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おまじない
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心ゆくまで素麺をたらふく食べ、ご馳走様をした陽菜は、素麺と麺つゆが入っている器と箸を手にして玄関から外に出た。
玄関の脇に立つ柱に括りつけてある竹は、サラサラとそよ風に乗り、笹の葉と七夕飾りを揺らしている。
夜空には雲ひとつ無く、星がキラキラと瞬いていた。
(さて、やってみようかな)
祖母が教えてくれた、おまじない。モノは試しで、できそうなものをやってみる。
箸で素麺を挟み、目の高さに掲げた。白い素麺は麺つゆにどっぷり浸かり、薄茶色く染まっている。
星が煌めく夜空を見上げ、陽菜は願い事を心に思い浮かべた。
(ツクヨミ様に、また会いたいな……じゃ、なくて。ツクヨミ様に会えた……と言うよりも、ツクヨミ様に会った!)
心の中で念じ、素麺を口にして目蓋を閉じたら一気に啜る。チュルンと吸い込んだ素麺を咀嚼しながら、会えたらどんな話をしようか考えた。
まずは、久しぶり、と言おう。それから、小学校に通い始めて起きた出来事を話したい。大年神と御年神に会って話したこと。天神人形と三人官女が人の大きさになって、勉強論や人生観を説いてくれたこと。それから、鍾馗や義経や金太郎と一緒に、妖や瘴気を浄化したこと。
中秋の名月の日にアッチの世界に行ってから、定期的に不思議な体験をしているから、話したいことがたくさんだ。
咀嚼して細かくなった素麺をゴクリと飲み込む。
目を開けると、陽菜はまた、知らない場所に座っていた。
(あれ? ここ、どこ?)
玄関先に座っていたはずなのに、眼前に広がる広大な庭は、陽菜の家の庭ではない。
遠くのほうに、一対の中華風提灯が明るく照らす門が見える。門からは塀が続き、周囲はグルリと囲われているようだ。ワカワサと動いて見える陰は、風に揺れる葉っぱ。種類までは判然としないけれど、等間隔に木が植えられている。
陽菜は玄関の軒先から出て、建物全体を眺められる位置に移動した。
「凄っ」
陽菜の家の外観じゃない。暗がりにそびえる建物は、まさに陸の竜宮城。
もしかしなくても、そうだ。また、アッチの世界に来てしまった。
「どうしよう……」
建物の中に入れるか、玄関の木製扉を押してみる。鍵がかかっているようで、ピクリとも動かない。
「嘘、締め出された?」
箸と器を足元に置き、扉をペタペタと触ってみる。紅く塗られた木の扉には、指先が引っかかるようなところが無い。
扉をドンドン叩いてみようと右手を振り上げたけれど、すんでのところで思い留まった。誰か出てきたとしても、中に入れてもらえる保証は無い。自分の家だと主張しても、ココは違う。陽菜のほうが不審者として、門の外に出されてしまうかもしれないのだ。
「建物沿いに歩いてみようかな……」
テレビで見たことがある中華風の建物である。もしかしたら、中に繋がる丸窓とか、中庭に繋がるトンネルみたいな物があるかもしれない。
淡い期待を胸に歩くも、陽菜の興味は他に向いてしまう。
古の異国にタイムスリップしてしまったような、博物館や美術館で特別展示されている当時を再現したセットの中に居るような感覚。
細工の細かい彫刻や、暗くても色彩豊かであることが分かる装飾に目が奪われる。
ーーとん、とん、しゃっ、ぱたん
どこからか、規則正しい音が耳に届く。
(なんだろう?)
