政略結婚しましたが、王子は愛人に夢中です!

クリオネ

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《第5章》 バラのつぼみ

落城 2

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 翌日からフィオナはかいがいしく働きはじめた。使用人に手入れや育て方を聞き、肥料を外の庭園から小さな手で運び、厨房から借りてきたグラスで水をあたえている。

 朝から晩までちょこまかと城内を走りまわるフィオナの姿は、非常に目立つ。

 娘の動きに目をとめたクロードが、問いかけるような眼差しでエリーを見つめた。罪悪感まじりに二人のあいだの会話を打ち明けると、彼は大きく笑った。

「言うに事欠いて最悪の嘘をついたな。あのバラ、枯れてはなかったはずだ。下手すれば二か月後に秋バラがつぼみをつける。これで、俺たちは生きのびずにいられなくなった」

 久しぶりに晴れやかな表情で話しているクロードの姿に、エリーはつかのま目を奪われた。

 セレナが隣にいたころの彼だったからだ。才気輝く、麗しの第十王子。輿入れした当初、エリーが幼心に憧れていた彼。

「せいぜい悪あがきしないと」

 共犯者のような視線が二人のあいだで交錯した。


    *     *     *


 バラが炎のように赤いつぼみをつけた日が、トラカナ終焉の日だった。

 どんなに抗戦しようと、分かっていたことだった。冬になって雪でトラカナが閉ざされる前に総力をあげて攻め入ってくるのは、エリーでも見通していたことだ。

 ジェイら『影』をはじめ、正規の外交交渉でも必死に立ちまわっていたが、ルカス王に半島を封鎖され、リシャール王の船団に海から囲まれては手も足も出なかった。

 二週間の籠城戦の末、痺れをきらして先に火矢を射かけてきたのはルカス軍だった。

 城壁に火矢がかかってきて、トラカナ城も弓兵が射かえした。城壁をよじ登ってくる敵兵へは、熱した油を流しかけて応戦する。しかし海上からの砲撃がはじまり、城そのものの粉砕が始まったところで状況は絶望的になった。

 元より、残っていたのは城と命運をともにする覚悟の者ばかりである。いよいよ白兵戦がはじまろうとする段になって、クロードのために最後の時間をかせごうという空気が味方うちに流れた。

 最後の時間、それは敵の手にかかるより先に自死することだ。

 幾つもの火が放たれ、城内のそこかしこでは命がけの攻防戦がはじまっていた。剣戟の火花が散り、煙が立ちこめてゆく城内を、エリーは必死で走っていた。フィオナが見つからないのだ。

 クロードから執務室の書類や私信のすべてを焼却するよう命じられて、ウォルトンと一時間ほど作業にあたっていた。その間クロードは、城内の最後の防衛に出ていた。

 城内には、あらかじめいくつかの撤退ラインが戦略上定められている。

 トラカナ城に居をうつしてから、クロードは万が一の事態に備えて脱出口を築きあげていた。城内地下から岸壁の洞窟に抜けるルートである。洞窟には小舟を隠していて、夜闇に乗じればリシャールの船団を迂回うかいして逃走できる。

 彼自身が脱出を選ばなかったのは、ここで生きのびたとしてもリシャール王が再び追手をかけてくるからだ。

 クロードは、これ以上の転戦を望まなかった。自分が生きているかぎり、他の命が巻き添えになる。だからこそ配下たちの脱出は奨励した。

 彼が執着を見せたのは、エリーとフィオナだけだ。彼女らには、ディーリア一族として共に滅びることを求めた。エリーはいつだって伏し目がちに受け入れ、クロードの腕をとって同意を示していた。

 エリーが執務室から私室に戻ると、そこで待っているはずのフィオナもノーアの妻サヤナの姿もなかった。サヤナは、侍女たちが籠城を前に城を去っていったあと好意でフィオナの守役をしてくれていた。

 二人に危機が迫っているかもしれない。エリーはいても立ってもいられず、壁にかかっていた装飾用の短刀をとると、部屋を飛びだした。

 ――二人はたぶん、温室にいる。フィオナが泣いている。

 母親としての直感だった。

 昨日の夕刻、フィオナはエリーを温室に引っぱっていったのだ。バラのつぼみがあるよ、と。

 周囲が最後の宴に興じる中、野営の燃えさかる松明に照らしだされた赤いつぼみには、なににもけがされない神聖さがあった。

 あの時、娘は誇らしげに言ったのだ。「もうすぐ咲くよ。父さまも母さまも、わたしが助けてあげる」と。

 自分が言いだしたことはいえ、運命のあんまりな巡りあわせに、エリーは娘の手を握ることしかできなかった。

「明日になったら咲いてるといいわね。満開になるまで待ちましょう」と言って、昨日の宵はおさめた。フィオナは今も、バラを摘んでくれば父や母の命を救えると信じているに違いない。

 きっと、フィオナはサヤナに無理を言って中庭に向かったのだ。サヤナは膝を悪くしている上、戦場となった城内で中庭は要衝のひとつだ。何が起こってもおかしくない。ぬぐいきれぬ嫌な予感に、エリーは足を速めた。
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