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縁の決戦編
朧の奥の手
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衝撃で、身体が宙を舞った。
視界が反転し、空と地面の区別がつかなくなる。
ドサァッ!
叩きつけられるように、朧は地面へと落ちた。
広場でミュレアを守るように前へ出て、戦況を見据えていたタナトスの眼前へと。
「……がっ……」
朧の口から、赤黒い血が零れ落ちる。
全身はボロボロに穿たれ、軽装備は原型を留めていない。
「ひ、ひぃぃぃっ!!」
ミュレアの背後で、ルルカが悲鳴を上げる。
「そ、その人……ボロボロでありますよ!?」
両手をわたわたと動かしながら、どうしていいか分からず騒ぐ。
「やれやれ……これでは……こちらにも被害が出そうですね」
タナトスはため息混じりに、足元の朧を見下ろした。
淡々とした声音。
だが、視線は冷静に戦場全体を捉えている。
「……そ、其方……は……?」
朧は掠れる視界の中で、必死にタナトスを見上げ、問いかけた。
「ミスティリアの者です。今回の……視察に参りました」
そう言ってから、ふと、視線を上げた。
その先には――歪んだ嗤いを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる影。
水のように揺らめく身体で凶悪な眼差しと笑みを浮かべゆっくりと近づいてくる。
「……っ」
朧は、血を吐きながらも歯を食いしばり、身体を起こす。
「す……すまない……だが、ここは……拙者が……守る……」
足取りは覚束ない。
それでも、立ち上がり外から来た来訪者のミュレアたちを守ろうとする。
その背に、タナトスの声がかかる。
「見ていましたが……彼の魔纏憑鬼――能力は驚異的ではありますが……」
落ち着き払った口調で、淡々と告げる。
「元は実体のあるもの。ならば、あの体の中に――必ず核が存在するはずです」
朧の目が、僅かに見開かれた。
「……それは……拙者も、気付いていた……」
息を整えながら、低く答える。
「外から削っても……意味がない……内部からの破壊ならば……倒せる……」
「……勝算は?」
タナトスが、静かに問う。
「……ある」
その声音には、確信が宿っていた。
タナトスは一瞬、目を閉じる。
思考するように――そして、結論を出す。
「……いいでしょう」
ぱちりと目を開き、淡く笑う。
「ならば……私も、微力ながら力添えしましょう」
「……い、いや……しかし……!」
朧は驚き、思わずタナトスを振り向く。
だが、タナトスは肩をすくめた。
「どうせ、そのボロボロの体では……一人であの者を相手するのは無理でしょう」
そして、一歩前に出て、朧の横に並び立つ。
「それに――これは所謂……先行投資というものですよ」
口元に、わずかな笑みを浮かべ、その顔は自信と誇りに満ちていた。
その横顔を見て、朧は言葉を失う。
「それでは――少しの間、ミュレア様を頼みましたよ……ルルカ」
タナトスは振り返らず、背中越しに告げた。
「え……? ええええええっ!?」
ルルカは目を丸くし、慌てて頭を抱えた。
「わ、私でありますか!? む、無理であります無理でありますぅ!!」
「大丈夫」
そんな彼女に――ミュレアは静かに、しかし確かな声で言った。
その一言が、不思議とルルカの空気を落ち着かせる。
前線には――忍と執事という異質な二人が並び立つ。
「――それで、勝算というのは?」
タナトスは横目で朧を見やりながら、静かに問いかけた。
朧は答える代わりに、懐へと手を伸ばす。
「……コレだ」
取り出したのは、小さな環状の器具。
鈍い金属色を帯び、微かに震えるような感触を放っている。
「……それは……」
タナトスが視線を落とし、目を細める。
「ルガンディアの心具――鳴心環だ」
朧は簡潔に告げた。
