飴色の音

佐木 呉羽

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音の泉

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 会場は、市内のコンベンションセンター内にある中ホール。
 関係者が多いのか、チラシのたまものなのか、人の入りはそこそこだ。
 受付で入場料を支払い、パンフレットを受け取る。自由席だったから、中列の真ん中に座ることにした。
 ステージには舞台が組まれ、照明は落とされている。演奏が始まれば、その立場は逆転するだろう。
 受付でもらったパンフレットを開くと、写真と共に、雅楽とは……という説明文が書いてある。

「雅楽とは、日本古典音楽のひとつであり、世界最古のオーケストラ……十世紀頃の平安時代に大まかな形態は成立するが、元は奈良時代にまでさかのぼるって、めっちゃ古いじゃん」

 ボソリと呟き、慌てて周囲に視線を走らせた。詳しい人に無知な呟きを聞かれ、事細かに説明されたりしては迷惑だ。
 幸い、近くに座る人達の耳には届いていないらしく、誰も気にする素振りすらみせていなかった。

『本日は、お越しいただき、誠にありがとうございます』

 場内アナウンスが入ったことをきっかけに、開いていたパンフレットを閉じる。膝の上に置いていた鞄と自分の体の間にパンフレットを挟んだ。
 アナウンスが終わると、客席側の照明が暗くなっていった。反対に、舞台の上が徐々に明るくなっていく。
 いつの間に座っていたのか、烏帽子を被り、平安時代の貴族みたいな装束を着た人達が並んでいた。

(凄い……かっこいい)

 そこだけ、時代と空間を飛び越えてしまったかのようだ。
 座っている人数は四人。下手に太鼓。その斜め前に笙。中央に篳篥。上手に龍笛。笙の奏者の前には、筝も置いてある。
 そして、指揮者の姿は無かった。

(どうやって、演奏をスタートするんだろう)

 疑問に思っていると、おもむろに笙と篳篥の奏者が、それぞれ楽器を口に当てた。互いに気配を読み合い、タイミングを合わせて息を吸う。
 楽器に息が吹き込まれると、波紋のように音がブワーッと広がっていく。全身を……空間を包み込むように、どんどん音が膨らんでいった。
 オーケストラや吹奏楽部が演奏する、管楽器や弦楽器の音の広がり方と、まるで違う。

(凄い。こんな感覚、初めて)

 太鼓と龍笛の音も加わり、さらに音の厚みが増す。
 全身が、煌#__きら__#びやかな音色に包まれていった。
 それはまるで、魂の浄化。
 背負っているマイナス要素が、音に押し流され、削ぎ落とされていくみたいだ。
 生で聴く雅楽の演奏は、音楽の授業で映像を通して観るのとは全然違う。空気を伝って押し寄せる、音の波に圧倒されるのだ。
 アーティストの演奏はライブに限ると言う人もいるが、同じように雅楽の演奏も、ライブのほうが断然いい。
 ひと呼吸だけ音が消え、龍笛のソロが始まる。
 顔に注目すれば、公園で練習をしていた、あの男性。装束を着た姿は、洋服のラフな格好のときとは、まるで別人に見える。
 公園では自信が無さそうだったのに、今はそんな不安を少しも感じさせない。
 それは、練習に裏打ちされた自信だろうか。

(凄いなぁ。没頭できることがあるのって、羨ましい……。今の私には、なにも無い)

 私も、周りの同級生も、男女の色恋にしか興味が無かった。
 その結果が、今の私だ。
 振られたことで、心はボロボロ。食べる気力も無いせいで、体調にも影響が出てきていた。
 泣いて、泣き止んで、泣いて、泣いて。ひたすらに悲しい。ずっと悲しみに向き合っているから、さらに塞ぎ込んでいく悪循環。
 そんな負のループからは、抜け出したい。抜け出したいのに、抜け出せないでいた。
 常に、影のように引っ付いて離れない悲しみ。
 でも今、この瞬間は、高揚感が心も体も支配していた。感動が、沈んでいた気力を浮上させ、疲れきっていた心を震わせている。

(音楽で、こんなに感動できるんだ。こんなに感動するの、初めてかも……)

 目蓋を閉じ、音に身を委ねてみる。
 ゆりかごに揺られる子供のように、どんどん心地よくなっていく。
 龍笛が、聴いたことのあるフレーズを奏で始めた。

(知ってる。これは、越天楽)

 雅楽の曲で、初めて覚えたタイトル。

(たまたま出会った、あの人が教えてくれた曲……)

 あぁ、しまった……と、胸中で呟く。

(あの人の名前……聞いてなかった)

 龍笛を吹く男性は、公園で少しだけ話をした私のことを覚えているだろうか。
 もし覚えていなくても、出会いのきっかけを話したら思い出してくれるかもしれない。
 それまでは、あの男性のことを《公園のきみ》と呼ぶことにしよう。
 平安時代の装束を身にまとう姿は、公園の君と呼ぶのに相応しい。
 越天楽を吹き終え、唇から龍笛を離した公園の君は、満足そうな笑みを浮かべている。
 充足感が羨ましい。

(私も、趣味を探してみようかしら)

 興味本位大歓迎! と、ガッツポーズをした公園の君の姿が思い起こされる。
 興味本位を突き詰めてみるのは悪いことではないと、背中を押されている気持ちになった。

(なにごとも、興味を持つことから始まるわよね)

 出待ちをし、公園の君を捕まえて、この雅楽サークルの見学をさせてもらえるか頼んでみようか。
 音の泉に沈んでいく心地よさに、もう一度身を委ねる。
 ヘドロのように堆積していた悲しさや苦しさ、不甲斐なさや悔しさが、ゆっくり……ゆっくりと溶けていくような、そんな気分になれた。



《終》
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