ーーとん、とん、しゃっ、ぱたん
ーーとん、とん、しゃっ、ぱたん
繰り返す音に誘われ、陽菜は灯りが漏れる離れの部屋に辿り着いた。
戸は閉まっている。窓から部屋の中を覗き込むと、女性の姿が確認できた。
肩から羽衣のようなショールを羽織り、奈良時代の女性が着ていたような女官の礼服を身につけている。
前髪はピッチリと真ん中から半分に分けられ、耳際の長い髪の毛は、肩の辺りで半分に折り返して輪っかを作り、耳に当たりそうな部分にクルクルと赤い和紙を巻いていた。黒く長い髪を頭のてっぺんでくくり、頭頂部の髷を二つに分けて輪っかにし、根元部分を余った髪の毛で十字に巻つけた高髻という髪型。
左右で対に刺さる菜箸みたいに長い簪と、巻つけた髪の根元部分の中央に、菊の花みたいな飾りをつけている。
天女のように美しい女性が座って作業をしているのは、木製の機織り機。
七夕の絵本で見たままの機織り機が、変わらぬテンポとリズムで動き続けている。
伏し目がちだった目蓋が持ち上がり、クルンと上向きにカールした睫毛に縁取られた目が、静かに陽菜のほうを向く。
気配に気づかれたのだろうか。バチッと、視線が合う。
(ヤバッ)
慌ててしゃがむけれど、機織りの音はやんだまま。
ほんの一瞬だったのに、深緑色の瞳が陽菜の脳裏に焼きついている。焦りと緊張で、心臓がドキドキと暴れ出す。
カタン……と、閂が外れる音が耳に届いた。静かに戸が開き、スッと一筋の灯りが漏れる。
陽菜は足と腕を折り畳んで身を縮こまらせるが、闇に溶け込むわけではない。
「誰?」
不安そうな女性の声が、陽菜の鼓膜を震わせた。
黙っているわけにもいかず、陽菜は恐るおそる顔を向ける。
怪訝な表情を浮かべる女性は、眉を歪めていても美しい。
見惚れていると、女性の眉が、さらにひそめられた。
陽菜は慌てて立ち上がり、しどろもどろになりながらも言葉を発する。
「あっ、えっと……、ごめんなさい。私、その……迷い込んじゃったみたいで」
「迷い込んだ?」
「はい……」
迷い込んだというのは、嘘じゃない。他に弁解の言葉も見つからない。
女性は、陽菜のことをどう扱えばいいのか、まだ判断しかねているように見える。
陽菜にしてみれば、とにかく現状把握が先決だ。
「あら? 貴女……」
陽菜が言葉を発するより先に、女性がなにかに気づいた。戸を大きく開き、陽菜の元へ歩み寄ってくる。
驚きに見開かれた目は、ウルウルとしていて潤いに満ち、小型の愛玩動物みたい。
女性は陽菜の隣に膝を突き、どうしたことでしょう……と、白く美しい手を自身の口元に運んだ。
「アッチの世界から、迷い込んでしまったのね」
「は、はい! そうです」
女性は、きっと陽菜の服装で判断をしたに違いない。半袖にハーフパンツ。鎖骨辺りまで伸びた髪は、頭の上でお団子結びにしている。
「あぁ、心細かったことでしょう。とりあえず、中にお入りなさい」
陽菜は女性に誘われ、建物の中に足を踏み入れた。
壁一面は木の棚で埋め尽くされ、いくつもの反物が収納されている。長方形の木でできた机には、織り上げられただけの反物が広がっていた。
機織り機は一台だけ。
女性は机の横に置いてあった椅子を運んできて、陽菜に座るよう促した。
「ありがとうございます。あの……ココって、どこですか?」
女性も椅子を運んできて、陽菜の前に腰を下ろす。肩からずり落ちたショールを元の位置に戻し、戸惑っている陽菜の瞳を真っ直ぐに見詰めた。
「ここは天帝の屋敷にある、私の仕事場よ」
「天帝?」
天帝とは、誰のことだろう。
陽菜がキョトンとしていると、女性も「まぁ!」と驚きに目を丸くした。
「ご存知ないかしら? 天帝とは、高上玉皇大帝のこと。天界の支配者であり、地上と地底に住む、あらゆるモノの支配者。最高神よ」
「最高神……!」
陽菜の頭の中をGODというアルファベットが駆け抜ける。
最高神ということは、ツクヨミや大年神達よりも位が上なのだろう。
「そんな凄い神様なんだ……知らなかった」
「知らなかったって……貴女、どうやって門の中に入れたの?」
「門は、くぐってないの」
陽菜の言葉に、どういうこと? と、女性は首を傾げる。
