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縁の決戦編
水の鬼――阿久羅
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ドルガが黄苑と刃を交えた、ほぼ同時刻。
その少し離れた場所で――朧は、もう一つの戦場に身を置いていた。
「……っ」
影に溶け込み木々の間を縫うように、音もなく、朧は阿久羅との距離を一定に保ったまま、円を描くように周囲を高速で移動していた。
その姿はまさしく影。
視界の端にちらついては消え、次の瞬間には別の位置から鋭い殺気を放つ。
シュッ――投擲されたクナイが、空気を切り裂く音を残して飛ぶ。
「う~……っ!」
阿久羅は、重く唸り声を漏らしながら、分厚い腕でそれを弾いた。
鈍重な動きだが、その丸太のように太く盛り上がった筋肉から伺えるように、力は圧倒的だった。
鋼と肉がぶつかる乾いた音。
クナイは軌道を逸らされ、木の幹に深々と突き刺さる。
だが――朧は止まらなず、次々と攻撃を仕掛ける。
一撃を放てば、即座に距離を変え、次の角度から刃を投げる。
攻撃を続けながら、朧は冷静に相手を観察していた。
最初に仕掛けた鋼糸による拘束。
確かに、完全に絡め取ったはずだった。
――それが、すり抜けたかのように解かれた。
不可解で未知なる敵を前に、朧は相手の動きをすべて分析するように、阿久羅を鋭い視線で観察する。
「……っ、ちょこまかと……!」
阿久羅は歯噛みし、苛立ちを隠そうともせず声を荒げた。
朧のスピードに翻弄され、一定の距離から攻撃を受けるばかり、距離を詰めることも出来ず、効きもしないチクチクとした攻撃が阿久羅の感情を逆撫でしていく。
――ゴリッ。
鈍い音と共に、阿久羅の腕が地面へと突き刺さった。
「ぬぅぅ……!」
片手で大木の根元を鷲掴みにし、土ごと引き剥がす。
地面が抉れ、土砂と共に巨大な木が持ち上がる光景は、もはや人の力ではない。
朧の目が、僅かに細まった。
次の瞬間、阿久羅は、引き抜いた木を――槍のように、朧へ向けて投げつけた。
空を裂く轟音と迫り来る、圧倒的な質量の大木を朧は紙一重で躱す。
「ぬぅぅ……っ!」
しかし、阿久羅は止まらない。
片手で、また一本、さらにもう一本と根こそぎ引き抜かれた大木が、次々と宙を舞い――岩弾のような勢いで、朧へと投げつけられていく。
空気が震え、地面が割れ、枝葉が砕け散る。
「……っ!」
朧はそれらを紙一重でかわし続けていた。
跳ぶ、滑る、消えるように移動する。
(このままじゃ……キリがない)
森そのものが、武器と化したかのように、阿久羅の猛攻は止まらない。
いくら避けても、いずれ詰むと判断した朧は、大きく距離を取ると静かに息を吸った。
「……スキル――影命」
刹那――朧の影が異常なほど濃く、地面に広がった。
投げつけられた木々の影から、九つの人影が躍り出る。
「――っ!?」
影から生まれた朧たちが、四方八方へと飛び散った。
地を蹴り、枝を飛び移り、空を切り裂くように散開する。
朧のスキルによって生み出された分身体は、どれもが、殺気を帯び、確かな存在感を放っていた。
「……な、なんだ……?」
阿久羅は完全に困惑し、視線が泳ぐ。
9人の朧に翻弄され、拳を構えたまま判断が遅れる。
――その瞬間、ギリッと鈍く、嫌な音が鳴った。
「……っ!」
