飴色の音

佐木 呉羽

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龍の鳴き声

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 男性が手にしていた横笛は、飴色に光っている。
 竹製なのか、木製なのか、遠目には判断がつかない。お囃子で見るような細い横笛ではなく、重量がありそうな横笛だ。
 男性は笛を持つ手を膝に置き、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

「すみません。うるさかったですよね」
「あっ、いえ……違くて」

 私は涙でグチャグチャになっている顔の前で両手を左右に振り、慌てて否定する。

「笛の音って珍しいから、どこから音がするんだろうって……公園の中を探してたんです」

 探し当てたあとは、どうするのか決めていなかった。
 音源を見つけて満足したかっただけなのか、吹いている姿を眺めてみたかっただけなのか。ただ、音色を聴いていたかっただけなのか。
 どれが正解なのか分からない。
 でも、ひとつだけ確信を持って言えることがある。

「私は、音に……誘われたんです」
「音に誘われた? そう、ですか」

 男性は、わずかに眉根を寄せる。私の場当たり的なようにも受け取れる答えを咀嚼し、ゆっくりと解釈して飲み込んでいくみたいだ。
 怪しい人と訝しがられるかもしれない。だけど、興味のほうが勝る。
 この機を逃しては、次は無い。意を決し、胸の前で拳を握ると、一歩を踏み出した。

「あの、聴いていても……いい、ですか?」

 空気を震わす笛の音を……もっと聴いていたい。音に洗い流され、浄化されたような気持ちになれたから。
 男性は意表をつかれたのか、少しだけ目を大きく開き、そして柔らかく微笑む。

「そんなに上手くはないですけど……それでもよかったら、どうぞ」
「ありがとうございます」

 男性から少し離れた位置に移動し、膝を抱えて座る。地面に触れるスカート越しのお尻が、一瞬ヒヤリとした。
 男性は手にしたままの笛に視線を落とし、笛の穴に指を当て直す。
 唇に笛を当てると、まるで龍のいななきのような膨らみのある音を鳴らし、空気を震わせた。
 柔らかく、なだらかに指を滑らせて音を奏でていく。
 なんという曲か分からない。だけど、どこかで聴いたことがある楽曲。
 音の響きが、とても心地いい。
 ひと通りの確認が終わったのか、一曲吹き終えたのか、男性は唇から笛を離した。

「なんの曲か分かります?」

 まさか、質問がくるとは思わなかった。すぐに答えは思い浮かばず、また視線が泳いでしまう。
 ザ・和という、お正月や新春のコマーシャル、神社の結婚式やなんかで聴くイメージが強い。けれど、タイトルは分からなかった。

「えっと、すみません。耳に覚えはあるんですけど……」
「ふふっ、越天楽といいます」
「えてんらく?」

 オウム返しする私に、男性は頷く。

「越天楽というのは、雅楽の曲のひとつです。そして、これは龍笛という名前の横笛。この龍笛は、天と地の間を泳ぐ龍の声を表すと言われています」

 想像上の生き物である龍だけれど、その鳴き声は想像できる。とても気高く、誇らしげなイメージだ。
 龍の声と説明されれば、納得できてしまうほどに。

「たしかに、龍っぽい……」
「でしょ?」
「楽器にも意味があるとは知りませんでした。練習されてるってことは、神社の神職さんですか?」

 自分から尋ねておきながら、瞬時にハッとする。

(しまった……ヤバい。失言したかも) 

 これは、プライベートな質問だ。聞かれたくない個人情報かもしれない。

「あっ、ごめんなさい。えっと、今の質問……興味本位です。答えなくていいです。すみません」

 申し訳なくて、抱えていた両膝に額を押し当てる。
 自分のことは話すつもりがないのに、相手に対してだけ詮索するなんて失礼だ。
 なんて自分本位。
 こういうところが嫌で、彼から別れを告げられたのかもしれない。

 ーー一緒に居ると疲れるんだ。
 ーーなんでもかんでも気にしすぎで、こっちの気が休まらない。
 ーーもう終わりにしよう。
 ーー別れてくれないかな。

 ダメ元で告白したらOKをもらえて、嫌われないように必死だった。
 いつもビクビクおどおどしてしまって、日々緊張しかしていなかった。
 一緒に居て、心安らいだときがあっただろうか。

(私は、無かった。だから、きっと先輩も……全然楽しくなかったんだ)

 なんで告白なんかしたんだろう。
 ただ、好きだったから。こんな自分のどこを気に入ってくれて、彼女にしてくれたのか。いまだに、いくら考えても思いつかない。
 もう終わったことなのに、頭の片隅にずっとあった疑問が蒸し返された。
 僕は……と話し始めた男性の声に、私は意識を引き戻す。

「僕は、神職ではありません。雅楽のサークルに入ってるんです」
「サークル? えっ、大学生なんですか?」
「いえ、社会人です。和の文化や、雅楽が好きな人が集まるマニアな社会人サークルに所属しています」
「マニア?」

 キョトンとする私に、男性は笑みを浮かべる。
 笛を唇に当て、息を吹き込む。
 今度は、誰もが知っているアニメ映画の主題歌だった。

「なんの曲か分かりました? 現代曲も吹けちゃうんですよ」
「おぉ、凄い」

 パチパチと拍手をすれば、男性は嬉しそうにはにかんだ。

「ありがとうございます。でも僕は、まだ拍手をもらえるような実力じゃありません。始めて間もないし、音はなるけど、情緒が無い。演奏で情景を伝えることが、まだできません」
「情緒ですか……。難しそうですね」

 言葉でも伝えることが難しいのに、音で伝えるなんて、かなりの技術と芸当だろう。
 練習して獲得できる技術なのだろうか。それはもう、才能というか、天性のものな気がする。

「難しいけど、できるようになりたいから……諦めずに練習をするんです」

 なぜなら、と男性は一枚の紙を差し出す。

「今度、ホールを借りて演奏会をすることになっています」
「え! 凄い」
「身内だけって感じの会なんですが、興味がある一般の方にも入場してほしくて、いろんなお店や知り合いのところにチラシを置かせてもらっています」

 チラシには、雅楽の演目で舞われるであろう面の画像が、大きくドンと掲載されている。

「会場の使用料とか払わないといけないんで、入場料が必要なんですけどね。都合がよければ、聴きに来てください」
「いいんですか?」
「こうして話をするのも、なにかの縁です。興味があれば、ぜひ。興味本位大歓迎です!」

 男性は拳を握り、ガッツポーズをしてみせた。浮かべている笑みも、気合いに満ちている。

「なにか分からないことがあれば、チラシに記載されている電話番号に連絡してみてください。サークルの代表に繋がります」
「あ、はい……」

 男性は龍笛と楽譜を持って立ち上がった。

「それでは、会場でお会いしましょう」

「では」と、振り向くことなく颯爽と立ち去る姿は、どこか潔くて清々しい。

「これは……行く流れになっちゃった?」

 この場に一人で取り残され、小さくなっていく背中を見詰めている。
 我に返り、スケジュールを確認すると、演奏会の日はなんの予定も入っていない。というよりも、デートの予定が、別れを告げられたことにより無くなってしまったのだ。
 演奏会に行ってみようか、やめようか。

(さっきの……龍笛の音は、もう一度聴きたい)

 心震えた音を……もう一度。
 今度の日曜日に開催される雅楽の演奏会に、行ってみることにした。
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