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.第3章 食べられ方のお作法

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 翠に連れてこられたのは、近くにあるランジェリーショップだった。
 促されて入ってみれば、デザインはキュート系からセクシー系まで幅広い。
 どれもレースをふんだんに使っていてお高そうだ。

「み、翠さん……は、いっつもここで、お買い物を……?」

 店員と親しげに会話する翠に、うろたえながら訊ねると、翠は「まあねー」と笑った。

「こういうオシャレって今だから楽しいかなって。自分にしかお金かけるところもないしねー」

 そう言って、「さて、嵐志くんはどんなのが好みかなぁ」と下着を手にする。

「わぁ。このベビードール、かわいくない?」

 翠が手にしたのは、菜摘が着たら膝上まで隠れそうな長さのキャミソールだった。
 ふりふりふわふわの裾はセクシーというよりキュートで、お姫様のようでもある。
 菜摘も、ちょっと着てみたくなるようなデザインだ。

「ほんと……かわいい」

 手を伸ばしかけたところで、値札が見えてびくりとした。
 給料の中から、母に仕送りもしている菜摘だ。この値段では手が出ない。
 そう見ると、どの下着もそれなりの値段のものばかりのようだ。
 あんまり高いものは……とためらう菜摘の気持ちを察したのか、翠は店員に声をかけ、いくつかショーケース上に並べてもらった。
 おいで、と言われて行ってみれば、五、六着の下着が並んでいる。

「いきなり冒険するのも勇気いるだろうし、この辺、お手頃価格でちょうどいいんじゃないかな。あんまりセクシーすぎると嵐志くんが妬いちゃいそうだし、普段使いもギリできる感じじゃない?」

 私はもうちょっと攻めたやつも着ちゃうけど、という言葉に、やっぱり色気のある人は下着からして違うのか、と生唾を飲む。
 見てみれば、翠が示してくれたのは、それなりに使いやすそうなランジェリーだった。
 パステルカラーを中心に、ピンクからブルーまで、色んな色が並んでいる。
 一つ一つ順に見れば、カップの上下に、透け感のあるレースがついたオフホワイトの下着で目が止まった。
 紐との接続部分には、銀糸混じりのバラの刺繍がある。
 バラは、嵐志が初めてくれた思い出の花だ。バレンタインデーの日のことを思い出して口元がほころんだ。

「これ……かわいい」
「あ、いいね。シンプルだけどかわいい」

 値段も、菜摘の許容範囲だった。セットになったショーツも、サイドのところに同じレースが使われていて、やっぱりその横にはバラが刺繍されている。

「じゃあ……これにします」
「一応、試着してきなよ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 言われて、試着室にこもる。試着室の外では、翠が何か店員とやりとりしている気配がした。
 もしかしたら翠も何か買っているのかもしれない。
 試着しなくていいんだろうか。それとも、自分が試着室を使っているからできなかったのかも?
 気になって、できるだけ早めに済ませて試着室を出た。

「あら、早かったね。どう? 大丈夫そう?」

 翠は何もなかったように笑っている。菜摘はうなずいた。

「はい、大丈夫です」
「なら、会計して出よっか」
「はい……」

 会計を済ませて店を出ると、菜摘は機嫌のよさそうな翠の横顔を見上げた。

「あの……翠さんも、お買い物したんですか?」
「ん? うん、まあねー」

 翠はあいまいにうなずくだけだ。
 答える気がないのなら、必要以上に聞くのもマナー違反だろう。
 菜摘もそれ以上聞かないことにして、黙って翠に従った。
 レストランに向かうときにも見たとおり、道にはいろんな店が並んでいた。
 商店街、というにはおしゃれなその通りは、食べるのが好きな菜摘にも楽しめそうだった。パンやワッフル、クレープにジェラート・タピオカや鯛焼きなど、ちょっと買い食いしたくなるスイーツもたくさんある。
 ついつい目移りしている菜摘に、翠が気づいて笑った。

「キョロキョロしてるね。気になるお店あった?」
「えっ、と、あの、はい」
「せっかくだし、エステ終わったらどっかでお茶しよっか」
「は、はいっ、ぜひ!」

 ただエステに誘ってもらっただけのはずなのに、すっかり女子会気分だ。
 呼び方といい、今日一日で翠との距離がぐっと近づいたようで嬉しい。
 それは翠も同じなのか、「じゃ、どこに入るか考えといて」と笑うと、また前を向いた。

「この辺りね、いい雰囲気のバーもたくさんあるんだよ」
「そうなんですか」

 今日は昼間だから寄らないけど、と笑う翠に、菜摘はうなずく。
 バーに翠。なんとも絵になりそうな組み合わせだ。

「翠さんは、よくバーに飲みに行くんですか?」
「うん。最近はひとりのことが多いけどね。だから、小さくてカウンター席のあるお店が好きなんだ」

 あっさり返ってきた言葉に、菜摘はほうと吐息を漏らした。

「かっこいい……」
「ええ?」
「私、バーとか、入ったことないです」

 飲み気より食い気の方が強いから――というのももちろん理由のひとつだが、やっぱりどこか気がねがある。
 まだ自分には早い世界、というか。
 羨望のまなざしを送る菜摘に、翠は笑った。

「興味ある? なら、今度一緒に行こうか」
「は、はい! ぜひ!」

 翠はうなずいて、でも、と人差し指を立てた。

「そのときは、嵐志くんに許可もらってね。あの人、きっと私と飲みに行くなんて大反対するから」

 そう言われて、菜摘は首をかしげた。
 翠は華奢な腕時計を確認すると、顔を上げた。

「うん。そろそろ、ちょうどいい時間だね。行こうか」
「はっ、はいっ」

 思わず背筋を伸ばす菜摘に、「あはは。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」と翠は笑った。

 ***

「はー、気持ちよかったねぇ。菜摘ちゃんは? 初エステ、どうだった?」

 エステの後、ハーブティーで一息ついてからサロンを出た。菜摘は心持ちモチモチ感を増した気がする頬を押さえながらこくこくとうなずく。

「すっごく、気持ちよかったです。眠くなっちゃった」
「うん、私も最後の方、半分寝てた」

 くすくす笑い合っていると、不意に、翠が手を伸ばしてきた。

「ふふ。血行よくなったからかな。ほっぺがピンク色。赤ちゃんみたい」

 つんつん、と頬を突かれてうろたえる。
 同性とはいえ、憧れの人だ。距離が近づくとそわそわする。
 一方、翠は感動したように目を輝かせた。

「うっわぁ。ほんとにもっちもち。え、すごーい! ずっと触ってたくなる気持ち分かるー!!」

 翠の両手に頬を包まれる。
 美人との接近戦にくらくらしたとき、翠がふふっと嬉しそうに笑った。

「ね、こっち来て、こっち」

 肩を引き寄せられて、たたらを踏むように寄り添う。掲げられたのはスマホの画面。

「はい、チーズ。初エステ記念!」

 ぴこん、と音がして、画面には目を丸くする菜摘と、笑顔の翠が写された。
 翠は「うん、可愛く撮れた」と満足げにうなずく。
 また「今度嵐志くんに自慢」するのかと思っていたら、

「そーうしーん」
「えっ!?」

 動揺した菜摘に、翠はあっけらかんと笑う。

「さて、行こ行こー。どこのカフェに入る? 今日あったかいからジェラートもいいねー」
「えっ、え? あの……!?」

 さっきの送信先は一体、と聞く間も与えてもらえないまま、慌てて翠について行った。
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