勇者パーティーを追放されたので、張り切ってスローライフをしたら魔王に世界が滅ぼされてました

まりあんぬさま

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獣人の国編

黒雲、割れて

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 南の空を覆っていた黒雲は次第に晴れ、夕陽が戦場を朱に染めていた。
 ツヅラが戦線に加わったことで南側は一気に形勢を立て直し、黒の勇者の兵たちは秩序を失ったように次々と撤退していった。

「……ふぅ、なんとかなったな」

 槌を杖代わりにしていたグラドが、その場にどかっと腰を下ろす。
 老体に鞭打った戦いであり、重い息が彼の喉から漏れる。
 だがその顔には安堵と達成感が宿っていた。
 一方のツヅラは休むことなく戦場を巡り歩く。
 倒れた兵の名を呼び、亡骸を一つひとつ並べ、弔いの手順を整える。
 傷を負った兵には救護隊を呼び、簡易の担架を指示する。
 その声は涼やかにして凛と響き、疲弊した獣人兵たちの心を再び結び付ける。

「……泣くんは後にせぇ。今は、生きとる者を救わなあかん」

 その一言に兵たちは黙って頷き、誰もが動きを速める。
 ツヅラの指示は的確で、一つひとつが兵士たちに希望を与えていた。
 やがて、夕刻。
 戦場の後始末もひと段落し、ようやく戦場に静けさが戻る。
 血の匂いと煙の焦げた臭いが漂う中で、ツヅラはなおも立ち続け、最後の指示を飛ばし続けていた。
 その背に、疲れ切った一つの影が歩み寄ってくる。
 顔を上げたツヅラの金の瞳に映ったのは、血と泥にまみれ、しかし確かな足取りで戻ってきた男――バニッシュだった。

「……バニッシュはん」

 ツヅラはその顔をしっかりと見据え、そしてわずかに表情を緩める。
 戦場で見せる冷徹な指揮官の顔ではなく、仲間を迎える者の穏やかな声で。

「とりあえず――中で話をきこうか」

 夕陽が二人の背を照らし、赤く長い影を伸ばしていた。
 牙門をくぐったその先――。
 そこに広がっていた光景は、戦の勝利など到底口にできぬほど痛ましいものだった。
 整然と並べられた数多の亡骸。
 その多くはルガンディアを守るために散った獣人兵たちのものであり、その隣にはラグナの操りによって無残に命を奪われた民の姿もあった。
 静かに横たえられた亡骸の前で、残された家族や友が嗚咽を堪えきれずにすすり泣き、震える声で祈りを捧げている。

「……母さん……」

「兄貴……どうして……」

 漏れ聞こえる声が、戦場の残酷を胸に突き刺す。
 救護所の中もまた修羅場だった。
 治療を待つ負傷兵で溢れ、包帯の白と血の赤が混ざり合い、呻き声と治療師の叫びが飛び交っている。
 外のすすり泣きとは違う、必死に生を繋ごうとする熱がそこにはあった。
 ツヅラは凛とした表情を崩さず、しかし歩を進めるごとにその瞳の奥に宿る光は深さを増していく。
 バニッシュは沈黙のまま、ただその背を追う。
 やがて二人は救護所の奥――厚布のカーテンで仕切られた一角に入る。
 そこは戦場の喧騒から切り離されたように、わずかな静けさが満ちていた。
 簡素な寝台が二つ並べられ、その上でリュシアとセレスティナが眠りについていた。
 リュシアはまだ幼さを残す顔を蒼白に染め、浅く小さな寝息を立てている。
 セレスティナは安らかな表情で眠ってはいるが、包帯に覆われた身体が痛々しく、その苦闘の跡を物語っていた。
 二人の枕元には治療師が控えており、安堵と疲労が混ざった顔で小さく会釈する。
 そしてその横。
 分厚い腕を組み、壁に背を預けて座る男がいた。
 額には深い皺、片腕にはまだ血滲む包帯――だがその瞳は燃え残る闘志を失っていない。

「……おう、バニッシュ」

 グラドだった。
 彼はバニッシュの姿を認めると、わずかに口角を上げ、無骨な仕草で片手をあげる。

「無事だったか」

 その声は掠れていながらも力強く、戦場を共にした者への確かな絆を込めていた。
 ツヅラはそっと椅子を手で示した。

「ほれ、腰かけてや」

 促され、バニッシュは小さくうなずいて椅子に腰を下ろす。
 その途端、傍らに控えていた治療師が駆け寄り、傷だらけの彼の腕や背を診察し始めた。
 バニッシュは既に自らの回復魔法で応急処置を施していたが、それでも細かい裂傷や深く残った瘀血は残っており、包帯が巻き直されるたびにかすかな呻きが漏れる。
その様子を見つめていたツヅラは、扇を口元に当てて静かに目を細めた。

「――ほんで?」

 穏やかな声。だがその奥には、すべてを知ろうとする強い意志がにじんでいた。
 バニッシュは重い口調でゆっくりとミレイユとの戦いについて話す。
 灰毛の部下たちが次々と倒れていったこと、灰毛が最後に自分に想いを託し犠牲になったこと、ミレイユが魔人化したこと、最後は自身の手でミレイユを切ったこと、バニッシュは話した
 言葉が途切れるたび、戦場での光景が脳裏に蘇る。
 仲間を失い、灰毛の背に託された想いが胸を締め付ける。

「……ミレイユは……魔人と化した。もう人の姿ではなかった。最後は……俺の手で……切るしかなかった」

 その声は震えていた。
 仲間であり、かつて共に旅をした者を討たねばならなかった悔恨と、救えなかった己への憎しみ。
 ツヅラは何も言わず、ただ静かに最後まで聞き終えた。
 そして扇を閉じ、伏し目がちに小さく呟く。