「六つの鳴心環を設置し、その中心にいる者へ共鳴を起こし――内部破壊をする大技だ」
「なるほど……共振、というやつですか。となると……設置に、時間がかかるのでは?」
タナトスは即座に理解する。
「……いや、共鳴による内部破壊だけでは……彼奴は、倒しきれぬ」
朧は、ゆっくりと首を振った。
タナトスが、僅かに眉を動かす。
朧は以前、バルグとの戦闘でこの技を使ったが、その時バルグは倒れることなく向かってきた。
強大な敵に対しては通じないことを朧は痛いほど理解している。
阿久羅はなおも、歪んだ嗤いを浮かべながら、距離を詰めてきていた。
「……では、どうするのですか?」
タナトスは、静かに続ける。
朧は、鳴心環を握る手に、力を込めた。
そして――鋭く、前を睨み据える。
「……彼奴の体に、直接――鳴心環をぶち込む」
刹那、タナトスの瞳が、わずかに細まった。
「……それは、つまり外部からでなく、内部から共鳴による共振を引き起こすと?」
「そうだ」
朧の目に、迷いはない。
「水へ変じようと……魔法そのものになろうと……中に核がある以上、鳴心は必ず反応する」
低く、言い切る。
タナトスは、短く息を吐いた。
「……ならば、勝負は――」
その続きを、朧が受け取った。
「――一瞬……!」
両者の視線が、同時に前方へ向く。
迫り来る水の鬼、歪んだ嗤いを浮かべる阿久羅。
一度でも外せば、死。
それでも――忍は、踏み込む。
その一瞬に、すべてを賭けるために。
「……いいでしょう」
タナトスの口端に、僅かな笑みが浮かんだ。
「ならば――その一瞬へ至る道は、私が切り開きましょう」
そう言って、彼は腰裏へと手を伸ばす。
引き抜かれたのは――一本のムチ。
しなやかな鞭身には、淡い青色の魔導刻印が幾重にも刻まれ、微細な光が脈動するように走っていた。
見る者に、只ならぬ気配を感じさせる魔導具。
「……参る……!」
朧は一声低く告げ、即座に動く。
「スキル――影命」
影が爆ぜる。
本体を含めた九人の朧が同時に生まれ、地を這い、跳び、舞うように――影の如く散った。
「……何人で来ようが……関係ない……!」
阿久羅は嗤い、全身から水の腕を噴き出させる。
無数の腕が、まるで獣の牙のように空間を埋め尽くし、狙い澄ます。
足の傷で速度を落とした朧。
その本体と分身体をまとめて捕らえようとした、その瞬間――パァンッ!!
乾いた、しかし重い音が鳴り響いた。
「……な……に……!?」
阿久羅の声が、驚愕に変わる。
伸ばしていた無数の腕が、すべて、切り刻まれたかのように裂けていた。
水が散り霧となって、宙へ弾ける。
まるで、不可視の刃に薙がれたかのように。
それを為したのは――タナトスのムチだった。
空を打ったその一振りが、複数の軌道を同時に描き、阿久羅の腕という腕を、正確無比に打ち砕いていた。
「……魔導刻印を開発したのは……我ら、海人族です。魔力を連動させたこのムチに――捉えられぬものなど、ありません」
タナトスは淡々と語る。
ムチの刻印が、淡く輝きを強める。
水であろうと、魔法であろうと、その動きと存在を捉え、容赦なく打ち砕く。
阿久羅の歪んだ嗤いが、初めて歪んだ。
そして――影の中で、朧の瞳が、鋭く光る。
「こ、この……!」
阿久羅は唸り声を上げ、怒気をむき出しにした。
全身から、さらに腕が噴き出す。
水で形作られた無数の腕が、奔流となって――タナトスへ一斉に殺到した。
しかし、タナトスは、眉一つ動かさない。
――パァンッ、パァンッ、パァンッ!
ムチがしなる音が、連続して空を打つ。
軌道は正確無比に伸びてくる腕の一本一本を、寸分違わず撃ち落とす。
叩き砕かれた水の腕は、弾け、霧となり、虚空へと散っていく。
その光景の奥で――阿久羅は、なおもニタァと嗤う。
今度は、音も殺して――地面の中へ、水を這わせた。
視界の外からの、不意打ち。
先ほど幾度も決まった、必殺の一手。
――パァンッ!