「ただ、目を閉じて素麺を食べただけなんですけど……いつの間にか、この家の玄関前に……」
女性は「まぁ」と、大きく開いた口を袖で隠し、ガタリと椅子を倒して立ち上がった。
「そうですわね。ご家族が心配してらっしゃるに違いないわ! 大変、急いで帰してあげなければ」
「え? あっ、あの……落ち着いてください!」
「いいえ! 落ち着いてなど、悠長なことを。いつまでも、長居は無用です。天帝の元へ、お願いしに参りましょう」
今の流れでは、端午の節句のときと一緒。あれよあれよという間に、アッチの世界に戻されてしまいそうだ。
「待って、待って待って! そんなに慌てなくても大丈夫です」
「大丈夫なわけがありますか! アッチの世界では、行方不明。姿が消えてしまっているのよ」
「あっ……そうか」
今の陽菜は、神隠しに遭っているのと同じだった。
でも今を逃したら、もう本当にチャンスが無くなってしまう。
ただコッチの世界に来ただけでなく、神様の世界であるなら、尚更だ。
諦めずに、陽菜は言葉を続ける。
「あの……ココって、コッチの世界の……神様の住む世界だよね」
「そうですわ」
女性の答えを受け、陽菜もガタリと椅子を倒して勢いよく立ち上がった。
自分を落ち着かせるように、部屋の中をウロウロし始めた女性の前に立ちはだかる。
「あのぅ……ツクヨミ様って知ってますか?」
「ツクヨミ……?」
女性は白く長い指を顎に添え、しばし考え込む。
「もしかして……日の本の国に籍を置かれている、ツクヨミノミコト様?」
「はい! そうです」
陽菜は喜びに、パッと晴れやかな笑みを浮かべる。しかし女性は「う~ん」と頬に手を添え、なにやら考える素振りを見せた。
「ご挨拶程度なら、何度かありますわよ」
「ホントですか? 私、ツクヨミ様に会いたいんです! 会わせてもらえませんか?」
陽菜からの申し出に、女性は目をパチクリとさせる。
「なぜ?」
「あぁ……えっと……」
なんと説明をしたら伝わるだろう。
人間の子供が、神であるツクヨミに会いたいなんて、接点が無さすぎる。
女性は、陽菜と目線を合わせるように膝を折った。
「面識は、おありなの?」
「ある! あります。大ありです!」
「そう……そうですの」
女性はジ~ィと、陽菜の様子を観察している。
この必死さが伝わるだろうか。
陽菜は女性から視線を逸らさず、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
女性は柔らかな微笑を浮かべ、固く握り締めている陽菜の手に触れる。
「ところで、貴女の名は?」
「……陽菜、です」
「そう、陽菜ちゃん。私くしは、織姫ですわ」
「お……織姫? 織姫って、あの?」
そうですわ、と、機織りをしていた女性ーー織姫はニコリと、見惚れてしまう美しい笑みを浮かべてみせた。
玄関の脇に立つ柱に括りつけてある竹は、サラサラとそよ風に乗り、笹の葉と七夕飾りを揺らしている。
夜空には雲ひとつ無く、星がキラキラと瞬いていた。
(さて、やってみようかな)
祖母が教えてくれた、おまじない。モノは試しで、できそうなものをやってみる。
箸で素麺を挟み、目の高さに掲げた。白い素麺は麺つゆにどっぷり浸かり、薄茶色く染まっている。
星が煌めく夜空を見上げ、陽菜は願い事を心に思い浮かべた。
(ツクヨミ様に、また会いたいな……じゃ、なくて。ツクヨミ様に会えた……と言うよりも、ツクヨミ様に会った!)
心の中で念じ、素麺を口にして目蓋を閉じたら一気に啜る。チュルンと吸い込んだ素麺を咀嚼しながら、会えたらどんな話をしようか考えた。
まずは、久しぶり、と言おう。それから、小学校に通い始めて起きた出来事を話したい。大年神と御年神に会って話したこと。天神人形と三人官女が人の大きさになって、勉強論や人生観を説いてくれたこと。それから、鍾馗や義経や金太郎と一緒に、妖や瘴気を浄化したこと。
中秋の名月の日にアッチの世界に行ってから、定期的に不思議な体験をしているから、話したいことがたくさんだ。
咀嚼して細かくなった素麺をゴクリと飲み込む。
目を開けると、陽菜はまた、知らない場所に座っていた。
(あれ? ここ、どこ?)