「……そうか。灰毛がな」

 瞼を閉じ、短く深い沈黙。
 それは祈りにも似た時間だった。
 忠義を尽くし、命を賭して戦った部下への黙祷。
 バニッシュは胸の奥から言葉を絞り出した。

「……すまない。俺に……迷いがあったせいで……灰毛を……」

 その言葉をツヅラは遮るように、ゆっくりと目を開き、真っ直ぐにバニッシュを見据えた。

「――アンタのせいやあらへんよ」

 静かで、それでいて芯のある声だった。

「灰毛はな、最後までアンタを信じておった。せやからこそ、想いを託したんや。それは……灰毛自身の意思や」

 ツヅラの言葉は責めではなく、諭すような柔らかさを帯びていた。
 バニッシュの肩に覆いかぶさる罪悪感をそっと取り除くように。
 バニッシュは拳を膝の上で強く握り締め、俯いた。
 だがその瞳の奥には、ほんの少しだけだが光が戻りつつあった。

 ――灰毛の犠牲を無駄にしないために。

 ――背負ったものを、次は必ず守るために。

 そう心に刻むように。

 ツヅラは、扇を軽く畳んで腰に差した。

「――うちはまだ、やることがあるさかい」

 その声音はいつも通り落ち着いていたが、その背には戦場の後始末を担う覚悟が滲んでいた。
 外からは、うめき声、泣き声、鎧や武具のぶつかる音が絶え間なく響いている。
 戦いは終わったが、まだ戦場は生々しい。

「アンタらは休んどき。身体はボロボロやろ」

 そう言い残し、ツヅラは扇を片手に歩み出す。
 だが、その背にバニッシュの低い声が飛んだ。

「……いや、俺も手伝う」

 まだ満身創痍のはずなのに、ぐっと椅子から立ち上がり、きつく拳を握っている。
 その顔に迷いはなかった。
 ツヅラは肩越しに振り返り、目を細める。

「ふふ……ほんま、難儀な男やな」

 その呟きと共にふっと笑みを浮かべると、ツヅラは何も言わず外へ出ていった。
 バニッシュはすぐに救護所の奥へと足を運び、治療師の指示を受けながら回復魔法を使っていく。
 ひとり、またひとりと傷を癒し、血を止め、苦痛に顔を歪める者の息を楽にさせていく。
 その額には汗が滲み、魔力の消耗で顔色は蒼白だったが、彼は止まらなかった。
 一方で、グラドも「なら俺もやるか」と豪快に笑い、負傷して動けぬ兵を背に担ぎ、肩を貸して歩き回った。
 その腕力は頼もしく、多くの者が助けられた。

 ――だが。

「……ぐぬぅぅぅぅぅ……っ!!」

 途中で無理をしすぎたのか、グラドは腰を押さえて顔を歪め、その場に崩れ落ちてしまった。
 結局、治療師たちに担がれ寝台に運ばれる羽目になり、笑う獣人兵たちに囲まれる。

「わ、笑うんじゃねぇ……! ちくしょう、歳は取りたくねぇもんだな……!」

 腰に手を当て呻くグラドの姿に、緊迫していた救護所の空気に、かすかな笑いが生まれる。
 それでも、バニッシュは黙々と回復魔法を施し続けていた。
 命を託された者として、仲間を守るために。
 その瞳は、先ほどよりも力強く燃えていた。


 深夜。

 月光は淡く大地を照らし、戦場の名残を冷たく浮かび上がらせていた。
 風は止み、静寂だけが満ちている。
 その静けさを破るように――ひとつの影が現れた。
 フードを深く被った男が、音もなく佇んでいた。
 その足元に広がるのは掘り返された土。粗末ながらも、丁寧に並べられた石。
 ――灰毛の部下たちの亡骸を弔った跡である。
 フードの奥で細く笑む気配がした。

「……弔い、ですか。なるほど」

 そして男はゆっくりと歩みを進める。
 少し離れた地面の隆起。
 そこにも、土を掘り返した跡があった。

 ――ミレイユを葬った場所だ。

 フードの男はそこで立ち止まると、布で包まれた土の下を見下ろし、両手をかざした。
 掌に濃密な魔力が集い、黒い靄となって地面に沁みていく。
 やがて――。

 ……ボコッ。

 土が盛り上がり、白布に包まれた亡骸が押し上げられるように浮き出した。
 夜気に晒されたその姿は、まだ人の形を留めていた。
 だが、フードの男の掌がさらに力を帯びた瞬間――。
 ミレイユの亡骸は白布ごと黒い霧へと崩れ始める。
 指先から腕、胸、顔へと、溶けるように霧散していき、やがて残滓すら残さなかった。
 それらはすべて、男の掌に吸い込まれていく。
 黒い瘴気は凝縮され、濃密な一点へと収束し――やがて漆黒のオーブとなった。

「……フフフ……」

 フードの奥から、愉悦を含んだ笑みが漏れる。

「あなたはよくやってくれましたよ、ミレイユ。憎悪も、妬みも、怒りも……すべて無駄ではなかった」

 オーブを掲げ、男は囁く。

「大いなる力の糧となったのですから――」

 その声音には、慈しみとも冷笑ともつかぬ響きがあった。
 次の瞬間、男の姿は黒霧に融けるように掻き消えた。
 ただ、月光に照らされた掘り返された土だけが、夜の沈黙を取り戻していた。
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