タナトスのムチが、地面を断ち切るように振るわれた。
ムチは地中へと、潜り込む。
ムチは地面を透過するかのように沈み、 そのまま内部を薙いだ。
――ズバッ。
地中を走っていた水の棘が、無慈悲に断ち切られる。
「……っ!?」
阿久羅は、驚愕に目を見開いた。
「このムチはですね。透過の魔導刻印を、付与しているのですよ」
タナトスは、淡々と告げる。
地上も、地中も関係ない。
存在するものは、すべて捉える。
「……ですが、私ばかりに気を取られていて――よろしいのですか?」
タナトスは、ふっと口元を緩めた。
「……な――」
阿久羅が、その言葉にはっとした瞬間。
――背後から影が、揺れた。
「……っ!!」
振り向くより早く――二つの影が、至近距離へと迫る。
朧の分身体が静かに、確実に。
そして――グッ、と。
阿久羅の体へ、鳴心環が、埋め込まれた。
皮膚を裂く感触もない。
水の肉体へ、深く沈み込むように。
淡く、鈍い音が鳴る。
――キン。
――キン。
二つの鳴心環が、阿久羅の体内で、確かに鳴った。
阿久羅の嗤いが――初めて、止まる。
「……な……にを……」
理解が、追いつかないという顔で、一人の忍びと一人の執事に翻弄される。
「……っ!」
阿久羅は、朧の分身体を――腕を振り払うように殴り飛ばした。
ドンッ!
衝撃と共に、吹き飛ばされた分身体は空中で霧散し、影となって消える。
だが、間髪入れず――阿久羅の背後から、さらに二つの影が距離を詰める。
「……チィィッ!」
阿久羅は即座に振り向き、拳を振るおうとする。
――その瞬間、パァンッ!! 鋭い破裂音。
「……っ!?」
阿久羅の両腕が、強引に弾き飛ばされ引き裂かれた。
タナトスの正確無比な一打が、阿久羅の迎撃動作そのものを否定する。
生まれたのは、ほんの一瞬の空白、その隙を影は逃さない。
――ズッ。
――グッ。
分身体二人が、同時に踏み込み、鳴心環を阿久羅の体内へと埋め込んだ。
淡い金属音が、重なる。
――キン……
――キン……
「……ぐ……」
阿久羅の表情が、僅かに歪む。
上空からさらに三人の朧が、影のように――一斉に、襲いかかる。
「……ぐうぅぅぅ!!」
阿久羅は吼え、全身から無数の水の棘を噴き出させた。
防御と反撃を兼ねた、凶悪な全方位迎撃。
――ザシュッ!
――バキッ!
朧の分身体は、次々と貫かれ、影となって、消えていく。
荒く息を吐きながら、阿久羅は歪んだ笑みを浮かべた。
「……の、残り……二体……」
視線を動かすとすでに左右から阿久羅を挟み撃ちにするように、二人の朧が、静かに距離を詰めていた。
阿久羅は身構える。
迎撃のために腕を振るおうとした、その瞬間、タナトスが、ムチを構えた。
再び――弾き飛ばすために。
「……お、お前は……」
阿久羅の口元が、歪む。
「……これでも、相手してろ……!」
――ゴリッと近くの大木を、根こそぎ引き抜き思い切り投げつける。
狙いはタナトスの後方、そこにいるのは――ミュレア。
「……っ!」
投げられた大木は、凶器そのものとなって、一直線に迫る。
「――いけません!!」
タナトスの声が、鋭く響いた。
即座に、ムチが振るわれる。
――ドンッ!!
魔導刻印が輝き、大木は空中で叩き砕かれ、木片と土砂となって散る。
そして、その一瞬、タナトスの注意が、わずかに後方へ向いた。
しかし、朧は止まらない。
足の痛みも、腹の傷も、そのすべてを切り捨てるように――ただ、前へ。
「……お、お前だけなら……!」
阿久羅の嗤いが歪む。
獲物を仕留める直前の確信に満ちた眼。
朧は左右に分かれた二体は同時に、魔法符を貼り付けたクナイを放った。
――シュッ、シュッ!
狙いは、阿久羅の正面。
「――炎爆!」
ドゴォォンッ!!
爆炎が炸裂し、阿久羅の腕を弾き、視界を奪う。
轟音、爆煙、灼熱、そのすべてを視界を奪う幕として影は、溶け込む。
爆煙の中を駆け抜け、一気に、間合いへ。
鳴心環を握る手が、阿久羅の胸元へと伸びた。
ズバッ!!