阿久羅の身体に、再び鋼糸が絡みつく。
今度は一本や二本ではない。
全身を縛り上げるように、幾重にも、幾重にも重なり、指一本動かせないほど、がんじがらめに縛りあげる。
「これで……!」
朧は歯を食いしばり、力を込める。
鋼糸が張り詰め、刃のように阿久羅の肉体に食い込んでいき、このまま引き裂こうとする。
――その瞬間、朧の手から手応えが消えた。
先ほどと同じ、すり抜けたかのような感覚に朧は即座に視線を阿久羅に向ける。
目にしたものに朧は驚愕し、目を見開く。
阿久羅の身体が――揺らいでいた。
肌は波打ち、輪郭は曖昧になり、まるで水の塊のように変質している。
鋼のように硬い筋肉で覆われた体は、水となってその身体を縛っていた鋼糸は抵抗なくすり抜けたのだった。
「……何だ、それは……!?」
朧の声に、明確な動揺が混じる。
問いかけに、阿久羅は低く答えた。
「……魔纏憑鬼・水」
阿久羅はニタァと笑う。
「お、俺たちは……き、鬼人族の……身体操作……」
阿久羅は息を荒くしながら、絞り出すように言った。
「黄苑は……雷……俺は、水を纏える……」
その言葉と同時に、阿久羅の身体を覆っていた揺らぎが、より顕著になる。
肌は波打ち、輪郭は曖昧になり、肉体そのものが流体のように変質していた。
(……水を纏う? 種族特性……か)
朧は眉を潜める。
種族特性――
それは、生まれ持って授かる種族固有の力。
獣人ならばスキルを、魔族ならば、魔素そのものを自在に操る資質を、ドワーフは魔剣を鍛え、エルフは精霊を招く。
――そして。
(鬼人族は……身体操作)
肉体そのものを制御し、書き換える異質な力。
その極地にあるのが――魔纏憑鬼、魔法をその身に宿す能力。
否、魔法そのものへと変わる能力。
阿久羅は、水魔法を纏っているのではない、水へと、変じているのだ。
(武器に魔法を纏わせるなら、まだ分かる……だが、肉体に……)
朧の背筋を、冷たいものが走った。
「――ぬぅっ!」
阿久羅は水のように波打つ腕が、地面へと沈み込み――
再び、大木を根こそぎ掴み上げた。
水に変じた肉体でもその怪力は健在している。
ぎちり、と嫌な音を立てながら、大木が持ち上がり、そのまま――振り回す。
「……吹き飛べぇっ!!」
暴風のような軌道で、巨大な質量が、朧たちへと迫る。
「――っ! 散開!」
号令と同時に、九人の朧が、後方へと一斉に跳んだ。
地を蹴り、空へ舞い、木々を踏み台にする。
――ドォンッ!!
大木が地面を薙ぎ払い、叩きつけられた衝撃で土砂と木片が爆ぜ、巻き上がる粉塵。
森が、悲鳴を上げる。
朧たちは、その衝撃圏外で体勢を立て直していた。
(……厄介だな)
鋼糸では縛ることができず、斬撃も、効きは薄い。
(物理も、拘束も……通じにくい相手か……)
九つの視線が、一斉に阿久羅を捉える。
水のような鬼、肉体を捨て、魔法へと至った存在。
(ならば――)
朧は即座に思考を切り替える。
物理攻撃が一切効かない魔法そのものといえる水の肉体。
影が跳ぶと同時に、朧は腰元から一本のクナイを引き抜いた。
刃の根元には、細密な文字で刻まれた魔法符。
狙いは、阿久羅の足元。
――シュッ!
放たれたクナイは一直線に地を裂き、阿久羅の足元へと深々と突き刺さった。
「?」
阿久羅がそれに気づいた、刹那。
「――炎爆」
静かな詠唱と共にカッと、魔法符が眩く光った。
――ドゴォォォンッ!!
