがジャイアンそのものだ。

「いえ、わたしはセフレですので家主様に文句は言いません」

 瞳子がかつての二人の関係を茶化した、セフレと家主ごっこを始めたところで、飛豪は目を細めて唇を舐めた。

 ――あぁ、始まる。

 体の奥――彼を迎えいれる秘裂――が期待に疼いて、ひくひくと喘ぎながら舌なめずりをした。

「だよな。じゃあ続行ね」

 躊躇もなく唇がかさねられて、舌がずいと割りこんできた。今度は瞳子もかわさない。ずっと、この瞬間を待ち望んでいた。
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