「……っ!?」
容赦のない感触。
水の棘が、二体の朧の腹を、同時に貫いていた。
衝撃と共に――一体の分身体は、その場で霧散する。
そして、残されたもう一人、それはつまり本体ということになる。
「……ぐ、は……」
血を吐き、それでも、膝をつかずに立つ。
阿久羅は、勝利を確信した顔で嗤った。
「……なにか、しようと……してた、みたいだが……」
歪んだ息を吐きながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……こ、これで……終わりだぁ……!」
その声には、完全なる勝利を確信するようだった。
――だが、血を流す朧が、ふっと口角を上げた。
「……悪いが」
低く、忍らしい声で告げる。
「不意打ちは――拙者の得意分野だ」
「……なに――?」
次の瞬間、その朧は――影が霧散するように消えた。
「――っ!?」
阿久羅が、はっとする。
ドン。
鈍い感触が、背中から伝わった。
阿久羅の身体が、わずかに前へ揺れる。
「……ぐ……?」
背後にいたのは――本体の朧。
朧のスキルは八人の分身体を作り出し、本体含め九人で翻弄し戦うものだ。
しかし、朧は先のバルグとの戦いでそれでは力不足と感じ、血の滲む努力の末にもう一体の分身体を作り出すことができるようになっていた。
そして、本体は気配は、完全に遮断されていた。
呼吸も、魔力も、殺気すらも、まるで――最初から、そこにいなかったかのように。
朧の手には、最後の一つ鳴心環、それが――確かに、阿久羅の体内へと埋め込まれていた。
――キン。
――キン……キン……。
今までとは違う、重く、深い音が鳴り響く。
阿久羅の歪んだ嗤いが、凍りつく。
「……な……にを……した……」
朧は、静かに距離を取る。
そして――冷たい瞳で、告げた。
「……終わりだ」
阿久羅の体内に埋め込まれた――六つの鳴心環。
それらが、同時に――鳴った。
――キン……
――キィィン……!
低く、重なり合う音が、阿久羅の体内から響き渡る。
六つの鳴心環は、互いに引き合うように位置を変え、阿久羅の内側で、六芒星を描いた。
中心へ、力が集約されていく。
白く、眩い光が輝きだし、それは皮膚の内側から滲み出るように、次第に、阿久羅自身を包み込んでいった。
「……が……っ」
阿久羅の体が、光を帯びていく。
水へと変じた肉体が、内部から、揺さぶられている。
「……体が水ならば……さぞ、振動も……よく通るだろう……」
朧は、かすれた声で呟く。
――ドォォォォンッ!!
共鳴と共振が重なり合い、轟音と共に、阿久羅の身体は――光の柱と化した。
内側から水の鬼は、その存在ごと、掻き消されていく。
「……そ、そんな……バカ……な……」
阿久羅の声は、共鳴音に飲み込まれ、やがて、完全に消えた。
光が収まる。
そこには――もう、何も残っていない。
朧は、その場に――膝をついた。
「……終わった……」
安堵が、全身から力を奪っていく。
「終わったようですね」
背後から、タナトスの声がかかる。
「……ああ……」
朧は、息を整えながらも――ふと、視線を上げた。
前線ではまだ、獣人の戦士、エルフの射手、海人族の警護隊が必死に戦っている。
だが――強化された鬼人族を前に、陣形は軋み、今にも崩壊しそうだった。
「……まだだ」
朧は、歯を食いしばり、ボロボロの体で立ち上がる。
「……まだ、戦いは……終わっていない……!」
そう言って、前線へ向かおうとする。
「……やれやれ、貴方はもう休んでいなさい」
深いため息をつきタナトスは、淡々と言った。
「……な、何を……」
その瞬間――シュルッとムチが伸び、朧の体を、ぐるりと巻き取る。
「……頼みましたよ、ルルカ」
「……え? ――の、わぁぁっ!?」
朧の体が、後方へと放り投げられた。
放物線を描き――朧は宙を舞う。
「……え!? ええええええっ!?」
ルルカの頭上へ。
――ドサッ。
「……ぐぇっ!?」
慌てる間もなく、朧は、ルルカの下敷きになった。
「……せ、拙者は……まだ……」
もがこうとする朧に、タナトスは目線だけを向ける。
「そんなボロボロの体で……どうするつもりですか?」
嗜めるような、静かな声音。
「それに……貴方は、もう少し味方を信頼なさい」
ほんの僅か、優しさを含んで。
「……う……」
朧は、言葉を失う。
その下でルルカが、震える声で言った。
「あ、あの……それよりも……降りてほしいであります……」
「……っ! す、すまない!!」
朧は我に返り、慌てて跳び退く。
戦場の只中で張り詰めていた空気の中に、一瞬だけ――小さな、安堵の隙間が生まれた。
だが、前線では、まだ――戦いが続いている。
それを引き受ける者たちの背中を、朧は、静かに見送った。
――信じるために。
視界が反転し、空と地面の区別がつかなくなる。
ドサァッ!