凄まじい爆炎が、地面から噴き上がる。
爆風が木々を薙ぎ、土砂と炎が舞い上がる。
衝撃と熱が、周囲一帯を制圧した。
「――っ!!」
阿久羅の身体が、爆炎の中に吞み込まれる。
炎の向こうから、重たい音を立てて“何かが落ちた。
――ドサッ。
先ほどまで阿久羅が握っていた大木が、力なく地に転がる。
爆炎が晴れた後、そこに立っていた阿久羅の姿は――片腕が、存在しなかった。
「……う、……ぐ……」
焼け焦げた水の肉体が揺らぎ、血ではなく、水滴のようなものが滴り落ちる。
「……お前……あ、頭……いいな……」
苦痛に歪んだ顔で、阿久羅は嗤った。
嗤う、というより、感心したような声だった。
(……やはり、魔法、あるいは魔法を付与した攻撃なら……通ずるか)
朧は距離を保ったまま、冷静な目で観察する。
物理ではなく、属性そのものをぶつければ、水の肉体であっても、確かな損傷を与えられる。
「へ……へへ……」
阿久羅の笑みが、歪んだ。
「……でも……無駄、だ」
阿久羅の失われた肩口が――ぶくり、と膨れ上がる。
水が集まるように、魔力が渦を巻くように。
そして――膨れ上がった部分からまるで再生するように腕が生える。
「……何……!?」
朧は、思わず目を見開いた。
吹き飛ばしたはずの腕が再生する。
実態も形も無かったのように容易く戻したのだ。
阿久羅は肩を回し、確かめるように拳を握る。
「水、だからな……削れても……戻る……」
静かな狂気を孕んだ声。
魔法へと至った肉体は、破壊されても――欠けるという概念すら、拒絶する。
朧の喉が、わずかに鳴った。
朧の目が鋭く光る。
戦場では、一瞬の迷いが命取りになる。
朧はそれを十分理解し、だからこそ、次の策へと瞬時に転じることができる。
(再生するなら――再生出来ぬほど粉々に消し飛ばす!)
思考を切り替え、即座に次へ移る。
朧の手には、魔法符を施したクナイ。
同時に――影が九人、本体と分身体が一斉に阿久羅を取り囲み、四方八方から殺気を叩きつける。
「――一気に行く」
狙いは、同時多発の炎爆。
水の肉体だろうと、再生の暇も与えず――粉々に吹き飛ばす。
だが、囲まれた阿久羅は――ニタァと、口角を吊り上げた。
「……へへ……」
次の瞬間、阿久羅の身体が、ぶわり、と膨れ上がる。
「――っ!?」
全身から突き出したのは、無数の水のトゲ。
鋭利な氷刃のようでいて、しかしその本質は流体である水が、形を持ち、殺意を宿した瞬間だった。
――ザシュッ!
先に踏み込んだ分身体が、次々と貫かれる。
トゲに刺さり、霧のように掻き消えていく影。
「……っ!」
朧は目を見開き、本体は即座に後退するが、肩口を掠め、布が裂ける。
だが、致命には至らない。
「水に……形があると、思うか……?」
阿久羅は嗤った。
「俺の身体は……自在に、変化できる……」
鬼人族の極地――身体操作を誇示するかのように、阿久羅の顔は凶悪に歪む。
「……何と、面妖な……」
朧は低く呟く。
だが、阿久羅が拳を握り振りかぶる。
距離は、明らかに離れている。
振り抜かれた拳は、水のように引き延ばされ、鞭のように、朧へと迫る。
「……なっ!?」
朧は驚愕し、即座に跳ぶ。
だが――回避しても、軌道を変え、朧を追尾する。
まるでホーミング弾のように、朧を捉え引き剥がすことができない。
「くっ……!」
避けても、避けても、拳は執拗に朧を追い詰める。
逃げ場を削り、殺意だけが迫ってくる。
朧は瞬時に思考を切り替える。
朧は跳躍し、一本の木の枝へと着地する。
同時に、魔法符付きのクナイを木の幹へ――深く、突き立てた。
迫る拳を、あえて引き付け、拳が眼前まで迫った瞬間に紙一重で跳び退く。
「――炎爆」
――ドゴォォンッ!!