玄関先に座っていたはずなのに、眼前に広がる広大な庭は、陽菜の家の庭ではない。
遠くのほうに、一対の中華風提灯が明るく照らす門が見える。門からは塀が続き、周囲はグルリと囲われているようだ。ワカワサと動いて見える陰は、風に揺れる葉っぱ。種類までは判然としないけれど、等間隔に木が植えられている。
陽菜は玄関の軒先から出て、建物全体を眺められる位置に移動した。
「凄っ」
陽菜の家の外観じゃない。暗がりにそびえる建物は、まさに陸の竜宮城。
もしかしなくても、そうだ。また、アッチの世界に来てしまった。
「どうしよう……」
建物の中に入れるか、玄関の木製扉を押してみる。鍵がかかっているようで、ピクリとも動かない。
「嘘、締め出された?」
箸と器を足元に置き、扉をペタペタと触ってみる。紅く塗られた木の扉には、指先が引っかかるようなところが無い。
扉をドンドン叩いてみようと右手を振り上げたけれど、すんでのところで思い留まった。誰か出てきたとしても、中に入れてもらえる保証は無い。自分の家だと主張しても、ココは違う。陽菜のほうが不審者として、門の外に出されてしまうかもしれないのだ。
「建物沿いに歩いてみようかな……」
テレビで見たことがある中華風の建物である。もしかしたら、中に繋がる丸窓とか、中庭に繋がるトンネルみたいな物があるかもしれない。
淡い期待を胸に歩くも、陽菜の興味は他に向いてしまう。
古の異国にタイムスリップしてしまったような、博物館や美術館で特別展示されている当時を再現したセットの中に居るような感覚。
細工の細かい彫刻や、暗くても色彩豊かであることが分かる装飾に目が奪われる。
ーーとん、とん、しゃっ、ぱたん
どこからか、規則正しい音が耳に届く。
(なんだろう?)
ーーとん、とん、しゃっ、ぱたん
ーーとん、とん、しゃっ、ぱたん
繰り返す音に誘われ、陽菜は灯りが漏れる離れの部屋に辿り着いた。
戸は閉まっている。窓から部屋の中を覗き込むと、女性の姿が確認できた。
肩から羽衣のようなショールを羽織り、奈良時代の女性が着ていたような女官の礼服を身につけている。
前髪はピッチリと真ん中から半分に分けられ、耳際の長い髪の毛は、肩の辺りで半分に折り返して輪っかを作り、耳に当たりそうな部分にクルクルと赤い和紙を巻いていた。黒く長い髪を頭のてっぺんでくくり、頭頂部の髷を二つに分けて輪っかにし、根元部分を余った髪の毛で十字に巻つけた高髻という髪型。
左右で対に刺さる菜箸みたいに長い簪と、巻つけた髪の根元部分の中央に、菊の花みたいな飾りをつけている。
天女のように美しい女性が座って作業をしているのは、木製の機織り機。
七夕の絵本で見たままの機織り機が、変わらぬテンポとリズムで動き続けている。
伏し目がちだった目蓋が持ち上がり、クルンと上向きにカールした睫毛に縁取られた目が、静かに陽菜のほうを向く。
気配に気づかれたのだろうか。バチッと、視線が合う。
(ヤバッ)
慌ててしゃがむけれど、機織りの音はやんだまま。
ほんの一瞬だったのに、深緑色の瞳が陽菜の脳裏に焼きついている。焦りと緊張で、心臓がドキドキと暴れ出す。
カタン……と、閂が外れる音が耳に届いた。静かに戸が開き、スッと一筋の灯りが漏れる。
陽菜は足と腕を折り畳んで身を縮こまらせるが、闇に溶け込むわけではない。
「誰?」
不安そうな女性の声が、陽菜の鼓膜を震わせた。
黙っているわけにもいかず、陽菜は恐るおそる顔を向ける。
怪訝な表情を浮かべる女性は、眉を歪めていても美しい。
見惚れていると、女性の眉が、さらにひそめられた。
陽菜は慌てて立ち上がり、しどろもどろになりながらも言葉を発する。
「あっ、えっと……、ごめんなさい。私、その……迷い込んじゃったみたいで」
「迷い込んだ?」
「はい……」
迷い込んだというのは、嘘じゃない。他に弁解の言葉も見つからない。
女性は、陽菜のことをどう扱えばいいのか、まだ判断しかねているように見える。
陽菜にしてみれば、とにかく現状把握が先決だ。
「あら? 貴女……」
陽菜が言葉を発するより先に、女性がなにかに気づいた。戸を大きく開き、陽菜の元へ歩み寄ってくる。
驚きに見開かれた目は、ウルウルとしていて潤いに満ち、小型の愛玩動物みたい。
女性は陽菜の隣に膝を突き、どうしたことでしょう……と、白く美しい手を自身の口元に運んだ。
「アッチの世界から、迷い込んでしまったのね」
「は、はい! そうです」