叩きつけられるように、朧は地面へと落ちた。
広場でミュレアを守るように前へ出て、戦況を見据えていたタナトスの眼前へと。
「……がっ……」
朧の口から、赤黒い血が零れ落ちる。
全身はボロボロに穿たれ、軽装備は原型を留めていない。
「ひ、ひぃぃぃっ!!」
ミュレアの背後で、ルルカが悲鳴を上げる。
「そ、その人……ボロボロでありますよ!?」
両手をわたわたと動かしながら、どうしていいか分からず騒ぐ。
「やれやれ……これでは……こちらにも被害が出そうですね」
タナトスはため息混じりに、足元の朧を見下ろした。
淡々とした声音。
だが、視線は冷静に戦場全体を捉えている。
「……そ、其方……は……?」
朧は掠れる視界の中で、必死にタナトスを見上げ、問いかけた。
「ミスティリアの者です。今回の……視察に参りました」
そう言ってから、ふと、視線を上げた。
その先には――歪んだ嗤いを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる影。
水のように揺らめく身体で凶悪な眼差しと笑みを浮かべゆっくりと近づいてくる。
「……っ」
朧は、血を吐きながらも歯を食いしばり、身体を起こす。
「す……すまない……だが、ここは……拙者が……守る……」
足取りは覚束ない。
それでも、立ち上がり外から来た来訪者のミュレアたちを守ろうとする。
その背に、タナトスの声がかかる。
「見ていましたが……彼の魔纏憑鬼――能力は驚異的ではありますが……」
落ち着き払った口調で、淡々と告げる。
「元は実体のあるもの。ならば、あの体の中に――必ず核が存在するはずです」
朧の目が、僅かに見開かれた。
「……それは……拙者も、気付いていた……」
息を整えながら、低く答える。
「外から削っても……意味がない……内部からの破壊ならば……倒せる……」
「……勝算は?」
タナトスが、静かに問う。
「……ある」
その声音には、確信が宿っていた。
タナトスは一瞬、目を閉じる。
思考するように――そして、結論を出す。
「……いいでしょう」
ぱちりと目を開き、淡く笑う。
「ならば……私も、微力ながら力添えしましょう」
「……い、いや……しかし……!」
朧は驚き、思わずタナトスを振り向く。
だが、タナトスは肩をすくめた。
「どうせ、そのボロボロの体では……一人であの者を相手するのは無理でしょう」
そして、一歩前に出て、朧の横に並び立つ。
「それに――これは所謂……先行投資というものですよ」
口元に、わずかな笑みを浮かべ、その顔は自信と誇りに満ちていた。
その横顔を見て、朧は言葉を失う。
「それでは――少しの間、ミュレア様を頼みましたよ……ルルカ」
タナトスは振り返らず、背中越しに告げた。
「え……? ええええええっ!?」
ルルカは目を丸くし、慌てて頭を抱えた。
「わ、私でありますか!? む、無理であります無理でありますぅ!!」
「大丈夫」
そんな彼女に――ミュレアは静かに、しかし確かな声で言った。
その一言が、不思議とルルカの空気を落ち着かせる。
前線には――忍と執事という異質な二人が並び立つ。
「――それで、勝算というのは?」
タナトスは横目で朧を見やりながら、静かに問いかけた。
朧は答える代わりに、懐へと手を伸ばす。
「……コレだ」
取り出したのは、小さな環状の器具。
鈍い金属色を帯び、微かに震えるような感触を放っている。
「……それは……」
タナトスが視線を落とし、目を細める。
「ルガンディアの心具――鳴心環だ」
朧は簡潔に告げた。
「六つの鳴心環を設置し、その中心にいる者へ共鳴を起こし――内部破壊をする大技だ」
「なるほど……共振、というやつですか。となると……設置に、時間がかかるのでは?」