凄まじい爆音と共に、木の幹を中心に爆炎が炸裂する。
追いすがっていた、水の拳は衝撃と熱により、拳は形を保てず、吹き飛ばされた。
水が散り、霧となって宙に消える。
朧は爆風に乗って距離を取り、着地と同時に態勢を整えた。
阿久羅は、吹き飛ばされた腕を見下ろし――それでも、笑っていた。
「……お前……必死だなぁ……」
ニタァ、と阿久羅は歪んだ笑みを浮かべながら、吹き飛ばされた腕を眺めた。
ぶくり、と水が集まり、また巻き戻すかのように――腕が、再生する。
「必死な奴を……いたぶるのは……好きなんだ」
その目が、鈍く光った。
獲物を前にした捕食者の眼だ。
朧は何も言わない。
呼吸を整え、いつでも動ける体勢のまま、阿久羅を睨み据える。
「――っ!?」
ザシュッと、生々しい感触と足に、激痛が走った。
反射的に視線を落とす。
そこには――地面から突き出た水の棘が、朧の足を貫いていた。
「……!」
阿久羅は、足元から棘を伸ばしたのだ。
地面の中に水として潜り込ませ、そのまま朧の足をめがけて突き立てた。
「へへ……言っただろ……? 水に……形なんか……ないって」
阿久羅は嘲笑う。
棘が、ぬるりと地面へ引き戻される。
「くっ……」
朧は歯を食いしばり、体勢を崩さぬよう踏みとどまる。
だが、確実に――動きは鈍っていた。
「さて……手負いの猫は……どこまで逃げれるのかなぁ……?」
阿久羅の顔が、凶悪に歪む。
阿久羅は、両腕を前方へ――伸ばした。
「スキル――影命!」
朧は即座に反応する。
影が蠢き、九人の朧が生まれ、四方へと散開した。
だが――それを、嘲笑うかのように上空が、歪んだ。
「……何!?」
朧は、思わず目を見開いた。
空から――無数の腕が、降ってきた。
一本や二本ではない。十、二十、いや――数え切れないほどの数。
水で形作られた阿久羅の腕が、雨のように降り注ぐ。
「腕も……二つとは……限らない……!」
阿久羅の声が、重なるように響く。
――ズドドドドッ!!
次々と、分身体が貫かれ、消えていく。
影が、霧のように散る。
(くっ……!)
本体の朧は、必死にかわすが足の傷に気を取られて動きが鈍くなる。
「上ばかりじゃ……ないぞ……?」
阿久羅の、嗤う声と共に――ズバッ!
地面から、再び水の棘が噴き出した。
「――っ!!」
今度は、避けきれず腹部を、貫いた。
「……ぐ、は……」
朧の口から、呻き声が漏れる。
身体が、宙へと浮いた。
視界の端で――上空から、さらに無数の腕が迫る。
――ドゴォォンッ!!
凄まじい音と共に、地面が抉れ、土煙が舞い上がった。
衝撃が、森を揺らす。
煙の向こうで、水の鬼が嗤っていた。
その少し離れた場所で――朧は、もう一つの戦場に身を置いていた。
「……っ」
影に溶け込み木々の間を縫うように、音もなく、朧は阿久羅との距離を一定に保ったまま、円を描くように周囲を高速で移動していた。
その姿はまさしく影。
視界の端にちらついては消え、次の瞬間には別の位置から鋭い殺気を放つ。
シュッ――投擲されたクナイが、空気を切り裂く音を残して飛ぶ。
「う~……っ!」
阿久羅は、重く唸り声を漏らしながら、分厚い腕でそれを弾いた。
鈍重な動きだが、その丸太のように太く盛り上がった筋肉から伺えるように、力は圧倒的だった。
鋼と肉がぶつかる乾いた音。
クナイは軌道を逸らされ、木の幹に深々と突き刺さる。
だが――朧は止まらなず、次々と攻撃を仕掛ける。
一撃を放てば、即座に距離を変え、次の角度から刃を投げる。
攻撃を続けながら、朧は冷静に相手を観察していた。
最初に仕掛けた鋼糸による拘束。
確かに、完全に絡め取ったはずだった。
――それが、すり抜けたかのように解かれた。
不可解で未知なる敵を前に、朧は相手の動きをすべて分析するように、阿久羅を鋭い視線で観察する。
「……っ、ちょこまかと……!」
阿久羅は歯噛みし、苛立ちを隠そうともせず声を荒げた。
朧のスピードに翻弄され、一定の距離から攻撃を受けるばかり、距離を詰めることも出来ず、効きもしないチクチクとした攻撃が阿久羅の感情を逆撫でしていく。