女性は、きっと陽菜の服装で判断をしたに違いない。半袖にハーフパンツ。鎖骨辺りまで伸びた髪は、頭の上でお団子結びにしている。
「あぁ、心細かったことでしょう。とりあえず、中にお入りなさい」
陽菜は女性に誘われ、建物の中に足を踏み入れた。
壁一面は木の棚で埋め尽くされ、いくつもの反物が収納されている。長方形の木でできた机には、織り上げられただけの反物が広がっていた。
機織り機は一台だけ。
女性は机の横に置いてあった椅子を運んできて、陽菜に座るよう促した。
「ありがとうございます。あの……ココって、どこですか?」
女性も椅子を運んできて、陽菜の前に腰を下ろす。肩からずり落ちたショールを元の位置に戻し、戸惑っている陽菜の瞳を真っ直ぐに見詰めた。
「ここは天帝の屋敷にある、私の仕事場よ」
「天帝?」
天帝とは、誰のことだろう。
陽菜がキョトンとしていると、女性も「まぁ!」と驚きに目を丸くした。
「ご存知ないかしら? 天帝とは、高上玉皇大帝のこと。天界の支配者であり、地上と地底に住む、あらゆるモノの支配者。最高神よ」
「最高神……!」
陽菜の頭の中をGODというアルファベットが駆け抜ける。
最高神ということは、ツクヨミや大年神達よりも位が上なのだろう。
「そんな凄い神様なんだ……知らなかった」
「知らなかったって……貴女、どうやって門の中に入れたの?」
「門は、くぐってないの」
陽菜の言葉に、どういうこと? と、女性は首を傾げる。
「ただ、目を閉じて素麺を食べただけなんですけど……いつの間にか、この家の玄関前に……」
女性は「まぁ」と、大きく開いた口を袖で隠し、ガタリと椅子を倒して立ち上がった。
「そうですわね。ご家族が心配してらっしゃるに違いないわ! 大変、急いで帰してあげなければ」
「え? あっ、あの……落ち着いてください!」
「いいえ! 落ち着いてなど、悠長なことを。いつまでも、長居は無用です。天帝の元へ、お願いしに参りましょう」
今の流れでは、端午の節句のときと一緒。あれよあれよという間に、アッチの世界に戻されてしまいそうだ。
「待って、待って待って! そんなに慌てなくても大丈夫です」
「大丈夫なわけがありますか! アッチの世界では、行方不明。姿が消えてしまっているのよ」
「あっ……そうか」
今の陽菜は、神隠しに遭っているのと同じだった。
でも今を逃したら、もう本当にチャンスが無くなってしまう。
ただコッチの世界に来ただけでなく、神様の世界であるなら、尚更だ。
諦めずに、陽菜は言葉を続ける。
「あの……ココって、コッチの世界の……神様の住む世界だよね」
「そうですわ」
女性の答えを受け、陽菜もガタリと椅子を倒して勢いよく立ち上がった。
自分を落ち着かせるように、部屋の中をウロウロし始めた女性の前に立ちはだかる。
「あのぅ……ツクヨミ様って知ってますか?」
「ツクヨミ……?」
女性は白く長い指を顎に添え、しばし考え込む。
「もしかして……日の本の国に籍を置かれている、ツクヨミノミコト様?」
「はい! そうです」
陽菜は喜びに、パッと晴れやかな笑みを浮かべる。しかし女性は「う~ん」と頬に手を添え、なにやら考える素振りを見せた。
「ご挨拶程度なら、何度かありますわよ」
「ホントですか? 私、ツクヨミ様に会いたいんです! 会わせてもらえませんか?」
陽菜からの申し出に、女性は目をパチクリとさせる。
「なぜ?」
「あぁ……えっと……」
なんと説明をしたら伝わるだろう。
人間の子供が、神であるツクヨミに会いたいなんて、接点が無さすぎる。
女性は、陽菜と目線を合わせるように膝を折った。
「面識は、おありなの?」
「ある! あります。大ありです!」
「そう……そうですの」
女性はジ~ィと、陽菜の様子を観察している。
この必死さが伝わるだろうか。
陽菜は女性から視線を逸らさず、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
女性は柔らかな微笑を浮かべ、固く握り締めている陽菜の手に触れる。
「ところで、貴女の名は?」
「……陽菜、です」
「そう、陽菜ちゃん。私くしは、織姫ですわ」
「お……織姫? 織姫って、あの?」
そうですわ、と、機織りをしていた女性ーー織姫はニコリと、見惚れてしまう美しい笑みを浮かべてみせた。
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