タナトスは即座に理解する。
「……いや、共鳴による内部破壊だけでは……彼奴は、倒しきれぬ」
朧は、ゆっくりと首を振った。
タナトスが、僅かに眉を動かす。
朧は以前、バルグとの戦闘でこの技を使ったが、その時バルグは倒れることなく向かってきた。
強大な敵に対しては通じないことを朧は痛いほど理解している。
阿久羅はなおも、歪んだ嗤いを浮かべながら、距離を詰めてきていた。
「……では、どうするのですか?」
タナトスは、静かに続ける。
朧は、鳴心環を握る手に、力を込めた。
そして――鋭く、前を睨み据える。
「……彼奴の体に、直接――鳴心環をぶち込む」
刹那、タナトスの瞳が、わずかに細まった。
「……それは、つまり外部からでなく、内部から共鳴による共振を引き起こすと?」
「そうだ」
朧の目に、迷いはない。
「水へ変じようと……魔法そのものになろうと……中に核がある以上、鳴心は必ず反応する」
低く、言い切る。
タナトスは、短く息を吐いた。
「……ならば、勝負は――」
その続きを、朧が受け取った。
「――一瞬……!」
両者の視線が、同時に前方へ向く。
迫り来る水の鬼、歪んだ嗤いを浮かべる阿久羅。
一度でも外せば、死。
それでも――忍は、踏み込む。
その一瞬に、すべてを賭けるために。
「……いいでしょう」
タナトスの口端に、僅かな笑みが浮かんだ。
「ならば――その一瞬へ至る道は、私が切り開きましょう」
そう言って、彼は腰裏へと手を伸ばす。
引き抜かれたのは――一本のムチ。
しなやかな鞭身には、淡い青色の魔導刻印が幾重にも刻まれ、微細な光が脈動するように走っていた。
見る者に、只ならぬ気配を感じさせる魔導具。
「……参る……!」
朧は一声低く告げ、即座に動く。
「スキル――影命」
影が爆ぜる。
本体を含めた九人の朧が同時に生まれ、地を這い、跳び、舞うように――影の如く散った。
「……何人で来ようが……関係ない……!」
阿久羅は嗤い、全身から水の腕を噴き出させる。
無数の腕が、まるで獣の牙のように空間を埋め尽くし、狙い澄ます。
足の傷で速度を落とした朧。
その本体と分身体をまとめて捕らえようとした、その瞬間――パァンッ!!
乾いた、しかし重い音が鳴り響いた。
「……な……に……!?」
阿久羅の声が、驚愕に変わる。
伸ばしていた無数の腕が、すべて、切り刻まれたかのように裂けていた。
水が散り霧となって、宙へ弾ける。
まるで、不可視の刃に薙がれたかのように。
それを為したのは――タナトスのムチだった。
空を打ったその一振りが、複数の軌道を同時に描き、阿久羅の腕という腕を、正確無比に打ち砕いていた。
「……魔導刻印を開発したのは……我ら、海人族です。魔力を連動させたこのムチに――捉えられぬものなど、ありません」
タナトスは淡々と語る。
ムチの刻印が、淡く輝きを強める。
水であろうと、魔法であろうと、その動きと存在を捉え、容赦なく打ち砕く。
阿久羅の歪んだ嗤いが、初めて歪んだ。
そして――影の中で、朧の瞳が、鋭く光る。
「こ、この……!」
阿久羅は唸り声を上げ、怒気をむき出しにした。
全身から、さらに腕が噴き出す。
水で形作られた無数の腕が、奔流となって――タナトスへ一斉に殺到した。
しかし、タナトスは、眉一つ動かさない。
――パァンッ、パァンッ、パァンッ!
ムチがしなる音が、連続して空を打つ。
軌道は正確無比に伸びてくる腕の一本一本を、寸分違わず撃ち落とす。
叩き砕かれた水の腕は、弾け、霧となり、虚空へと散っていく。
その光景の奥で――阿久羅は、なおもニタァと嗤う。
今度は、音も殺して――地面の中へ、水を這わせた。
視界の外からの、不意打ち。
先ほど幾度も決まった、必殺の一手。
――パァンッ!