――ゴリッ。
鈍い音と共に、阿久羅の腕が地面へと突き刺さった。
「ぬぅぅ……!」
片手で大木の根元を鷲掴みにし、土ごと引き剥がす。
地面が抉れ、土砂と共に巨大な木が持ち上がる光景は、もはや人の力ではない。
朧の目が、僅かに細まった。
次の瞬間、阿久羅は、引き抜いた木を――槍のように、朧へ向けて投げつけた。
空を裂く轟音と迫り来る、圧倒的な質量の大木を朧は紙一重で躱す。
「ぬぅぅ……っ!」
しかし、阿久羅は止まらない。
片手で、また一本、さらにもう一本と根こそぎ引き抜かれた大木が、次々と宙を舞い――岩弾のような勢いで、朧へと投げつけられていく。
空気が震え、地面が割れ、枝葉が砕け散る。
「……っ!」
朧はそれらを紙一重でかわし続けていた。
跳ぶ、滑る、消えるように移動する。
(このままじゃ……キリがない)
森そのものが、武器と化したかのように、阿久羅の猛攻は止まらない。
いくら避けても、いずれ詰むと判断した朧は、大きく距離を取ると静かに息を吸った。
「……スキル――影命」
刹那――朧の影が異常なほど濃く、地面に広がった。
投げつけられた木々の影から、九つの人影が躍り出る。
「――っ!?」
影から生まれた朧たちが、四方八方へと飛び散った。
地を蹴り、枝を飛び移り、空を切り裂くように散開する。
朧のスキルによって生み出された分身体は、どれもが、殺気を帯び、確かな存在感を放っていた。
「……な、なんだ……?」
阿久羅は完全に困惑し、視線が泳ぐ。
9人の朧に翻弄され、拳を構えたまま判断が遅れる。
――その瞬間、ギリッと鈍く、嫌な音が鳴った。
「……っ!」
阿久羅の身体に、再び鋼糸が絡みつく。
今度は一本や二本ではない。
全身を縛り上げるように、幾重にも、幾重にも重なり、指一本動かせないほど、がんじがらめに縛りあげる。
「これで……!」
朧は歯を食いしばり、力を込める。
鋼糸が張り詰め、刃のように阿久羅の肉体に食い込んでいき、このまま引き裂こうとする。
――その瞬間、朧の手から手応えが消えた。
先ほどと同じ、すり抜けたかのような感覚に朧は即座に視線を阿久羅に向ける。
目にしたものに朧は驚愕し、目を見開く。
阿久羅の身体が――揺らいでいた。
肌は波打ち、輪郭は曖昧になり、まるで水の塊のように変質している。
鋼のように硬い筋肉で覆われた体は、水となってその身体を縛っていた鋼糸は抵抗なくすり抜けたのだった。
「……何だ、それは……!?」
朧の声に、明確な動揺が混じる。
問いかけに、阿久羅は低く答えた。
「……魔纏憑鬼・水」
阿久羅はニタァと笑う。
「お、俺たちは……き、鬼人族の……身体操作……」
阿久羅は息を荒くしながら、絞り出すように言った。
「黄苑は……雷……俺は、水を纏える……」
その言葉と同時に、阿久羅の身体を覆っていた揺らぎが、より顕著になる。
肌は波打ち、輪郭は曖昧になり、肉体そのものが流体のように変質していた。
(……水を纏う? 種族特性……か)
朧は眉を潜める。
種族特性――
それは、生まれ持って授かる種族固有の力。
獣人ならばスキルを、魔族ならば、魔素そのものを自在に操る資質を、ドワーフは魔剣を鍛え、エルフは精霊を招く。
――そして。
(鬼人族は……身体操作)
肉体そのものを制御し、書き換える異質な力。
その極地にあるのが――魔纏憑鬼、魔法をその身に宿す能力。
否、魔法そのものへと変わる能力。
阿久羅は、水魔法を纏っているのではない、水へと、変じているのだ。
(武器に魔法を纏わせるなら、まだ分かる……だが、肉体に……)
朧の背筋を、冷たいものが走った。
「――ぬぅっ!」
阿久羅は水のように波打つ腕が、地面へと沈み込み――
再び、大木を根こそぎ掴み上げた。
水に変じた肉体でもその怪力は健在している。
ぎちり、と嫌な音を立てながら、大木が持ち上がり、そのまま――振り回す。
「……吹き飛べぇっ!!」
暴風のような軌道で、巨大な質量が、朧たちへと迫る。
「――っ! 散開!」
号令と同時に、九人の朧が、後方へと一斉に跳んだ。
地を蹴り、空へ舞い、木々を踏み台にする。
――ドォンッ!!