タナトスのムチが、地面を断ち切るように振るわれた。
ムチは地中へと、潜り込む。
ムチは地面を透過するかのように沈み、 そのまま内部を薙いだ。
――ズバッ。
地中を走っていた水の棘が、無慈悲に断ち切られる。
「……っ!?」
阿久羅は、驚愕に目を見開いた。
「このムチはですね。透過の魔導刻印を、付与しているのですよ」
タナトスは、淡々と告げる。
地上も、地中も関係ない。
存在するものは、すべて捉える。
「……ですが、私ばかりに気を取られていて――よろしいのですか?」
タナトスは、ふっと口元を緩めた。
「……な――」
阿久羅が、その言葉にはっとした瞬間。
――背後から影が、揺れた。
「……っ!!」
振り向くより早く――二つの影が、至近距離へと迫る。
朧の分身体が静かに、確実に。
そして――グッ、と。
阿久羅の体へ、鳴心環が、埋め込まれた。
皮膚を裂く感触もない。
水の肉体へ、深く沈み込むように。
淡く、鈍い音が鳴る。
――キン。
――キン。
二つの鳴心環が、阿久羅の体内で、確かに鳴った。
阿久羅の嗤いが――初めて、止まる。
「……な……にを……」
理解が、追いつかないという顔で、一人の忍びと一人の執事に翻弄される。
「……っ!」
阿久羅は、朧の分身体を――腕を振り払うように殴り飛ばした。
ドンッ!
衝撃と共に、吹き飛ばされた分身体は空中で霧散し、影となって消える。
だが、間髪入れず――阿久羅の背後から、さらに二つの影が距離を詰める。
「……チィィッ!」
阿久羅は即座に振り向き、拳を振るおうとする。
――その瞬間、パァンッ!! 鋭い破裂音。
「……っ!?」
阿久羅の両腕が、強引に弾き飛ばされ引き裂かれた。
タナトスの正確無比な一打が、阿久羅の迎撃動作そのものを否定する。
生まれたのは、ほんの一瞬の空白、その隙を影は逃さない。
――ズッ。
――グッ。
分身体二人が、同時に踏み込み、鳴心環を阿久羅の体内へと埋め込んだ。
淡い金属音が、重なる。
――キン……
――キン……
「……ぐ……」
阿久羅の表情が、僅かに歪む。
上空からさらに三人の朧が、影のように――一斉に、襲いかかる。
「……ぐうぅぅぅ!!」
阿久羅は吼え、全身から無数の水の棘を噴き出させた。
防御と反撃を兼ねた、凶悪な全方位迎撃。
――ザシュッ!
――バキッ!
朧の分身体は、次々と貫かれ、影となって、消えていく。
荒く息を吐きながら、阿久羅は歪んだ笑みを浮かべた。
「……の、残り……二体……」
視線を動かすとすでに左右から阿久羅を挟み撃ちにするように、二人の朧が、静かに距離を詰めていた。
阿久羅は身構える。
迎撃のために腕を振るおうとした、その瞬間、タナトスが、ムチを構えた。
再び――弾き飛ばすために。
「……お、お前は……」
阿久羅の口元が、歪む。
「……これでも、相手してろ……!」
――ゴリッと近くの大木を、根こそぎ引き抜き思い切り投げつける。
狙いはタナトスの後方、そこにいるのは――ミュレア。
「……っ!」
投げられた大木は、凶器そのものとなって、一直線に迫る。
「――いけません!!」
タナトスの声が、鋭く響いた。
即座に、ムチが振るわれる。
――ドンッ!!
魔導刻印が輝き、大木は空中で叩き砕かれ、木片と土砂となって散る。
そして、その一瞬、タナトスの注意が、わずかに後方へ向いた。
しかし、朧は止まらない。
足の痛みも、腹の傷も、そのすべてを切り捨てるように――ただ、前へ。
「……お、お前だけなら……!」
阿久羅の嗤いが歪む。
獲物を仕留める直前の確信に満ちた眼。
朧は左右に分かれた二体は同時に、魔法符を貼り付けたクナイを放った。
――シュッ、シュッ!
狙いは、阿久羅の正面。
「――炎爆!」
ドゴォォンッ!!
爆炎が炸裂し、阿久羅の腕を弾き、視界を奪う。
轟音、爆煙、灼熱、そのすべてを視界を奪う幕として影は、溶け込む。
爆煙の中を駆け抜け、一気に、間合いへ。
鳴心環を握る手が、阿久羅の胸元へと伸びた。
ズバッ!!
「……っ!?」
容赦のない感触。
水の棘が、二体の朧の腹を、同時に貫いていた。
衝撃と共に――一体の分身体は、その場で霧散する。
そして、残されたもう一人、それはつまり本体ということになる。
「……ぐ、は……」
血を吐き、それでも、膝をつかずに立つ。
阿久羅は、勝利を確信した顔で嗤った。
「……なにか、しようと……してた、みたいだが……」
歪んだ息を吐きながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……こ、これで……終わりだぁ……!」
その声には、完全なる勝利を確信するようだった。
――だが、血を流す朧が、ふっと口角を上げた。
「……悪いが」
低く、忍らしい声で告げる。
「不意打ちは――拙者の得意分野だ」
「……なに――?」
次の瞬間、その朧は――影が霧散するように消えた。
「――っ!?」
阿久羅が、はっとする。
ドン。
鈍い感触が、背中から伝わった。
阿久羅の身体が、わずかに前へ揺れる。
「……ぐ……?」
背後にいたのは――本体の朧。
朧のスキルは八人の分身体を作り出し、本体含め九人で翻弄し戦うものだ。
しかし、朧は先のバルグとの戦いでそれでは力不足と感じ、血の滲む努力の末にもう一体の分身体を作り出すことができるようになっていた。
そして、本体は気配は、完全に遮断されていた。
呼吸も、魔力も、殺気すらも、まるで――最初から、そこにいなかったかのように。
朧の手には、最後の一つ鳴心環、それが――確かに、阿久羅の体内へと埋め込まれていた。
――キン。
――キン……キン……。
今までとは違う、重く、深い音が鳴り響く。
阿久羅の歪んだ嗤いが、凍りつく。
「……な……にを……した……」
朧は、静かに距離を取る。
そして――冷たい瞳で、告げた。
「……終わりだ」
阿久羅の体内に埋め込まれた――六つの鳴心環。
それらが、同時に――鳴った。
――キン……
――キィィン……!
低く、重なり合う音が、阿久羅の体内から響き渡る。
六つの鳴心環は、互いに引き合うように位置を変え、阿久羅の内側で、六芒星を描いた。
中心へ、力が集約されていく。
白く、眩い光が輝きだし、それは皮膚の内側から滲み出るように、次第に、阿久羅自身を包み込んでいった。
「……が……っ」
阿久羅の体が、光を帯びていく。
水へと変じた肉体が、内部から、揺さぶられている。
「……体が水ならば……さぞ、振動も……よく通るだろう……」
朧は、かすれた声で呟く。
――ドォォォォンッ!!
共鳴と共振が重なり合い、轟音と共に、阿久羅の身体は――光の柱と化した。
内側から水の鬼は、その存在ごと、掻き消されていく。
「……そ、そんな……バカ……な……」
阿久羅の声は、共鳴音に飲み込まれ、やがて、完全に消えた。
光が収まる。
そこには――もう、何も残っていない。
朧は、その場に――膝をついた。
「……終わった……」
安堵が、全身から力を奪っていく。
「終わったようですね」
背後から、タナトスの声がかかる。
「……ああ……」
朧は、息を整えながらも――ふと、視線を上げた。
前線ではまだ、獣人の戦士、エルフの射手、海人族の警護隊が必死に戦っている。
だが――強化された鬼人族を前に、陣形は軋み、今にも崩壊しそうだった。
「……まだだ」
朧は、歯を食いしばり、ボロボロの体で立ち上がる。
「……まだ、戦いは……終わっていない……!」
そう言って、前線へ向かおうとする。
「……やれやれ、貴方はもう休んでいなさい」
深いため息をつきタナトスは、淡々と言った。
「……な、何を……」
その瞬間――シュルッとムチが伸び、朧の体を、ぐるりと巻き取る。
「……頼みましたよ、ルルカ」
「……え? ――の、わぁぁっ!?」
朧の体が、後方へと放り投げられた。
放物線を描き――朧は宙を舞う。
「……え!? ええええええっ!?」
ルルカの頭上へ。
――ドサッ。
「……ぐぇっ!?」
慌てる間もなく、朧は、ルルカの下敷きになった。
「……せ、拙者は……まだ……」
もがこうとする朧に、タナトスは目線だけを向ける。
「そんなボロボロの体で……どうするつもりですか?」
嗜めるような、静かな声音。
「それに……貴方は、もう少し味方を信頼なさい」
ほんの僅か、優しさを含んで。
「……う……」
朧は、言葉を失う。
その下でルルカが、震える声で言った。
「あ、あの……それよりも……降りてほしいであります……」
「……っ! す、すまない!!」
朧は我に返り、慌てて跳び退く。
戦場の只中で張り詰めていた空気の中に、一瞬だけ――小さな、安堵の隙間が生まれた。
だが、前線では、まだ――戦いが続いている。
それを引き受ける者たちの背中を、朧は、静かに見送った。
――信じるために。
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