大木が地面を薙ぎ払い、叩きつけられた衝撃で土砂と木片が爆ぜ、巻き上がる粉塵。
森が、悲鳴を上げる。
朧たちは、その衝撃圏外で体勢を立て直していた。
(……厄介だな)
鋼糸では縛ることができず、斬撃も、効きは薄い。
(物理も、拘束も……通じにくい相手か……)
九つの視線が、一斉に阿久羅を捉える。
水のような鬼、肉体を捨て、魔法へと至った存在。
(ならば――)
朧は即座に思考を切り替える。
物理攻撃が一切効かない魔法そのものといえる水の肉体。
影が跳ぶと同時に、朧は腰元から一本のクナイを引き抜いた。
刃の根元には、細密な文字で刻まれた魔法符。
狙いは、阿久羅の足元。
――シュッ!
放たれたクナイは一直線に地を裂き、阿久羅の足元へと深々と突き刺さった。
「?」
阿久羅がそれに気づいた、刹那。
「――炎爆」
静かな詠唱と共にカッと、魔法符が眩く光った。
――ドゴォォォンッ!!
凄まじい爆炎が、地面から噴き上がる。
爆風が木々を薙ぎ、土砂と炎が舞い上がる。
衝撃と熱が、周囲一帯を制圧した。
「――っ!!」
阿久羅の身体が、爆炎の中に吞み込まれる。
炎の向こうから、重たい音を立てて“何かが落ちた。
――ドサッ。
先ほどまで阿久羅が握っていた大木が、力なく地に転がる。
爆炎が晴れた後、そこに立っていた阿久羅の姿は――片腕が、存在しなかった。
「……う、……ぐ……」
焼け焦げた水の肉体が揺らぎ、血ではなく、水滴のようなものが滴り落ちる。
「……お前……あ、頭……いいな……」
苦痛に歪んだ顔で、阿久羅は嗤った。
嗤う、というより、感心したような声だった。
(……やはり、魔法、あるいは魔法を付与した攻撃なら……通ずるか)
朧は距離を保ったまま、冷静な目で観察する。
物理ではなく、属性そのものをぶつければ、水の肉体であっても、確かな損傷を与えられる。
「へ……へへ……」
阿久羅の笑みが、歪んだ。
「……でも……無駄、だ」
阿久羅の失われた肩口が――ぶくり、と膨れ上がる。
水が集まるように、魔力が渦を巻くように。
そして――膨れ上がった部分からまるで再生するように腕が生える。
「……何……!?」
朧は、思わず目を見開いた。
吹き飛ばしたはずの腕が再生する。
実態も形も無かったのように容易く戻したのだ。
阿久羅は肩を回し、確かめるように拳を握る。
「水、だからな……削れても……戻る……」
静かな狂気を孕んだ声。
魔法へと至った肉体は、破壊されても――欠けるという概念すら、拒絶する。
朧の喉が、わずかに鳴った。
朧の目が鋭く光る。
戦場では、一瞬の迷いが命取りになる。
朧はそれを十分理解し、だからこそ、次の策へと瞬時に転じることができる。
(再生するなら――再生出来ぬほど粉々に消し飛ばす!)
思考を切り替え、即座に次へ移る。
朧の手には、魔法符を施したクナイ。
同時に――影が九人、本体と分身体が一斉に阿久羅を取り囲み、四方八方から殺気を叩きつける。
「――一気に行く」
狙いは、同時多発の炎爆。
水の肉体だろうと、再生の暇も与えず――粉々に吹き飛ばす。
だが、囲まれた阿久羅は――ニタァと、口角を吊り上げた。
「……へへ……」
次の瞬間、阿久羅の身体が、ぶわり、と膨れ上がる。
「――っ!?」
全身から突き出したのは、無数の水のトゲ。
鋭利な氷刃のようでいて、しかしその本質は流体である水が、形を持ち、殺意を宿した瞬間だった。
――ザシュッ!
先に踏み込んだ分身体が、次々と貫かれる。
トゲに刺さり、霧のように掻き消えていく影。
「……っ!」
朧は目を見開き、本体は即座に後退するが、肩口を掠め、布が裂ける。
だが、致命には至らない。
「水に……形があると、思うか……?」
阿久羅は嗤った。
「俺の身体は……自在に、変化できる……」
鬼人族の極地――身体操作を誇示するかのように、阿久羅の顔は凶悪に歪む。
「……何と、面妖な……」
朧は低く呟く。
だが、阿久羅が拳を握り振りかぶる。
距離は、明らかに離れている。
振り抜かれた拳は、水のように引き延ばされ、鞭のように、朧へと迫る。
「……なっ!?」
朧は驚愕し、即座に跳ぶ。
だが――回避しても、軌道を変え、朧を追尾する。
まるでホーミング弾のように、朧を捉え引き剥がすことができない。
「くっ……!」
避けても、避けても、拳は執拗に朧を追い詰める。
逃げ場を削り、殺意だけが迫ってくる。
朧は瞬時に思考を切り替える。
朧は跳躍し、一本の木の枝へと着地する。
同時に、魔法符付きのクナイを木の幹へ――深く、突き立てた。
迫る拳を、あえて引き付け、拳が眼前まで迫った瞬間に紙一重で跳び退く。
「――炎爆」
――ドゴォォンッ!!
凄まじい爆音と共に、木の幹を中心に爆炎が炸裂する。
追いすがっていた、水の拳は衝撃と熱により、拳は形を保てず、吹き飛ばされた。
水が散り、霧となって宙に消える。
朧は爆風に乗って距離を取り、着地と同時に態勢を整えた。
阿久羅は、吹き飛ばされた腕を見下ろし――それでも、笑っていた。
「……お前……必死だなぁ……」
ニタァ、と阿久羅は歪んだ笑みを浮かべながら、吹き飛ばされた腕を眺めた。
ぶくり、と水が集まり、また巻き戻すかのように――腕が、再生する。
「必死な奴を……いたぶるのは……好きなんだ」
その目が、鈍く光った。
獲物を前にした捕食者の眼だ。
朧は何も言わない。
呼吸を整え、いつでも動ける体勢のまま、阿久羅を睨み据える。
「――っ!?」
ザシュッと、生々しい感触と足に、激痛が走った。
反射的に視線を落とす。
そこには――地面から突き出た水の棘が、朧の足を貫いていた。
「……!」
阿久羅は、足元から棘を伸ばしたのだ。
地面の中に水として潜り込ませ、そのまま朧の足をめがけて突き立てた。
「へへ……言っただろ……? 水に……形なんか……ないって」
阿久羅は嘲笑う。
棘が、ぬるりと地面へ引き戻される。
「くっ……」
朧は歯を食いしばり、体勢を崩さぬよう踏みとどまる。
だが、確実に――動きは鈍っていた。
「さて……手負いの猫は……どこまで逃げれるのかなぁ……?」
阿久羅の顔が、凶悪に歪む。
阿久羅は、両腕を前方へ――伸ばした。
「スキル――影命!」
朧は即座に反応する。
影が蠢き、九人の朧が生まれ、四方へと散開した。
だが――それを、嘲笑うかのように上空が、歪んだ。
「……何!?」
朧は、思わず目を見開いた。
空から――無数の腕が、降ってきた。
一本や二本ではない。十、二十、いや――数え切れないほどの数。
水で形作られた阿久羅の腕が、雨のように降り注ぐ。
「腕も……二つとは……限らない……!」
阿久羅の声が、重なるように響く。
――ズドドドドッ!!
次々と、分身体が貫かれ、消えていく。
影が、霧のように散る。
(くっ……!)
本体の朧は、必死にかわすが足の傷に気を取られて動きが鈍くなる。
「上ばかりじゃ……ないぞ……?」
阿久羅の、嗤う声と共に――ズバッ!
地面から、再び水の棘が噴き出した。
「――っ!!」
今度は、避けきれず腹部を、貫いた。
「……ぐ、は……」
朧の口から、呻き声が漏れる。
身体が、宙へと浮いた。
視界の端で――上空から、さらに無数の腕が迫る。
――ドゴォォンッ!!
凄まじい音と共に、地面が抉れ、土煙が舞い上がった。
衝撃が、森を揺らす。
煙の向こうで、水の鬼が嗤っていた。
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